ガール・センター 〜フェイスの冒険〜

                カレン・エリザベス・L


CopyRight(C)2005 by Karen Elizabeth L.
Based on the text FictionMania
Translated by Rino Maebashi



 ハリーと僕は、まるで兄弟のように育った無二の親友だ。
 小さい頃からいつもいっしょに遊んでいたし、学校へ通うのもいっしょだった。もちろん、たいていの男の子同様、ふたりで「悪さ」もした。
 ただ、僕らの場合、ちょっと度が過ぎたようだ。僕らにしてみれば、単なるいたずらに過ぎなかったのだが、親や教師、それに世間の大人たちは、そうは見てくれなかった。
 最初、他愛ないピンポンダッシュやいたずら電話だったものが、そのうち、万引きとかに発展していったのもたしかだ。でも、それにしたって、そんなに高価な物を盗ったわけじゃない。せいぜい、お菓子とか雑誌とか、その程度だった。でも、親や大人たちの基準では、それは、まぎれもない「非行」だったのだろう。
 ことにハリーの「悪さ」はますます度を超していき、母親をひどく悩ませることになった。

 あれは、僕らが8年生になったばかりの頃(※) だ。
 (※訳注 アメリカの初等教育の制度は州や地域によってちがうので何とも言えないが、後のストーリーから考えると13歳になって間もなくだと思われる)
 学校をサボったハリーは、近所にジャガーが停まっているのを見つけ、これをちょっと借りてドライブしたら楽しいだろうと考えた。
 僕だって、もしその場にいたなら、たぶんノッていただろう。車を――それもジャガーを――運転できるチャンスなんて、そうそうあるもんじゃない。でも残念ながら、その日僕は、インフルエンザにかかって家で寝ていた。だから、そんな面白そうなことに参加できなかったわけだ。
 たしかに、それは面白かったにちがいない。でも、時速70マイル(約110キロ)を超えた時点で、急ハンドルとともに、その面白さは大きく横すべりした。そして、その暴走車を追っていたパトカーの警官たちは、それをけっして面白いことだとは考えてくれなかった。さらに言えば、彼らはフェンスにぶつかって数千ドルの被害をこうむったジャガーの所有者でもなかった。だから、示談ですませてくれるようなこともなく、ハリーは、その場で現行犯逮捕されてしまったのだ。
 すぐさま地方裁判所に送致されたハリーは、そこで非行歴を調べられ、その結果、2年間の更正教育という判決を下された。そして、グレート・インディアン・リバー・ラーニング・センター(Great Indian River Learning Center)という更正施設を兼ねた寄宿学校に送られてしまったのだ。

 それからしばらくすると、僕のもとに、そのグレート・インディアン・リバーからひんぱんに手紙が届くようになった。もちろん、ハリーからだ。
 その手紙で、ハリーは、この学校の名前は、収容生にとって悪い冗談みたいなものだとさかんに書いていた。僕には何のことかよくわからなかったのだが、どうやら、やつはこの学校でひどい目に遭っているらしかった。それについても詳しく書いてあったわけではないが、何度も、ここから救い出してほしいと言ってきた。
 一度など、もうこれ以上我慢できないから、本気で脱走するつもりだと書いてきた。それで僕は、手助けしたいのはやまやまだけれど僕では何の力にもなれないと、わびの手紙を返さなければならなかった。
 すると、そのあと3ヵ月ほど、ハリーからの便りがぱたりと途絶えた。それで僕は、もしかしたらやつは、首尾よく脱走できたのかもしれないと思った。
 ところが、実際は逆だったようだ。脱走に失敗して連れ戻され、罰として、外部との接触を絶たれたということらしい。
 3ヵ月後に届いた手紙で、やつは、やっとその懲罰期間が終わったと嬉しそうに知らせてきた。しかし、それだけではなかった。その文面は、前と比べるとずいぶん穏やかな感じになっていた。学校への不平が、いっさいなくなっているのだ。
 その手紙によると、ハリーは、最近成績が上がったという。それに、ガールフレンドができたとも書いてあった。どうやら、そのガールフレンドとやらが、学校になじめるようにあれこれ世話をやいてくれていて、その結果、やつは、自分の置かれた環境が前ほどいやだと感じなくなったということらしかった。

 それ以降、ハリーの手紙の文面からは、次第に、グレート・インディアン・リバーにいることが幸せだという感じが伝わってくるようになった。そのくせ僕には、こんな学校に送られるような悪いことはするなと、さかんに書いてくる。
 僕には、ハリーがそんなふうに僕のことを心配し、警告してくる真意がさっぱりわからなかった。だいいち、その学校がひどいところだというなら、判決で言い渡された期間が過ぎたというのに、そこにとどまりつづけている理由が説明できないじゃないか。
 そうなのだ。すでにハリーのグレート・インディアン・リバーでの生活は3年目に入っていた。その上どうやら、卒業までそこで学びつづける決心をしたらしかった。
 ハリーがそこに送られるまで、僕らは最高の友達だった。でも、2年もたつと、そんな記憶がだんだんと薄れてくる。これ以上離れていたらいよいよ疎遠になっていく気がして、僕はなんだかさみしかった。
 いや、それ以上に腹も立った。
 悪いことをするな‥‥だって? えらそうに。
 それが、盗んだジャガーを時速75マイルで飛ばした末、ぶっ壊したやつの言うことか?
 もし、兄弟のように感じているハリーでなかったら、とうの昔に、こっちから縁を切っているところだ。

 母さんから、ハリーの母親が再婚するというニュースを聞かされたのは、ちょうどその頃だった。
 夫に先立たれ独り身だったハリーの母親は、転校した一人息子を追うようにグレート・インディアン・リバーの近くに引っ越していた。そして、そこで再婚相手を見つけたらしい。わが家にも、その結婚式の招待状が届いたのだ。それで母さんは、僕にもいっしょに行こうと誘ってきた。
 ふつうなら、誰のであろうと、結婚式なんて出る気はない。そんなものは、ペンキが乾くのを見ているより退屈だろう。でも、ハリーも出席するはずだと聞き、俄然、行く気になった。

 教会での式は、思ったとおり退屈だった。母さんをはじめ、女の人たちは泣いていたけれど、男たちはみんな、あくびをかみ殺していた。
 僕も居眠りしそうになったのだが、花嫁とともに入ってきたブライドメイドのひとりを見たとたん、目が冴えた。その赤毛の女の子は、びっくりするほどかわいかった。しかも、見つめる僕の視線に気づいたようで、ほほえみ返してくれた。
 僕らの席から彼女のいるところまでは距離があり、はっきりとはわからなかったが、なんだか彼女は、僕に気があるようにさえ思えた。僕がもう一度見返すと、さらにうれしそうな笑顔が返ってきたのだ。
 式が終わりに近づき、彼女は、退場する新郎新婦に付き添って通路を歩いてきた。そして、僕の席のそばを通るときには、はっきりとこちらに目を向け、笑いかけてきた。
 僕は、彼女と話すために、早くパーティ会場に行きたかった。

 新郎新婦やその付き添いは、控え室からなかなか出てこなかった。それで僕は、会場のあちこちを歩きまわり、ハリーの姿を探した。でも、どこにも見あたらない。
 新婦の息子なのだから、付き添いのひとりに選ばれている可能性はあるが、さっき教会の通路を行く中に、ハリーはいなかったはずだ。僕は、首をかしげるしかなかった。母親の結婚式に来て、パーティに出ないなどということがあるのだろうか?
 しばらくして、やっと新郎新婦の一行が入ってきた。もちろん、その中には例の彼女もいた。その姿を見つけ、僕は、彼女こそ理想の女の子だという気がした。教会の時より近くで見て、そのかわいさに、ますます惹かれた。つややかな長い髪も、抜群のスタイルも、そして、あいかわらず僕に投げかけてくるその笑顔も、信じられないくらいすてきだった。
 さっそく話しかけようと近づいていくと、彼女の方から、まず列席者に挨拶してまわらなければいけないとわびてきた。
「あとで、ね」
 心地よく響く声でそう言うと、彼女は、パーティの人垣の間を巡りはじめた。
 僕は、その姿を目で追っていた。顔はもちろんだが、その後ろ姿も本当にかわいい。
 しばらくぼーっとしていた後、やっと、ここに来た本来の目的を思い出した僕は、また、ハリーを探して会場内をまわった。
 途中、ウエディングドレス姿のハリーの母親に出くわした。彼女の新しい夫が、友人に新婦を紹介するすきをみつけ、僕は、ハリーのことをきいてみた。すると、彼女は笑顔でこう言った。
「あら? さっきからずっと、その辺にいるはずよ」
 その言葉に、僕はきょろきょろ見まわしたのだが、やはり、その姿はどこにも見あたらない。
「誰か、探してるの?」
 突然、背後から、声がした。
 振り向くと、例の女の子だった。僕の心は、たちまち浮き立った。
 その瞬間、もう、ハリーのことはどうでもよくなっていた。こんなかわいい女の子に見つめられては、他のことなんて考えてる余裕はないだろう。でも、せっかくの会話をつづけたいと思い、取り繕うように言った。
「あ、ああ。友だちが来てるはずなんだ。なにしろ、2年ぶりだからな」
「それは、すてきだわ」
 彼女はまた、魅力的な笑顔を輝かせながらそう口にした。
「じゃあ、どうしても会わなきゃね」
「ああ。子供の頃からずっと仲のいい親友なんだ。でも、見つからなくて‥‥。やつだって、会いたがってるはずなんだけどな」
 僕はそう言って、肩をすくめてみせた。

 そのあと、手近な椅子に座って彼女とおしゃべりするうち、僕は完全に恋に落ちた。
 ホリー(※)と名乗ったその新しい友人は、男にとって、まさに理想的な彼女だといえた。かわいくて美人で、その上、僕が語るハリー(※)との思い出話を、興味津々という感じで楽しそうに聞いてくれるのだ。
 (※訳注 ‘Holly’,‘Harry’ ‘l’と‘r’の区別が明確なアメリカ人にとって、カタカナ表記ほど似ているわけではないので、気づかない主人公を馬鹿にしてはいけない)
 頃を見計らって、いよいよ電話番号を聞き出そうとした時、ちょうどダンスタイムが始まり、まずは新郎新婦のダンスが披露された。
 彼女がふたりのダンスに熱心に見入っているので、僕は、はやる気持ちを抑えた。こんな時、相手を無視してガツガツするようでは、男としていいポイントは得られないだろう。
 そのダンスが終わり、ビンクラー夫妻があらためて紹介されると、彼女はお祝いの言葉とともに大きな拍手を贈り、僕はまた、おとなしくそんな彼女の横顔ばかり見ていた。
 と、そこで司会者が、それぞれの付き添いの中心となった新郎新婦の友人たちを紹介した。次は付き添いをふくめたダンスという段取りらしい。さらにもう一組、ビンクラー氏の子供たちも踊りに参加するようだ。
 そのカップルが呼ばれたところで、僕は、あんぐりと口を開けた。
 ロバート・ビンクラーと‥‥ホリー・ビンクラー?
 司会の紹介に、にっこりと席を立った彼女の後ろ姿を、僕はまるで、そのかわいいお尻に催眠術をかけられたように見送った。
 つい今しがたまでおしゃべりし、恋に落ちたあの少女は、つまりは、ハリーの義理の妹だったわけだ。そんなこと、なにも言ってなかったのに‥‥。
 パートナーである兄のリードにみごとに合わせて踊る彼女の姿は、まるで、ダンスが生まれついての天分だといわんばかりの優雅さだった。
 兄と談笑して踊りながらも、彼女は時たま僕の方に目を走らせ、笑いかけてきた。その笑顔と目が合うごとに、僕の心はさらに浮き立ち、幸せな気分になった。彼女には、僕がこれまで知り合った誰よりも、僕を惹きつけるなにかがあった。
「ねえ、さっき僕がハリーの話をしたとき、どうして義理の兄貴だって言ってくれなかったんだ?」
 踊り終わって戻ってきた彼女に、僕はすぐさまきいた。
「うふ、そんなことより」
 彼女は、そう言ってにっこり笑うと、僕の手をとった。
「踊りましょ!」
 彼女が踊る姿を見ているだけで夢心地だったのに、自分の腕に抱いて踊れるなんて、もう、この世の天国だ。
 彼女は、そのパーティドレスが驚くほど似合っていた。白い薄手の手袋とともに、上半身はぴったりと体の線に沿い、大きく開いたネックラインからは、魅力的な乳房の上の部分が顔をのぞかせている。それは僕を、全身で興奮させた。
 僕らはあきらかに、他の人々からお似合いのカップルだと見られているようだった。僕の母さんや親父も、それに、ホリーの家族たちも、僕らが踊る姿をほほ笑ましそうに見ていた。僕は、そんな視線に照れながらも笑い返し、ちょっと誇らしいような気分になった。
 僕らは、バンドが演奏するあらゆる曲をふたりで踊り通した。スローな曲も、アップテンポな曲も、それに、ガキっぽい曲やオジンくさい曲も。ほんとのことを言えば、僕はこんなかったるい音楽は嫌いだし、これまでこんな曲でダンスしようなどと思ったことはない。でも、パーティドレスの裾から伸びるホリーの魅力的な脚は、そんなことを忘れさせるだけの価値があった。
 要するに、ホリーといっしょにするのなら、どんなことだって、いやだとは感じないのだ。

 パーティが終わったところで、僕はやっと、彼女の電話番号をきいた。
 すると彼女は、ほほ笑みながら僕のほおにキスし、長距離電話はゆっくり話せないし、よかったら手紙を書きたいと言った。
「住所は、ハリーが知ってるでしょ。あたしの住所は、その手紙に書いておくから」
 将来結婚したいとまで感じる女の子から届く、初めての手紙を待つのもいいかと思い、僕はうなずいた。まあ、ハリーが義理の兄貴になるというのは、ちょっと気に入らないが。

 ところが、それから何週間待っても、ホリーからの手紙は来なかった。
 あの結婚式では、お互いマジだったはずなのに、なにが起きたのだろうと、僕はちょっと不安になった。
 彼女だって、僕に惹かれていたのはまちがいない。たぶん、彼女は今、何かしなければいけないことがあって、手紙を書く暇もないのだろうと、僕はむりやり自分を納得させた。
 もちろん、僕にだってしなければならないことはある。このところ、ホリーのことばかり考えていて、悪さするのをすっかり怠けていたのだ。僕のいたずら心が、また、むずむずとうずきはじめた。

 ある夜、学校の理科室に忍び込んだ僕は、そこに発煙筒を仕掛け、おまけに出入り口のドアを強力な接着剤で固めてしまった。
 煙を見て駆けつけた町の消防隊が、中に入れなくておたおたする姿や、苦労して入ったあげく、火元が小さな発煙筒だったことを発見して腹を立てる姿を見て、笑おうと思ったのだ。
 ところが、ことは僕の考えどおりには進まなかった。
 発煙筒から出た火花が、近くにあった紙に引火し、燃える紙は実験テーブルに引火し、理科室全体が燃えだしたのだ。
 やって来た消防隊は、中に入って消化するために、ドアを斧で壊さなければならなかった。
 僕は、集まりだした野次馬の人垣からこっそり抜け出そうとした。しかし、そこで誰かが叫んだ。
「放火犯はあいつだ。さっき、あいつが学校を出てくるのを見たんだ」
 群衆の中をすり抜ける前に、僕の腕は警官に捕まれ、手首には手錠がかけられていた。そして、パトカーに押し込まれた。
 僕は、罰せられずにはすまないことを覚悟した。たとえ、今ここで暴れて逃げ出せたとしても、その瞬間に、僕の命はないだろう。

 両親は、減刑嘆願さえしてくれなかった。
「フランク、お前は、男としての責任をとらなければならない」
 親父は、そう言い放った。
「判事に、厳格な判決をお願いした」
 そして、その判事も、僕の反省と改悛の言葉を信じてはくれなかった。あの発煙筒による被害は、最終的に5万ドル以上に及び、僕にはそれに見合った罰が与えられるべきだと述べたあと、こう言った。
「これまでの非行歴も考え合わせれば、君のご両親は、君を市民社会にとって有益な人間に育てることに失敗したと言わざるを得ない」
 判事は、僕をにらみつけながらつづけた。
「このまま放置すれば、近い将来、君は、君自身を傷つけるか、そうでなければ他人を傷つけることになるだろう。社会の人々は、君が厳罰に処せられ、今、君自身が傷ついてくれた方が安心できるのかもしれない。しかし、私はそれをよしとしない。学校当局や警察、そして君のご両親と検討した結果、君を、2年の間、グレート・インディアン・リバー・ラーニング・センターに送ることとする。そこで過ごすことで、数年後、君がまったくちがう人間になっている可能性を信じたい」
 判事と両親は、僕が打ちひしがれ、許しを請うとでも思ったのだろうか。どうやら彼らは、グレート・インディアン・リバーに、大親友のハリーがいることを知らないらしい。
 それなら、なにも言わない方がいいだろう。
 僕は内心ほくそ笑みながら、しおらしくうなずき、恐ろしい罪を言い渡されてしょげているふりをした。

「きっと、お前にとっては、つらい毎日になるだろう」
 グレート・インディアン・リバーへ向かう車を運転しながら、親父が言った。
「言っておくが、母さんも私も、けっしてこれを喜んでるわけじゃない。しかし、こうするしかなかったんだ。たぶんお前はこれから、たいへんな変化を迫られるはずだ。でも、あそこの教育方針は、お前のような問題児に100パーセントの効果を発揮するという話だ」

 到着すると、僕らはすぐに校長室に案内され、校長のミセス・ウイリアムズから簡単な説明を受けた。
 毎日の授業は制服で受けるのが決まりだが、それ以外の時間は、特別な行事などを除きカジュアルウェアでよい。ただし、そうした時間も、生活態度や行儀などは厳しく指導される。
 校則違反は、どんな場合も厳罰に処せられ、場合によっては退学となる。その場合は、少年刑務所に送られ、18歳になるまでそこで過ごすことになる。‥‥。
「まずは、私や先生方を信頼し、素直に従うこと」
 ミセス・ウイリアムズは、思わず震え上がるような厳めしい声で言った。
「あなたが、今のような男の子であるうちは、ここのやり方に異を唱えることは許されません。いずれにせよ、ここにいるかぎり、あなたはそんな男の子でいつづけることはできないでしょう。少なくともすぐに、たったひとつの選択を迫られるはずです」
 ‥‥たったひとつ? それを、選択というのか? いったいなにが言いたいんだ?
 僕がそれを聞き返そうとする前に、母さんがキスしてきた。
「先生方の言うことをよくきいて、うまくやるのよ」
 親父も、僕を軽く抱くようにして言った。
「あとは、ミセス・ウイリアムズが案内してくださる。お前がここの暮らしに慣れるまで、私たちとは接触できないことになってるんだ」
 そして、ふたりは出て行った。

 そのあと僕は、ミセス・ウイリアムズに連れられ、今後暮らすことになる寮の部屋まで行った。見ると、ベッドの上には、親父が置いていったらしいスーツケースがひとつ、運び込まれていた。
「校則を守って、規律正しく暮らすこと。脱走などということは、いっさい考えないように。あなただって、罰を受けるのはいやでしょう」
 彼女はまず、そう釘を刺した。
「もうじき、ルームメイトが戻ってきます。それまでに、荷物をかたづけておきなさい。彼女がいろいろ世話してくれるはずです。彼女にきいて着替えなさい。それがすんだら、もう一度、私の部屋まで来るように」
 表情も変えずそれだけ言うと、ミセス・ウイリアムズはくるりと向きを変え、さっさと出て行ってしまった。その後ろ姿を見送りながら、僕は、あの女は、世界でいちばん冷酷な人間にちがいないと思った。
 でも一方で、ここは意外に自由で進んだ学校なのかもしれないと感じていた。だって、ミセス・ウイリアムズは今、ルームメイトのことを「彼女」と言ったじゃないか。
 あらためて見まわすと、室内はかなり広かった。ベッド、机、テーブル、そしてウォークイン・クローゼットまで、すべてふたつずつ揃っている。
 どうやらこの部屋は、これまで、女の子2人で使っていたようだ。クローゼットを開けてみると、どちらにも、女の子用の服が隙間なく掛かっていた。それにしても、前の子は、自分の荷物を残したまま出て行ったのだろうか?
 さらに部屋の中を見まわしていると、片一方の机の上に何枚かの写真が飾られているのに気がついた。それをもっとをよく見ようと近づき、そこで僕は息をのんだ。
 その写真立ての中から笑いかけているのは、どれもみんな、ホリー‥‥あの、ハリーの義理の妹、あの、結婚式で知り合ったホットな女の子‥‥ホリーだったのだ。
 つまり、僕のルームメイトは、ホリーだってことか?
 もし、そうだとしたら、僕は自分でも気づかないうちに死んだのかもしれない。だって、ここは天国だ。
 なるほど‥‥。彼女が住所を教えたがらなかったのは、ここに入れられていることを隠したかったからだと考えれば、納得がいく。
 そう思いながら、それらの写真を眺めているうち、僕はまた首をかしげることになった。そこには、不思議なことがいろいろあったのだ。
 写真のほとんどは家族写真で、彼女が、父や兄、それに義理の母親といっしょに撮ったものだ。しかし、ハリーといっしょに写ったものは一枚もなかった。
 それに、父や兄だけと撮った写真さえない。父の再婚以前、彼女は彼らの中で育ってきたのだから、そんな小さい頃の写真が一枚くらいあってもよさそうなのに。
 ところが、ハリーの母親とふたりで写った写真はあった。しかも、この写真がいちばんうち解けた表情をしている。ホリーが義理の母親と知り合ったのは、そんなに前ではないだろう。なのに、写真の中のふたりは、いかにも親密そうに寄り添っていた。
 さらに僕を驚かせたのは、そこに、僕自身の写真があったことだ。そしてそこには、ハリーも写っていた。何年か前、ハリーといっしょに撮った写真だ。たしかこの写真は、ハリーの母親のお気に入りで、いつもハリーの家の暖炉の上に飾ってあったはずだ。それが、どうしてここにあるんだ?
 もしかしてホリーは、僕の写真がほしくて、義理の母にむりやりねだったのかもしれない。
 そんな想像をしている時だった。
「もう、ここに送られるようなまねはするなって、あれほど言ったのに。このヌケサクが」
 後ろから、明るい声がした。
「ま、たしかにヌケてるわよね。あの結婚式の時、よくわかったわ」
 振り向いた先には、デニムのミニスカートとTシャツ――胸には“Boy Toy”の文字が入っていた――を着たホリーが立っていた。
「久しぶり、ね」
 彼女は、ちょっとからかうような口ぶりで言った。
「ああ。まるで、天国に来たような気分だよ」
 僕は、もう一度彼女の姿を上から下まで眺めながらほほ笑んだ。
「それにしても、あの判事もまぬけだよな。罰として僕をここに送ったはずなのに、そこで僕を待っていたルームメイトは、こんなすてきな女の子なんだから」
「それは、どうかな?」
 ホリーはほほ笑みながらも、今度はあきれたように首を振った。
「たぶん、その判事はまちがってないと思うわ。あなたは、罰を受けてるのよ。まあ、すてきな女の子って言ってくれたのはうれしいけどね、ヌケサク」
「えっ、ヌケサク‥‥? なんか、なつかしい響きだなあ。‥‥ああ、そうか。僕のことだ」
 僕は子供の頃のことを思い出していた。それは、ハリーがつけて、よく呼んでいた僕のあだ名だった。
「ふふ、君の兄貴は、僕のこと、そんなふうに呼べって教えたのか?」
 僕は、それでもいいかなと思った。彼女から呼ばれるんなら、そんなあだ名も心地よい。
「あたしの兄さんは、あの結婚式で初めてあなたに会ったはずよ。だから、それは無理だと思うな」
 彼女はなんだか、これまでにない馬鹿っぽい表情で言った。そして僕は、その表情を、前に見たおぼえがある気がした。
「いや、君の兄さんと僕は、ほとんどいっしょに育ってきたんだぜ。まるで兄弟みたいに」
「ちがうわよ。悪いけどやっぱりヌケサクね。いっしょに育ってきたのは、あなたとあたしでしょ。まあ、これからは、兄弟とは言えなくなるんだろうけど」
 彼女は笑い声を立ててそう言い、ベッドに腰を落とした。
 その顔には、またからかうような笑みが浮かんでいる。
「もう、かわいい顔して、からかうのはよせよ」
 僕も、からかいモードで言った。
「ここがトワイライト・ゾーンでもないかぎり、僕らが初めて会ったのは、君の父さんがハリーの母さんと結婚した時のはずだぜ」
「ううん、初めて会ったのは、クラフトン・ハイツ幼稚園よ。それに、あたしのパパは、あたしが11歳の時に死んじゃったし」
 さすがに僕も、少し腹が立ってきた。
「もうやめないか、ホリー。そんなジョークは、ちっとも面白くないよ」
「まだ、わかんないの?」
 ホリーはまた、あきれたように笑った。
「いいわ、やりながら説明するから。気の短いミセス・ウイリアムズを、待たせとくわけにもいかないし」
 そして、シャワールームを指さしながらつづけた。
「服を脱いでシャワー室に行って。そこに脱毛クリームがあるから、それで目立つすね毛を脱毛するの。腋の下は、カミソリで剃ってね。その間に、あたしが、服を選んどいてあげるから」
「ふざけてるのか!」
 僕は、その言葉を遮るように大きな声で言った。
「まったく、わけわかんないよ。僕は、変な更正施設に放り込まれて、ルームメイトだという女の子から、どう考えても筋の通らない話ばっかりされてる。その上その子は、シャワーを浴びて、すね毛や腋毛を剃れなんて言う。この状況について、誰かさんがちゃんと説明してくれるまで、僕はなんにもする気はないからな」
 引き出しから服を出し始めていたホリーは、首を振りながら言った。
「相変わらずね、フランク。だからあたしは、手紙で、ここに来るようなことはするなって忠告したのよ。でも、来ちゃった以上、あなた自身で変わらざるを得ないのよ」
「もう、よさないか、そんな話」
 僕はいらいらしながら言った。
「僕は、君に手紙をもらった覚えなんてない。約束したのに、君は出してくれなかったじゃないか。それに、ハリーの母親の結婚式以前に、君に会った覚えもない。ましてや、君といっしょに幼稚園に通ったことなんてない」
 ホリーはため息をついて、引き出しから出した衣類を床に置いた。そしていきなり、僕が過ごしてきた日々のディテールを次から次へと話し始めた。
 それに、僕はあ然とした。
 ハリーと僕がどんなふうに出会い、どんなことをしてきたのか、彼女はすべて知っていた。むかし、ハリーにだけは打ち明けた、好きだった女の子の名前までふくめ、なにからなにまで。
「‥‥あ、ああ。君がすばらしい記憶力の持ち主だっていうのは認めるよ。そのおかげで、このドッキリがそれなりにうまくいったって、ハリーに伝えといてくれ。だけど僕は、そんなことじゃだまされないさ」
 僕は、強がるように言っていた。
「もう、しかたないわね。じゃあ、これを見て」
 ホリーは、別の引き出しを開けると、そこから手紙の束を取り出し、僕の方に投げてよこした。
「どう? それなら納得する? あたしが‥‥ハリーだってこと」
 彼女は、はっきりとそう言った。
「あなたの手紙は、全部そこにあるわ。ハリー宛、つまり、あたし宛のね」
 ちらりと見ただけで、それが彼女の言うとおりのものだというのはわかった。でも、目の前のかわいい女の子が言い張っていることは、わかりたくなかった。
「あ、ああ、まちがいないよ。要するに、ハリーがこれを君に預けたってわけだ。こんなことで君がハリーだって証明になるなら、僕はビル・ゲイツか?」
 じつはかなり動揺していたのだが、僕は、彼女のかわいく上を向いた鼻に気づき、鬼の首を取ったようつづけた。
「僕は、君が思ってるほど馬鹿じゃないさ。たとえ、ハリーのやつが、女装好きのオカマだったとしても、あの大きな団子っ鼻はごまかしようがない。君の鼻は、はっきりとちがうじゃないか」
 と、彼女の口調が、いきなり感情的になった。
「いい? あたしのことを、二度とオカマなんて言わないで! あたしは、れっきとした女の子。女装男なんかじゃないわ。よく覚えといて!」
「だろ。君は女の子。それでいいじゃないか。変な錯覚を起こさせないでくれよ」
 僕の頭の中で、先刻から、トワイライト・ゾーンのテーマ曲が流れているのはたしかだ。でも、彼女が始めたこの薄気味悪いゲームに、これ以上巻き込まれるのはごめんだった。
 ところが彼女は、そんな決着では許してくれなかった。
「この鼻は、新しいパパのおかげよ」
 ホリーはまた、もとの落ち着きを取り戻し言った。
「整形外科への申し込みからなにから、パパが、全部手はずを整えてくれたのよ。自分のかわいい娘を、みんなに自慢したいからなんですって。ほんとに、やさしくていい人。あたし、パパのことが大好きになっちゃった」
 僕は、そんなホリーの姿にハリーを重ねようと、じっと見つめてみた。
 でも、2分後には、それをあきらめた。たしかに、ハリーの面影がないわけじゃない。でも、どこをどう見たって、彼女をハリーだと思うことなんて、できるわけがない。
「‥‥ふ、まだ、ダメみたいね」
 ホリーはそう言って笑うと、どこかから1冊のアルバムを引っ張り出して来て、僕に手渡した。
「自分が物わかりが悪いってこと、もう少し自覚した方がいいわよ。いい? あなたの親友のハリーは、ちょっといたずらが過ぎて、この学校に送られてきました。彼は、最初、自分がひどい目に遭ってると感じて、そのことを手紙に書き、その後も、あなたが混乱するような目に遭わないようにと、ここへ送られるようなことはするなと忠告しつづけました。その頃、例の結婚式があって、そこであなたは、ハリーを探したけれど見つからず、代わりに、偶然にもハリーと同じ両親を持つホリーという女の子に出会いました。そして今、その同じ女の子が、他人は知るわけがない、あなたとハリーについての詳しい物語を語ってみせました。‥‥さあ、そこで、あなたが意外と賢いことを証明するための、最後のヒントね。あなたは今日、ここへ来てから、ひとりでも男の子を見かけた?」
 僕は、ちょっと考えてから、肩をすくめた。
「いや、女の子しか見なかったけど‥‥。でも、それが、どういう関係があるんだ?」
「もお、勝手にして。さっさと、そのいやなアルバムを開いて、自分の目で確かめなさいよ」
 彼女は、本当に腹を立てているようだった。
 僕は、首をかしげながら手にしたアルバムを開いた。その1ページ目には、ハリーの写真があった。例の団子っ鼻で、こちらに笑いかけている。
 ページを繰ると、そこでも、ハリーが情けなさそうに笑っていた。でも、その目には、なぜかブルーのアイシャドーが塗られていた。
 さらにページを繰るごとに、ハリーの服が変わっていき、化粧も手が込み、ホリーと同じ鼻になり、長くなった髪が女の子のようにカールされ‥‥。
 そこからあとのページには、完全にメイクした顔と長い髪で、さまざまな服を着た写真がつづいた。制服、スカート、ワンピース‥‥。
 そんなふうにページを繰りながら見ていくのは、ちょっと気味悪い感じだった。どの写真も、直前の写真と比べ、少しずつ変わっていく。1枚ごとにハリーが消え、ホリーが現れてくる。
 そして最後のページに、その写真はあった。
 結婚式用のパーティドレスを着たホリーだ。
 髪は、あの夜のようにきちんとセットをしているわけではないし、メイクも、あの時ほどゴージャスなものではない。でも、それは、まぎれもなくあのホリーだった。
 そして同時に、今や、それがハリーであること――少なくとも、ハリーであったこと――は明白だった。
 僕は、もう一度ページを戻し、最初のハリーの写真と、最後のホリーの写真を、代わる代わる見比べた。そして、奈落の底まで落ち込んだ。
 つまり僕は、大親友の‥‥男に恋してたんだ。
「‥‥ハ、ハリー?」
 もうわかりきっているというのに、僕は恐る恐るきいた。
「今、見たとおりよ」
 彼女は、ほほえみ返しながら、大きくうなずいた。
「いったい、どうなってるんだ? そんな格好で暮らしてて、平気なのか? ここに入ってる他の男たちは、お前の正体に気がついてないのか?」
 考えてみれば、この状況は問題がありすぎる。
 さっきまで理想の女の子だと思っていたルームメイトは、今や、長年のツレに変わっていた。
 どうして、よりにもよって、こいつとルームメイトなんだ?
 もし、他の連中がこいつの正体を知ってるとすれば、僕まで変質者かなにかのように見られるじゃないか。
「‥‥ふう。やっぱり、まだわかってないんじゃない。馬鹿みたい」
 僕の顔を見ていた彼女は、そうつぶやきながら、クローゼットの片方を開けた。他の家具の配置から見て、たぶん僕のクローゼットだ。でも、女物しか掛かっていない。
「いい? ここは、あなたが思ってるような、共学校じゃないのよ。あたしの格好を冷やかす男なんて、ここには1人もいないの。前に、手紙に書いたこと、覚えてる? この学校の名前は、悪い冗談みたいだって。グレート・インディアン・リバー・ラーニング・センター(Great Indian River Learning Center)。略してGIRLセンター、ガールセンターよ。だから、ここには、女の子しかいないの。来た時は男の子だとしても、ここで、女の子につくりかえられるってわけ。じゃあ、また問題です。ここにずらっと並んでるかわいい服は、いったい誰が着るんでしょう? ‥‥ね、もうわかったでしょ」
 僕は、そのクローゼットを見つめながら、彼‥‥いや、彼女?‥‥とにかく、こいつが、完全にイカれてしまったのではないかと思い、自分自身、気が狂いそうな気がしてきた。
 なにより、こいつが、なぜ女の子になりたいなんて考えるようになったのか、それがわからない。
 まあ、唯一救いがあるとすれば、僕自身には、こいつが進める狂ったゲームに参加したいなどという欲望が、みじんもないことだ。
 と、彼女がまた、バスルームの方向を身振りで示した。
「さあ、早くシャワーを浴びて。30分以内に校長室に行かないと、しびれをきらしたミセス・ウイリアムズの方からやってくるわよ。彼女に手伝ってもらいたくないなら、急いだ方がいいわ」
 僕はまだ混乱していて、これ以上ことを進めてしまっていいものかどうか迷っていた。ただ、あの校長に体を洗われている図を想像し、それがいやだということについては、迷いはなかった。
「脱いだものは、ドアの外に放り投げて。着てきた男物の服は、学校に預けることになってるの。ここを出て行く時には、返してくれるはずよ」
 シャワー室に入った僕がドアを閉めかけたところで、ホリーがそう呼びかけた。
「そこにあるピンクの瓶のクリームを脚に塗って。そのあと、シャワーで流すのね」
 ドアの鍵をかける前に、僕は、パンツ、シャツ、ソックス、下着を脱ぎ、外のホリーに渡した。そして、そのどろどろした液体を、両脚に塗った。

 15分後、毛のなくなった脚をピンクでふわふわのバスローブに包み、ベッドに座った僕は、体をこわばらせながら、ホリーに、マニキュアやペディキュアを塗られていた。
「‥‥えっ? これは‥‥、やだよ、許してくれよ」
 爪が終わって、ナイロンパンティを渡されたところで、僕はホリーに懇願していた。
「他のことはともかく、これだけはいやだよ」
「理科室に放火した時から、あなたには逃げ道はなかったんでしょ。それは今も変わってないのよ。早く、履いちゃいなさい。そしたら次は、ブラのホックのとめ方を教えてあげるから。さもないと、ミセス・ウイリアムズの手を借りることになるわ」
 先刻からずっと、この言葉で動かされていた。誰かになにかを手伝ってもらう必要があるとしても、ミセス・ウイリアムズだけはごめんだ。それほど、あの女の雰囲気は恐ろしいのだ。
 僕は渋々うなずき、パンティをはき、ホリーに教えられたとおりにブラを着け、それから、パンスト、ワンピース、最後に平靴と、次々に身に着けさせられていた。
「知ってた? あなたって、けっこう美人よ」
 ホリーは、僕の髪を女の子のようにセットしながら、からかってきた。
「きっと、そのうち、男の子たちの気持ちをズタズタにしちゃうような女の子になるわね」

「知ってた? 君って、そうとうイカれてるな」
 校長室に向かいながら、僕は、ホリーに言い返した。
「こんなの、どう見たって、男にしか見えないだろ。だいいち僕は、女に見られたいなんて思わないし、ましてや、誰かさんみたいに女になりたいなんて思ってないんだから」
「知ってた?」
 職員室に入りながら、ホリーがささやいた。
「じつはあたしも、おんなじこと言ってたのよ」
 そんなくだらない冗談に、僕がこれ以上乗る気がないのがわかったらしく、彼女は、今度は僕の手をぎゅっと握ってきた。
「だいじょぶ。ここでは、みんながあなたの味方よ。あたしも、ずっとそばについててあげるしね。あなたは、いい娘になれるわ」
 ホリーは僕を、タイムマシンにでも乗せるつもりらしいが、僕は、そんなものなくても、やり直せる。
 ここから抜け出して戻れるなら、僕は、想像もつかないほど善良な人間になろう。ちゃんと学校にも行って、一生懸命勉強しよう。礼儀正しく、人に好かれる人間になろう。そこにいることさえ誰も気がつかないくらいおとなしく、あらゆる面でヤバいことには近づかない、そういう人間になろう。
 僕は、そんな覚悟で校長室のドアをくぐった。
「そこに掛けなさい、お嬢さんたち」
 ミセス・ウイリアムズは、自分の机の前に置かれた2脚の椅子を示しながら言った。
「フェイス、初めてだとは思えないほどよく似合ってます。もしかして、これまでにも、女の子の服を着たことがあるんですか?」
 僕は、彼女が誰と話しているのかと思い、きょろきょろした。
「フェイス、人が話しているときは、よそ見をするもんじゃありません。ことに、目上の相手に対しては、なおさらです」
 彼女が話しかけている人間は、どうやら彼女に目を向けず、きょろきょろしているらしい。そして、彼女の前には、今、ホリーと僕しかいないようだ。ということは、彼女がさっきから呼びかけている「フェイス」というちょっと恐ろしげな響きの言葉(※)は、僕のことを指しているわけだ。
 (※訳注 ‘Faith’ 「信頼」「信念」という意だが、大文字で始まる場合は「信仰」「聖約」を表す宗教用語ともなる。ちなみに、ホリー‘Holly’も「聖-」の意の接頭辞。どちらも、女性名としては「清楚で純潔な女性」という語感がある)
 と、ホリーが、それを確認するように肘で小突いてきた。僕はあわてて、ミセス・ウイリアムズの方を見た。
「よろしい。今後も気をつけてください、フェイス」
 彼女はそう言ってほほ笑んでみせたが、それは彼女の厳めしさを少しも和らげはしなかった。その微笑に、僕はかえって震え上がった。
「それで。あなたはこれまで、女の子の服を着た経験はないんですね?」
「んな! 当ったり前だろ」
 と、ミセス・ウイリアムズの片方の眉がつり上がり、鋭い眼光が僕を射すくめた。スカートの中で、思わず膝が震えた。
「若い娘がなんですか、その言葉づかいは」
「あ、その‥‥、は‥‥はい、お、おっしゃるとおりです」
 僕は、とりあえず彼女をこれ以上怒らせないよう、言葉を選んで言い直した。
「よろしい。で、初めて着てみて、どう感じましたか?」
「マジ、キモい‥‥あっ」
 思わず口走り、それに気づいたときには遅かった。今度こそ、ひっぱたかれるにちがいない。
 しかし、ミセス・ウイリアムズは、今度はにらみつけたりせず、僕の反応にほほ笑んだ。
「フェイス、あなたがそう感じるのは理解できます。でも、それは最初だけです。すぐにあなたは慣れて、やがて、それが当たり前のようになるはずです。そして、そんな服装をしていることで、あなたは、否応なく、若い女性のように行動し、若い女性のように考えはじめるでしょう」
 僕は、ひどくみじめな気分になっていた。こんなふうに女の服を着て座り、女名前で呼ばれるだけでも、じゅうぶんに気味が悪いのに、自分の考えが女のように変わっていくなんて、耐えられない。そのみじめな思いから、僕の目には涙がたまり、あふれてきた。
「お願いです。こんなことは、もうやめさせてください。僕は、女の子になんて、なりたくありません。反省します。おとなしく暮らします。だから、帰らせてください」
 僕は、泣きだしていた。
「フェイス、今のあなたにそれを言う資格はありません」
 ミセス・ウイリアムズは、そう言って首を振った。そして、机の上に置いたファイルにちらりと目を落とした。
「あなたが今ここにいるのは、すべて、あなた自身が招いた結果です。あなたの非行歴を見るかぎり、あなたはこれまで何度も、反省し更正するチャンスを与えられてきました。でも、そのたびにあなたは、それを鼻で笑い、そんな機会を捨ててきたのです。そして、そのたびに、あなたの非行は深刻度を増していった。もしここに来たくなかったと言うのなら、あなたには、これ以前に、もっととるべき道があったはずです」
「いえ、僕だって、まじめにならなきゃいけないと思ってました。そうするつもりでした」
 僕は、誓いを立てようとした。
「もう一度チャンスをもらえれば、今度こそ‥‥」
「いいえ」
 ミセス・ウイリアムズの厳めしい声が、それを遮った。
「あなたに残されたチャンスは、ここで2年間の更正プログラムを終えることだけです。それを終えれば、あとは自由です。男に戻って家に帰ることもできます。もちろん、ホリーのようにここに残って学業をつづけることも可能です。このグレート・インディアン・リバーには、大学受験のための優れた教育プログラムも用意されています。実際、毎年、少なくない数の卒業生たちが、全国の一流大学に合格しています」
「で、でも、僕をむりやり女にするなんてこと、許されていいはずがありません。まちがってます」
 僕は、さらに涙を流し、叫ぶように言った。
「法廷が判決を下したということは、それがまちがっていないということです。そしてそれは、実績によっても裏付けられています。過去20年間、何百人ものあなたのような重犯少年がこのグレート・インディアン・リバーに送られてきました。そして、ここにいる間、若い女性として暮らすことで更正していきました。彼らのほとんどが、当初は、今のあなたのように、このプログラムはまちがっているとののしりました。でも、今ではみんな、立派な夫や父親として、安定した精神状態で社会生活を送っています。一流企業の幹部になっている人も少なくありません。そして、彼らの誰ひとりとして、ここで送った数年間を後悔していません」
「だけど」
 僕は、声を振り絞って言った。
「どうして女になんか、ならなきゃいけないんですか?」
「ひと言で言ってしまえば、支配欲の排除ということです。あなたのような脱法少年に関する長年の研究から、あなた方には、人を支配し、なにかを征服したいという欲求が人一倍強いことがわかっています。粗暴で無軌道な振る舞いは、そんな支配欲の表れに他ならないわけです。それなら、そんな欲望を取り除いてやればいい。男であることをいったんやめ、女になる経験は、そのために非常に有効に働きます。若いレディとして暮らすことで、あなた方は、人を支配するための方法ではなく、人から愛され大切にされるための方法を学ぶようになります。奪うことでなく、与えることを学びます。あなたが得た知識や能力を、力を誇示するために使うのではなく、あなたの生活を豊かにするために使うようになります。手がつけられないほど粗暴な少年たちが、女性の衣服と、たった数週間の行動の規制で、性格がよくてかわいい女の子としての自分を受け入れていくのを見ていると、面白いことに気づきます」
 そこで一息ついて、彼女はつづけた。
「不思議なことに、より粗暴な少年ほど、その転換は目を見張るものとなるのです。どうやら、やたら強がっていばってみせたり、ひどい非行に走る男の子ほど、心の内に『女の子らしさ』と言われるもの、いわゆる『お砂糖とスパイスとすてきなものすべて』(※)を秘めているようなのです。粗暴になるのは、それが大きすぎて、抑え込むためには『男らしさ』、つまり支配欲や征服欲を強めざるを得ないからなんでしょう。だから、いったん女の子であることを強制されたとたん、心の奥に秘めていたそんな資質が溢れ出します。かつて不良グループのリーダーだった子が、驚くほど女らしい美人になったりします。この学校で、歴代、最もきれいで最もかわいらしかった女の子たちは、たいてい、もとは、ふだつきの不良でした」
 (※訳注 ‘sugar and spice and all everything nice’英語圏でよく使われる「女の子らしさ」「女の子のもと」を表す成句 『マザーグース』の中に、それらを混ぜ合わせると女の子ができあがるという詩がある 「シュガー・アンド・スパイス」と略されて使われることが多い)
「そ、それはつまり、薬かなんかで洗脳するってことなんでしょ」
 逃げ出すための口実を探して、僕は叫んだ。
「ふふふ、スパイ小説の読み過ぎですよ、フェイス」
 ミセス・ウイリアムズが声に出して笑ったのは、これが初めてだった。でも、その笑いすら、冷淡な感じしかしない。
「もし、あなたの言うような馬鹿げた方法をとるとしたら、かえって莫大な経費や労苦が必要になるでしょう。いずれにせよ、数週間後には、あなたは、女の子でいることは、意外に簡単で楽しいことだと気づくはずです。さあ、それじゃあ、受講可能な授業と実習のカリキュラムについて説明しましょう」

 それから30分ほど、僕はそこに座って、今年度、僕が受けることになる授業の説明を聞いた。
 「代数」「英語」「歴史」‥‥、それらに加え、ファッションやメイク、ヘアケアなどを学ぶ「グルーミング」、そして、さまざまなマナーや立ち居振る舞いを学ぶ「修身」‥‥この2教科は、グレート・インディアン・リバーでは、全生徒が受けなければならない必修科目なのだそうだ。ここの生徒たちは、自分の更正の成果を示すために、地域の人々と積極的に交わることが推奨されている。女の子として町に出るためにも、その2教科の修得が必須なのだという。
「えっ、町に‥‥出る?」
 僕は、恐怖感とともにきいた。
「こんな格好で、外へ出るなんて、僕はぜったいいやです」
「あなたが望むか否かに関わりなく、この1ヵ月間は、そんなことは許されません」
 ミセス・ウイリアムズは、釘を指すように言った。
「基礎訓練期間である最初の1ヵ月間は、校外に出ることはいっさい禁止です。その期間が終わったら、外出するもしないもあなたの自由です。そのために、町の中心部へのシャトルバスが、毎夕1往復出ています。週末には増便して1日数往復しています」
「あなただってそのうち、一人で部屋にいるのはさみしいって思うようになるわ。みんな、町へ出かけるんだもん」
 ホリーが、熱のこもった口調で追加した。
「町のモールには、ショッピングにぴったりのお店がたくさんあるし、フードコートやシネコンだってあるわ。それに、週末には未成年者OKってクラブだってあるのよ。だから、ダンスだって楽しめるの」
「すべての新入生には、在校生の中から選ばれた生徒がひとり、ビッグ・シスター――お姉さんとしてつくことになっています」
 ミセス・ウイリアムズは、ホリーの方にちらりと目をやりながら言った。
「ホリーは、あなたのビッグ・シスターになることを、自ら志願してくれました。あなたがここでの生活に慣れるためにいろいろな手助けをしてくれるはずです。しばらくは、彼女の言うことをなんでもきくこと。もし、彼女では手に負えない問題が生じた場合は、いつでもこの部屋を訪ねてくれてけっこうです。授業は月曜の8時に始まります。この週末は、まず、ここになじむことに努めてください」

 そのあと、時間割を組むための講義リストを手渡されたところで、面談は唐突に終わった。
 廊下を行くと、あちこちから物珍しそうな視線が投げかけられた。あきらかにそれは、在校生の女の子たちが転校生の女の子に向ける目だ。そのことで僕は、自分が今、ここの「女の子」たちの一員に加えられたのだということを悟った。
 でも、そうはいくか。今回についてはすぐに、グレート・インディアン・リバーの失敗事例として記録されることになるだろう。
 僕は、やつらに取り込まれたりしない。
 すでにこんなみっともない格好はさせられているが、僕は、男だ。やつらの思い通りになんて、なってたまるもんか。

 部屋に戻ったところで、僕はホリーに、すぐにも脱走するつもりだと打ち明け、協力を頼んだ。
「お前が力を貸してくれれば、ぜったいうまくいくよ。いっしょに逃げよう。こんな動物園にいつまでもいられるもんか」
「いやよ。あたしは、どこにも行く気なんてないわ」
 ホリーは、断固とした口調で言った。
「3年前とはちがうのよ。あたしは今、ここでの暮らしに満足してるわ。ここにはお友だちもたくさんいるし、卒業後、州立大学に行くための奨学金資格だって取れたし」
「正直に言えよ。要するに、あのウイリアムズってババアを怖がってるんだろ。捕まったら、なにされるかわからないって。でも、あいつには手が出せないさ。お前の母さんは、お前をここに戻したりしないはずだ。ここがどれほどめちゃくちゃなとこか、僕がちゃんと話して説得するから」
「ミセス・ウイリアムズが規律を乱した生徒にどんな罰を下すか、あたしはよく知ってるわ。覚えてるでしょ。あたしは、前に一度、脱走に失敗したんだから。あたしは今、これまでに得た優等生としての特典を取り上げられたくはないし、あの時みたいなみじめな思いは二度とごめんだわ。それに、あたしのママとパパも、あたしがここの暮らしを気に入っていることをよく知ってるのよ」
 僕は、いったいなにがハリーをここまで変えてしまったのかと、あきれていた。
 僕の親友、かつてのハリーは、いつでも、新たな冒険に挑戦する勇気を持っていたし、何ものをも恐れなかった。ところが、今のハリーは、せっかくのチャンスを前にして震えている、か弱い女の子なのだ。
「ここの暮らしが好きだって? お前がそんな人間じゃないことは、お前自身がいちばんわかってるはずだ。うそはやめろよ」
 僕は強い口調で主張した。
「それとも、やっぱり洗脳されたってことか? 前に捕まった時、やつらはお前を洗脳して、自分のことを女だと思いこませた。そういうことなんだな?」
 すると、ホリーはあきれたように首を振り、ため息をついた。
「洗脳なんて、されてないわよ。今のあたしは、本当にここが好きなの。それに、思いこんでるわけじゃなくて、今のあたしは、本当に女の子よ」
 その言葉とともに、なんと彼女は、上着とスカートを脱ぎ捨てた。
「見てよ。‥‥どう?」
 彼女はどこか誇らしげに、胸を突き出すようにして言った。
「こんなおっぱいを持ってる男の子なんて、いる? あたしは毎日、32インチBカップのブラを着けてるわ。もちろん、パッドなしでね」
 次に彼女は、手をパンティで覆われたヒップにあて、そこを示しながらつづけた。
「こんなまあるいお尻をした男の子、見たことある? もし、あたしと同じようなラインの15歳の男の子がいたら、教えてほしいわ」
 たしかに、パンティの前のかすかな出っ張りさえなかったら、僕は、目の前にいるのは女の子だと言うだろう。
 それにしても、やつらは、僕の親友になんてことをしたんだ!
「おかしいじゃないか。さっきの話だと、ここでは、服とかだけで、体をいじったりしないんしゃないのか? 親はこのことを知ってるのか? 息子がこんな目に合わされたんだ。すぐにでも、訴えるべきだ」
「あんたって、救いようがない馬鹿ね、フェイス・ジョーダン!」
 彼女は、憤慨したように言った。
「これは、全部、あたし自身の意志でしたことなの。2年前、13歳の終わり頃、あたしは女の子になろうって決意した。ママは、あたしを精神科に連れて行ってくれて、そこでテストした上で、ミセス・ウイリアムズもふくめて相談したの。彼女は、手術については、判決で決められた更正期間が終了してからって条件を出した。それであたしは、とりあえずホルモン投与だけを始めたの。もう更正期間は終わったから、卒業までにはすべてのオペを終えるつもりよ」
「そ、そんなこと、せったいにダメだ!」
 僕は叫んでいた。
「お前は僕の親友、ハリーだ。いちばん仲のいい男なんだ。やっぱりやつらは、お前がそんな馬鹿なことを考えるように誘導したんだな」
「忘れたの? あたしの名前はホリーよ。あたし、もうこれまでに、何人もの男の子とデートだってしてるわ。そんな時、ひとつになるくらい体をくっつけたりしたけど、あたしがホリーだってことを疑った人なんて一人もいなかったわ」
 彼女はスカートと上着をふたたび身につけながら、くすっと笑った。
「あなただって、あの結婚式の時、あたしを男の子だなんて、これっぽっちも思ってなかったじゃない」
 僕は打ちのめされていた。
 僕の親友は、今や女の子の世界に浸りきり、僕といっしょに元の世界に戻る気はないようだ。
 一方で僕は、あの結婚式の時のかわいい女の子の姿を思い出していた。あのドレスがどれほど似合っていたか、その仕草や口ぶりがどれほど愛らしかったか、彼女を腕の中に抱きダンスしていたときの僕が、どれほど浮き立っていたか、そして、どれほど彼女にキスしたいと願っていたか。
 そんなイメージが浮かんだせいだろう。僕は突然、あることに気づいた。
 僕は、勃起していた!
 パンティの中のものがむくむくと首をもたげ、ワンピースの前を押し上げている。意志の力では、もうどうにもならなくなっていた。
「ふふ、やんちゃ坊主さん」
 彼女も、それに気づいたらしく、そのあたりを見て、くすっと笑った。
「結婚式の時の話は、しない方がよかった?」
 僕は、恥ずかしさに、返事もできなかった。
 ‥‥というか、親友である男に向かって、抱きしめたいとか、キスさせてくれなんて、言えるわけがない。
 と、まるでそれがわかったように、ホリーはほほ笑みながら僕のほおにキスしてきた。
「ありがと。あたしのこと、そんなふうに思ってくれるのは、うれしいわ」
 どうやら、期待してはいけないようだ。僕の親友は、もういない。
 でも、だからこそ僕は、この狂気の館から早く逃げ出さなければならないと思った。やつらがハリーにしたのと同じことを僕にする前に、なんとか、僕ひとりで逃げきる道を見つけてやる。今のところは、やつらに従うふりをするしかないにしても。
 もちろん、ハリーを連れて行けないのは残念だけれど、ホリーが行かないのは、もはやはっきりしていた。
 残念‥‥。そう、こんなかわいい子と別れなきゃならないのは、ほんとに残念だ。たとえば、このままここにいれば、僕は彼女とひとつの部屋で、毎晩‥‥。
 ‥‥えっ? なに考えてるんだ。いくらかわいい女の子に見えたとしても、彼女は男、僕とおんなじ男なんだ。でも、さっきの胸やお尻は、どう見ても男には見えなかったけど‥‥。
 ホリーの説得をあきらめ、でも、混乱した僕は、落ち着くために、とりあえずスーツケースの中のものをかたづけようと思った。
 そして、その留め金をはずし、中を開けたところで、死ぬほど驚いた。
 そこに詰め込まれていたのは、パンティ、スリップ、ブラジャー、パンスト、さらに化粧品の類まであった。
 それらの上に、ピンクの封筒がのっているのに気づき、僕はあわてて封を切った。と、そこから、手書きの手紙が出てきた。親父の字だ。
「親愛なるフェイス
 母さんと私は、これが、お前を立ち直らせるための最後の希望だと思っている。ふたりで悩み、苦しみ抜いた末の結論だ。わかってくれ。他に道はなかったんだ。
 これを読んでいるお前は、すでに、おおよそのことは聞いていると思う。その上で、そこに身を置くしかないことを賢く判断してくれたと思う。どうか、周りの人たちの言うことをよくきいて、まちがっても逃げようなどとは考えないでほしい。
 母さんと私は、できるかぎり早く、また、お前の顔が見たいと思っている。そのためにも、自らを変える努力をしてくれることを願っている。
 それから、ホリーに、私たちが心から感謝していると伝えてほしい。彼女は、自分がまずい立場になるのも顧みず、お前の面倒を見たいと申し出てくれたのだから。」
 その手紙には、最後に、こうサインされていた。
「愛する娘へ――ママとパパより」
 「ママとパパ」‥‥だって?
 母さんも親父も、なに考えてるんだ。これまで「パパ」なんて気持ち悪い呼び方、したこともなかったのに。
「わかったでしょ。あなたのパパとママも、ここがどんなとこなのか、よく知ってるのよ」
 ホリーは、当然だと言わんばかりの口調で言った。
「せっかくママがそろえてくれたんだもん、それ、早く着こなせるようにならなきゃね。でも、だいじょうぶよ。ここの女の子たちは、みんなやってることだから」
「やめろよ。なんで女の子なんて、言うんだ!」
 僕はいらつきながら言った。
「さっき、ここの生徒は男だけだって、言ったじゃないか」
「だって、あたしたちみんな、自分のことを女の子だって思ってるんだもん」
 ホリーはまた、それが当たり前だというように肩をすくめた。
「あなただって、すぐそう感じるようになるわよ」
 僕はもう、反論する気も失せ、スーツケースの中のものをかたづけることにした。
「それにしても、ブリーフの2枚でも、入れといてくれればいいのに」
「わかるわ。あたしも、最初の日におんなじことを言ってたもん。だけど、パンティにしてもなんにしても、すぐ平気になるわよ。だいいち、ブリーフなんかより、ずっと履き心地がいいしね」
 彼女は、こんな言葉に、僕がどれほどいらつくか、わかっているんだろうか?
 あたしもそう思った、あたしもそう感じた、あたしもそう言った‥‥つまり、僕が、同じ道を進んでるってか?
 誰か、彼女に言ってやってくれないか?
 着るものなんかで、気持ちが変わるわけがないって。こんなツルツルでペラペラの下着が、コットンブリーフのさわやかさに取って代わることはできないんだって。
「なあ、そのおしゃべり、人からウザいって言われたこと、ないか?」
 僕は、端的に指摘した。
「お前がなにを思おうが、なにを感じようが、それは勝手だ。でも、黙っててくれないか。ほっといてくれ」
 と、ホリーは、セクシーな脚を組み、ちょっとの間、僕をにらみつけたあと、まくし立てた。
「あんた、ほんとに、なんにもわかってないわよ! 人の気も知らないで! いい? ふつう、高等部の1年じゃあ、ビッグ・シスターにはなれないのよ。それをあたしは、無理言って、あんたのお姉さん役にしてもらったんじゃない。やっぱり、先生たちの言うとおり、あんたを上級生に預けるべきだったわ。そしたらきっと、あんたは今ごろ、ひらひらのいっぱいついたベビードールかなんか着せられてるんでしょうね。網タイツをガーターベルトでとめて、プッシュアップ・ブラに、いかにもにせ物って感じのおっぱいつめて、じつは女装者しか履かないような6インチのヒールで、よたよた歩かされてるはずよ」
「君が急にヒステリックになったのは、もしかして、パンティがよじれてるせいかい? かわい子ちゃん」
 僕は、持てるかぎりのコメディセンスを発揮し、ジョークを言った。
「ひどいッ! よくそんなことが言えるわね!」
 彼女は、泣き叫んでいた。
「いいわ。あたし、今すぐミセス・ウイリアムズのところに行って、お姉さん役を代えてくれって頼むわ。あんたなんて、あんたなんて、思いっきりケバい格好で学校じゅうを歩かされて、死ぬほど恥ずかしいを思いすればいいのよ」
 こんなふうに荒れ狂うハリーは見たことがない。まるで、女の子だ。
「わ、わかったよ、ハリー。そんなに怒らせるつもりはなかったんだ」
 僕は、あえて男名前を使い、落ち着かせようとした。
 彼女は、今にも僕に飛びかかり、首を絞めそうに見えた。ところがいきなり、その顔つきが変わり、にっこりと笑った。
「そっか。あなたに、あたしの最初の日を、見せてあげればいいんだ」
 ホリーは、今度は、なんだかにやにや笑って言うと、机まで行って何か取り出した。
 そして、僕のベッドのところまで来ると、スカートをなでつけながら、隣に座った。彼女が開いたのは、先刻とはまたちがうアルバムだった。
「あたしのビッグ・シスターだった先輩からの、入所祝いよ」
 僕の顔のすぐそばでそう言って笑いかけた彼女に、僕はまた、体の一部がむずむずするのを感じた。
 でも、そのアルバムの写真を見たとたん、興奮はしぼみ、そこは萎えた。
 写真の中で、親友のハリーは、思いっきり厚化粧されていた。あまりにごてごて塗りたくっているせいで、その下の恐怖の表情すらよくわからなくなっている。まぶた全体に真っ青なアイシャドーが広がり、唇には真っ赤な口紅が塗られ‥‥。
 次の2枚は全身写真で、1枚は男物の服を脱いでいるところ、もう1枚は、ピンクのブラやガーターベルト、網タイツを着けているところ。
 次のページにあったのは、それらの下着の上にピンクのベビードールを着せられた写真だった。それは、パンティをかろうじて隠すくらいの丈しかない。
 そんな姿で、ハリーは寮の廊下を歩いていた。写真には写っていなかったが、そのまわりで他の生徒たちがはやし立てていることは、屈辱的な表情からよくわかった。
 次の写真でも、ハリーはパンティが見えそうな極端に短いスカートを履かされていた。厚化粧といかにもパッドでふくらませた感じの大きな胸は、彼を安っぽい売春婦のように見せていた。
 さらに写真はつづき、その中でハリーはさまざまな服を着せられていたが、どれもみんな恥ずかしいものばかりだった。
「最初の2週間、毎日、授業の時までふくめて、あたしはそんな格好をさせられてたのよ」
 ホリーは、ちょっと口をとがらせてそう説明した。
「悔しくて悲しかったわ。だからあたしは、いくら新入生をおとなしくさせるための荒療治だっていっても、こんな風習はやめるべきだって直訴したの。それで、あなたのお姉さん役になることを申し出た。でも、無駄だったみたいね。やっぱり、男がここの暮らしに慣れるには、あたしみたいな思いをしなきゃいけないようね。あなたも、そう思ってるんでしょ。それなら、ミセス・ウイリアムズのところに行って、そう言うしかないわ」
 立ち上がりドアに向かう彼女をあわてて追いかけた僕は、ノブにかけたその手をつかんだ。
「ど、どうやら僕は、ドジったみたいだ」
 僕は、口の中でもぐもぐ言った。
「ん? よく聞こえなかったわ、お嬢さん。なんておっしゃったのかしら?」
 ハリーにはもう、僕に逃げ道がないことがわかっているはずだ。でも、ホリーは、さらに僕を追いつめようとしていた。ハリーならぜったいしないような、女の子だけに許されるやり方で。
「いや、だから、その‥‥僕は、ドジを踏んじゃったって‥‥」
「ごめんなさい」
 彼女は自分のアドバンテージを、さらに拡大しようというのだろう。
「おっしゃってる意味が、よくわかりませんわ。素直でかわいい女の子なら、自分の思ってることを、もっと正直に言うものでしょ」
「も、もう、いい加減にしろよ、ハリー!」
 僕は、思わず怒声をあげていた。
 でも、これは、やめておくべきだった。僕はさっきから、つい言ってしまった言葉尻をとらえられては、どんどん追い込まれているのだから。
「えっ、ハリー? まあ、それはたいへんだわ」
 ホリーは、今度はちょっと怯えるような声で言ってみせた。
「この寮は、男子禁制なのよ。あなたが男の子を見かけたのなら、すぐミセス・ウイリアムズに報告に行かなくっちゃ」
 ふたたびドアノブにかけた彼女の手を、僕はあわててとめた。
「も、もう、いいだろ」
 僕は、頼むような口調で言っていた。
「許してくれよ」
「あたしは、許したいのよ。でも、そうさせてくれないのは、あなたの方でしょ」
 ホリーは、その目に意地悪そうな光をたたえてつづけた。
「まず、ちゃんと謝って、そのあと、あたしにお姉さんでいてくれって、頼めばいいだけでしょ。じゃなきゃ、あたしは、ここから出てくわ」
「わ、わかったよ。ごめん‥‥なさい。お姉さんでいてください」
「もっと、ちゃんと」
「お願いします。どうかずっと、僕のお姉さんでいてください」
「これからは、もっと素直な女の子になって、あたしの言うこと、なんでもきく?」
 女の子の要求って、ひとつ許すと、どうしてこう次々に拡大してくんだ。きっと数秒後には、僕は彼女の前にひざまずいているにちがいない。
「そ、それは、内容にも‥‥」
 言いかけると、すかさず彼女はドアを開けた。それを閉めさせ、彼女を座らせるには、言うしかなかった。
「わ、わかったよ。なんでも、君の言うとおりするよ」
 僕は降伏した。そして、彼女にもそれがわかったようだ。
 いきなり、僕に抱きついてきた。
「‥‥ちょ、ちょっと! そんな‥‥、よせよ」
 僕はあせって言った。
「どうして? 結婚式でダンスしたときは、うれしそうにしてたじゃない」
「そ、そりゃ、君のこと、男だなんて思ってなかったから」
 と、彼女は、いきなり両腕を僕の首にまわし、甘えるような表情で見つめてきた。そして、その唇を僕の唇に押しつけてきた。
 僕は、思わず、全身をこわばらせていた。
 さらに、抵抗する間もなく、彼女の舌が口の中に入ってきた。
 僕はそれに、ただ、固くなってどぎまぎした。
「ねえ、これでもまだ、あたしのこと、男だなんて思う?」
 やっと口を離したところで言った彼女の鼻声は、ティーンエージャーのものだとは思えなかった。
「‥‥も、もう、二度とするなよ」
 それだけ言うのが、やっとだった。
「あら、ごめんなさい」
 ホリーは、僕の胸に指を這わせながら、今度は、ほおにキスしてきた。
「あたしったら、いけない子ね」
 僕は、なんだかわけのわからない困惑の中で、彼女を突き放すことすらできなかった。
 そして一方で、僕のスカートの中で進行していることを彼女に覚られたら、生きていけないと感じていた。
「ねえ、まだ、答えを聞いてないんだけど」
 彼女は、僕の耳もとでささやいた。
「あたしのこと、まだ、男だと思ってる?」
「そ、そりゃ、もちろん‥‥」
 僕が必死の思いで言いかけると、彼女は、さらに体を密着させてきた。その腰がセクシーに揺れた。
 もう遅すぎた。
 彼女の体に触れている、僕のスカートの一部が大きく出っ張っていた。
「んふ、どうやら、やんちゃ坊主さんは、あたしのこと、女の子だって思ってるみたいよ」
 くすっと笑ったホリーは、かすかに腰をこすりつけるようにして、そこを示した。
「あら、彼ったら、あたしのこと、好きみたい」
 彼女の腕がふたたび僕の首にまわされ、引き寄せてきたとき、僕はなんとか抵抗しようとした。でも、唇どうしが触れた瞬間、それはあえなく失敗した。僕の腕は彼女の体にまわり、僕の舌は彼女の舌とからみ合った。
 そのキスは、長い時間つづいた。
 美人の女の子を抱きしめ、情熱的なキスをしていることで、僕は天国にいるような幸せを感じていた。
 でもそれは、僕の年頃の男にとって、うまくやりこなせるようなことではなかった。
 体を離すと、僕のスカートの前にシミができ、それが広がりつづけていた。
「あたし、この2年間、ずっとこんな日を夢見てきたのよ」
 彼女は、そう言ってほほえんだ。
「女の子になるって決めたときから、いつかあなたに抱きしめてもらって、キスしてもらおうって」
 僕は、驚いて彼女を見つめた。
 ところがホリーは、さっさと僕から離れ、ヘアブラシをとって髪の乱れを直しはじめた。
 そして、ふたたび笑いかけると、こう言った。
「でも、誤解しないでね。もう一度、あなたが今みたいなキスをしようとしたら、ひっぱたくから」
 ハリーが女の子になったということに、もはや疑いの余地はなかった。
「君はまちがいなく女の子だよ」
 僕は、ため息混じりに言った。
「ハリーならぜったい、こんな、いんちきなトリックは使わないだろうから」
「ほんとにごめんね。でも、あたし、どうしても知りたかったの」
 彼女は、ちょっと神妙な顔でわびた。
「ホルモンをはじめた時から、いつかはあなたで試したいって思ってたのよ。他でもないあなたが、あたしのことを女の子だと思うなら、まちがいないでしょ」
「でも、どうして僕がそう思ったって言えるんだ? まだ、なんの返事もしてないぜ。悪いけど僕は、本物の女の子の方がいいさ」
「あら、あたしが、その本物だってことは、結婚式の時だけでも、じゅうぶん証明されたんじゃない。その上、今‥‥、それは、まちがいなく本物でしょ」
 ホリーはくすくす笑いながら、僕のスカートのシミを指さした。
「それ、着替えなきゃね。30分後に、美容室の予約が入れてあるから」
 彼女はそう言うと、さっそく、ピンクのデニムスカートと新しいパンティを渡してよこした。そして、バスルームに行くように指し示した。

「美容室の予約って、髪の毛をいじるってことか?」
 バスルームでワンピースを脱ぎながら、僕は聞き返した。
「僕はこうして、言われたとおり、女の子の服を着てるんだ。これ以上、必要ないだろ」
「必要、あるのよ」
 ドアの向こうから、ホリーはなんだかうれしそうな声で返事してきた。
「校則で、ちゃんと決まってるんだもん。さっき、ミセス・ウイリアムズに渡されたでしょ。学生生活ハンドブック。そこに載ってるわ。‥‥すべての生徒は、美容室を利用し、ヘア、ネイル、ボディをつねに美しく保たなければならない。‥‥それから‥‥、すべての生徒は、いかなる時も、その場にふさわしい服装をしなければならない。つまり、自由時間はスラックスとかジーンズでもいいけど、授業中は制服で、特別な行事にはドレスを着るってことね」
「えっ? ジーンズでもいいのか? なら、なんで僕はスカートなんだ?」
 僕は、パンツをはきたいと思ってきいた。たとえ、それがどんなパンツだとしても、スカートよりはましだろう。
「あなたはまだ、基礎訓練期間中だからよ。それが終われば、なにを着てもよくなるわ。1ヵ月後ね。それまでは、スカートかワンピースって決まってるの」
 僕は、パンティを替え、スカートを履いたところで、今回はストッキングがないことに気がついた。
 それで、バスルームを出ながら、そのことをホリーにきいてみた。
「ああ、あれは、ミセス・ウイリアムズに、あなたのきれいな脚を見てもらいたかったからよ」
 ホリーは、そう言って笑った。
「デニムのスカートの時は、ストッキングなんて履かないものなの。合わないでしょ」
 僕は、ちょっと不安になってきいた。
「その1ヵ月間、毎日の服を決めるのは、どっちなのかな? 君? それとも僕?」
「あら、あたしのセンスを疑ってるわけ?」
 彼女は、冗談まじりに、プライドを傷つけられたことを怒ってみせたあと、つづけた。
「自分の着るものだもん、あなたが選んでいいわよ。あたしも、アドバイスくらいはするけどね。決めるのはあなた。服も、ヘアスタイルも、メイクもね。‥‥どう? それでいい?」
 そう言ったあと、彼女はもう一度、口をとがらせてつけ加えた。
「だいたい、あたしが、あなたに恥ずかしい思いをさせるようなもの、選ぶと思うの?」
 僕は、新しいスカートに手をやり、言った。
「でも、これだって‥‥」
「もう、ほんとに手間の掛かる人ね」
 彼女は、笑いながらため息をついた。
「おんなじようなこと、何度も言わせないでよ。いい? あなたはなにより、女の子としての生活を経験するために、ここに送られてきたのよ。あなたを悪くするだけで、なんの役にも立たないマッチョな考え方を捨てるためにね。それより大事なのは、親切で、思いやりがあって、思慮深い人間になることでしょ。これまで、世の中があなたに押しつけてきた、つまんない『男らしさ』なんてもの、ここでは、全部捨てちゃいなさい。これからの2年間、あなたは、泣きたかったら遠慮なく泣けばいい。友だちとじゃれ合いながらくすくす笑ったって、気持ち悪いなんて言われない。人から弱いやつだって見られることにびくびくする必要もない。雄犬みたいに振る舞わなくてもいい。つまり、自分の縄張りを広げるために、そこら中におしっこしてまわらなくてもいいってことね。肩の力を抜いた生き方を覚えれば、あなたが見てきたのとはちがう世界が開けるはずよ。これまで持ってきた無意味な闘争心を勉強に向ければ、一流大学にだって入れるわ。学問の世界は、男か女かなんて関係ないしね。ここで女の子として生きてる間は、男の子では経験できなかったことが、いろいろ経験できる。ここでの時間が終わったら、前とはまったくちがうタイプの男として、社会に戻れるはずよ」
 もちろん僕は、問いたださなければならなかった。
「じゃあ、どうして君は、そうしない?」
 と、彼女は、笑って肩をすくめた。
「あたしの場合は、どうも、女の子でいる方が、しっくりくるみたいなの。自分がきれいなことや、かわいいってことをうれしく感じてる自分を発見してしまった。もちろん、誰にも強制されてないわ。じっくり考えて、私にとって、女の子でいることの方が正しいって思えたの。あなたに話しても理解してもらえないのは、わかってたわ。だから、手紙には『H』としか署名しなかったでしょ。自分で覚悟を決めて、親に相談して、ホルモンを始めて、鼻の整形をして‥‥あとは、もう知ってるわね」
 そこで、立ち上がった彼女は、一足のスリッポン・シューズをトスしてきた。
「さあ、もう時間がないわ」
 僕は、その靴に両足を入れたところで、ぐらついた。
「こんな高いヒールなんて、無理だよ」
「あなたは今、女の子なんでしょ。慣れなきゃだめよ。だってそれ、女の子の靴としては、ごくふつうの高さよ。ハイヒールとも言えないわ。で、あなたは女の子なんだから、ヘアスタイルもちゃんとしなきゃね」
「だけど、美容室なんて、やっぱりやだよう」
 その泣き言は、なんだか甘えたトーンで響いた。もしかしたら、パンティで過ごした2時間が、もう僕を変えはじめているのかもしれないと感じた。
「ねえ、ここの生徒たちを見て、一人でも、女装した男の子だって感じた子、いた?」
 僕は、今日ここへ来てから見かけた生徒たちを思い出しながら、首を振った。
「じゃあ、ここの生徒たちの中に、一人だけ、女装した男の子が混じってたとしたら、どう思う?」
 ホリーが僕のことを言っているのはわかったが、だからこそ、僕は首を振った。
「それなら、ちゃんと女の子に見えるように、ヘアスタイルも変えなきゃ、ね」
「‥‥わ、わかったよ。行けばいいんでしょ」
 その言葉も、単にすねているだけでなく、甘えた感じになった。
「じゃあ、ちゃんと女の子に見えるように、歩き方とかも気をつけてね」
 部屋を出て、足早に廊下を行きながら、ホリーは笑った。
「いずれ町に出たとき、あなたがからかわれるのを見たくなんてないから」
 僕は、あわてて彼女を追おうとしたが、靴がいうことをきかない。
「ずるいよ。そっちはヒールに慣れてるんだから」
 置いて行かれそうになった僕は、叫んでいた。
 立ち止まって笑いながら僕を見ていたホリーは、足を一直線上に出し、腰をちょっと振るようにするといいとアドバイスしてくれた。
 そんな歩き方はいやだったが、言われたとおりやってみると、たしかに歩きやすくなった。

 校内の美容室には、すべての準備が整えられていた。水色の化繊のスモックに着替えさせられ、椅子に座ると、その背もたれがシンクの上に後ろ向きに倒された。
 そのあと、シャンプーされて、なんだか気持ちよくなってきた僕は、髪をいじられるうちに、いつの間にか眠ってしまった。

 眉を引っ張られる痛みを感じて目を覚ますと、ひとりの女の子が僕の方をじっと見つめていた。明るい茶髪が肩に掛かり、眉はきれいなアーチ型になりかけている。
「‥‥えっ、ぼ、僕に、なにをした?」
 それが鏡に映った自分だと気づいたところで、僕は悲鳴に近い声を上げていた。
「落ち着いてよ。そんなに取り乱さないで」
 ここの専属らしい美容師が言った。
「最初は違和感があったとしても、見慣れれば、ぜったい気に入るわ。だって、ほんとに、すごくかわいいんだもん。自分が、これほどの美人だってこと、知ってた?」
「そ、そんなこと、言われたこともない」
「じゃあ、それにも慣れなきゃね。これからは、いやというほど言われるはずよ」
 彼女は、気軽な口調でそう言ったが、僕はひどく憂鬱になった。

 その部屋に入って2時間で、僕の姿はすっかり変わっていた。
 エクステンションを着けて長くなった茶色の髪、抜かれて形を整えられた眉、カールされ、その上マスカラで長さとボリュームを増したまつげ、チークはペールピンクで、口紅はそれよりも濃いピンクだった。その口紅と色を合わせた両手のつけ爪は、1インチもあり、指先から突き出ていた。
 鏡の中のその姿が、いくらかわいかったとしても、そんなことで僕の憂鬱が晴れるものではない。
「じゃあ、最後ね」
 美容師はそう言うと、備え付けの電子レンジから平たい容器を取り出した。
「スカートを脱いでくれる?」
「えっ?」
 何が始まるのかわからず、ホリーをうかがうように見ると、彼女はうなずきながら答えた。
「ワックス脱毛よ。もっときちんと脱毛しといた方がいいでしょ」
 そして、後ろの椅子に座るように視線で示した。
 薄っぺらなパンティで冷たい椅子に腰掛けるのはまだがまんできたが、そのワックスの熱さはかなりのものだった。さらに、美容師が固まったそれを引っぺがした時には、僕は悲鳴を上げていた。
「これでいいわ。今後2週間は、すべすべで、毛のまったくない脚でいられるはずよ」
 美容師は、自分の仕事の成果を誇るように言った。
「あなたはもう、どこに出しても恥ずかしくない、かわいくて、可憐で、誰より脚のきれいな女の子よ」
「ほんと。うらやましいわ」
 ホリーがからかうような視線を向けてきた。
「たった1回のワックスでこんなになれるなんて、あたしの2年間のホルモンはなんだったの?」
「もう‥‥いい加減にしてよ」
 僕は、ぼそぼそと言った。
「もう、戻ろうよ」

 部屋に戻るやいなや、僕は、スカートとトップスを脱ぎ、壁に投げつけた。
「見ろよ! いったい、僕をどうしたいんだ!」
 そして、さっきから言いたかったことを、大声でぶちまけた。
「この髪、この顔、この脚。これじゃ、どう見たって‥‥」
「メジャー・リーグ・ベイブ(※)よね」
 (※訳注 ‘Major League Babe’メジャー・リーガーが恋人にするような超美人)
 ホリーは、そうからかってきた。
「あなた、そうとしか見えないわよ」
「ありがとう‥‥って言うとでも思ってるのか? クソ! 女の服着せられて、女のまねさせられて、その上もう、すっかりそう見える。もし、このまま家に帰って仲間と会ったら、やつらがどう思うか、考えただけで、ぞっとする!」
「言ってあげましょうか?」
 ホリーは、満面の笑みで言った。
「女の子にはからきし奥手だったバリーは、あなたを見たとたん、もじもじ顔を赤くするでしょうね。ジェイクは、あなたの裸を思い浮かべてニヤニヤするはずよ。自信家のトムは、すかさずナンパしてくると思うわ。『君こそ運命の人だ』なんてね。他の連中も、だいたい、あなたの想像してるとおりよ」
「‥‥想像? なんで僕が、そんなこと想像してるって思うんだ?」
「だって」
 ホリーは、また笑いながら言った。
「あなたみたいな美人でかわいい子って、じつはいつだって、男の子たちからどう見られてるのか、気にしてるものよ。ふふ、『考えただけで、ぞっとする』とか言っちゃってさ。うそつき」
「じょ、冗談じゃない。僕は男だって言ってるだろうが」
 なんで彼女は、そんな馬鹿なことを考えるんだろう? ホルモンのせいで、脳に副作用でも出てるのか?
 頭に来た僕は、彼女の首に手を伸ばし、絞めようとした。と、その時、廊下からなんだか騒がしい声が聞こえてきた。
 僕の手からすり抜けたホリーは、ドアまで走り、そこを開けた。
 と、そこには、何人かの女の子たち‥‥と言っていいのかどうか‥‥が立っていて、こちらをのぞき込んでいた。
「新しい子が入ったんでしょ? 彼女?」
 一人がきいた。
「ふたりが美容室を出てくるとこを見た子がいて、すっごいかわいい子だったって言うから‥‥」
 もう一人が言った。
「ワ〜オ、ほんとだぁ!」
 三人目が、僕の体に目を走らせながら歓声を上げた。
 その視線に、僕はやっと、ベッドの上で裸になっている‥‥いや、ブラとパンティを身に着けている自分の姿に気がついた。その恥ずかしさに、あわてて毛布をつかみ、胸から下を隠していた。
「ふふ、ここには女の子しかいないのよ」
 また別の子が言った。
「女の子どうしなんだもん、恥ずかしがらなくたっていいわ」
 興味津々という顔で迫ってくる女の子の集団に抗うことなんて、たぶん、誰にもできないだろう。
 僕が何か言う前に、彼女たちは、それぞれ自分の名を口にしながら、部屋の中になだれ込んできた。
 ベッキー、スーザン、メアリー、キャシー、カーラ‥‥、僕はすぐに、誰が誰だかわからなくなった。
「何をやって、ここに入れられたの?」
 いきなり、きかれた。
「新入生なのに、なんでそんなにかわいいの? 経験でもあるの?」
 僕が答える前に、次から次へと質問が浴びせられた。僕自身がいったん、それを区切って、いくつかの質問にまとめて答えなければならなかった。
 僕を取り囲む女の子たちの関心は、次第にディテールに入り込み、ハリーと僕の物語や理科室放火事件について、根掘り葉掘りきいてきた。
 彼女たち全員が、ホリーと僕が幼なじみだということに興味を示した。
「じゃあ、もしかしてあなたが、ホリーの言ってた結婚式の時の男なの?」
 一人がきいた。
「でも、ホリーは、あなたがここに来ないようにって、何度も手紙に書いたんでしょ。それなのに、どうして?」
 それが、二人目の疑問だった。
「基礎訓練期間が終わったら、早く誰かとデートしたいでしょ?」
 三人目は、ちょっとちがう種類の質問をしてきた。
「ああ。僕が、その結婚式の時の男だよ。たぶん」
 僕は照れ笑いしながらそう言って、そこで、自分の着けているブラとパンティを見下ろした。
「ホリーの手紙にそう書いてあったのはたしかだけど、まさか、こんな格好させられるとは思ってなかったからね。それから、デートしたいのはやまやまだけど、こんな格好のやつとデートしてくれる女の子なんて、まずいないんじゃないかな」
「えっ? ちがうわよ。あたしは、男とデートしたいかってきいたのよ」
 三人目の質問者がそう言った。
「まさか」
 僕は、あわてて首を振った。
「相手は、女の子じゃなきゃやだよ」
「忘れたの? あなたが、その女の子なのよ」
 僕にそのことを思い出させ、念を押すように、一人が言った。
「あなたなら、男がほっとかないはずよ」
「でも、あんまりたきつけない方がいいかもね。この子が、男なんか興味ないって言っててくれた方が、あたしたちにめぐってくるチャンスは多いってもんでしょ」
 他の一人が、笑いながらつづけた。
「もし、彼女がその気になったら、いい男がみんななびいて、いきなり男ひでりよ」
「ちょ、ちょっと待って。ってことは、みんな、いつも男とデートなんかしてるのか?」
 僕は、信じられない思いできいた。
「ええ、ボーイフレンドたちは、あたしたちのことを、完全に女の子として扱ってくれるわ。男の人にぎゅーっと抱きしめられて『かわいいよ』って言われるのって、すごくすてきよ。どのみちあたしたち、ここでは女の子やってなきゃいけないんだから、どうせなら、思いっきり楽しんだ方がトクでしょ」
 僕は、思わず頭を振っていた。これは、現実なのか?
「マジで言ってるわけ? だって、この町の男たちは、君たちの正体を知ってるんだろ。やつらは、それでも平気なのか?」
「このグレート・インディアン・リバーって、そういうことに、すごくリベラルな町なのね。まあ、20年前にこの学校ができたおかげなんだけど」
 ホリーは、そんなふうに説明しはじめた。
「それ以来、ここに入っている子の家族たちが、新しい娘にいつでも会えるようにって、次々に引っ越してきたの。それに、この学校を卒業して大学へ行った人たちも、学校を出たあと、この町に帰ってくることが多いのね。だから、町全体が、この学校の方針に理解があるの。たとえば、自分の兄弟とか息子が、ここの女の子たちとつき合ってたって、それをとやかく言う人はいないわ。あたしたちが、女の子らしく振る舞ってるかぎり、町の人たちは、あたしたちのことを女の子として接してくれる。町のモールで女の子としてバイトしてる子もいるし、女物の服なんかも、みんな、そこで買ってるのよ。それに、たいていの子は男の子とデートしてるし、特定の彼氏のいる子だって少なくないわ」
「いったん慣れちゃうと、女の子でいることって、ほんとに楽しいわよ」
 僕の隣にいた子が、興奮気味に言った。
「かわいい女の子のためなら、男って、たいていのことはしてくれるんだもん。あたしたちがしなきゃいけないのは、きれいでいることと、頼るふりして彼を立ててあげることだけ。あたしたちが甘えれば甘えるほど、男って、自分は強くて、この子を守ってやってるんだって気になるのね、きっと。あなた、これまで、女の子をデートに誘う時って、ものすごく不安になったでしょ。女の子なら、それもないわ。決定権を握ってるのは、あなたよ。誘ってきたのがかっこいい男なら、いっしょに出かければいい。デートの最中、彼は、あなたの気持ちをつかもうと必死になるわ。あなたは、ただ、笑いかけさえすればいいの。食事の支払いから、何から何まで、全部彼がやってくれるから」
「でも、もちろんあなたにだって、そんな彼の努力に対する支払いの義務はあるけどね」
 僕の後ろにいた女の子が、くすっと笑いながらつけ加えた。
「感謝を込めて、彼のほおにチュッってしてあげるの。もし、彼がほんとにかっこよくて、デートが楽しかったのなら、彼の舌が口に入ってくるのくらいは、許してあげてもいいかな」
 他の男の舌が、自分の口に差し込まれているというイメージに、僕は胸がむかつく思いがした。
 と、そこで、ホリーと視線が合った。彼女は僕に、意味ありげな笑顔を向けていた。
 ‥‥そうか。他の男の舌が、僕の口の中に入ってきたことは、もう、あるんだ。その時、僕も、自分の舌を、他の男の口の中に入れたんだ。
 僕は、今日の昼間、この部屋で、ホリーとしていたことをなんとか忘れようと、自分の方からホリーに話を振った。
「だけど、ホリー。前、手紙に、ガールフレンドができたって書いて来なかったか?」
「そうよ、今ここにいる子たちは、みんな、あたしの大切なお友だちよ。彼女たちは、落ち込んでるあたしの話を聞いてくれて、髪の毛のセットのしかたとかいろんなことを親切に教えてくれたわ。最初の頃のつらかった時期を乗り越えられたのは、みんな、この子たちのおかげよ」
 ホリーは、他の女の子たちの顔を順に見ながら言った。
「あの時、あたしが書いたのは、そういう意味だったの。たぶん、あなたには、伝わらないと思ってたけどね。それに、はっきり書けなかった事情もあるんだけどね。更正期間が終わって元に戻る場合も考えて、ここであたしたちが女の子になってることは、以前の知り合いには話しちゃいけないことになってるの」
「それは、僕も話さないって誓えるな」
 僕は、ちょっと笑いながら十字を切ってみせた。
「まあ、自慢して話すようなことじゃないわけだし」
「ねえ、ホリー、あなたが彼女のお姉さん役になったって、ほんと?」
 ジェニーという名らしい女の子が、ホリーにきいた。
「すごいわ」
「うん、ミセス・ウイリアムズにいろんな約束をさせられたけど、無理を言って頼んだの。フェイスが意地悪な先輩に当たって、ひどい目に遭うのを見るのはいやだったから」、
「えっ、彼女、フェイスっていうの? かわいい名前ね。いいな」
 ホリーがさっきメアリーと呼んだ女の子が言った。
「メアリーなんて、どうしようもなく平凡でしょ。うちの両親も、あなたのママやパパみたいに、もっとかわいい名前を考えてくれたらよかったのに」
 僕は、ここでの女名前も、入所時に親がつけるらしいことを納得しながら、冗談を言った。
「もし、僕をここから逃がしてくれるなら、この名前、あげてもいいよ」
「フェイス、そんなこと、言うもんじゃないわ」
 彼女は、急に真剣な顔になって言った。
「捕まって、連れ戻されたあと、どんな目に遭うか知らないから言えるのよ」
「だけど、もし、捕まらなかったら?」
 僕が強い調子で聞き返すと――
「無理よ、ぜったい」
 女の子たち全員が、同時に、声をそろえて同じことを言った。
 ホリーは、洗脳なんかしていないと言ったはずなのに‥‥。
 僕は、彼女たちのそんな反応に怖れを感じたが、そのことが逆に、僕の決心を固めさせた。
 チャンスをつかみ次第、僕はここを脱走する。帰ったら、両親が折れるまで許しを請い、説得するつもりだ。
 やはりやつらは、ハリーをホリーに変え、その上、彼に、あたかもそれが自分の意志であるかのように思いこませたのだ。やつらがそれを、僕にしかけて来る前に、逃げ出さなければならない。

 女の子たちのおしゃべりはその後もつづき、彼女たちがそれぞれの部屋へ戻って行ったのは、夜も更けてからだった。それまでに、彼女たちは僕に、脱走を考えることなどよせと念を押し、ミセス・ウイリアムズに渡されたハンドブックをよく読めと約束させた。
 それに、まだ話し足りないから、今後、朝食の時は、このグループで集まろうとも約束した。
 彼女たちが出て行くと、ホリーはメイクを落とす方法を教えてくれ、そのあと、シルクのパジャマを差し出した。
「ネグリジェは、まだ無理だと思って」
 そのパジャマはピンク色で、薄手の布で作られた袖も、ズボンも、丈が短い。しかも、袖口や裾まわりが大きな白いレースで飾られていた。
「まあ、いい方に考えとくよ。ひらひらがこの程度なのは、きっと神のご加護にちがいない」
 そのズボンを履きながら、僕は、ぶつぶつ文句を言った。
「これなら誰も、僕のことを女の子だと思ったりしないって、神様は考えたんだろうな」
 でも、ホリーは、僕の皮肉のあしらい方をよく知っていた。
「ええ、それは大事なことよね」
 彼女は大げさにうなずいてみせた。
「フェイス、もし、男の子とまちがえられるのを心配してるなら、あたしが着てるこのかわいらしいベビードールを貸すわよ」
「いつも、いろいろ気を使ってくれてありがとう」
 パジャマの襟の下に入った長い髪を外に出しながら、僕も言い返した。
「僕の成長過程は、まだ、トムボーイ(訳注 おてんば)段階だからね。でも、ボーイであるうちは、なんの問題もないよ」
「そんなに、くよくよしないで」
 ベッドに体をすべり込ませた彼女も、さらに反撃してきた。
「2週間うちには、あなたのことを男の子だなんて、誰も言わなくなるわよ。あなた自身もふくめてね」

 ホリーは単にからかっているだけだと思いながらも、彼女の最後の言葉が耳について、僕はその夜、なかなか寝つけなかった。
 何度も寝返りを打ち、やっと眠りに落ちると、今度はおかしな夢を見た。
 夢の中で僕は、前の学校に戻って、そこで生活している。なのに、なぜかみんなからフェイスと呼ばれている。
 朝、シャワーのあと、ジーンズをはいてTシャツを着たつもりなのに、鏡を見ると、それが、チェックのスカートと白いブラウスの女の子の制服に変わっている。
 母さんも親父も、友だちや先生も、みんな、ずっと僕をフェイスと呼びつづけ、女の子のように扱う。
 トイレに行きたくなって、学校の廊下を急ぎ、駆け込もうとドアに手を伸ばした瞬間、「男子トイレ」のプレートが「女子トイレ」に変わる。あわててもう片方のドアを見ると、こちらも「女子」のままだ。けっきょく「女子トイレ」に入るしかないのだと覚悟を決め、思い切ってドアを押す。
 そこで僕を迎えたのは、大きな鏡と棚のついたシンク。小用の便器はもちろんない。
 しかたなく個室に飛び込んだ僕は、まるで生まれてからずっとそうしてきたとでもいうように、ごく自然にスカートをたくし上げ、パンティを下ろす。
「よかった、ここは、まだそのままだ」
 座った僕は、股間を見ながらそう思う。
 でも、両脚の間に引っかかっているのは、ピンクのレースのパンティだ。
 朝、シャワーのあとにはいたのは、白のブリーフだったのに、いつの間に変わったんだろう?
 僕は今朝、まちがいなく、ブリーフとジーンズ、Tシャツを着たはずだ。それなのに今着ているのは、チェックのスカートに白のブラウス、レースのパンティ、それに白いスリップ‥‥この、胸を締め付けてくる感覚からすると、ブラもつけているようだ。
「なにかが、まちがってる」
 個室から出たところで、シンクのコーナーに愛用のリュックを置きながら、僕は首をかしげる。
 手を洗って目を上げると、さらに悪いことが起こっていた。鏡の中にいるのは、長い髪の女の子。男の子だった時の黒っぽくて短い髪でなく、ライトブラウンの長い髪が揺れる女の子になっているのだ。
 驚きながら、さっき置いたリュックに手を伸ばすと、今度はそれが小さなピンク色のものに変わっている。かろうじてリュックらしいデザインはとどめているが、これはどう見ても、女の子たちがハンドバッグとして持つものだ。
 でも、それだけではすまなかった。その時、いきなり背後のドアが開いて、女の子たちの一群が入って来た。
 女子トイレにいたことを、どう言い逃れしようとおたおたしていると、彼女たちは、鏡越しに僕に笑いかけて通り過ぎる。
「ハーイ、フェイス」
 そして、何ごともないように個室に消えて行く。‥‥。

 その夜、僕は何度も目覚めた。そして、ふたたび眠りにつくと、一時停止していたビデオが再スタートするように、同じ夢のつづきを見た。
 トイレから出た僕は、スカートのしわを気にしながら、廊下を歩く。
 教室に入ると、ごく自然にスカートの後ろをなでつけながら席に着き、バッグを傍らに置くと、斜め前の席のかっこいい男子生徒に笑いかける。
 学校にいる間中、クラスメイトたちは、僕をフェイスと呼び、僕はそれにほほえみ返す。
 クラスの男たちは、みんな、僕にちょっかいを出してきて、僕も、それを上手にあしらう。
 気味悪いことに、そんなふうにしながら僕は、男たちが僕のことをかわいいと思っているのを感じて、密かにそのスリルを楽しんでいるのだ。

 当然、目覚めたときの気分は最悪だった。でも、そんなことは、ホリーには口が裂けても言えない。
 もしかして、ハリーにだったら話したかもしれない。彼は、いつだって信頼できた。だけど、ホリーはちがう。もし彼女に、僕が女の子に変わっていく夢を見たなどと言えば、彼女は飛び上がって面白がり、すぐ、友だちのところに行って、言いふらすにちがいない。なにしろ彼女たちはみんな、現実に、僕を女の子にしたがっているのだから。
「さあ起きて、お寝坊さん」
 僕はまだまどろみの中にいたいのに、ホリーが呼びかけてきた。
「シャワーを浴びるわよ。髪をセットして、メイクして、服を着て、90分以内に朝食に行かなきゃいけないのよ」
「だけど、今日はまだ日曜だろ。休みじゃないのか」
 僕は、なんだか妙に張り切っているルームメイトに言った。
「休みは休みよ。でも、日曜の朝食だけは全員でとることになってるの。校則読まなかったの?」
「ゆうべは、読むには気が散りすぎてさ」
 僕は、ベッドを出て、バスルームに向かいながらつぶやいた。
「なにしろ、おしゃべりな女の子たちが、ずーっといっしょにいたんだから」
「朝食のあと、時間をとって、読みなさいね」
 ホリーは、そう言いながら、僕につづいてバスルームに入ってきた。
「ちょ、ちょっと。いっしょに使うつもりなのか?」
 僕は、彼女が目の前にいるのが信じられない思いで言った。
「いけない? あたし、あなたが何を持ってるか、知ってるわよ。あたしとおんなじでしょ」
「ま、だいたいはね」
 僕は、皮肉を込めて、まず、そう言った。
「だけど君は、女の子じゃなかったのか?」
「そうよ。あなたも、でしょ」
「ま、まあ、多少は。もちろん僕自身は、そのつもりはないけど」
 僕は今や、彼女から目をそらし、壁に向かって話していた。ところが、彼女の方は、それにおかまいなしにベビードールとパンティを脱いでいき、シャワーを浴びはじめた。
「早くいらっしゃいよ」
 彼女はまるで、飲み物でも勧めるように、シャワーの中から呼びかけた。
「ふたりいっしょの方が手間も省けるし、お互いの背中も流せるでしょ」
「い、いや、僕は、あとでいいよ」
 もし今、シャワーの中に入ったりしたら、どう隠しても、彼女に恥ずかしい状態を見られるのははっきりしていた。
 いったいどういう心境になれば、大きなお尻とおっぱいのある昔からの親友を、冷静に眺められるというのだ。
「ま、好きにして。そうだ。その間に、あなたが着る服、なにかかわいいのを選んどいてよ。日曜の朝食は、全員ドレスアップするのが決まりなの。変なもの選んじゃダメよ。あなただって、ミセス・ウイリアムズがご機嫌ななめになるのはいやでしょ」
 そう、もちろん僕だって、親愛なるミセス・ウイリアムズのご機嫌はとっておきたい。脱走したとき、拷問台に連れ戻されないためにも。まあ、あの女が推し進める、少年をおとなしい少女に変えるなんてこと自体が、いちばんひどい拷問なのだが。
「なにかかわいいの、って言われても‥‥」
 僕は、彼女のおっぱいを見ないようにしながらきいた。
「かわいい妹に、もう少しヒントをくれないかな‥‥お姉さん」
「そうね、あなたが女の子を見る時、いちばん気を引かれる服装を思い出してみたら」
 シャワーの音にかき消されそうになりながら、ホリーの声が届いた。
 いったい、彼女はわかっているんだろうか? 僕がいちばん気を引かれる女の子の服装というのは、今の彼女の状態だということを。

 自分のクローゼットを開けた僕は、そこに吊された服をじっと見つめた。
 なにかかわいいもの‥‥あらためて考えてみると、何をもってかわいいというのか、その手がかりすら持ち合わせていなかった。
 選ばなければいけないのは、たぶん、ワンピースか、それとも、スカートとトップスの組み合わせなのだろうが‥‥。
 色は? 女の子たちは、靴と服を合わせるとかいうし‥‥考えれば考えるほどややこしそうだ。
「もお、子供じゃないんだから、それくらいできないの?」
 バスルームから出てきたホリーが、背後で言った。
「きのう、自分で選びたいって言ったのはあなたでしょ。そうね、そのブルーのワンピにしたら? それなら、あなたの目の色にも合ってるわ。その下に何を着けたらいいかくらいは、自分で考えなさい」
 僕は、そのワンピースをベッドの上に広げ、それに合うと思われる無難なランジェリー類を選び出した。白のコットンパンティ、ブラ、ハーフスリップ、それに肌色のパンストだ。
 女の子用の下着とかを身につけなければならないにしても、僕は、ひらひらの着いたものや、色つきのもの――何を思ってるのか、母さんが用意したほとんどは、そんなものだった――は選びたくなかった。
 どうやらコットンパンティは2枚しかないようだから、僕は毎日、下着を洗わなければならないだろう。それでも、その方がましだ。

 僕がシャワーを浴び戻ってくると、ホリーは僕を座らせ、髪をセットしはじめた。
「よく見てるのよ、フェイス。女の子は、いつも自分をきれいに見せてなきゃいけないの。ずっと、あたしがやってあげるわけにはいかないんだからね」
 クソ、僕は、子供みたいに扱われるのは好きじゃない。ましてやこんな、ちっちゃな女の子みたいに。
 逃げ出すチャンスをのんびり待っている暇などない気がした。こんなことをつづけていたら、僕は、いつの間にか、どうしたらかわいく見えるかとか、この服とこの靴は合っているかとか、そんなことばかり考えるようになってしまいそうだ。
 すぐにでも、こんな状況から脱出する方法を見つけたいと思った。
 ホリーは、僕の髪をカールし、簡単なメイクをした。もちろん、美容室でやってもらった昨日のメイクに比べれば見劣りするものだったが、それでも僕は、自分の顔にもともと、魅力的な女の子になる可能性が潜んでいることに気づかざるを得なかった。たとえ、それがにせ物にすぎないとしても。
 いや、だからこそ、やつらが僕を本物に変えてしまうのを、断固阻止しなければならないのだ。
「あなたって、ほんとに、化粧映えのする女の子よね」
 自分自身がそう感じていたからこそ、ホリーの言葉に反射するように、僕は叫んでいた。
「そんなふうに言うな! 僕は男だ。男であることが好きだし、それを捨てるつもりなんてない。誰も、僕を変えることなんてできないんだ。君だって、それに、あの校長室のババアだって!」
 こちらが激昂すれば、ふつうの人間ならたじろいで会話の方向を変えようとするだろう。でも、ホリーは、ふつうの人間ではなかったようだ。
「くだらない愚痴を並べる前に、パンティをきちんとはくことを覚えなさい! フェイス・ジョアンヌ・ジョーダン!」
 ホリーは、命令するように言った。
「いい? あたしは、あなたのためを思って言ってるのよ。はっきり言って、あなたは、男の子としてはたいした取り柄もないわ。でも、見てよ。あなたは、たいていの女の子が夢見てるようなものをいっぱい持ってるのよ。肌はすべすべだし、髪は、カールがよく似合う。まつげも長くてかわいいわ。あなたに似合わない服を探す方が難しいくらいよ」
「君はほめてるつもりかもしれないけど、そんなこと言われて、男がどれほど傷つくのか、わかってるのか? これまで誰かに、面と向かってそんな侮辱を受けたことは一度もないね。それを平然と言える君という人間を疑うよ。僕のことを、いつからそんな目で見てた? だいいち君は、女の子になりたいんじゃないのか? 男からも、ちゃんと女の子として見られたいんだろ? それなら、男に対して、そんな失礼な言い方はしない方がいいと思うけどな」
「安心して。あなたはもう、そういう対象からははずれてるから」
 彼女は、肩をすくめて言った。
「たしかに、あなたと再会するまでは、いろいろ期待や不安もあったわ。あなたが、あたしをちゃんと女の子として認めてくれるかどうか、それに、もしかしたら、二人の関係が、友情とはちがう方向に発展しちゃうんじゃないのかって。きのうキスしたのは、その2つを確かめたかったからよ。でも、2つめも心配なかったわ。だって、あたしは、あなたに何も興奮しなかったんだもん。つまり、あたしたちの友情は変わらないってことね。で、女どうしの親友として言わせてもらえば、さっきからあなたの言ってることは、贅沢な愚痴にしか聞こえないのよ」
「ああ、僕だって、君に興奮なんてしなかったさ」
 僕は、悔し紛れに口走っていた。
「そうよね」
 ホリーは、笑いながら言った。
「あなたは興奮なんてしなかった。ただ、スカートとパンティを汚しただけよね」
「もう黙れ」
 僕は、そう言って、話題を変えた。
「遅くなれば、あのドラゴンレディが探しに来るんじゃないのか。さっさと、その朝食とやらに行こう」
「ミセス・ウイリアムズは、すごく優しい人よ。あなたにも、そのうち、わかるわ」
 いったい、あの魔女は、ホリーにどんな魔法をかけたのだろう。なにしろ、あの悪ガキを、すっかり女の子に変えてしまったのだ。そうとうな魔力にちがいない。

 ヒールを履いていることで、僕の歩き方は、スローペースになったし、いつもとちがうものにもなった。
 バランスをとって歩こうとすると、足を、もうひとつの足の真ん前に出し、一直線上を進むようにしなければならない。それ自体はさほど難しいことではないのだが、そんなふうに足を送ると、どうしてもお尻が左右にスイングする。なんだか、一歩ごとに、自分の体に女の子の感覚が刻まれていくような気がするのだ。きっとこれも、僕を女の子に変える卑劣な陰謀にちがいない。
「いつも、ヒールを履いてなきゃいけないのか?」
 僕は、文句を言った。
「ずっとこんな歩き方しかできないなんて、最悪だ」
「だからもう、つまんない愚痴はやめてよ」
 彼女も、そうとういらだっているように見えた。でも、そんなこと知っちゃいない。
 彼女がいくら、女の子になることはすばらしいとか言っても、僕にはまったく理解できない。この靴にしてもなんにしても、がらくたとしか思えない。ましてや、女の子らしくほほえみ返すなんて、ぜったいにいやだ。
「こんな気の狂った場所からは、すぐにでも逃げ出してやるさ」
 僕は吐き捨てた。彼女が敵意を向けるなら、こっちだってそうするまでだ。

 朝食の席でも、僕らの間には険悪な空気がただよいつづけた。
 そのせいかどうか、部屋に戻ると、彼女はどこかへ出かけると言いだした。そして、留守の間に、校則をしっかり読んでおけと言った。
 朝までは(脱走のためにも)彼女に学校内を案内してもらいたいと思っていたのだが、頭に来ていた僕は、彼女が早く出て行ってくれることを願った。
「ふ、大事なデートってか?」
 僕は、いやみを込めて言った。
 ホリーは、そんな挑発にはのりたくないという感じで、グリーンのリボンを使って、髪をポニーテールにまとめ、すました顔で答えた。
「いいえ、お友だち二人と町へ行くだけよ。男の子を引っかけにね。いい娘にしてたら、あなたもそのうち連れてったげるわ」
 朝食会用のワンピースを脱いだ彼女は、腰に張りつくほどタイトな黒のミニスカートに着替えた。
「これで、今日も大漁よ」
 そう言ってほほえむと、ショルダーバッグをかけた彼女は、あ然とする僕を尻目に、さっさと出て行った。
 僕の親友は、自分のことを女の子だと思っている。彼は女の子の服を着て、メイクしている。彼のルックスは、並みの女の子ではかなわないくらいかわいい。彼のキスは、僕が経験したどの女の子とのキスより、僕を興奮させた。
 そして僕は、この狂気の館で、2年間、女の子として暮らすことを強要されている。このままでいれば、いつの間にか、僕自身も、自分を女の子だと思うようになるのだろうか?。
 もし、逃げ出すチャンスが見つからなかったとしたらどうする?
 ホリーのように狂ってしまう前に、たぶん僕は自殺するだろう。

 僕は、ベッドの上でくつろいで――少なくとも、ワンピースとストッキングが許す範囲でくつろいで――、校則を読み始めた。
 服装についての規定は、おおよそホリーの言っていたとおりだった。
 毎日の学校生活では、全生徒が制服を着用する。スカートとブラウス、そして白のニーソックスだ。下着についての規定もあり、それにふさわしいランジェリー、つまり、パンティ、ブラ、スリップを着けることになっていた。軽い化粧とコロンは許される。髪は華美にならない程度のセットに心がける。必要以上のアクセサリーは禁止だ。
 自由時間については、カジュアルウェアでいいが、グレート・インディアン・リバーに来て1ヵ月に満たない生徒は、スカートかワンピースに限られる。スラックスやジーンズ、ショートパンツがOKになるのは、その期間を過ぎてからだ。メイクやアクセサリーについては、各自の判断に任される。
 日曜の朝食会のような特別な行事の際は、ドレスアップした服装をしなければならない。ワンピースにしても、スカートとブラウスの組み合わせにしても、ドレッシーなものを選ぶことが決められている。逆に、金曜日については、授業時間中も制服でなくてよく、カジュアルウェアの着用が許されている。
 衛生の項目も、微に入り細にわたっていた。
 すべての生徒は、洗髪やブラッシングなど髪の手入れを怠らず、いつも清潔に保っていなければならない。ヘアスタイルは決まった形はないが、長い髪にする場合は前髪を切り、顔が隠れるような髪型はしない。
 爪についてもいつも手入れし、マニキュアすることが決められていた。エナメルの色や種類の選択は、各自の自由だ。
 また、むだ毛処理についても一項が設けられていた。周期的な脱毛に心がけ、いつも、余分な体毛のない状態にしておくことが決められている。
 要するに、女の子が日頃やるようなことについては、すべてやらなければいけないということだ。
 新入生に魔法をかけるらしい例の1ヵ月間は、基本的に外出禁止だが、それを過ぎれば、外出簿にサインをするだけで外出できる。ただし、アルバイトの可否や、門限の時間は、それぞれの学業成績に応じて段階的に定められている。
 その門限以上にキャンパスを離れた場合は、脱走と見なされ、連れ戻されたあと、罰を受ける。そして、成績などに応じて与えられていたすべての特典を、3週間剥奪される。さらに、二度脱走を繰り返した場合は、直ちに裁判所に逆送致されることになっていた。その場合は、あらためて、以前犯した犯罪に見合った刑が言い渡され、執行される。
 僕は、脱走したあと、親に泣きつけばなんとかなると思っていたのだが、この逆送致の規定はちょっとやっかいかもしれない。判事――特に、少年をこんな学校に送るような判事――を言いくるめるのは、簡単ではないだろう。でも、どうにかするしかない。
 校則の規定は、他にも、ここでの生活のあらゆる面におよんでいた。
 授業とカリキュラムについて、自由時間について、服装について、報奨特典――たとえば、オリンピックサイズのプールの使用特権まで含まれていた――について、手紙など外部との通信について、家族の訪問について‥‥。
 成績など条件を満たせば、長期休暇の間、帰郷することも、週末、家族といっしょに過ごすことも許されていた。
 それを読んで、あることに気づいた僕は、自分は、あの親父や母さんと休暇を楽しむことなどないだろうと感じた。
 あることというのは、例の結婚式のことだ。
 あの時ホリーは、この規定により、家に帰っていたにちがいない。そしてたぶん、僕の親父や母さんは、そのことを知っていた。あの女の子の正体を知っていながら、僕には教えず、息子が女装した男友だちと恋に落ちるのを見て笑いものにしたのだ。
 脱走のため、この家族休暇の規定は利用できると思ったが、そうやって家に帰ったとしても、僕は両親を許すことなどできないだろう。

 校則を読み終わったところで、僕はベッドを出て、あらためてクローゼットの中を調べてみた。
 たしかにそこには、あらゆる種類の女の子用の服が並んでいた。制服らしいブラウスとスカート、カジュアルなもの、ドレッシーなもの、そして、そのそれぞれに合わせた靴。僕が女の子として暮らしていく上で必要なものは、おおかた揃っているようだった。ただし、パンツの類は一着もない。広いクローゼットのどこを探しても、ジーンズなどは見あたらなかった。
 ドレッサーの引き出しの中ももう一度見てみたが、こっちはもっと悪い。
 数多くのパンティ、ストッキング、ブラ、スリップは、セットで揃えたものが多いらしく何系統かの色やデザインに統一され、そのたいていのものがレースで満たされていた。
 それを確かめながら、不覚にも僕は興奮していた。男の子にはふつう、こんなものを手にする機会はない。同じ年頃の女の子のアウターについてはある程度知っていたとしても、その下に、こんなにセクシーなものを隠しているなんて、想像もしていないのだ。
 それにしても、この下着類は母さんが揃えたはずだ。母さんは、女の子としての僕に、こんなものを着させたいのだろうか?

 夕方遅くなって、ホリーが帰ってきた時、僕はまた下着の引き出しを開け、その中からなんとか着られそうなものをより分けていた。
「ふふ、女の子が、そんなにすごいものを着けてるなんて知らなかったでしょ」
 彼女はからかうように言いながら、ブラウスのボタンをはずし、スカートを脱いだ。
「おい、よせよ。恥ずかしくないのか? そういうことは、もっと見えないとこでやれよ」
 服を脱ぐ姿などを見て僕がどれほど興奮するか、彼女はわかってるんだろうか?
「こっちだって、その‥‥落ち着かないだろうが」
「どうして? 子供の頃は、そんなこと、なんにも気にしてなかったじゃない。お互い下着姿で、いっしょに寝たこともあるしさ」
 彼女はそう言って肩をすくめると、スリップを脱ぎ、ブラまではずし始めた。
「あの頃と今と、なにかちがうの?」
「あの頃、君は男だった」
 彼女のブラからこぼれ出てきた胸に目がいってしまうのを、どうしてもとめられない。
「そうね」
 パンティだけの姿で立った彼女が、くすっと笑ったせいで、胸が揺れた。
「あたしにとって最悪の日々。女の子になれて、ほんとによかったわ」
 そう言いながら自分の引き出しを開け、かきまわしていた彼女は、そこから、ベビードールタイプのネグリジェを取り出した。
 そのあと、僕の目の前でパンティまで脱いで、新しいのと履き替えた彼女は、そのネグリジェを頭からかぶった。体をすべって落ちてきた裾は、やっと太腿の真ん中くらいまでしかない。
「どう? 似合う?」
 ホリーは、実際の年齢とは思えない色っぽい声と仕草できいてきた。
 僕の「やんちゃ坊主」が、またむくむくと首をもたげていた。
「あ、ああ。気持ち悪いくらいに」
 僕は、そんなホリーから目を離せず、つぶやくように言った。
「だけど、どこからどう見ても、あのハリーだとは思えないよな。いったいどうやったら、気持ちまで、そんなふうに変われるのかね」
「それは、あたしが、ほんとに女の子になったからよ」
 彼女はちょっとしんみりした調子で言った。
「ねえ、フェイス。あなたの旧友のハリーは、もうこの世にはいないの。そろそろそれを、認めてもいいんじゃない」
「その前に、正直に答えてくれないか。それは、僕に対しても計画されてることなのか? 僕もいつかは、ホルモンを始めて、女の子に変わることになってるのか?」
「あなたに対して決められてることは、ここで校則に従って2年間過ごすってこと。それ以外には何もないはずよ、フェイス。その2年が終われば、フランクは家に帰れる。そこでは、フェイスのことを知ってる人は誰もいない。それがすべてよ。でも、もしその間に、あなたが、フランクに戻ることを喜んでいない自分を見つけたとしたら、その時はあたしに相談して。それは、軽はずみに決めちゃいけないことよ。あたしも、あなたにとっていちばんいいと思える道をいっしょに考えるわ。ただかわいく見せたいだけなら、べつに性転換までは必要ないんだしね」
「まあ、あんまり僕に期待しないでほしいな。僕は並みのコースだけでじゅうぶんだよ」
 自分が納得した中身をできるだけ正確に伝えようと考え、僕は言った。
「まだ何もしてないうちから、そう決めるのは早いと思うな。あなたが、ミセス・ウイリアムズの言ってたようなものを持ってる男の子なのかどうか‥‥例の『シュガー・アンド・スパイス』ね‥‥そんな子なのかどうかは、今のところ、誰にもわからないわ」
「僕は、ちがうさ!」
 僕は、強く主張した。
「未だに僕は、自分のことを男だと思ってるよ。女の子のものを身につけるのが好きになるなんて、これからも、絶対ないね」
「じゃ、賭ける?」
 ホリーは、いたずらっぽい顔になり、きいてきた。
「あたしはあなたに、女の子の服を着るのが好きだって言わせてみせるわ」
 その表情は気に入らなかったが、彼女に馬鹿げた賭けをしたことを悟らせる役目は、僕しかいなかった。
「で、僕は何をすればいい?」
「いい娘ね」
 彼女は、そう言ってにやりと笑った。
「まずは、今夜、あたしはあなたをかわいくドレスアップするわ。明日、あなたが着ていく制服の下に着ける下着も選ばせてね。それから、明日の放課後着る服もあたしが選ぶ。つまりあなたは、まる一日をフリフリの服で過ごす。思いっきり女の子っぽい女の子であることを受け入れてね。その上であなたが、女の子の服を着ることや、かわいいって言われることが好きになって、それを楽しんでいるようならあたしの勝ちよ」
「そんなことなのか? なんかチョロい気がする。で、君が負けたら、僕は何をもらえるんだ?」
「そうね、きのうのキス、なんてどう?」
 ホリーがほほ笑みながら言った。
「新しいパンティを用意しとかなきゃね。で、もし、あたしが勝ったら、あなたは、もう1週間、あたしのいうとおりの服で過ごす。これでどう?」
 僕が勝つのは目に見えていた。だから僕は、賭け金をつり上げることにした。
「そっちが1週間なら、こっちも1週間だ。君が負けたら、1週間、毎晩、僕にお休みなさいのキスをする」
「マジで? あたし、あなたとキスしても、なんにも興奮しないって言ったでしょ」
 彼女は顔をしかめて言った。
「それなのに、なんで1週間も、おやすみのキスをしつづけなきゃいけないのよ」
「決めるのは君だ。キスがいやなら、賭けはなし」
 僕はニヤニヤ笑いながら言った。どうやら主導権は、こっちが握ったようだ。
「あたしのキス1週間分は、あなたの努力1週間分に相当すると思わない?」
 ホリーは、こちらの抵抗のすべてを溶かしてしまいそうな笑顔を向けてきた。
「こういうのはどう? 1日だけじゃなく、1週間、あなたはあたしの言うとおりに女の子っぽい女の子として過ごす。それでも、それが好きになれないというなら、あたしは、その次の1週間毎日、お休みなさいのキスと、それにおはようのキスもするわ」
 僕は銃を構えたまま「1日だけ」という条件を固守すべきだったかもしれない。でも、彼女の笑顔があまりにかわいかったのと、例の「やんちゃ坊主」が、これはいい賭けだとさかんにささやきかけてくるので、ついうなずいていた。
 と、彼女は、僕の同意を熱狂的な歓迎で迎えた。
「思いっきりかわいくなって、うれしそうに笑っているあなたのリアクションが早く見たいわ。あたしの新しい大親友、ミス・フェイス・ジョーダンの写真を撮るのが、待ちきれない」
「みじめな女装男の写真が、なんでそんなにほしいのか、よくわからんな」
「みじめなんかじゃないわ。フェイス、あなたは今、戦いに挑む偉大な勇者よ。でも、思いっきりかわいく着飾ったあなたは、もっとかわいくしてほしいって、あたしにおねだりすることになるでしょうけどね」
「んな、馬鹿な!」
 僕は、のけぞって笑っていた。
 と、ホリーは、ドレッサーの引き出しを開け、その中から何かの瓶を取り出した。
「さあ、まずはお風呂の時間よ、お嬢さん」

 間もなく僕は、いい匂いの泡に包まれ、バスタブの中に座っていた。
「女の子になるための第一歩は、自分の体をかわいがってあげることよ」
 服を選んでいるらしいホリーの声が、バスルームの外から届いた。
「いいって言うまで、そこに入っててね」
 バスタブのへりに体をもたせかけ、じつは僕は、その時間ができるだけ長引けばいいと思っていた。バブルバスに入るのは、小さい頃以来、ほんとに久しぶりだ。それが、こんなに気持ちいいものだということを、僕はすっかり忘れていた。
 そんな気持ちよさに浸っているうち、僕はいつの間にか、ホリーのおやすみのキスを夢見ながら、眠りに落ちた。
 もちろん、ホリーが男であることはわかっている。でも、僕の脳裏に浮かぶホリーの姿は、今やとびきりかわいい女の子でしかない。あの結婚式の時の僕に抱かれた姿、きのうのキス、そして、さっき見たばかりの形よくはずむ乳房‥‥。ホリーほどかわいく、女の子っぽい存在を、とても男だなんて感じられない。そんなホリーのキスへの期待は、僕にハリーのことをすっかり忘れさせた。

「フェイス、ドレスアップの時間よ」
 ホリーの声が、僕を夢から呼び戻した。
「あたしが選んだ衣装を、気に入ってくれるといいけど」
 立ち上がり、バスタブから出たところで目に入ったのは、テーブルの上に置かれたパンティだった。それをしっかり見てしまったことで、せっかくお風呂でリラックスした気分も、いっぺんに憂鬱なものになった。
 それは、レース以外の何ものでもなかった。薄くてピンクのレース、前も後ろも、ほとんどがそればかりと言っていい。前の部分に少しだけ、薄い布があるが、それはほんとに小さい。
「何考えてるんだよ、ホリー」
 僕は、バスルームの外に向かって叫んでいた。
「こんなの、本気で履かせるつもりか?」
「あら、フェイス。もうタオルを投げるの? それを履くのが怖いんでしょ。履いたとたん、自分の気持ちが、すごく女の子っぽくなっちゃうような気がして」
「そ、そんなことないさ。要するに、ちょっと慣れないだけさ」
 そう言い返したところで、僕は大きく深呼吸し、そのパンティを取り上げて足を通した。とたん、何かが背筋を駆け上り、それが体全体に広がって僕は体を震わせていた。
 それは、この2日間履いていたコットンパンティとはあきらかにちがっていた。見かけも、肌触りも、デザインも。
「なにしろ、こんなの履くなんて、考えたこともなかったから」
 さっきまでのパンティは、なにより機能性を重視したものだった。ふつうの白で、レースもなく、前が開かないのをべつにすればブリーフと見なすことだってできた。
 でも、今履いているのは、あきらかに女の子っぽい感覚を持たせることを目的としてデザインされたものだ。そしてその効果は、僕自身にもいかんなく発揮されていた。
 いや、もっと正確に言えば、女の子っぽい感覚というよりもっといけない感覚‥‥そう、たとえば、とんでもない悪さを働いている時にある感じ‥‥罪の意識を感じているくせに、だからこそ、それにワクワクするような、そんな感じだった。
 ドアについた姿見に映ったお尻が目に入り、僕は、いつの間にホリーが入ってきたのかと勘違いした。すべすべですらりとした脚、セクシーなパンティで縁取られたかわいいお尻‥‥それが自分自身のものだと認識する前に、僕は興奮していた。
 思わず片手をお尻に当て、そこをなで、パンティを通して手とお尻の両方が感じる感触に我を忘れそうになり、そこで、もう片方の手も、いつの間にか前の「やんちゃ坊主」をなでているのに気がついた。
「あら、もう楽しんでるの?」
 ドアの向こうから、まるで僕のしていることが見えているようなホリーの声が聞こえた。
「せっかくのパンティなんだから、汚さないでね。もう少し、きれいなままにしといてほしいんだけど」
 彼女は透視能力でもあるんだろうか?
 そう考えたことで、興奮は、とりあえず、風船のようにしぼんだ。
 それで、腰にタオルを巻きながら、僕はドアを開けた。
「これじゃ、どう見ても変態だよ」
「そんなことないわ。ふつうよ。そんなパンティの感触は、女の子なら、誰でも好きよ」
 彼女はそう言いながら、僕のタオルを、女の子のスタイルに巻き直した。
「女の子は、こうやって、胸から隠すものでしょ」
 僕は、そこで、ホリーの鏡台のところまで連れて行かれ、座らされた。
「あなたは、すごくかわいくなるはずよ」
 彼女は、何度もそう繰り返しながら、僕の髪にカーラーを巻いていった。
「あとで、明日、学校でいい子に見えるようにセットし直すつもりだけど、まずは、思い切りホットな女の子の髪にするわね。あなたがすっかりその気になっちゃうような」
「ねえ、これから僕は、カーラーを巻いたまま寝ることになるのかな? やだな。わざわざそんな痛い思いしたくないよ」
 カーラーを手に取り、髪束の先と合わせて、それをくるくると巻いてピンでとめる‥‥彼女は、そのリズムを崩さず、答えた。
「わざわざじゃないわよ。必要なことなの。2年間、女の子でいつづけるためには、あなたはどうしてもそれに慣れなきゃいけないの」
「前にも言ったけど、僕は、チャンスさえあれば、ここから逃げ出すつもりなんだぜ。それがいつになるかはわからないけど、2年よりは確実に短いと思うよ」
「お願いだから、そんなつまんないこと考えるのはやめて。あなたは逃げきれないし、逃げてもなんの得にもならないわ。ここにいることは、あなたが思ってるほど恐ろしいことじゃないのよ。そりゃ、最初は、気味が悪い感じがするかもしれないけど、すぐ慣れるわ。逃げて捕まった末に、もう一度裁判にかけられて刑務所に入れられるよりは、ずっといいってこと、すぐにわかるはずよ。さっきも言ったけど、時が来れば、フェイスのことは誰にも知られずに、フランクに戻れるんだしね」
 その口調から、彼女が親身になって言ってくれているのがわかり、僕はなんだか、彼女に悪いことをしているような気がしてきた。
 でも、僕の決心を変えることはできない。
「そんなことより、今は賭けの最中だろ。君が僕に、情熱的なおやすみのキスをする姿が目に見えるよ」
「ねえ、ひとつだけ約束して。逃げることを決めたら、私にだけは教えてほしいの。その前にもう一度だけ、あなたを説得するチャンスがほしいから」
「ああ、君には話すことにするよ。でも、ウイリアムズにチクったら、一生、許さないからな」
「約束するわ」
 ホリーは、その小さな譲歩に満足したようで、楽しそうに、僕を女の子にする作業をつづけた。
 髪が終わると、彼女は僕の顔にリキッドのファンデーションを塗り、小さなスポンジであちこちに手を入れ、その上から、さまざまなパウダーやチークをのせていった。
「最初の衣装は、ママの結婚式であたしが着てたパーティドレスにするつもりよ、フェイス。あなたとあたしは、サイズもだいたい同じだし、あの色ならあなたの肌の色にも合うと思うの。だから、あのドレスに合わせて、ピンクのチークと、ピーチのアイシャドーを選んだのよ」
 彼女は、次々に手際よく進め、それはまるで、僕を等身大のバービーちゃんだと思っているかのように楽しそうだった。
「あなたの髪が、あの時のあたしみたいにセットできるまで、もう少しかかるから、その間に、ドレスに合うマニキュアに塗り替えるわね。きっとあなたは、女の子でいることが大好きになるわ」
「いや、そんなことは絶対ないね。だいいち僕は、君ほどかわいくなんてなれないだろうし、女の子にさえ見えないよ」
 僕は、彼女を地獄に落とすのはいやだと思いながら言ったのだが、彼女は逆に成層圏まで舞い上がり、僕の変身の過程について説明する言葉の間に、確認の言葉をはさんだ。
「心配しなくていいわよ」
 その口調はなんだか、自信と余裕いっぱいという感じだ。
「もし万が一、あたしが負けたら、ちゃんとキスしてあげるから」
「1週間、毎晩」
 僕も、彼女がつまらない賭けを挑んだことを悟らせるために、取り決めの細部を確認した。
 ホリーは、それには答えず、楽しそうな顔で、僕を女の子にするための作業に集中していた。
 鏡越しにそんな表情を眺めながら、僕はちょっと首をかしげざるを得なかった。
 負けるとわかっている賭けに、どうしてこれほど一生懸命になれるのだろう?
「せっかくメイクしたんだから、気をつけてね」
 僕の頭のカーラーをはずしながら、ホリーは言った。
「髪を下ろしたらランジェリーを着けて、最後にドレスを着てもらうわ。その時に、顔をこすってお化粧を台無しにしないでってこと」
 カーラーのはずれた髪が頭を取りまき、ブラシをかけたところで、ホリーはニヤニヤ笑いを浮かべて、何かを出してきた。その両手に、なんだか奇妙なものがのっている。肌色の、ふたつ一組の‥‥。
「えっ? な、なんだ、それ? まるでおっぱい‥‥みたい‥‥」
「ピンポーン」
 ホリーは笑いながら、何かのチューブからねばねばのものをしぼり出し、そのふたつのおっぱいの裏側に塗っていった。
「ブレストフォームっていうの。まだ自分の胸がない頃、あたしが使ってたものよ。これから1週間は、あなたのおっぱいね」
 僕の目は、それに釘付けになっていた。おっぱいが独立して、人の手に持たれている光景というのは気味悪すぎる。
「マ、マジかよ。でも、なんでそんな、にせ物のおっぱいがいるんだ? これまでだって、ブラの中にはパッドを入れてたわけだし」
 ホリーは、それには答えず、胸から巻いた僕のタオルをはずすと、そこにふたつのおっぱいをあて、押しつけた。
「ちょっとの間、自分で押さえててくれる?」
 そう言いながら、彼女は僕の両手をとり、そこにあてさせた。
「接着剤が肌になじむまで、30秒くらいはかかるから」
「えっ、接着剤? そんな‥‥。うそだろ」
 僕は、驚いて言った。
「今も言ったけど、ブラの中にパッドを入れればすむことじゃないか」
「これが、その理由よ」
 彼女は笑いながら、今履いているパンティとおそろいのブラをぶら下げた。やはり、全体がレースでできている。
「パッドじゃ、透けて見えちゃうでしょ。よく聞いて、これから、ちゃんとした着け方を教えるから。全部、自分でやってみて」
 新しくできた乳房から手を離し、僕は、ホリーの指示に従ってブラを着けていった。まず背中側からまわして、前で両端のホックをとめる。それをぐるっとまわして、ふたつのカップが、乳房の真下に来るように合わせる。それから、カップが乳房を包むように注意深くストラップを肩にかける。
「そこまで慎重にやらなくてもいいわよ」
 ホリーが笑いながら言った。
「そのベイビーたちは、剥離剤を使わないかぎり、かんたんにはとれないから。胸の重みに早く慣れてね」
 僕は、鏡の中の自分から目をそらそうとした。でも、ブラとパンティ以外なにも着けない姿で、僕をじっと見返してくるその小悪魔から視線をはずすことなど、できるわけがなかった。
 もちろん、そんなことは口には出さなかったが、ホリーが僕に施したその魔法に、僕はドキドキしていた。
 目はパッチリと印象的で、ほおはすべすべとなめらか。言ってみれば、夏の太陽の下でいっときを過ごす、ビーチでいちばん目立つ女の子というタイプなのだ。
 その唇は、いかにもキスされるのを待っているように見える。そして、ブラからのぞくふたつの胸は、男の舌に、そこを旅することを夢見させるものだ。
 僕は内心、ホリーにもうここでやめてくれと頼みたい気分になっていた。もし、彼女がこれ以上、僕をかわいくしていったら、僕は、男としてのアイデンティティに疑問を持ち始めるにちがいない。そうなれば当然、彼女はさらに、僕を女の子にしていこうとするだろう。そして、そうなれば僕は、彼女からのダブルデートの誘いに、簡単にのってしまいそうだ。
 もしかすると僕は、何回かのキスのために、とんでもない罠にはまったのかもしれない。
 と、ホリーが、僕の肩を軽く揺すった。
「しっかりして、フェイス。まだ終わってないのよ。これを腰に巻いて、とめてくれる?」
 まだぼーっとしながら、僕は、ホリーから渡されたものを見た。
 それは、ブラやパンティーとそろいのレースでできていて、一見パンティのようにも見えるが股の部分はなく、数本のストラップが垂れ下がっていた。
「ストッキングを履くためのガーターベルトね」
 僕の顔に浮かぶ混乱がわかったのだろう。ホリーはわざわざ説明した。
「ストラップは、パンティの下に通してね」
「でも‥‥、パンストをこれにとめるの?」
 言われたとおり、ストラップをパンティの下に通しながら、僕はきいた。
「女の子のくせに、お馬鹿さんね。パンストのわけないでしょ。これよ」
 そう言うと彼女は、脚の部分だけのパンスト(?)を取り上げた。
「シルクのストッキング。薄くて、すべすべで、女の子であることを神に感謝したくなるはずよ」
 おどおどとそのストッキングを受け取った僕は、彼女の指示に従って、くるくると丸めたそれに足先を入れ、脚の肌の上に慎重に伸ばしていった。
そして、ガーターベルトのストラップにそれをとめた。
 両脚を履き終わったあと、僕は、立ってそれを見下ろした。そこには、女の子にしか感じたことのないセクシーさを持つ脚があった。履いていることさえわからないほど薄い繊維で包まれたその脚は、すべすべと形よく、魅惑的だった。
「片手で足首を軽く握って、そこからそーっと上げてきてごらんなさい」
 ホリーが、ちょっとからかうように言った。
「気が狂いそうになるから」
 彼女が何を狙っているのかがわからないまま、僕はまた、まんまと彼女の罠にはまっていた。
 その手が腿に達するまでに、僕は、完全に勃起していた。
「どう? いい感触でしょ? あなたは女の子でいることがきっと好きになるって、あたし、言わなかったっけ?」
「べ、べつに、女の子の格好してることが好きなわけじゃないよ。ストッキングの感触がたまらなかっただけで。よ、要するに、素材の問題だろ。僕自身がそれを履いてるかどうかじゃなくて」
「なるほど。ま、今は、そういうことにしといてあげるわ」
 彼女は笑いながら言った。
「どっちにしても、週末には答えが出るわけだしね」

 例のパーティドレスで完全にドレスアップした僕の姿は、本当にホリーの妹のようだった。
 鏡の中の自分自身を見ているはずなのに、それが女の子にしか見えないというのは、奇妙な感覚だ。顔のつくりそのものは、たしかになじみがあるのに、それが、どう見ても男の顔には見えないのだ。だいいち、ドレスのネックラインからおっぱいがのぞいている男の子なんて、どこを探してもいないだろう。
 いろんなアングルから見るために、僕をゆっくりターンさせながら、ホリーは惜しみない称賛の言葉を浴びせてきた。
「すごいわ、フェイス! そのドレス、あたしより似合ってるくらい!」
 うれしそうなその声は、叫びに近かった。
 彼女の言うことはまちがいない。僕は、それを否定できなかった。
 今の僕は、どこから見ても彼女の妹だ。それは恐ろしいほどの真実だった。
 もしかして、男の子は、長い髪とメイクと、女物の服を受け入れさえすれば、簡単に女の子になれるということなのだろうか?
「両手をお尻の後ろで組んで、ちょっと首をかしげてみて」
 ホリーが言った。
 さっきから、命令されることに慣れてしまっていた僕は、すぐに彼女の言ったとおりにした。
 と、そこで、フラッシュが光った。見ると、彼女はデジタルカメラを掲げ、こちらに向けていた。
 それに気づき、僕は、いきなりパニックに陥った。
「や、やめろよ。写真を撮っていいなんて、言ってないだろ。もし、誰かに見られたら、なんて思われるか」
「なんて思うわけ?」
 ホリーは、肩をすくめてそう言うと、カメラの液晶画面を僕に見せた。
「これを、フランク・ジョーダンだと思う人は、まずいないと思うな。誰がどう見ても、きれいなドレスを着た美少女でしょ」
 その小さな窓を見つめ、僕は、ホリーの見解を否定しようとしたのだが、それは無駄な試みだった。そこにいるのは、まぎれもなく、ダンスパーティのためにドレスアップした魅力的な女の子なのだ。
 この女の子から実際の僕を想像できる人間は、この地球上に一人もいないにちがいない。
 そう思ったことが、僕を狂わせた!
 僕は、カメラを構えるホリーに言われるままに、さまざまなポーズをとっていた。
 誰も僕だと気づかないんなら、べつに何をやったっていいじゃないか。
 ホリーはいかにも楽しそうで、途中、二度もほおにキスしてくれたりしたので、僕もすっかりいい気持ちになり、女の子気分で彼女に協力していた。
 やさしく無垢な表情で、純情な女の子のカットを何枚か。次には、スカートの裾を持ち上げてちょっと脚を見せたり、ネックラインをずらして胸をのぞかせたり、そんなセクシーショットを何枚か。‥‥。

「イエーイ。すごいわ。あなたの秘密をもっと見せて」
 ブラックドレスを着た僕がセクシーなポーズをとると、ホリーはさらに煽った。
「そう、こっちに向かって、もっと『いけない女の子』の顔をして」
 頭を前に傾けた僕は、真っ赤な口紅の唇をすぼめ、そこに人差し指をあてて、上目遣いにカメラを見た。
「うーん、その目、すごーく色っぽい。すてきよ」
 ホリーもノリノリで、僕も、まるでグラビアモデルかなにかにでもなった気になり、完全に別の世界に入り込んでいた。
 気楽に話せそうな近所の女の子タイプ、男のだれもが気を引かれるちょいワル美人‥‥僕であることがわからないかぎり、写真の中で、僕はどんな女の子にもなれた。
 ホリーも、それにワクワクしているようだ。上手にやれば、また、キスのご褒美だってもらえるかもしれない。

「あ〜、このドレスが、あたしをもっとセクシーにする〜」
 ブラがのぞく挑発的な赤いベルベット・ドレスを着た僕は、ついに歌い出していた。
 ホリーの方も、デジタルカメラをハンディカムに持ち替え、僕のパフォーマンスを撮りつづけている。
「あ〜、あたしはセクシー・ウーマン」
 そのドレスを、足もとへと滑り落とし、黒いレースのブラをあらわにしながら、それに見合ったかすれ声で、僕は歌った。
 ホリーはこらえられないように笑い、ベッドに倒れて転げ回った。

「あなたって、すごいわ」
 僕がドレスをクローゼットに戻し、ランジェリーを脱いでいる間、ホリーは何度もそう言った。
「ねえ、もう、1週間も待つこともないでしょ。あなたが、女の子でいるのが好きだってことを認めちゃいなさいよ。これだけかわいくってきれいで、どの服も完璧に似合うんだもん。拒否する理由なんてないんじゃない?」
「言わせてもらうけど、今のはジョークみたいなもんさ。まあ、僕もノッてたのは認めるよ。でもそれは、君がキスしてくれたからやっただけ。べつに女装そのものを楽しんでたわけじゃない。女の子になりきるなんてことは、やっぱり好きになれないよ。それは、これからもずっと変わらないと思うな」
 ハリーなら、これで納得させられたのだろう。でも、ホリーでは、そうはいかないようだ。
「まだそう言い張るわけね。ま、いいわ」
 彼女は、まるで僕の本心を知っているとでもいうようにくすくす笑った。
「今夜は、とりあえず、ここまでにしときましょ。もう寝る時間だし」
「ナイトウェアも、君の言うとおりにしなきゃいけないんだよね」
 その言葉に、彼女がにんまりするのを見て、僕は賭けをしたことを後悔しはじめていた。
 彼女が引き出しから出してきたのは、思ったとおり、ベビードールタイプのネグリジェと、そろいのパンティだった。しかも、フリルでいっぱいだ。
「またあ。そんなの、やだよ」
「ううん、これを、着るのよ」
 彼女は、小さい子を諭すような言い方で言った。
「いい娘だから、言うとおりになさい」
「もう一回キスしてくれたら、言うこときいてもいいけど」
 と、にっこり笑いながら近づいてきたホリーは、僕のあごに手をかけてちょっと持ち上げた上で、おでこにチュッとキスした。
「そういう意味じゃ、ないよぉ」
 僕は、ついつい甘え声で言っていた。
「ふふ、かわいい子ね」
 彼女は笑いながら、そのネグリジェを差し出した。
「さあ、女の子なんだから、寝る前にしなきゃいけないことが、いろいろあるでしょ」

 メイクを落とし、もう一度カーラーで髪をセットされたあと、僕は、ちょっと情けない思いでベッドに座った。
 ベッドに触れる僕のお尻は、ペールピンクのフリルがいっぱいついたパンティで覆われている。上半身は、シルキーでネックが大きく開いた、おそろいのベビードールだ。レースで縁取られたその裾は、やっとパンティが隠れるくらいしかない。
 と、ホリーが、口笛を吹いた。
「すてきなおっぱい! これだけホットな子が、まだ彼氏もいないなんて、信じられな〜い」
「君は、男を傷つけるものの言い方を、ほんとによく知ってるよ。デートの相手(dates)に対しても、いつもそんなふうに自信満々なんだろうね」
 僕は、ぐるりと取りまくきついカーラーを気にしながら、枕の上に頭をのせた。
 ホリーもベッドに入りながら、ほほ笑み、ペロリと舌を出した。
「この賭けはあなたの負けだろうけど、あなたの言ってることは正しいわ。あたしは、賭けの期限(a date)に自信を持ってるもの」
 もちろん、彼女が旧友のハリーであることはわかっている。でも、彼女のほほ笑みには勝てそうにない。恐ろしいことだが、僕はやはり、彼女に恋してるようだ。

 カーラーの痛さに耐え、なんとか眠りにつくことはできたものの、たいした睡眠時間もとれないうちに、僕はラジオの音で起こされた。
「まだ6時半じゃないか。なんでこんな時間にタイマーをセットしたんだよ」
 僕は、はっきりしない頭で抗議した。
「学校が始まるのは8時なんだろ。教室までは、歩いて5分もかからないんだし。いい子だから、7時半にセットし直してよ」
「男の子なら、7時半に起きて8時の授業に間に合うわ。でも、あたしたちは男の子じゃないのよ。忘れたの? 髪の毛をセットして、メイクして、それから、7時15分過ぎには、この前の女の子たちとカフェテリアで落ち合う約束よ」
「ふー、あのおしゃべりが、毎朝、ずっと続くわけね」
 そう言いながら、僕はパンティで包まれたお尻をもぞもぞと動かし、起きあがった。
 ‥‥あっ、神様! お尻でサテンがこすれるとき、僕はヨルダン(Jordan)を渡ります。
 自分がそんなふうに感じたのに驚き、僕、ジョーダン(Jordan)は、ハッと目覚めた。(※)
 (※訳注 聖書の『出エジプト記』では、ヨルダン川の向こうに「約束の地」があるとされる 主人公の姓と綴りが同じ)

 起き出した僕は、とぼとぼとバスルームへと入り、小用を足した。
 ゆうべ、あんなファッションショーを経験しているというのに、両腿の間にからみつくフリルだらけのパンティや、その向こうにかいま見えるペディキュアされた爪には、やはりどぎまぎする。
 ‥‥いや、わざわざきかなくてもいい。その前に白状しよう。腿にかかったパンティや足の指が目に入っているということは、僕は、座った姿勢でおしっこしているということだ。
 僕はもうすでに、これが習慣になっていた。もし、立ってしていようものなら、ノックが習慣になっていないらしいホリーが入ってきた時、また、ぶちぶち言われるからだ。
「どう? よく眠れた?」
 ほら、やっぱりホリーは、ノックなしで入ってきた。
 こちらの方がそれに文句を言いたいのはやまやまだが、そんなことを言えば今度は、「だって、女の子どうしでしょ」とかいう言葉が返ってくるのも目に見えていた。
 たしかに、彼女は今や女の子かもしれないし、じつは僕も、そう思いたがっているところがある。でも、僕自身はそうじゃない。そんな言葉を聞くのは耐えられないのだ。
「あんまりよくは眠れなかったけど、カーラーに枕をどうあてたらいいのかだけはわかったよ」
 歯を磨きはじめたホリーに、僕は愚痴った。
 神よ、歯磨きとともに揺れる彼女の胸から目が離せない僕をお許しください。
「それにしても、これは、毎晩、がまんしなきゃいけないことなのかな?」
「そうでもないわよ。たとえば、親にねだって、ホットカーラーを買ってもらえばいいわ。もっと短い時間でセットができるはずよ。それとも、思い切って、パーマをかけるとかね」
「パーマ? それって、パーマネントの短いのだよね?」(※)
 わかっているが、きいておかなければならない。
 (※訳注 短縮形であるという意味と、‘parmanent’=「永遠」より短いという両方の意味できいている)
「そうね、パーマネントって言っても、実際には永遠じゃないわね。かければ、スタイリングも簡単になるし、型くずれもしなくなるけど、もつのはだいたい2ヵ月くらいかな。どっちにしても、あなたがここにいる期間よりは、ずっと短いわ」
「すごい、僕は女の子の服に縛りつけられるだけじゃないんだ。最後は、シャーリー・テンプル(※)みたいになっちゃうわけだ」
 (※訳注 1930年代のアメリカ映画の名子役 髪はくりんくりんの天然パーマ)
「馬鹿ね、なんにも知らないのね」
 ホリーは、そう言って笑った。
「スタイルもウエーブの大きさも望みどおりの形にできるわよ。あたしも結婚式の前にかけたけど、あたし、シャーリー・テンプルに見えた?」
 たしかに、あの夜のホリーは、シャーリー・テンプルより数段魅力的だった。
 カーラーで痛む頭皮をなでながら、僕は、一度試してみようかと思った。
 ‥‥えっ、何考えている? 女装で過ごしたこの悲惨な2日間のせいで、僕は、女の子のように考えはじめてるのか?
 そう思い、あわてて頭から手を離した。
「まあ、いいや。自分でなんとかするよ」
 僕はぶっきらぼうに言った。
「これ以上、女の子っぽいものの中に首を突っ込みたくないからさ」
「何を逃げてるのよ。ここにいるかぎり、逃げられないのは、もうわかってるでしょ」
 彼女も、僕と同じくらいぶっきらぼうに反論した。
「逃げてれば、けっきょくは、自分がたいへんな思いをするだけよ」
 これ以上口論しても無駄だろう。こんな言い争いは、いつも、僕がこの状況の中に縛られていることがはっきりするだけで、僕自身が落ち込む結果にしかならない。
 僕は肩をすくめ、自分の歯を磨いてから、ホリーが僕の制服を準備してくれるのをおとなしく待った。

 グレーのプリーツスカート、白のブラウス、えび茶色のジャケット、ローヒールの黒いローファー、そして、白のニーソックスという制服は、いかにも「女学校」らしい清純さだった。でも、その下に着けるためにホリーが選んだ下着類からは、彼女の意図が見て取れた――白いサテンのパンティは腿のまわりをレースで取りまき、ブラも、ウエディングドレスなみにレースが使われていた。
「1週間は、あたしの選んだ服を着るのよね」
 彼女は、楽しそうに確認した。
「そして、あたしの妹は、女の子そのものになる」
 僕は、そのパンティに足を通しながら、ホリーの目の前で勃起しないことを祈った。次のブラは、僕のにせ物のおっぱいをしっかり支えてくれる感じで、着け心地は悪くなかった。僕がきのう学んだことを覚えていて、手助けなしでそれを着けたことを、ホリーは喜んだようだ。
「これは、スカートがまとわりつくのを防いでくれるわ」
 ホリーはそう説明しながら、裾の部分を数インチのレースで取りまいた白いハーフスリップを手渡した。
 僕は、ゆうべのファッションショーですでにスリップを着ていたから、迷うこともなくすぐに身につけ、ソックスを履くために椅子に座った。
 ただ、そこで、スリップがパンティの上をなでた。どうやら、その時の僕の反応を、ホリーにしっかり見られたようだ。
「ふふ、その感触、好きなんでしょ?」
 彼女はくすっと笑った。
「今、体がぴくんと震えたもんね」
「さ、さあ、なんのことだか」
 僕はそれを無視しようとした。でも、それはあえなく失敗した。冷静に振る舞おうとしていたにもかかわらず、僕自身が、スリップの生地を通した肌の感触が味わいたくて、その上から腿のあたりをなでていた。そして、ホリーはそれを、やはりめざとく見た。1000分の1秒単位の一瞥だった。
「ふふ、どうやらこの町にまた一人、女の子っぽい女の子が誕生したみたいね」
 僕が自分のしたことを取り繕っていると、彼女はそう言って笑った。
「今週の終わりまでには、あなたは、フランクとかなんとかいう男のことを、すっかり忘れてるはずよ」
「そ、そんなこと、ないよ」
 僕は、ブラウスのボタンをかけ、制服のスカートを履きながら、虚勢を張った。
「体の反応がすべてを表すってわけじゃないだろ。とにかく僕は、オカマの仲間なんかには、入りたくないんだから」
 と、ホリーは、僕の体に腕をまわし抱いてきた。
「心配しないで。あなたはちゃんと女の子になれるわ。オカマなんかじゃなくね」
 彼女は勇気づけるとでもいう口調で言った。
「実際の体がどうであろうと、これから2年間、あなたは、好きなだけ女の子になっていいのよ。誰もあなたを笑いはしないし、誰も正体を暴いたりしない。それが、グレート・インディアン・リバー教の美徳よ(※)。武骨な男らしさなんて捨てて、リラックスして楽しむの」
 (※訳注 原文は“That's the beauty of Great Indian River Faith”「グレート・インディアン・リバーを代表する美人よ、フェイス」とも読める)
「たしかに、女の子になりきれば楽しめるのかもしれないけど」
 本当はそのまま抱かれていたかったのだが、僕は彼女から身を離した。
「残念ながら、僕は、女の子になんかなりたくないんだ」
「もう一度だけ言うわね、お馬鹿さん。誰もあなたに、将来にわたって、女の子になれなんて言ってないのよ。たとえ、あなたが女の子の服を着るのが好きになったとしても、それは一生女の子になるってことじゃない。ここでは、男はみんな女の子の服を着て、女の子のように振る舞ってるけど、実際に、私みたいに性転換まで考える人は多くないわ」
「もう聞きたくないよ、そんな話」
 僕は、同じようなことばかり言っている彼女に、本当にいらだっていた。毎日毎日、僕は女の子であるべきだと繰り返されるなんて、もう、うんざりだ。
 ホリーは、その顔に寛容のほほ笑みを浮かべて言った。
「あたしはちょっと、背中を押してあげようと思ってるだけ」

 女の子として学校に行くということは、多くの新しい習慣を身につけるということだった。
 僕は、教科書を胸のあたりに抱えて歩き、腰掛けるときはいつでもスカートの後ろをなでつけた。もちろん、ホリーから、何度も、女らしく行動しろと言われたからでもあった。
 最初、教師から「フェイス」とか「お嬢さん」とか呼びかけられたときは、顔が火照る思いだった。でも、一日の終わりまでには、それにも慣れていた。午後の最初の授業で出席をとられた時、にっこりほほ笑んで手を挙げたのには、自分自身驚いた。
 授業が終わり、ひとり部屋に戻ったところで、僕はすぐに宿題をやり始めていた。他にやることがなかったからではあるが、こんなことは初めてだった。
 じつはその前に制服を着替えようかとも思ったのだが、なんだか、このままでいる方が快適な気がした。それに、例の賭けでは、僕の着るものを決めるのはホリーということになっているのだ。勝手に服を選ぶわけにはいかない。僕は、決めた事は守る人間だ。
 いずれにせよ、こんな「女子校」に閉じこめられ、女の子の制服を着て過ごすとなると、自由時間と言ったって、やれそうなことはほとんどない。だからこそ、気が散らないで宿題に集中できるのかもしれない。
 ホリーが部屋に戻ってきた時までには、僕は2教科の宿題をかたづけ、おまけに、明日の授業すべての予習まですませていた。
「あたしたちって、こんなにまじめな子だったっけ?」
 明日の授業の教科書がすでにカバンの中に揃えられているのを見て、ホリーがからかった。
「うん、なんだか変なんだ。宿題を全部かたづけて、予習までしちゃったんだから」
 僕はほほ笑みながら、肩をすくめた。
「前にはこんなこと、ぜったいなかったのに。授業も、そんなにむずかしい感じがしなかったし」
「もしかしてそれは、あなたが初めて、ワルであることのプレッシャーから解放されたからじゃない?」
 ホリーは、そうコメントした。
「あたしも、今の方が格段に成績いいのよね。ずっと勉強好きになってるし」
 「ワルであることのプレッシャー」というのは、変な言い方だと思ったが、ここにはそんなプレッシャーがないという彼女の見方は、なんだか当たっているような気がした。
 以前、僕は、授業中にふざけて授業をめちゃくちゃにしてしまうのが常だった。でも、それは、ある種、みんなが僕に期待する役割を演じていただけだった気もする。今日は、女の子の一人として一日を過ごし、授業中に叫声を上げたり、板書する教師の背後で紙飛行機を飛ばしたりということを、誰からも期待されてはいなかった。その代わり、先生のいうことに集中し、そのおかげで、授業の内容にも興味を持てたのだ。
「うん、それ、あたってる気がする。今日は、本当にどの授業も面白かったもん」
 僕が肩をすくめると、ホリーは驚いた顔で見た。
「授業に集中してたから、着てるもののこともあんまり気にならなかったんだ」
「女の子の格好してるのを忘れてたっていうこと?」
 彼女はさらに驚いたようにきいた。
「まあ、席を立って、教室を移動する時以外はね」
 僕は、口の中でもぐもぐ言った。顔がちょっと火照った。
「動くと、どうしても、スリップとかのせいであそこが‥‥。それで授業中は、そのことを忘れるためにも、じっと集中してたんだ」
「そういえば、あたしがここに来たばっかりの時も、おんなじ思いをしたわ」
 彼女は、同情するように笑った。
「ストッキングで脚を組めるようになるまで待って。それだったら、一気にイケるから」
 その言葉に僕らは笑い合い、そこから、ホリーがここに来た当時の話になった。どうやら彼女も、今の僕と同じような問題を抱えていたらしい。
 そんな話をしながら、僕は、制服のスカートとブラウスをクローゼットに掛け、パンストを履き、それから、ネックラインをラッフルで飾ったライトブルーのワンピースを着た。そのあとホリーは、白いハイヒールを用意してくれ、メイク直しもしてくれた。
「うん、悪くないわね。じゃあ、かわいい妹に、学校の中を案内してあげようかな? 行かない?」
 ホリーとともに外に出かけるか、それとも、ひとり部屋の中で退屈な時間を過ごすか、そのどちらかを選ばなければならないということだろう。
 もう宿題も全部終わっているし‥‥、だけど、制服以外の女の子の服で部屋を出て行くのは何だか恥ずかしいし‥‥。
「これだけおめかししてるんだもん、どこかに行きたいってことでしょ」
 ホリーは、そうからかってきた。
「だけど、それには、もうワンアイテム必要よね」
「ワンアイテム? ワンピースは着てるし、メイクやマニキュアもしてるし、髪もきれいにしてるし、他に何がいるの?」
 ホリーは、にっこり笑うと、青いリボンを取り出し、僕の髪をポニーテールにまとめてくれた。
 鏡で見たその姿は、前の学校の女の子たちが、なにか特別の日にしていた服装と同じだった。
「どう? 気に入った?」
 ホリーは、鏡に見入る僕にきいた。
 なんと答えたらいいんだろう?
 正直、この格好が好きなのかきらいなのか、よくわからない。
 だだ、この服装が体に伝えてくる感覚は、ふわふわと軽い。ワンピースを着、ブラとスリップを着け、パンストとパンティを履いているのに、肌をくすぐるそんな感覚が、体自体を軽く感じさせるのだ。それは、たしかに心地よかった。
 ホリーはすでに、僕がスリップとパンティがこすれる感触を楽しんでいたのを知っている。それ以外の衣服を気持ちいいと感じることを話したところで、今さら、さほどのちがいもないだろう。
 僕は、思い切って飛んでみることにした。あとは、彼女が僕のことをわかってくれる友人であることを願うのみだ。
「うん」
 僕は、彼女に笑い返し、ポニーテールが揺れる感触を確かめながら、うなずいた。
「これ、すごく、かわいい‥‥気がする」
 とたん、ホリーは、僕をきつくハグし、ほっぺたにキスしてきた。
「女の子ね、フェイス」
 その声は、うれしそうに弾んでいた。
「そうよね。女の子でいたいんなら、こんな服が似合う子がいちばんよね」
「い、いや、まだ、そこまでは‥‥」
「あら、またいつもの文句? そんなことばっかり言ってると、愚痴をひとつ言うごとに、約束のキスを1回ずつ減らしちゃうわよ。あなたが勝ったらって話だけど」
「い、言わないよ。約束する」
 僕は肩をすくめた。
「もちろん、勝つのはこっちなんだから」
 彼女がそう思っていないのは、僕にもよくわかった。でも、彼女が反論してくる前に、ドアをノックする音が響き、会話は中断した。
 ホリーは、ほほ笑んでドアを開けた。
 入ってきたのはあの女‥‥ドラゴンレディ‥‥ミセス・ウイリアムズだった。
 僕は、とたんに緊張した。
「こんばんは、お嬢さんたち」
 そう言って彼女はほほ笑んだ。彼女の微笑を見たのは、最初の日以来二度目だが、やはり微笑という感じはしない。
「二人とも、今夜はすごくかわいいですよ」
「ありがとうございます、ミセス・ウイリアムズ」
 ホリーはにっこり笑ってそう言い、僕をつついた。
「あ、は、はい。ありがとう‥‥というか‥‥」
「ホリー、あなたはフェイスのビッグ・シスターとしてすばらしい働きをしていますね。私は非常に感銘を受けています」
 ミセス・ウイリアムズは、プライドが高そうな姿勢を崩さず言った。
 そして、僕の方を向いて、ふたたび微笑した。
「さっき、あなたの授業を受け持った先生方と話しました。彼らは、彼らの新しい生徒についてほめていましたよ。私も、それを聞いてとても喜んでいます。私は、あなたがここにうまく適応できるかどうか、多少心配していました。でも、それは取り越し苦労だったようですね」
「彼女、授業が楽しかったそうです。‥‥ね、そうでしょ」
 ホリーは、今度は、僕がよろめくほどつついてきた。
 それを見て、ミセス・ウイリアムズは思わず声を出して笑った。
「ホリー、彼女は自分で答えられると思いますよ」
 もちろん、僕は答えられたはずだ。ドラゴンレディのほほ笑みを二度も見たことで、舌がこわばってさえいなければ。
「えっ、あ、は、はい、た、た、楽し‥‥かったです」
 僕は、彼女の微笑の方が、しかめ面より怖かった。すぐにでも、とって食われそうな気がする。たぶん彼女は、こちらを油断させて、すきをうかがっているにちがいない。
「そんなに緊張しなくてもいいですよ、フェイス。私は、あなたが思っているほど、陰険な人間ではないのですから」
「い、いえ、ちょ、ちょっとヒールが‥‥」
 僕はごまかした。
「ヒールに慣れないんで、足が痛くて。それだけです」
「わかりますよ」
 彼女は、またほほ笑んだが、今度の微笑はちょっと暖かいものに思えた。
「あなたたちの女の子っぽい姿を見ているのは、とてもすてきです。これからも、今の調子でつづけてくださいね、ホリー」
 それだけ言って出て行ったミセス・ウイリアムズを見送ったところで、僕はささやいた。
「いったいなにかと思ったよ。でも、思ったよりやさしかったね。まだ、信用はできないけど‥‥」

「あなたは、わかってないのよ」
 レクリエーション・エリアへ向かう途中、ホリーが言った。
「そのうち、気がつくわ。ミセス・ウイリアムズはとても心が広くて思いやり深い人だって」
 レクリエーション・センターは巨大な施設だった。
 バスケットボールのコートやプールなどスポーツ施設の他、ゲームルームやビリヤード台まであった。
「ハーイ、フェイス。すてきな服ね」
 昼間、授業でいっしょになり、顔だけは覚えている女の子が近づいてきて、ワンピースをほめてくれた。
「ありがと」
 僕は、思わずほほえみ返し、お礼を言っていた。
「ねえ、ホリーから聞いたんだけど、ビリヤードが得意なんでしょ。いっしょにやらない?」
 彼女はビリヤード台を示しながら誘ってきた。
「ワンピースとヒールでなんて、一度もしたことないけど‥‥」
 僕はビリヤード台に近づきながら、笑って言った。
「それはそれで、ちょっと新鮮かも」
「今のあなたにとって、女の子の服でやることは、なんだって新鮮だと思うわ」
 彼女もそう言って笑い、球を打ち始めた。
「まあ、すぐに慣れて、新鮮味はなくなるけどね」
「だけど、やっぱり、そんな簡単には慣れそうにないみたい」
 ヒールのせいでバランスを崩しミスショットした僕は、悔し紛れに、そう言い訳した。
 ジルというその新しい友だちは、むずかしいショットをいとも簡単に入れてみせた。でも――言い訳がましいかもしれないけれど――、彼女は僕とちがい、平靴とショートパンツなのだ。
「もっと、ショットに集中しなきゃ。服のことなんか気にしなくてもいいのよ。ここでは誰も、あなたの格好をじろじろ見たりしないから。町では、女の子の服だとどうしても気が散っちゃうけどね。デートでビリヤードをやる時なんて、彼がタフ・ショットを打ったあととかに、ビリヤード台の縁にお尻をのせて、わざとらしくない程度に脚を見せたりしなきゃいけないから」
「女の子がそんなつもりでいるなんて、考えてもみなかったよ」
 僕は、首を振りながら笑った。
「何度も言うけど、なにしろ、女の子の服とヒールで、ビリヤードなんてやったことないから」
 ジルと僕はすぐにうち解けて、笑い合い、愉快な時間を過ごした。僕は気楽にビリヤードを楽しみ、ジルの方は、スコアが開きすぎないよう、簡単なショットをわざとミスしてくれていたようだ。
 数時間のうちに、僕は、自分が女の子をやっていることすら忘れていた。
 しかし、部屋に戻るとすぐ、ホリーは、意外な事実を教えてくれた。それは、僕の置かれている状況を思い出さざるを得ないものだった。
「ジルも、親がここに連れてくる前は、ずいぶんな問題児だったそうよ。学校をさぼってケンカばかりして、ロサンゼルスでいちばん凶暴なストリートギャングの一味に片足突っ込んでたんだから」
 僕は、ホリーの言葉が信じられなかった。あのジル‥‥僕とのゲームをつづけるために、わざわざミスショットしてくれた女の子‥‥すべての母親が思い描く理想の娘といってもいい‥‥あのジルが、そんなふうだったなんて、とても想像できない。
「それってほんとに、さっきまでいっしょにビリヤードをやってたあの子のことなんだよね? 彼女は、世界でも何人もいないくらいやさしい人だと思うんだけど」
「今度、彼女に聞いてみるといいわ。3人の男をぶちのめして、病院送りにしちゃった話を」
「えっ? だって彼女って‥‥、身長5フィート(約152センチ)くらいだよ。暴れん坊のハムスターをやっつけたって話だって信じられないよ」
 僕は思わず笑ってしまった。実際、相手が誰であれ何であれ、あのジルが戦っているところを想像すること自体がむずかしかった。
「3人の年上の男の子たちに重傷を負わせたその暴れん坊の12歳は、じつは、彼自身の心の中に潜む思いを必死に隠すために暴れてたらしいのね。女の子のかわいい服を着てみたいって抑えがたい気持ちを、誰かに見破られるんじゃないかって、それを恐れてね。ある時、彼の両親が、彼をカウンセリングに連れて行った。そこで彼らは、面白いものを見ることになった。カウンセラーの指導に従って、彼の妹のかわいいドレスやペチコートやパンティを身につけさせたとたん、これまでさんざん手を焼いてきた男の子が、素直でかわいいレディになっていた。とはいえ、彼の両親は、もし、近所の人にそんな姿を見られ冷やかされたら、彼がその相手を殺しかねないということもよくわかっていた。そこで両親は、彼が気兼ねなく女の子でいられるようにって、ここへ連れて来たってわけ」
「ふうん。でも、面白いよね。むかし、彼から逃げまわってた男の子たちだって、今はきっと、彼女に近づきたくて必死になるよ」
 ホリーの話は、作り話ではないだろう。僕がジルに確かめることは簡単だ。そんなうそをつけば、ホリーは僕の信頼を失い、ビッグ・シスターでいることだってできなくなるのだから。
「だけど、ジルや君みたいな子はそれでいいとして、僕みたいな男の子‥‥つまり、実際は女の子になりたいわけじゃないって子たちは、どうなのかな? 本当にここを、男として出ていくの?」
 それは、ここの女の子たちを見て、ずっと持っていた疑問だった。
「去年、ここを卒業した女の子は25人いるのね」
 ホリーは、まずそう説明した。
「そのうち、24人の男が大学へ行った。つまり、フルタイムの女の子にとどまったのは1人だけよ。これまで何度も言ったでしょ。もし、あなたが望まないんなら、ずっと女の子でいつづける必要なんてないんだって」
「でも、そこが怖いんだ。もし、ここにいる間になにかが起きて、本当の女の子になりたいって気になっちゃったら‥‥」
 と、ホリーは僕の隣に座って、僕の体を抱いてきた。
「それは、あなたが思ってるほど簡単なことじゃないのよ」
 彼女はそう言いながら、僕のほおをなでるようにした。
「あたしを例にとって話すわね。あたしが自分は女の子になりたいんだと気づいたあとも、それが簡単に許されたわけじゃないの。たくさんの心理テストと医学検査を受けて、そのすべてをパスしなければならなかった。2年前にその決定が下されて、今は性転換手術を待ってるわけだけど、その決定が出たあと、あたしは、完全に女の子として生きることが義務づけられた。服装、行動、学校へ行くことや働くこと、そのすべてにおいてね。それに、かつて自分が男だったことを忘れる努力も必要だった。あたしは今、毎分毎秒、1日1日、できるかぎり女の子であろうとしてるわ。ホルモンは、あたしを女の子に見えるようにはしてくれるけど、それだけでどうなるものでもないの。女の子としてきちんと適合できるかどうかは、あたしの努力にかかってるのよ。自分がその気にならなきゃぜったいに無理。本物の女の子になるって事は、他の誰かが力ずくで強制してできるようなことじゃないわ」
「信じていい?」
 僕は、鼻をすすり上げながらきいた。
「ええ、信じて」
 彼女は、僕のほおにキスした。
「さあ、そろそろ、寝る前の準備を始めなきゃね」

 僕は、バブルバスがすっかり気に入ってしまった。
 バスタブにもたれ、お湯の中に体を浮かせていると、これまで思い煩っていたことから解放されていく気がする。
 女の子でいなければいけないのは、一生ってわけじゃない。いずれここを出れば男に戻れるのに、なにも今、急いで逃げ出す必要もない。‥‥。
 1時間後、ホリーは僕の肩を揺すり、起きろと告げた。
「このまま、入ってちゃだめ? ものすごく気持ちいいんだもん」
 僕は、甘えた声で言っていた。
「お願い。明日の朝まで、ここで寝かせといて」
「ダメよ。寝る前に髪をセットしなきゃいけないのよ。この湿気の中に朝までいたら、スタイリングもうまくいかないし、すぐ崩れるわ」
 その言葉にいやいやバスタブを出た僕は、バスタオルをとると、何の気なしに、それを胸のところから巻いていた。
「いいわよ、フェイス」
 バスルームを出たところで、ホリーが手をたたくようにした。
「あなた、女の子ね」
「えっ? あ‥‥、な、なんで、こんなふうにしちゃったんだろう?」
 僕はおどおどつぶやいた。
「なんか、僕、おかしくなってる」
「たぶん、あなたの中でなにかが起きてるのよ、フェイス」
 ホリーは、そう言ってほほ笑みかけてきた。
「他の女の子たちを見たり、あなた自身が人から見られることで、少しずつ、女らしい仕草や行動が身についてきてるのね。たとえば、腰掛けるときはスカートの後ろをなでつけて、座ったあとも膝をきちっと揃えてるでしょ。それは、まわりの女の子たちがそうしてるから。そして、あなたも自分自身その一人だと感じてるから。あなたは他の女の子たちを見て、どうしたらあんな髪型になるのかとか、どうやったらあんな服が着こなせるのかとか、考えはじめてるんじゃない?」
「そ、そんなこと、考えてないよ‥‥考えるわけない、だろ。だ、だって、僕は、男なんだから」
 僕は、なんだか自分が壊れていくような気がした。そして、そのせいで、急に涙が溢れ出した。
「泣かないで、かわいい子ね」
 ベッドで僕の隣に腰掛けた彼女は、やさしい声でなだめるように言った。
「2年後に、あなたはここからいなくなる。その時は、スカートのこともヘアスタイルのことも、忘れられるのよ」
「で、でも、もし忘れられなかったら?」
 僕は、自分が女の子であることが好きかもしれないという恐れの最も深い部分をさらけ出しながら泣いていた。
「そしたら僕は、どうなっちゃうの?」
 ホリーは、僕のことをきつく抱いて、頭にキスしてきた。
 彼女は僕を、まるで小さい子供のように扱っていた。でも僕は、それに少しも腹が立たなかった。逆に、自分が大切にされているという感覚に、心地よさを感じていた。
「もし、あなたがそれを忘れられないとすれば、それは、あなたが忘れることを望まないからでしょ。その時は、あなた自身で選べばいいの。たぶん、疑問の余地なく選べるはずよ。パートタイムの女の子として、ときどき女装を楽しむか、それとも、自分らしく生きるために性転換するか? どっちを選んだとしても、あたしは、妹の選択を心から応援するわ」
 ホリーの腕の中で、僕は自分が暖かくて安全な場所に守られていると感じていた。そして、これはまちがいなく、彼女が女の子であることの証しだろうとも思った。
 僕は顔を上げ、笑いかけた。
「ホリー、君はきっと、いいママになれるね」
「ふふ、それじゃあ、あたしのかわいい妹に、おやすみ前の準備をしてあげましょうね」
 彼女はほほ笑み、もう一度キスしてくれた。
「忘れないでね。賭けはまだ進行中よ。あたしは、週末までに、あなたを女の子っぽい女の子にしなきゃいけないんだから。もう、それだけの時間は必要ない気もするけどね。あなたが、自分は女の子だって言う時が待ちきれないわ」
 僕はまた、そんなことはありえないと反論しようかと思った。でも、僕の中のなにかが、それをためらわせた。
 ことに、ホリーが白いシルクのベビードールを差し出した時には、僕の信念は完全に揺らいでいた。そのベビードールは、そで口も裾も数インチのレースで縁取りされ、繊細なピンクのリボンがネックラインに沿った形で通され蝶々結びされていた。
 パンティの方は、さっきまで履いていたのと同じサテンだったが、通常のデザインとはちょっとちがっていた。上の部分に着けられたゴムバンドから生地がふくらみ、お尻を丸く包んで、両脚のつけ根あたりを囲むレースのところですぼまっている。もちろん、お尻の部分にも、三段のレースのラッフルがつけられていた。
 それを見た瞬間から、僕が、早く着たいと思ったのを、ホリーは気づいたろうか? まあ、奪うように受け取り、あわててタオルをはずして洗濯かごに放り込んだんだのだから、バレバレだったにちがいない。

 僕は、パンティを履くときにその生地が脚の肌をすべる感触や、頭からかぶったネグリジェが体を下りてくる感触が好きだ。それは、僕の体の中の神経繊維1本1本を細かく震わせる!
 鏡の前に立った僕は、髪をふわっと持ち上げ、さまざまなポーズをとっていた。
「ふふ、自分のことを、ものすごく女の子っぽい女の子だって感じてるんでしょ?」
 背後から、ホリーがきいてきた。
 振り向いた僕は、照れ笑いした。
「女の子だって感じてるわけじゃないよ。この感触が好きなだけ。そうさ、それだけだよ」
「それが、すべての始まりなのよ」
 彼女はそう言って笑った。
「次には、かわいいドレスを選んだりお化粧したりすることが好きになる。その次はなんだかわかる? 町で、男たちを狂わすのに心ときめかすようになるの」
「そんな‥‥、ありえないよ」
 僕は、もう一度鏡を見ながら言った。そこに映る姿に、ちょっとワクワクしたのはたしかだ。
「今も言ったけど、僕は、こんな服の感触を気に入ってるんだ。それで終わり。それより先には行かないよ」
「ほら、見て、フェイス。あなたは男の子でいるには、かわいすぎるでしょ。あなたの中に、女の子の気持ちが芽生えてきてるはずよ。あなたは、それを受け入れるのが怖いだけなんじゃない?」
「なにも、怖がってなんかいないよ」
 僕はほほ笑みながら、ベビードールの裾の乱れを直し、きれいなレースがよく見えるようにした。
「僕がシルクの生地から受ける感触を楽しんでることは認めるよ。でも、これは、女の子になりたいって気持ちとはぜったいにちがうよ」
「あたしも、3年前は、そう思ってたわ」
 ホリーは、ほほ笑みながらうなずいた。
「でも、このごろよく思うのは、どうせなら、もっと小さい頃から女の子として育ちたかったってことね。たとえばね‥‥、ちっちゃな女の子のあたしはパフスリーブのかわいいパーティドレスを着てるの。細いウエストに巻いたサッシュが背中で大きくリボン結びされてる。スカートをふくらませてるペチコートは、全部シルク製で、1枚1枚の裾にもシルクのレースが着いてるのよ。その下に履いたパンティもシルクでラッフルがいっぱい。そこから出たかわいい脚に履いてるのは、足首にレースの折り返しがあるソックスと、ぴかぴかに磨いた小さなバックルシューズ。ね、かわいいと思わない?」
 その言葉に導かれるように、僕の心の中でもイメージが浮かび上がっていた。
 僕は、キュートで小さな女の子。髪は、ドレスとおそろいのかわいいリボンで結われ、頭の両側で2本のポニーテールにまとめられている。
 ドレスがうれしくてくるくるまわる僕の姿を、ママとパパは、どこか誇らしげに見つめている。
 スカートがふわっと広がったせいで、その下から、レースで縁取られたペチコートやパンティがのぞく。
 なんの罪もない平和な家族写真。その中で僕は、初めてのパーティのために着たドレスの、柔らかですべすべした感触に幸せを感じて、にっこりとほほ笑んでいる。
 僕は、パパのちっちゃな恋人、ママの大切な宝物。
 ‥‥。
 僕の顔に、思わずほほ笑みが浮かんだ。しかし次の瞬間、そんなイメージが吹き飛んだ。なんと、僕の例のやんちゃ坊主が、むくむくと首をもたげはじめたのだ。
 そしてホリーは、そんな僕の変化を見逃してはくれなかった。
「ふふ、どうやら誰かさんは、自分が女の子だって考えることが好きみたい」
 彼女は、僕のパンティの一部が大きく出っ張ってくるのを見つめながら、くすっと笑った。
 僕は、そのやんちゃ坊主をもう一度眠りにつかせようと、必死になにか他のことを考えようとした。でもホリーは、僕のそんな思いに気づいたらしく、ふたたびそのイメージの中に僕を引き込んだ。
「その誕生日パーティのドレスを買いに、あたしは、ママといっしょにおめかししてお買い物に行ったはずよ。それもきっとすてきだったでしょうね。あたしは、かわいらしいピンクのパンティを履くの。いつも履いてるのとはちがう、お出かけ用にとっておいたやつ。すべすべのナイロンでできてて、足の出るところにひらひらのレースが縫いつけてあるのよ。それがあんまりすてきだから、あたしはお気に入りのサンドレスを着ることにしたわ。ものすごくキュートなストラップのついてるやつね。折り返しがレースになったソックスを履いて、靴は白のメリー・ジェーン。ちっちゃなバックルがかわいくって、前からお友達に自慢してたの。あたしがずっといい子にしてたから、そのごほうびに、ママが初めて口紅を塗ってくれたわ。それで町を歩くと、みんなからお姉さんに見られてる気がして、ワクワクするのよ」
 ‥‥クソッ。その話のせいで僕は、部屋の温度が急に上がったように感じていた。実際、額にビーズのような汗が浮いていた。
 僕は、自分がこれ以上恥ずかしい状態に陥る前に、逃げ出したいと思っていた。それなのにホリーは、ただ言葉だけで、僕をとりこにしていた。
「マミーとあたしは、家の近くの大きなデパートに行くの。たしか、ディロンズ(※)って名前よ。そのデパートに入っていくと、あたしみたいなちっちゃい女の子にぴったりの、かわいい服やかわいい小物がいっぱいあるの。あたしは夢中になって駆けていって、夢のようなドレスをふたつ選ぶの。それを試着して出てくると、マミーも店員さんたちも、なんてかわいいんでしょうって言ってくれて、いい子だってほめてくれるのよ」
 (※訳注 ‘Dillons’デパートというより、さまざまなインショップが入ったスーパーチェーン 小さい女の子なのでそれをデパートだと思っている)
 僕はただおろおろしていた。
 パンティに手を伸ばし、そのやんちゃ坊主を楽にしてやりたいという思いはやまやまなのに、もしそんなことをすれば、ホリーは飛び上がって喜び、僕に、自分が女の子だと思うことが好きだと認めさせるにちがいなかった。
 僕はきょろきょろと目を動かし、バスルームに駆け込むすきをうかがった。ところが、それを察したらしいホリーは、僕とバスルームの間に立ってしまった。
「も、もうやめようよ、ホリー」
 許しを請うその声が、苦しみにもがくようなものになっていた。
 僕は、下半身にたまってくるうずきを解放してやらなければならなかった。でも、バスルームとの間に彼女がいるかぎり、そのチャンスは得られそうにない。
「フェイス、あたし、なにかあなたを困らせてる?」
 ホリーは、あきらかにおためごかしにきいてきた。
「ごめんなさい。ちょっと夢中になっちゃったみたいね。自分がちっちゃな女の子だったって考えるのが、あんまりすてきだったから。でも、そんなこと考えてもしょうがないわね。今のあたしにはもう無理なんだから。もっと前向きにならなきゃね。これからの夢だったら、いくら持ってもいいでしょ。どんな女性になりたいかってこと。女であるってことは、すごくすてきなことよ。自分がセクシーで女らしいって感じられる、いろんな種類の服が思う存分着られるのよ。ここへ来た頃、どうしてあんなに、女の子であることをいやがったのか、今考えるとよくわからないわ。おろかだったのね。でも、それは長くはつづかなかった。かわいい服やセクシーなランジェリーを毎日着てると、それがどんどん好きになっていった。だけど、ほんとに、もう男の子には戻りたくないって思ったのは、初めてのデートの時ね。男の子の強い腕があなたの体を包むの。彼は、あなたがどんなにかわいいか、いっぱい言ってくれるはずよ。そのうち彼の腕があなたを強く引き寄せる。あなたの唇が彼の唇と触れたとき、この世でいちばん幸せな感覚があなたの体をつつむの」
 「あたし」の話だったはずなのに、その瞬間を語る時は、「あなた」に変わっていた。僕はそれにつられて、男からそんなふうにされているイメージを心に抱いていた。先に女の子として育ったイメージができあがっているせいか、僕はそれを気味悪いとも感じす、逆に、興奮をますます募らせていた。
「あたし、結婚する日が来るのが待ちどおしくてたまらないの。もう、その時着るウエディングドレスだって選んであるのよ。すごくかわいいの。もちろん白で、レースがいっぱい使ってあるの。ローカットで肩を大きく出すデザインだから、あたしの白い胸がちょっとのぞいてて、それを見たあたしの新しい旦那様はもうメロメロ。その下には、前のところもレースになった真っ白なサテンのパンティを履くの。おそろいのブラのカップは、あたしの胸をやさしく包んで持ち上げてくれるわ。ガーターベルトもおそろいで、やわらかなレースでできてる。そのストラップにつるのは、もちろん、極薄のシルクストッキングね」
 ホリーは、夢見るような顔でさらにつづけた。
「あたしは、パパに連れられて、バージンロードを歩いていく。ママは、もう涙でぐしょぐしょになって、こんなにかわいい花嫁は見たことがないって言ってくれるのよ。通路の先では、彼が、あたしの花嫁姿をじっと見つめて、こんなきれいな女性を妻に迎える幸せをかみしめてるわ。祭壇の前に並んだあたしたちは、永遠の愛を誓い合ったあと、指輪を交換する。それから彼が、キスするためにあたしのベールをそっと持ち上げる。キスする寸前に、彼はもう一度、あたしをどれほど愛してるか、どれほどこの日が待ち遠しかったかをささやくの」
 僕はその話を、完全に花嫁の立場で聞いていた。新郎からキスされる瞬間、僕の体は震え、それが僕を、さらに緊迫した状況に導いた。
「式が終わったあと、ホテルの部屋で、あたしは真っ白なネグリジェに着替えるの。それはまるで、これを着て育ってきたというほど、あたしの体にぴったり。あたしのセクシーなボディラインが、すべすべしたサテンの中で動くのが、外からでもよくわかるの。前も後ろも、ネックラインが深くて、おまけに両サイドがレースになっているから、どうしても、その下で揺れるあたしの胸に、彼の視線を惹きつけてしまう。ベッドの上であたしは、これまで感じたことのないその幸せな感触が、ネグリジェのせいなのか、あたしの体の上を動く彼の手のせいなのか、よくわからなくなってしまう‥‥」
 もう、がまんの限界だった。
 僕は、すぐにでもバスルームに駆け込まなければならなかった。
 ところがホリーは、その前に立ちはだかり、そこをブロックしていた。
「ほら、あなたは、女の子っぽい女の子でしょ。正直にそう言って」
 彼女は、にやにや笑いを浮かべ、言った。
「言わなきゃ、ここ、通してあげないわよ」
「頼むよ、ホリー。僕はどうしてもそこに入らなきゃいけない。わかるだろ?」
 僕は、泣き出しそうな声でそう言いながら、なんとかすり抜けられないかと必死にすきをうかがった。
「さあ、よくわからないわ。あたしは、この2年間、勃起なんてしてないもの」
 ホリーは、今度はいたずらっぽい笑顔で言った。
「べつに平気よ。どうせ、もう使わないんだし」
「お願いだよ、ホリー。もう許して。これがどのくらい苦しいか、覚えてないわけないだろ」
「あなたの方が、どうすればいいか、わかってるでしょ」
 これ以上ないくらいの笑顔で、彼女は言った。
「あたしの思ってるとおりだって正直に告白すれば、あなたのいけない衝動を解決できるのにな」
「わ、わかったよ。そ、そうさ、僕は‥‥あたしは、女の子っぽい女の子、よ」
 僕は、叫びながら、ドアノブに飛びついていた。
「思いっきりかわいい服を着て、強くてハンサムな男の子の前でお尻を振るのが、待ち遠しくてたまらない、わよ」
「ほら、思った通りね」
 彼女は勝ち誇ったように言うと、身を引き、僕をバスルームに通してくれた。
「あなたは、できるだけ早くホルモンを始めたいって、親に言うべきよ」
 ドアが閉まる途中、親だとかホルモンだとかという言葉が聞こえたが、僕の下半身は、それどころでないほど切迫していた。

 数分後、パンティを上げ、ネグリジェを直していると、ドアが開き、にこにこ顔のホリーが入ってきた。
「あなたは、自分が女の子っぽい女の子であることを認めた。だから、賭けはあたしの勝ち。よって、キスはなし‥‥ってことでいいのね?」
「あんな拷問での結果なんて、ノーカウントだよ」
 僕は強く主張した。
「あんなことで、僕がなにかを認めたとは言えないんじゃないかな」
 しかし、そこで僕は、肩をすくめ、ネグリジェのシルキーな生地をつまんだ。
「だけど、こうは言ってもいいよ。僕が『あたしは女の子っぽい女の子よ』って言っちゃったのは事実だ。だからもう、キスはあきらめるよ。でも、その代わり‥‥、このネグリジェ、これからも着ていい?」
「ふふ、なんであたしにそんなこと頼むの? そんな必要ないのに」
 彼女は笑いながら言った。
「だって、それ、もともとあなたのだもん」
「えっ? 僕の? どういう意味? こんな女の子っぽいものなんて‥‥。えっ? もしかして、きのうから僕が着せられてたのは‥‥」
 ホリーは、おかしな視線で僕を見ていた。まるで、子供から初めて鳥とミツバチのちがいについてきかれた時の親のような。
「そうよ。あたしのじゃなくて、全部あなたのものよ。だって、あなたのママは、あなたが着るための服をずっと前から準備してたんだもん。あなたの親たちは、例の理科室放火事件の前から、あなたをここに入れることを考えてたの。彼らは、もう何ヵ月か前にミセス・ウイリアムズと相談して手続きをとってた。だから、すべての服を買いそろえて、あの事件より前にここに送ってたの」
 僕は、大きなショックを受けていた。
「じょ、冗談だろ? マジで?」
 きいてみたが、彼女の表情がすべてを物語っていた。その顔は大まじめだった。
「つまり、僕が火をつける前から、うちの親たちは、僕をここに入れる計画に燃えてたってわけか?」
 僕は、すべてを悪い冗談にしてしまおうと思ったのだが、彼女はそれに、ほほ笑みさえしなかった。
「黙っててごめんね。ほんとは、あんな事件の前に、あなたのママがちゃんと話してればよかったんでしょうけどね。でも、あなたが素直に言うこときくとは思えなかった。それで、タイミングを見計らってるときに、あなたはあんなことをしてしまった。そういうことなの」
 彼女は、ちょっと同情するような顔で言った。
「僕が、親にとって手に負えない子供だったことはたしかだよ。でも、僕は、まさか、女の子として暮らさなきゃいけなくなるとは思ってなかった。もし、両親がここに入れようとしてることを知ってたなら、僕は、もっとまじめになってたかもしれない。いや、たぶん、まちがいないよ。でも、今はもう、どうしようもないってこと?」
 僕は肩を落としてたずねた。
「ええ。だけど、親があなたをここに入れる手続きを進めてたおかげで、あなたは助かったとも言えるのよ。でなかったら、あなたは刑務所に送られていたはずだもん。それに比べれば、2年間女の子でいることは、けっして悪い話じゃないわ。あたしなんて、3年そうしてるわけだしね。あたしはもう、演じてるわけじゃないけど」
「そ、それにしても、あの放火事件とは関係なく、僕をここに入れる計画がされてたなんて‥‥」
 僕は、まだ納得できない思いで首を振った。
「だけど、僕って、そんなにワルだったのかな?」
 と、ホリーは苦笑するという感じでうなずいた。
「あたしのママは、あなたの両親が、あなたをなんとかまともにしようとして、気が狂う寸前まで努力したって言ってたわ」
 僕は、返事もできないほど驚いていた。
 僕は、自分が、家族にとってそれほどやっかいな存在になっていたことをなにもわかっていなかった。僕は単に、自分が楽しいから、いたずらをしているという程度の感覚だった。どうやら、それが、どれほど現実に悪いことなのか、ちゃんと理解していなかったようだ。
「親を困らせた埋め合わせだけは、しなきゃいけないみたいだね」
 僕は、静かに言った。
「ええ、もう脱走なんて、言っちゃダメよ」
「ああ、わかった。ここで暮らすよ」
 僕は、一方で親に裏切られたという心の痛みとともにつぶやいた。
「こんなめちゃくちゃなこと、うまくやってける自信はないけど、なんとか乗り切るよ」
「ねえ、もっと元気を出して」
 ホリーは、そう言って僕のほおにキスした。
「2年は、一生よりもずっと短いわ」

 たぶん、ホリーの言うとおりなのだろう。
 でも僕は、この間、彼女にいろいろな女の子の服を着せられたことで自分自身の中に生まれてしまったものが怖かった。
 これまで僕は、たとえば母さんの服を着てみたいなどと思ったことは一度もなかった。それなのに、たったこの3日間で、ホリーは僕を、女の子っぽい女の子でいるためにはどうしたらいいかなどと考える人間に変えてしまったのだ。
 たしかに、僕の中のなにかが、シルクの服を着るたびに喜びにふるえていた。その肌触りが好きだったし、たとえ恥ずかしいと思っても、それを拒絶することはできなかった。
 ホリーは僕を、等身大のバービー人形のように扱い、僕はそれにワクワクしていた。ホリーから、柔らかくてすべすべのものを渡されるたびに、僕の鼓動は高鳴り、僕の手は震えた。
 そして、彼女の言うがままに、自分が女の子でいるのが好きだということを受け入れてしまった。
 しかし、もちろんそれは、大きな問題をはらんでいる。
 僕は、そんなかわいい服が着られなくなった時、いったいどうするのだろう? 果たして、ふつうの男に戻れるのだろうか?
 たった3日で、シンデレラ志願者になってしまったのだ。その上、この先2年間、女の子を演じつづけるのだ。その2年が終わった時、僕はいったい、どんな人間になっているのだろう?
 ドレスを着た男を恋人にしたいなどと思う女性は、どこにもいないだろう。一方で僕は、男とつき合う気など毛頭ない。
 この狂った3日間は、僕の人生を台無しにしてしまったのかもしれない。
 ‥‥いや、待てよ。
 よく考えてみれば、僕がきれいなことを、けっしていやがらず、むしろ喜んでくれる女の子が一人いるじゃないか。
 僕が気にしていたことなど、彼女のちょっとした欠陥に過ぎない。彼女は、きれいで、かわいくて、僕がこれまで知り合ったすべての人の中で、最も気の合う人物だ。幼なじみの大親友であることは、障害どころか、むしろ大きな利点だろう。
 そう考えてしまえば、僕がしなければいけないことはただひとつ。彼女にもっと気に入ってもらって、彼女が僕に恋するように仕向けることだ。僕が歩くバービードールになることさえがまんすれば、彼女は僕の最高の恋人になるはずだ。

 翌朝、僕は、なんとかアラームが鳴る前に起きることに成功した。
 歯を磨いている時、ふと気がつくと、バスルームのドアについた姿見に、僕自身のすてきな姿が映っていた。
 歯磨きを終えた僕は、姿見の前に立ち、ほほ笑んでみた。そして、短いネグリジェの裾をやさしくつまみ、それを前後に揺すってみた。
 サテンのネグリジェと脚の素肌がふれあう微妙な感触が、僕の全身を駆けめぐった。
 そんなふうに鏡を見つめながら裾を揺すっているうち、この2年間が、僕の人生にとって、かけがえのないものになるかもしれないという確信のようなものが湧いてきた。

 洗顔を終え、バスルームを出た僕は、今日身につけるものを自分で選ぼうと考えた。
 引き出しを開けた時、僕はまるで、クリスマスツリーの下に並べられたプレゼントを見ている小さな子供のような気分になった。こうして見ると、どれもこれもかわいいものばかりで、迷ってしまう。
 最終的に選んだのは、女の子向けだけれど、ボクサーパンツのような形をしたものだった。ふつうのパンティより丈が長く、腿のまわりをきれいなレースがぐるっと取りまいている。信じられないほど軽くてデリケート、それに、見た瞬間に履きたいと思うほどかわいかった。
 僕は、ホリーを起こさないよう、そっとネグリジェを脱ぎ、パンティを履き替え、ブラを着け、その上から、サテンのアンダーシャツのようなものを着て、それとお揃いらしい薄いペチコートを履いた。
 こんなすてきなものを身につけることを嫌っていたのは、いったいどこの誰なんだろう? 自分の体に手を這わせながら、僕はそれを、不思議にさえ思った。
 それらは、軽くて、ソフトで、ものすごくかわいい。下着そのものもだけれど、それを着けた僕自身がかわいいと思えるのだ。
「ねえ、一日中寝てるつもり?」
 僕は、ホリーに向かって、大きな声で呼びかけた。
「ゆうべはカーラーせずに寝たから、僕の髪をやるのに時間がかかるんじゃなかったの? それなのに、そんな大いびきなんかかいて」
 とたん、枕が空を切り、僕の顔めがけて飛んできた。僕はそれをあやうくよけながら言った。
「とても朝型人間とは言えない僕が、もう起きてるのに」
 そして、彼女の上にかがみ込んでささやいた。
「どう? かわいい?」
「‥‥ん? あなたが、あたしより先に起きてる? しかも、フリフリの下着なんか着て? その上、なんだかルンルンで‥‥」
 ぶつぶつ言っていたホリーは、うなった。
「うーむ。世界は一挙に、新時代に突入?」
「ねえ、かわいい妹のことをほめてくれないの?」
 僕はからかいながら、下着姿がしっかり見えるように、くるっとまわってみせた。
「引き出しの中から、自分で選んだんだよ」
「それは、タップ・パンツっていうのよ。そのキャミソールもペチコートも、全部、自分で着たの?」
 彼女はやっと目覚めたようで、起きあがりながらくすっと笑った。
「すごい。そんなのが好きだなんて、あなたってけっきょく、ものすごく女の子っぽい女の子なんじゃない」
「キスはもうあきらめたけど、そのぶん、こんなにかわいくなれたから、いいことにしたの」
「ほんとに、かわいいわ! だけど、本気? フランクは、どこに行っちゃったの?」
「フランクはね、ちょっとの間、休みをとりたいって。だから、中で寝ててもらうことにしたの。僕‥‥あたしの名前は、フェイス‥‥よ」
 僕はそう言いながら、ペチコートの裾をなでつけて腰掛け、ニーソックスを履いた。と、持ち上げた腿の上をサテンのペチコートが滑り、僕は思わず震えていた。
 今日もきっと、授業に集中できるにちがいない。

 ホリーが僕の髪を仕上げ、すてきな緑のリボンを結ぶまで、心配したほどの時間はかからなかった。
 でも、その作業の間ずっと、彼女は、僕が新たに発見した「かわいくなりたい」という願望を拡大するための会話をつづけた。
「これが、あたしにとってどれほどすごいことか、あなた、わかってる?」
 僕の髪にカーラーを巻きながら、彼女は興奮気味に言った。
「たしかに、この痛みはすごいよね」
 僕は、髪を引っ張るカーラーに顔をしかめながら答えた。
「だけど、かわいくなれるんだもん、がまんする‥‥わ」
「ふふ、全部、姉さんに任せなさい。思いっきりかわいくしてあげるから」
 ホリーは、ほほ笑みながら、さらにカーラーを巻いていった。
「いつか二人で、ダブル・ウエディングができるかもね」
 ダブル・ウエディングは、もちろん、僕がめざしているものとはちがう。
 僕がめざすウエディングは、ゆうべ僕を苦しめた、ホリーの将来の夢だ。そこですてきなウエディングドレスを着るのは、当然、夢の持ち主。僕はやっぱり、タキシードがいい。
「ホリーならきっと、かわいい花嫁さんになれる‥‥わね」
 僕は、女性どうしが話している時、よく耳にする言葉を選んで言ってみた。
「ふふ、その言葉づかい、すてきよ」
 彼女は、くすくす笑いながら、そう言った。
「もし、あなたが、ほんとにパスしたいと思うなら、女の子らしい言葉づかいは大事よ」
「えっ? 女の子らしく話せば、試験をパスできるってこと?」
 それは、なんだか奇妙な判定基準だと思えた。でも、ここでならあるのかもしれない。なにしろここでは、みんな女の子の服を着て、女の子を演じているのだから。
「バカね、ちがうわよ」
 ホリーはくすくす笑いをつづけながら、僕のカーラーをとめるために、何本かのクリップをまとめてとった。
「女の子としてパスできるっていうのは、みんなが、あなたを女の子として認めてくれるってこと。あなたが本物の女の子のように振る舞い通せば、みんなだって自然に、あなたのことを女の子だと思えるでしょ」
「わかった。そうする‥‥わ」
 鏡の中に現れた、頭いっぱいにカーラーを巻いた姿に似合うよう、僕はかわいらしく肩をすくめてみせた。
 だけど、本当に、彼女の言うところのパスができるようになるのだろうか?
 これまで僕は、人に対して、自分を自分以外のものに見せる努力なんて、したことがない。だけど‥‥いや、だからこそ、自分を‥‥。
「それは、たしかに大事なこと‥‥ね。ぼ‥‥あたしだって、男の子だなんて、思われたくないもん」
「ふふ、まあ、そんなに心配することもないと思うけどね」
 彼女は、クリップを口にくわえているせいで、ちょっともごもごと言った。
「もうかなり前から、あなたを男の子だって間違える人はいなくなってるはずよ。だって、こんなにかわいいんだもん。あなたも、それほど苦労することないわよ」
 喜んでいいのか悲しむべきか、これをどう思えばいいんだろう?
 ホリーは僕を、かわいいと思っている。
 正確に言えば、これは、女の子がボーイフレンドに抱く感情とはちがうだろう。
 でも僕には、それを修正することはできそうにない。
 たとえば今、このカーラーを全部引っぺがして、男の子の服を探すことはできるかもしれない。でも、その結果は‥‥。
 だいいち、この学校のどこを探しても、男物の服なんて見つけられないだろう。それに今や僕は、あのかわいいベビードールとかパンティとかを手放したくないとすら思っている。
 男の子をかわいくてきれいな女の子に変えるというここのやり方に拘束され、その上今や、僕自身が、それを進んでやろうとしているのだ。
 けっきょく今の僕にできることは、にっこりほほ笑んで座っていることだけだった。その間にホリーは、僕の顔にメイクし、カーラーをはずした。
 そして、彼女がすべての作業を終えた時、そこにいたのは、登校の準備を終えた、ひとりのティーンエージャーの女の子だった。

 あまりにも簡単にこの学校に適応していくことに、僕自身が驚いていた。
 当初、僕は、ぜったいに屈服しないつもりだったし、自分から進んで女の子の服を着ることなどないと思っていた。もちろん、誰にも、僕のことを女の子として扱わせるつもりはなかった。
 ところが、2日後にはもう、僕は、制服のよく似合う女子高生になっていた。プリーツスカート、白いブラウス、ニーソックス、サドルシューズ、その下には、ふつうの男の子ならぜったいに着ようとはしない下着までつけている。
 僕は先生の言うことをよくきき、授業をぶちこわすようなことはなかった。それどころか、僕は、授業を楽しんでいた。
 何日かの間に、僕にはたくさんの女友だちができた。そのうち、いちばんの友だちを、僕は愛してさえいた。

 そう。それは、まちがいなく愛だった。
 まぎれもなく、完全に、狂わんばかりに、深遠に、いついかなる時も‥‥それは、愛と呼べるものだ。
 その、僕の理想の女の子は、最高の女性だった。かわいくて、やさしくて、頭がよくて、美人‥‥男が女の子に求めるものすべてを持っていた。
 彼女にとっても僕は最高の友だちだった。でも、友だちでしかなかった。それは、彼女が子供たった頃から今まで、ずっと変わらないことだ。
 ある時僕らは、毎日いっしょに暮らすことになった。
 そこで僕の――片思いの――恋人は、僕に行儀よくしろと言い、その上、女の子でいろという。
 その結果、ホリーを愛していることと、セクシーな下着を愛していることは、僕にとってほとんど同じことになっていった。

 話を戻そう。
 僕が、非常にまじめな女学生として、授業にもまじめに臨んでいたことはたしかだが、誰よりも僕自身が驚いたのは、その2週間のうちに行われたいくつかの小テストすべてで、僕が「A」評価を受けたことだった。
 当初、僕は、とらなければいけない授業の中に「化学」と「幾何」があるのを見つけ、おぞけを震ったのだが、やがて信じられないことが起きた。僕は、それらの授業が楽しみでしかたなくなっている自分を発見したのだ。
 授業中、僕はしっかりノートをとり、先生の話に集中し、宿題が出ると、すすんでそれに取り組むようになっていた。
 その結果、さほどの時間も経たないうちに、僕は、勉強のことで、他の生徒の相談を受けるまでになった。
 僕にとってこれは、なんだか夢を見ているような感じだった。
 以前の僕は、学校なんて、ただ時間をつぶすだけの場所だと思っていた。授業は苦痛だったし、もし僕が宿題なんかやって行こうものなら、教師はショック死したにちがいなかった。
 ところがここでは、以前の学校の誰もが僕にはついていけるはずもないと言うようなむずかしい授業をとり、しかも、そのすべてで「A」をとっていた。
 僕は授業が好きだったし、宿題すら面白かった。テストも、なんの苦痛もなくこなせるようになっていた。
 中でもいちばんうれしかったのは、そんな僕に対するホリーの反応だった。

 僕が中間テストの成績を見せると、彼女は飛び上がって喜び、僕に抱きつき、部屋中をダンスしだした。二人で笑い合って踊っているうち、彼女は何度も、僕のほおにキスしてくれた。
「ねえ、ホリー。あたし、こんな成績とったんだから、もっとちゃんとしたキスをしてくれてもいいんじゃない?」
 ホリーはこれだけ喜んでくれているのだから、僕は、それをねだってもいいだろうと思った。ところが‥‥。
「ごめんね、フェイス。あたし、女の子とキスするつもりはないわ」
 彼女はなんのためらいもなくそう言いきり、僕の希望を砕いた。
「だけど、例の賭けで、もしあたしが勝ってたら、あなたはキスしなきゃいけなかったのよ」
「もし、あなたが勝ったなら、その時あなたは、女の子じゃないってことになるわけでしょ」
 彼女はそう説明したあと、つけ加えた。
「あの1週間で、あたしが証明したかったのは、あなたが女の子であることを好きかどうかだけじゃなかったのよ。あなたが『お砂糖とスパイスとすてきなものすべて』でできているかどうか、つまり、女の子っぽい女の子かどうかを確かめたかったの。けっきょく、1週間もかからなかったけどね。たった3日で、あなたは、学校に行くために、サテンとレースでいっぱいのキャミソールや、ブラやパンティを、自分から着けてたわ。『シュガー・アンド・スパイス』そのものでしょ。ね、フェイス」
 クソっ! 記憶力のいいやつなんて、大っきらいだ! ‥‥いや、大好きだけど。
 とはいえ、この、ワルからプリンセスへの劇的な変身を忘れてくれという方が、どだい無理かもしれない。だって僕は今、ロングスカートに明るいピンクのノースリーブ、それにヒールの高いサンダルという姿で彼女の前に立っているのだから。
 髪は、かわいいフレンチブレード(※)に結っているし、マニキュアや口紅も明るいピンクで、トップスとのコーディネイトも完璧だ。もっと白状すれば、僕の首筋からは香水の香りが立ちのぼっているし、かわいいゴールドのループイヤリングだって、とても言い訳はできない。
 (※訳注 後頭部の上の方からバックの髪全体を1本に結う大きな三つ編み)
「だけど、あたしがこんなふうになったのは、あなたのせいでしょ」
 僕に対する罪悪感からでもいいから、彼女がキスしてくれないかと思い、言ってみた。
「あなたと再会するまで、あたしはごくふつうの男だったのよ。あのベビードールを着せられるまでは、自分から女装してみようなんて、考えもしなかったんだから」
「へえ、あたしがあなたの頭にピストルを突きつけて、脅迫したとでもいうわけ?」
 彼女はそうからかってきた。
「あなたの引き出しには、コットンのパジャマだってあったわ。あたしにノーと言い張ることだってできたはずよ。でも、そうしないだろうと思ったわ。あなたの中に女の子が隠れてる気がしたから。結果は、そのとおりだったじゃない」
「どっちにしても、あたしを罠にかけたのはたしかでしょ。そのおわびとして、キスしてくれてもいいんじゃない?」
「ほお、罠にかけた? よく言うわね」
 彼女は、声を出して笑った。
「あたしはほんのちょっとエサを仕掛けただけよ。それにすぐ食いついたのは、あなたの方でしょ。その上、このごろじゃあ、その先まで食べ尽くしてるみたいだし。その髪型は、いったい誰に教えてもらったのかしら? そのメイクはどう? あたしがあなたにメイクしてあげたのは、最初の1週間だけよ。もちろん、いろんなシャドーをブレンドして使うなんてワザ、教えた覚えはないわ。あなたが、他の女の子の部屋に集まって、熱心にヘアやメイクのやりっこしてるの、知らないとでも思った?」
 そこまでバレていては、やっぱり、もう、キスはあきらめるしかない。これもまた、言い訳の立たないことだった。
 かわいい下着を着けるのが好きになったのと同じように、いつの間にか僕は、髪をいじるのも、お化粧するのも大好きになっていた。

 あれは、ホリーが町に出かけた晩だった。手持ちぶさただった僕は、なにか読む本でも探そうと図書館をぶらぶらしていた。そこで、ヘアケアとメイクについて書いた本を何冊か見つけ、ぱらぱらとめくってみた。そこには、その時まで僕がしていたのとはちがうヘアスタイルがいくつも載っていて、やり方が詳しく書かれていた。
 放課後は暇だったし、僕にもできそうな気がしたので、僕はそれらの本を借り出し、いろいろ試してみることにした。そして、1日か2日後には、それに夢中になっていた。
 エレガントなフレンチブレイドからエンジェルウイング(※)まで、僕は今、たいていのヘアスタイルが自分でできる。
 (※訳注 日本では「ツインテール」と呼ばれる、頭の両サイドをポニーテールにする髪型)
 何人かの他の女の子を誘って、彼女たちを実験台にして試させてもらったりもした。かなりのショートヘアでもかわいくて印象的にまとめる僕のスタイリングに、みんな喜んでくれた。すぐに僕は、女の子たちが大事なデートに出かける時や実家に帰る時、髪型の相談を受けるようになった。
 メイクの方は、いわば、ヘアスタイルへの関心に付随してうまくなったようなものだ。
 どうやら僕は、もともと色とかに対するセンスのようなものを持っていたらしい。図書館でいっしょに借りてきたメイクの本を一晩かけて最初から最後まで読んだだけで、アーティスティックなメイクを仕上げるコツをつかんでいた。
 そして、僕自身が、そのスキルの歩く広告塔になったようで、女の子たちの間で評判が立った。僕が新たに開発したその才能を求め、もっと女らしくて印象的になりたいのにブルーのアイシャドーをつけることしか知らない女の子たちが、僕のところにいろいろききに来るようになっていた。

「やっぱり、キスはダメ?」
 僕は、上目づかいにホリーを見て、彼女の心の中の氷山をなんとか溶かせないかと試みた。
「ちょっとするだけでも?」
 その言葉に、彼女は何秒間か僕の顔を見つめたあと、ほほ笑んだ。
 そのほほ笑みには、覚えがあった。
 あれは、僕を女の子っぽい女の子にするための賭けを持ちかけた時だ。どうもこれは、よくない兆候だ。
「ちょっとだけなら、してもいいかな」
 彼女は、いたずらっぽい目で見てきた。
「それには、ちょっとだけ条件があるんだけどね」
 ほら来た。もちろん、条件はあるのだろう。ホリーがなにかを持ちかける時は、いつだって条件つきなのだから。
 彼女の数回のキス欲しさに、僕は、ふわふわしたフリルでいっぱいの存在に変えられてしまった。それはまあ、彼女ばかりでなく僕にも予想外の幸せをもたらした。
 でも、ふわふわしたフリルでいっぱいの存在になった今、彼女はこれ以上、どんな条件をつけてくるのだろう?
「あなた、ここに来てから、まだ一度も、親と連絡をとってないでしょ」
 彼女はにっこりとほほ笑みながら、「ちょっと外宇宙まで旅行してくれる?」とでもいう決断を迫ってきた。
 これがいつものホリーのスタイルだ。いわば、典型的な女の子のやり口だった。
 かつての僕の親友は「その缶ソーダ、ひと口だけ飲ませてくれよ」という以上のややこしい要求はしてこなかった。それが、この3年の間に180度変わってしまった。そして今、彼女は、気まぐれにも、僕に、天と地をひっくり返せと言ってきているわけだ。
 いちばん悪いのは、彼女が、自分の頼んだことなら僕が断るはずがないと信じていることだった。要求さえすれば、そのあと彼女は、ただほほ笑んでいればいいのだ。
 たしかに、彼女がキスを約束するなら、僕は、疑いもなく、一瞬の躊躇もなく、なんでも言うことをきくだろう。そして、僕がそう思っているだけでなく、彼女自身にもそれがよくわかっているのだ。
 ‥‥で、僕はどうする?
 僕のルームメイトは、世界一の美人だ。かわいくて、賢くて、面白くて、いっしょにいることが楽しい。彼女は僕のことを、あれこれ気にかけてもくれる。だから‥‥。
 いや、わかってる。それは彼女にとって、いわば姉妹愛でしかないのだ。そして僕は、このジェンダーのトワイライトゾーンで罠にはまっている存在だ。それでも‥‥。
「あたしは、ここに入れられたことについては、まだ親を許してないのよ」
 僕は、できるだけ感情的にならないよう、静かな口調に心がけた。
「女の子として生活することを受け入れることは、けっしてかんたんなことじゃなかった。それを内緒にしたままここに入れたんだから、ひどい親だと思ってるわ」
「それはちがうわよ、フェイス。ひどいのはあなたでしょ。たとえ、親が先に計画してたんだとしても、あなたは、他の誰でもなく、あなた自身がしたことでここに入れられたのよ。理科室に放火したのは、あなたの親じゃない。あなたでしょ。変なわだかまりは捨てて、まずは、そのことを親に謝るべきじゃない?」
「それは、そのとおりよ。いちばんひどいのは、あたしよ」
 僕は、しかたなく認めた。
「でも、どうしてここじゃなきゃいけないの? あの人たちがあたしを追い払ってここに入れようとしてたっていうのは、あたしを嫌ってたってことでしょ。現実のあたしを殺して、別の人間に作りかえようとしたってことじゃないの?」
「あなたの両親は、あなたを落ち着かせたいと思ってたでしょうし、馬鹿なことをやめておとなしくなってほしいと思ってたでしょうね。でも、すぐにここに入れたわけじゃない。あの放火事件まで、二人とも迷ってたのよ。なのに、あなたはあんなことをしてしまった。考えてもみて。あの事件、実際には理科室が燃えただけだったけど、もし火事が学校の外へ広がってたらどうなったと思う? 何軒の家が焼けたかわからないし、何人の人が着の身着のままで焼け出されたかわからないわ。けが人や死人だって出たかもしれない。あなたがしたのは、そういうことなのよ」
 おお、神よ、もしかして彼女は、これまで、それがわかっていながら、僕が罪悪感に落ち込むのを防いでいてくれていたのですね。
 僕が面白がってやったことは、学校の近くに住む家族を悲惨な目に遭わせた可能性もあったのだ。誰かに重傷を負わせるようなことになっていたかもしれない。
 それなのに僕は、消防車がサイレンを鳴らし、緊急灯を点滅させて飛んできた末、火元が小さな発煙筒だったのを発見するということくらいしか想像していなかった。
 消火しようとした人がけがをする可能性や、それ以上に、火事が手に負えなくなって、多くのものや人が失われる可能性には、まったく考えがおよばなかった。
 僕は、ホリーの目がまともに見られなかった。
「あたし、馬鹿だった。どうしようもないほど馬鹿だったのね。親に嫌われても、しょうがないってことね」
 と、ホリーが、僕のそばに駆け寄り、その手を僕の体にまわした。
「誰もあなたのことを嫌ったりなんかしてないわよ、フェイス。あなたはまちがったことをした。でも、実際には、けが人が出たわけじゃない。あの事件のあと、あなたの両親は、あなたと心を通わすためにも、あなたが他人に対する思いやりを持つためにも、ここに入るのが最善の方法だって決心したの。判事の言うとおり、あなたを少年刑務所に送ることもできたはずよ。でも、ここに入れることを条件に、必死にあなたを守ろうとしたの。もし、刑務所に送られてたら、あなたはきっと、もっとひどい目に遭ってたわ。体が小さくてかわいいあなたは、いろんな意味で、他の連中の餌食になってたでしょうしね」
 彼女は、僕の頭にキスし、その指を、僕の髪の中に這わせた。
「どうか、両親を許してあげて。あなたのパパもママも、あなたが大好きよ。いつも、あなたを助けたいと思ってるのよ」
「でも、こんなふうで、どうやって会えっていうの?」
 僕は、自分の服を示しながらきいた。
「こんな服を着てるところを親に見られるなんて、死ぬほど恥ずかしいわ」
「あなたの親は、ここがどんなところか知ってて、あなたを入れたのよ。もちろん、あなたがどんな格好をしてるか知ってるし、驚いたりしないわよ」
「それは、そのとおりかもしれないけど、こんなあたしを見て親たちが何を思うかって考えると、あたしだってまともに顔も合わせられない。父さんは気が狂ったようになるだろうし、そうなったら、あたしだって‥‥」
 ホリーは、僕が親と会うということが、どれくらいたいへんなことなのか、わかっていないのだ。
 もう、親へのわだかまりはおおかた消えていたが、こんなふうに女装して、彼らの前にふつうに座り、平生を装って会話するなんて、とてもできるものじゃない。
 と、ホリーは首を振り、僕を抱きしめてきた。
「あなたのママとパパは、今のあなたがどんなふうに見えるのか、よく知ってるわ。だって、何度も見てるんだから。会っても驚かないと思うわよ。実際、二人とも、今のあなたのことを、きれいでかわいいって書いてきてるし」
「えっ? どういう、こと‥‥」
 言いかけたところで、僕は、ホリーがいつも手元に置いているデジカメのことを思い出した。そういえば、彼女の机の上には、パソコンだってあるのだ。
 ここに来て最初の週にやった例のファッションショー以来、ホリーは、毎週何枚も僕の写真を撮っていた。制服姿から彼女に借りたパーティドレスまで、何メガバイトもの僕を、彼女は保存しているはずだった。
「えーっ、ひどい人ッ! あなたの撮った写真を、無断で送ってたのね」
「有罪を認めるわ」
 彼女は笑って、肩をすくめてみせた。
「でも、あなたのパパのせいよ。あなたのパパが、あたしをどれだけ困らせたか、知ってる? ほぼ一日おきに、あなたの様子を知らせてほしいって、メールが入ってたんだから。あなたをここに置いていったあと、あなたのパパもママも、あなたがここになじめるかどうか、ほんとに心配してたのよ。それであたしは、ミセス・ウイリアムズと相談して、あなたの家族を元気づけるには、あなたがどれほどうまくやってるかを知らせるしかないって結論に達したわけ」
 あの親父が、僕のことを‥‥心配?
 なんだかわけのわからない幸福感が、僕の体全体にわき上がってきた。
 僕は、親父が、僕のことを、オカマのようなものに落とし込め、切り捨てたにちがいないと思っていた。彼が僕のことを気にかけているなどとは、思ったこともなかった。
 でも、そんな疑念は、その幸福感が湧き出すと同時に、氷解していった。
 ところが、それとはちがう、氷のような冷や汗が一挙に吹き出した。
「えっ? ま、まさか、ベビードールや下着の写真は、送ってないでしょうね!」
「安心して。あなたのパンティは、誰にも見せてないわよ、フェイスちゃん」
 彼女は、そう言って笑った。
「だって、あなたとあたしは一蓮托生。そんなの送ったら、あたしまでオカマだと思われちゃうじゃない」
「なに、その言い方。あたしだって、オカマなんかじゃないわ」
 僕は、跳ね上がるように立って、異議を唱えた。思わず、胸を突き出していた。
「だけど、あなたは、フリルだらけのベビードールや、レースがいっぱいの下着が大好きなんでしょ。だとしたら、あなたは、女の子か、そうでなかったらオカマか、そのどっちかよね」
 彼女は、悪魔の微笑を潜ませて言った。
 僕には、彼女がどこに導こうとしているか、正確にわかっていた。そして、彼女が僕をラッピングして、クリスマスツリーの下のギフトにしてしまおうと考えているのもわかっていた。
「で、あなたはどっちなの? オカマ? それとも、女の子?」
「ばかばかしい! ‥‥早く、両親に連絡しなきゃ」
 僕は、話の方向を変えることなど無理だと知っていながら、無駄な抵抗を試みた。
「ねえ、あなたは女の子、それともオカマ?」
 やはりホリーは、僕を無視してつづけた。
「わかったわよ。あたしは、女の子です」
 僕は、彼女が勝利を宣言して、次の話題に移ることを期待しながらもごもご言った。
 でも、ホリーはそれで終えてはくれなかった。
「まちがいなく?」
「まちがいなく」
 僕は、もう一度彼女がここで終えることを願い、こくんとうなずいた。
「で、あなたはどんな女の子かな? もしかして、女の子っぽい女の子?」
 なんで僕は、こんな意地悪な子に恋してるんだろう?
「ええ、あたしは、女の子っぽい女の子よ!」
 僕はもうやけくそで、叫ぶように言っていた。
「かわいい服と、メイクと、あたしの髪と、バブルバスが大好き! あたしは、女の子であることを、愛してるわ!」
「そう? やっぱりね。思ったとおりだわ」
 ホリーは、笑い声を立てながら、僕のほおにキスした。
「じゃあ、あなたがしてほしかったキスって、これよね」
「ううん、あたしがしてほしいのは、あの賭けで負けたらしてくれるはずだった、最初の晩にしてくれた、本物のキスよ」
 いくらなんでも、これはフェアじゃないだろう。彼女は僕に、輪くぐりをさせておいて、そのごほうびもくれないのだ。サーカスの動物だって、もっと大事に扱われている。
「ごめんね。でも、さっきも言ったように、あたしがそんなキスをするのは男の子とだけなの」
 彼女はにこっと笑って、髪の乱れを直すように掻き上げた。
「ただ単に女の子っていうだけじゃなく、『女の子っぽい女の子』って言われて、その上、『女の子であることを愛してる』とまで言われて、あたしはいったい、あなたにどんなキスをしてあげればいいの?」
「このインチキ女!」
 僕は、彼女を告発した。
「全然フェアじゃないわよ。あなたはあたしにキスの借りができたわ」
「借り? じゃあ、こういう返済契約はどう? あなたの更正期間が終わった時、もしあなたが男の子に戻るのなら、キスだけじゃなく、デートだってしてあげるわ」
「ううん、たぶん、あなたは、もっと先まで行くことになるわ」
 今度は僕が、ほくそ笑みながら言った。
「あなたはその時、キスだけじゃなく、あたしの結婚の申し込みに『イエス』って言うの」
「あたしたちの未来には、大きな可能性が広がってるってわけね」
 彼女は笑いながらも、僕の顔をまじまじと見た。
「あなたは、男としてもけっして悪くはないけど、女の子としては完璧よ。お人形みたいにかわいいわ。本当にフランクが戻ってくるかどうか多分に疑わしいと思うけど、でも、もし彼が戻ってくるなら、その時はあたしも、真剣に考えてみるわ」
「それは、あなたが幸せな一生を送るためにも、いい契約だと思うわ」
 僕は、誓いを込めて言った。
「さて、じゃあ、あなたの両親を新しい娘に引き合わせる段取りを考えなきゃね」
 ホリーの笑顔は、僕が重大事に直面する勇気を促し、僕の考えを聞きたいと語っていた。その笑顔を消さないためにも、僕自身が行動を起こさなければならないことはたしかだった。
「パソコン、借りてもいい?」
 僕は、彼女にほほえみ返した。
「気が変わる前に、今やっちゃいたいから」
「いい娘ね、フェイス」
 彼女は、パソコンの前に座った僕を応援するように言った。
「なんだか、ワクワクするわ」
 そこで僕は、父親あてのメールに、今心に抱いている気持ちを素直に打ち込んでいった。
 かつて自分がやってきたことを本当に申し訳なく思っているということ、グレート・インディアン・リバーに入れられたいきさつについては、もうわだかまりはなにもないということ、授業をはじめ学校生活は驚くほど順調だということ、友だちもたくさんできたこと、そして、ずっと会えなかったことをさみしく思っているということ、だから、ぜひ会いに来てほしいということ。
 メールの「送信」ボタンを押したところで、僕はあることに気づき、また冷や汗の出る思いがした。その文面で、僕は、父親のことを「パパ」と呼んでいたのだ。もちろん、もう取り消すこともできず、僕は肩をすくめるしかなかった。
 いつかホリーが言っていた、環境が考え方にも影響するというのは、どうやら本当のようだ。
 僕は今、自分がかわいく見えるということにプライドのようなものを持っているし、女の子のように考え、女の子のようにしゃぺりはじめていた。
 もし、更正期間が終わったあと、ホリーにプロポーズするつもりなら、この新しいパーソナリティが本来の自分を追いやってしまわないように、気をつけなければならないだろう。

 いや、そんなことより‥‥。僕にとっての当面の大問題は、両親がいつ会いに来るのか、その時僕は、どんな服を着て、どんなふうに振る舞うのかということだった。
 それは、考えれば考えるほど妙な感じだったが、少なくとも僕は、両親が今の自分を気に入ってくれることを強く望んでいたし、その最初の感想が「かわいい」であってほしいと思っていた。
 パパからの返信メールは、新記録樹立とも言える10分足らずの速さで届いた。僕のメールが届いたとき、おそらくパパは、パソコンの前に座り、ママとおしゃべりしていたにちがいない。
 パパは、会いたいという僕のメッセージがよほどうれしかったらしく、2週間後にはママといっしょにたずねると弾んだ文面で書いていた。
 つまり僕には、両親にとっていい娘になるための2週間の猶予が与えられたわけだ。賢くて、かわいくて、幸せそうな、そんな女の子に、この2週間のうちにならなければいけない。

 ホリーをはじめ、友だちは、女の子らしく見せるためにはどう歩いたらいいか、どう振る舞えばいいかというアドバイスを、山のようにくれた。背筋を伸ばし顔を上げ気味にする、肩を後ろに引く、腰を揺すりながら一直線上を歩く、ものを拾うときは両膝を揃えて曲げる、いつもほほ笑みを絶やさない‥‥。
 どこに行くときも何をするときも、僕は自分の動きを意識し、練習に心がけた。その結果、僕は、生まれついての女性と同様の自然さで歩けるようになり、それどころか、まるでファッションショーのモデルのような身のこなしまでできるようになった。
 もちろん、それにはたいへんな努力が必要だったのだが、それをしながらも一方で僕は、2年後のことも気になっていた。いったん身についてしまった動きをそぎ落とすには、これ以上の努力が必要だろう。男の時の僕は、セクシーに腰を振る歩き方など、そもそも知らなかったわけだ。果たしてそんな状態に戻れるのだろうか。
 しかし、この間、それ以上に困惑させられたのは、ホリーがそんな僕をさかんにからかってきたことだった。
 彼女は、折に触れて、他の女の子たちといっしょに町に遊びに行こうと誘ってきた。そして、町に出れば、僕がいかに男の子たちを引きつける磁石のような存在になれるかを言い立てた。射止めた男の子にとって、僕は「トロフィー・ガールフレンド」(※)になるはずだとも言って煽った。
 (※訳注 他の男たちに自慢できるナンバー1のガールフレンド)
 おかげで僕は、何度も彼女に、僕が他のティーンエージャーの女の子と同じように歩き、行動し、話すのは2年限定なのだということを再確認しなければならなかった。
 僕は、これ以上の愚かなゲームに参加する気はないし、磁石やトロフィーなんかにはなりたくないのだ。
 2年間はかわいいフェイス・ジョーダンでいるつもりだが、それが終われば、フランク・ジョーダンに戻って、ガールフレンドのホリー・ビンクラーをフィアンセにする努力をするつもりだ。

 両親がやってくる予定の週、僕はずっと、ひどくナーバスになっていた。
 ありがたいことに、先生たちはそんな事情をわかってくれていて、僕が授業中まで昼休みのようにぼーっとしているのを、大目に見てくれた。あとで、お詫びとお礼をするつもりだ。

 両親は日曜日に来ることになっていたので、土曜日の午後、僕は美容室に予約を入れた。
 ここへ来るのは、グレート・インディアン・リバーに入って以来2度目、そしてもちろん、自分一人で、かつ自分の意志で来るのは初めてだった。
 予約していたのは、脚と腕のワックス脱毛、眉の手入れ、さらに今回は、ワックス後の痛みを取るマッサージも追加した。
 そして、マッサージの至福の世界にただよい着いたとき、僕はいつの間にか、つけ爪のすすめにも同意していた。
 自分がスイートで従順な女の子に変えられていく感覚はこんなにすてきなのに、この前は、なんであんなにいやだと思ったんだろう。もちろん今回は、そんな嫌悪感はいっさいなく、僕は、自分がきれいになっていく一瞬一瞬を存分に楽しんだ。

 翌朝、僕は、起きた時からそわそわと落ち着かなかった。
 今日着る服は、もうずっと前に、ホリーといっしょに選んでいた。
 キュートなブラウンのレザースカートは、僕の脚のきれいさを目立たせるくらいには短く、でも、パパが見てやきもきしないくらいには長いものだ。袖の部分に透け感のある黄色いシルクのブラウスは、このスカートといっしょに着ると驚くほど映える。薄いシルクのパンストを履き、靴は、茶色いスエードでできたひざ丈のブーツ。2インチのヒールが、レディらしい歩き方を演出してくれる。
 下着は、ペールイエローのサテンでできたブラ、スリップ、パンティのセット。これを身につけたとき、僕は一瞬、自分がどうして男の子に戻ろうなどと思っているのか、わからなくなった。
 髪とメイクは、すべて自分でやった。ヘアスタイルは、お気に入りのフレンチ・ブレイド。全体にシックで洗練されたこの髪型は、いつものティーンエージャースタイルに比べ、ちょっとお姉さんふうの女性らしさを醸し出してくれる。
 姿見の前で最終チェックをしているとき、僕は、ピアスをあけていなかったことを悔やんでいた。今つけているクリップ式のイヤリングでは、耳たぶが痛くなり、数時間が限度だ。僕自身のためにも、それにホリーに喜んでもらうためにも、女の子でいつづける以上、僕は最高にきれいな自分を見せていたいと思う。それに、僕くらいの年頃の女の子に似合うかわいいイヤリングは、ピアス式の方が多い。月曜日の放課後、宿題を終えたら、さっそく美容室に駆け込んで、ピアスをあけてもらうことに決めた。
 最後の仕上げとして、ホリーが、お気に入りのコロンを吹きかけてくれた。そのすてきな香りに、僕もママにねだって買ってもらおうと思った。
 そこで、僕の膝が、まるでドラムの連打のように速くて強烈なリズムを刻みだした。ホリーは、そんな僕の手をとり、僕の両親が待つラウンジへと向かって部屋を出た。

「会いたかったわ」
 僕は、ちょっとはにかみながら、呆然とこちらを見ている両親のもとに近づいていった。
「あたし、ふたりがどれほどあたしのことを心配してくれてたのか、ずっと、わかってなかったみたい。ごめんなさい」
「フェイス?」
 ママは、僕の顔を呆然と見つめ、そのあと服に目をやり、口をもつれさせながら、なにか言いかけた。
「ま、まさか、こんなに‥‥」
 僕は、恥ずかしさもあって、そんなママをちょっとからかうように言った。
「この服、あたしに似合うと思って、ママが選んでくれたんでしょ。どう? ママが思ってたように、ちゃんと似合ってる?」
「す、すごく! かわいいよ」
 ママが言うより先に、パパが叫んだ。
「信じられない。い、いや、つまり‥‥」
 じつは、この2週間で、パパに対する僕の認識は、がらりと変わっていた。
 僕は、彼が、ママの反対を押し切って、むりやり僕をここに入れたのだと思っていた。たぶん、元海兵隊員というパパの基準から見て、僕はまったく男らしくなく、そんな息子に対する腹いせからだろうと。だから僕は、彼をひどい人間で最低なやつで、できることなら二度と顔を見たくないとさえ思っていた。
 でも、彼が僕のことを心配しつづけていたのだと知ったとき、これまで見ていなかった彼の一面が突然見えてきた。僕を心から愛し、僕を立ち直らせるにはどうしたらいいかと真剣に考えてくれた、やさしくて思いやり深い人。ママが恋に落ちたのも不思議ではない男。
 彼は、頑固で冷淡な鬼などではなく、家族を愛し、僕を苦難から救い出すことだけを願っていた。そして彼は、僕のために苦しい決断を迫られ、僕のために何が最善かを考えて、それを決断した。
 その決断が正しかったと確信したことが、僕に向ける彼の顔からわかった。彼が僕に対して持っていた夢は、いささか狂気じみた方向でそれを飛び越えて実現していた‥‥乱暴で手がつけられない、問題ばかり起こす息子ではなく、やさしくて、かわいくて、愛らしい娘として。
 僕は、パパが僕のことをかわいいと思ってくれていることにワクワクしていた。パパにキスしなければいけないと思った。
 少し前ならぜったいにありえないことだったが、でも今、パパに対する感謝の気持ちを表すには、その方法がベストだと思えた。
「パパ、ありがとう」
 僕はほほ笑みながら彼に近づき、そのほおにキスした。
「大好きよ、パパ」
 瞬きする間さえなく、僕はその太い腕に抱きしめられていた。その圧倒的に守られているという感覚に驚きながら、僕も、彼の背中に腕をまわしていた。
「‥‥ん? パパ?」
 しばらくして、彼は、笑顔の中に困惑をまじえた顔で繰り返した。
「私は今、パパなのかい?」
「いけない? だって、パパとママは、あたしに女の子になってほしかったんでしょ。それが、あたしがここに来た理由じゃないの?」
「すまない。他に方法がなかったんだ」
 パパはちょっと深刻な顔になり、深いため息をついた。
「最初聞いたときは、狂った話だと思ったよ。でも、ママやホリーのご家族から説得されて、最後の手段としては、やってみる価値があると納得したんだ。お前には、つらい思いをさせてしまったのかもしれない」
「だいじょうぶよ、パパ。あたしは、パパとママが、ずっとあたしのことを心配してくれてたのがなによりうれしいの」
 僕がもう一度ほおにキスすると、パパはちょっと体を緊張させた。
 ママとホリーはほほ笑みを浮かべ、それぞれに持ったカメラのシャッターを押すのも忘れて、こちらを見つめていた。
「私も、ほんとにうれしいわ。なんだか夢みたい」
 ママが、満面の笑みで言った。
「私たちは、あなたが脱走するんじゃないか、私たちにもう二度と会ってくれないんじゃないかって、そればかり心配してたの。あなたが、ここで、こんなにうまくやっていけるなんて、考えてもみなかったわ」
「ここは、最初に思ってたような、嫌なところじゃなかったわ」
 僕は、ホリーの方をちらりと見てつづけた。
「メールにも書いたけど、お友達もたくさんできたし、それに、ほんとにすてきなルームメイトだっているし。パパとママも、しばらくの間、娘を持ったことに、もっと慣れなきゃだめよ」
「ああ、なんの文句もないよ」
 パパは、今度はリラックスした感じで、もう一度抱きしめてくれた。
「私は、世界中でいちばんきれいな女性のうち2人を、家族に持ってるんだ」
 それを聞いて僕は、パパの脇腹に軽くパンチを入れた。
「いちばんきれいな女性2人、でしょ。『のうち』はいらないわ」
「お前は本当に、私たちが1ヵ月かそこら前に、ここに置いていった子供なのかい?」
 思ってもいなかった攻撃から立ち直ったところで、パパは言った。
「さあ、それはどうかしら?」
 僕は、いたずらっぽい目でパパを見上げた。
「パパとママが置いてったのは、フランクって名前の男の子でしょ。今ここに、男の子なんて、いる?」
「いや、ひとりも」
 パパは笑い返し、僕のほおをくわえるようにキスしてきた。
「ここにいるのは、2人のきれいなレディだけだ」
「うぉっほん、2人のきれいなレディだけ?」
 パパの後ろに立っていたホリーが口をはさんだ。
 ふり返ったパパは、彼女に笑い返した。
「いや、3人と言いたかったんだ。でも、もし君をふくめたら、妻と娘がやきもちをやくんじゃないかと思ってね」
「彼女なら、がまんするわ」
 ママが、笑いながら約束した。
「ふふ、あたしもよ」
 僕も同意した。
「だってホリーは、けっきょくは、家族の一員なんだから」
 その言葉に肩をすくめたホリーを見て、ママが笑いかけた。
「あなたもそう思ってくれるとうれしいわ、ホリー」
「ふふ、話を先に進め過ぎじゃない? フェイス」
 ホリーは、ちょっと僕をにらむようにした。。
「あたしをその気にさせられるかどうかは、あなたがここを出てからでしょ」
「だいじょぶよ」
 僕は確信に満ちて言った。
「あなたは、あたしの魅力にまいっちゃうはずよ」
 と、パパはママと目を合わせたあと、僕の方にどこか不安そうな視線を走らせた。
 僕には、パパの気持ちが手に取るようにわかった。彼は、自分が一生、娘の父親でいる覚悟をすべきかどうか、迷っているのだ。
「心配しないで、パパ」
 僕は、そんなパパの考えを中断させた。
「これからも驚くようなことが、いろいろ起こるとは思うけどね」
「あ、ああ、それはそうだろうね」
 パパは、自分が口をはさんでもどうなるものでもないと思ったらしく、静かに言った。
「こうして、目の前の女の子を見ているだけでも、じゅうぶん驚いてるんだから」
 そして、急いで話題を変えた。
「そうそう。車に、いいものが積んであるんだ」

 いいもの――段ボール箱についたブランドマークから、それが最新式のパソコンであることがわかった。
「代金は、メールで払ってくれればいい」
 パパは、笑いをこらえ、まじめくさった顔で言った。
「もし、1週間に1通もメールが届かなかったら、これは、他の、もっとふさわしい女の子に譲り渡そうと思う」
「何かあるごとに、1日何回でも書くわ」
 僕はそう言って、大きくうなずいた。
「ママとパパも、1ヵ月に一度は会いに来てね。だって、女の子は、ママとパパがそばにいてくれなきゃ、すごく心細いんだから」
 その言葉に泣きそうになったママは、いきなり僕の腕をとって引き寄せると、抱きしめることで涙を隠した。
 こんな両親を持った僕は、世界一幸せな女の子だと思えた。

 パパは、新しいパソコンをセットアップするのを手伝ってくれた。でも、そこで、ママに部屋から追い払われた。
「機械コッコはそれくらいにして」
 ママは笑いながら言った。
「娘と私をふたりだけにしてくれる? 女どうしの秘密の話だってあるんだから」
 パパは、自分が必要なくなったことを悟ったらしい。ママと僕にキスしたあと、ホリーの案内で、ラウンジまでワールドシリーズを見に行った。
「いったい、何が起きたの?」
 パパとホリーの後ろでドアが閉まると同時に、ママがきいてきた。
「最初は私だって、あなたみたいな子にとって、これは悪い冗談にしかならないと思ってたのよ。それがどう? 今、目の前にいる私の息子は、まるで、ジュニアミスコンの優勝者みたいな美人なのよ。その上、あっという間に父親を手なずけちゃうんだもの」
「ほんとのことを言うと、冗談どころじゃなかったのよ」
 僕は、首を振りながら言った。
「最初はほんとにどうしたらいいかわからなかったんだから。ホリーは、ママが買ったかわいいものの中に、いきなりあたしを放り込んだの。で、気がついたら、あたしはその罠にかかってた。ふふ、これを見れば、その被害の進行状況がわかるわ」
 僕は、ホリーのパソコンの前に座り、彼女が撮った僕の写真を何枚も呼び出した。細心の注意を払い、ランジェリーでポーズをとっている写真や、ベビードールを着た写真は避けたが。
「これが、すべての始まり。でも、そのあとは、まわりにいる非現実的な女の子たち(※1)の影響が強いわね。彼女たちと毎日いっしょに暮らしてると、知らず知らずのうちにそれがふつうになってくる。気がつくと、あたしも他の子たちと同じように感じて、同じように振る舞ってるの。あたし、3週間前にスラックスが許されたんだけど、まだ一度も履こうって気にならないのよ。だって、スカートやワンピの方が好きなんだもん。ホリーは最初、あたしなら1週間で女の子っぽい女の子になるって言ってたけど、実際には『スネーク・アンド・スネール』(※2)から『シュガー・アンド・スパイス』に変わるのに3日しかかからなかったわ」
 (※1訳注 ‘unreal girls’口語では「(現実とは思えないほど)すてきな女の子たち」という意味に使うが、文字通り読めばもちろん「本物ではない少女たち」)
 (※2訳注 ‘snake and snail’=「ヘビとカタツムリ」 「シュガー・アンド・スパイス」と同じマザーグースの詩に出てくる「男の子のもと」 より正確には「ヘビとカタツムリと子犬のしっぽ」が男の子の成分だと歌われる ちなみに、この詩はもともと、イギリスの女の子たちが男の子をからかうわらべ歌)
「じつは前から、私はあなたに、なにかを感じてたのよね」
 ママは、さまざまな服を着た僕の写真を次々にクリックしながら、ほほ笑んだ。
「いつも見せてたマッチョな顔は、あなたの一面でしかない。乱暴で手に負えない男の子とはちがうなにかが、あなたの中にあるって気がしてたの」
「だけどママ、あたしは、本当には女の子っぽい女の子にはなりきらないつもりよ。これはまあ、ショーみたいなものだと思ってるの。ホリーを喜ばせるためのね。あたしは、ホリーに恋してるの。だからここでは、彼女の好きな女の子っぽい女の子になってるけど、ここを出たら、彼女が求めるタイプの男になるつもりよ。彼女を愛して、彼女を守っていける男にね」
 ママは、ちょっと首を振りながら、ほほえみ返した。
「それはすてきだと思うわ、フェイス。うまくいくといいわね。でも、もし、彼女を守るんじゃなくて、彼女と同じ生き方をしたいってあなたが言い出したとしても、ママはなにも驚かないわよ。だって、こうして見てると、あなたって、男を幸せにするいいお嫁さんになれそうだもの」
 僕は、ママに向かってあわてて首を振ることで、そんな気はないことを伝えた。でも、それをあえて口には出さなかった。なにか言えば、僕の心の中にある恐れが伝わりそうだったからだ。ホリーと同じ生き方をするということは、今の暮らしがつづけられるということ。この幸せな毎日を手放したくないという気持ちが、僕の中にはたしかにあった。
「それはそうと」
 ママは、いかにも女どうしの会話という感じで、唐突に話の方向を変えた。
「あたしもあなたに、ちょっとした贈り物があるのよ。パソコンほど精密なものじゃないけど、きっと気に入ると思うわ」
 そんな言葉とともにバッグを開けたママは、ちょっとの間がさごそやったあと、なにかを取り出して僕に手渡した。
 見ると、「フェイス・ジョーダン」名義のマスターカードだった。
「まだ、あなたといっしょにショッピングに行ったことがないから、お気に入りのお店とか知らないでしょ。だから、これがベストかと思って」
「わあ、ママこそ、ペストなママだわ!」
 僕は思わず黄色い声を上げていた。
「あたし、まだ、ショッピングに行くのは怖いけど、これだったら、通販でも、かわいい服が買えるもんね」
「えっ? 本気で言ってるの?」
 ママは、笑い声を立てながら言った。
「自尊心のある女の子は、ショッピングを怖がったりしないものよ。特にあなたみたいに、ほんとにきれいな娘はね。通販は、時間やお金のない時にはたしかに便利だけど、若い女の子にとっては無難な流行遅れの品揃えばかりよ。じつはね、私たち、今週いっぱい、こっちに残って、ホリーのお宅に泊めてもらうことになったの。で、ホリーのママといっしょに、明日の放課後、母娘ふた組でのショッピングを計画してるのよ。女の子として暮らしていく上で必要なものを、もっと揃えとかなきゃいけないしね。試着もすると思うから、あんまりごてごてした下着はさけてね」
 その言葉に僕は、呆然と立ちつくした。
 この間、ホリーや友だちは、いつもいっしょにショッピングに行こうと誘ってくれるが、僕はずっとそれを逃げてきた。
 でも、ママのなんだか浮き浮きした様子を見ていると、今回はそうもいきそうにない。だいいち、ショッピングを否定することは、彼女の生き方そのものを否定することにもなりかねない。
 見ていると、ママは、僕のクローゼットや引き出しを勝手に開け、何を持っていて何を買わなければいけないかを、チェックしはじめた。
 ときどき、追加しなければならないスカートの種類だとか、ワンピースのスタイルだとかをつぶやいていたが、やがてランジェリーの引き出しを調べたところで、なんだか感極まったという感じの声を上げた。
「フェイス、私がかわいいと思って選んだものを、ちゃんと使ってくれてるのね」
 ママは、顔を輝かせて笑いかけてきた。
「ちょっとやり過ぎたかと思って心配してたんだけど、この引き出しの様子を見てると、あなたがこれを好きになってくれて、喜んで着けてくれてるのがよくわかるわ」
 僕は、そんなチャンスを与えてくれたママに、感謝のハグをしなければならなかった。
「うん、ありがとう、ママ。ほんとのこというと、最初は怒ってたのよ。でも、今はみんな、あたしの宝物。かわいいし、着けたときの感じも大好き」
「やさしくて、やわらかくて、とろけそうなものに包まれてる感じって、最高の女の幸せって気がするでしょ。男の人にはぜったいわからないわよね」
「うん、堅苦しくてダサい制服でも、その下にセクシーな下着を着けてると、それだけでワクワクするもん」
 僕は、制服の下にレースのパンティを着けている時の気持ちを思い出しながら言った。
「あたしが、ここになじめたいちばんの理由は、そんな感覚がわかったからだと思うわ。かわいいものを着けてると、男の子だってことをすっかり忘れられるの」
「ふふ、女の子ってね、大人になればなるほど、そんな楽しみが増えていくものなのよ」
 もう一度ハグし合った時、ママは、秘密を打ち明けるとでも言うように耳打ちしてきた。
「小さな頃は、パーティドレスの下に、ファンシーなペチコートやラッフルのいっぱいついたパンティを履くのがうれしいのね。ちょっと大きくなるとストッキングが履けるようになるの。あなたのようにティーンエージャーになれば、もっと女っぽいランジェリーが着られる。レースやサテンを使ったね。それに、ブラは、成長したあなたの胸をすてきな形に包んでくれる。ハネムーンでは、そのサテンやレースがなりたての夫の心を完全に虜にするの。そのあとは、黒のレースやガーターベルトが、彼を夢中にさせつづける。思いっきりセクシーなブラで、彼を手なずけるの。男の人は、力で世界を支配できるって考えるのが好きみたいだけど、本当のこと言えば、そんな男を操ってるのは誘惑のしかたを知ってる女の方よね。セクシーなランジェリーは、パワフルな男をまるで子供みたいにしちゃう。そうなれば、こっちの思うつぼ」
「ふふ、あたしがそんなことを知っちゃうと、ホリーは結婚したあと、そのトリックが使えないわね」
「でも、あなたは、トリックを使う側にまわってるかもしれないわよ」
「そりゃあ、先のことは、どうなるかわからないけど‥‥」
 僕は、ナーバスな笑いとともに、消極的にそれを認めた。
「だってあたし、まさか母親と、かわいくって女っぽい下着を着る楽しさを話すことになるなんて、思ってもみなかったわけだし‥‥」
 それにしても、もしかしてママは、僕が男の子に戻らない方がいいとでも思ってるんだろうか?
「でも、あたしは、誰より、ホリーといっしょにいたいの。だから‥‥」
 するとママは、にっこり笑ってうなずき、子供の頃から慣れ親しんだキスをしてくれた。
 僕は、僕の未来について、母と娘の会話をもっとつづけるつもりだったのだが、ママの考えはちがったようだ。
「明日の夜はすてきな時間にしましょうね。あなたと私、ホリーと彼女のママ。男の子は閉め出した女の子だけの夜の外出よ! 私にとっても初めてのことだから、なんだかワクワクしちゃうわ。かわいい服を山のように試着してもらうつもりだから、脱いだり着たりが簡単なものを着てきてね。そうそう、スラックスがオーケーになったんなら、それも買わなきゃね」
「ママはあたしに、スラックスを履いてほしいの?」
 僕は、スラックスについての不本意な気持ちを顔に浮かべながら言った。
「あたし、スカートの方が好きだわ。スラックスは、かわいくないもの」
「だいじょうぶよ。あなたなら、スラックスでもジーンズでも、お気に入りのワンピースと同じようにかわいく見えるから。かわいいかどうかは、服で決まるんじゃないわ。その服を着る女の子で決まるのよ」
「ほんとにそうなら、いいけど‥‥。まだ人の多いところに出たことなんてないから、あたし、死ぬほど怖いのよ。指さされて笑われるんじゃないかって‥‥。スカートとかワンピとかを着て、きちんとメイクしてれば、少しは女の子らしく見えるって気はするけど‥‥」
 と、ママは、僕を鏡台の前に座らせ、ヘアブラシをとって、僕の髪をブラッシングしはじめた。
「そんな心配いらないわよ。大事な娘を笑うような人は、私が許さないから。それに、これだけかわいければ、笑うどころか、町中の男があなたに振り向いてもらいたくて、視線を送ってくるわ。あなただって、そのワクワクするような気分にすぐ気づくはずよ。でね、それがあなたを、もっともっとかわいくしていくの」

 次の日の夕方、ママたちは約束通りの時間にやってきた。
 僕は、デニムのミニスカートとプルオーバーを着、スニーカーを履いていた。髪はポニーテールで、メイクも最小限にとどめている。
 正直言って、僕はまるで裸をさらしているような気がしていた。
 本当は、誰からも疑いの視線を投げかけられないように、クローゼットの中で最も女らしいドレスを着たかったのだけれど、ホリーがそれを許してくれなかったのだ。
「イブニングドレスでショッピングに行く女の子が、どこの世界にいるのよ」
 僕がしぶしぶそのドレスをあきらめ、スカートを履いていると、ホリーはまた、あきれたように首を振った。
「これから、楽しいことをしに行くんでしょ。そんな暗い顔しないの」
「でも、どうすればいいのよ」
 僕は、おろおろと主張した。
「こんな服じゃあ、きっと、誰もあたしのことを女の子だって思ってくれないわ。服とヘアスタイルとメイク以外、あたしは女の子に見せる方法を知らないのよ。それを取り上げられちゃったら、どうしたらいいの? ドレスはあたしの救命胴衣みたいなもんなんだから。それがなくて、どうやって女の子らしく振る舞えっていうの?」
「ねえ、お願いだから落ち着いて」
 ホリーは深いため息をついた。
「何度言ったらわかるの? 今のあなたのどこを見ても、男の子だって思えるとこなんてないわよ。逆に、あなたのことを男の子だって、人に納得させる方がずっと難しいわ。あなたは今、大好きなピンクのパンティを履いてるんでしょ」
「う、うん、ブラもおそろい」
 僕は肩をすくめた。
「それが、なんなの?」
「ほら、ごらんなさい。もしあなたが、ほんとに自分のことを男の子だって感じてるなら、最初の日みたいに、なんの飾りもないコットンのパンティを選んだんじゃない?」
「やよ、あんなの」
 僕はすかさず言っていた。
「全然かわいくないんだもん」
「ほらね。あなたは、あたしからジーンズを借りることだってできた。サイズはほとんどいっしょなんだからね。でも、あなたはスカートを履いてるわ。ね、わかったでしょ。あなたはもう、中身まで女の子なの。いい加減、それを認めなさい。もう、話はおしまい。早くしないと、ママたちが待ちくたびれちゃうわ」
 ホリーは、ジャケットとバッグを投げてよこすと、ラウンジに向かい、むりやり僕を連れ出した。

「ほんとにあなたの言うとおりね」
 ホリーのママが、僕のママに言うのが聞こえた。
「ものすごくかわいらしいわ」
「あたしも、彼女はお人形さんみたいだって言ったでしょ」
 近づきながら、ホリーがつけ加えた。
「それなのに、この子ったら、町で男の子だって思われるんじゃないかって心配してるのよ」
「まあ、フェイス。あなたがそう見られるより、私が男だと思われる確率の方がずっと高いと思うわよ」
 ミセス・ビンクラーは、そう言って笑いかけてきた。
「あなたはほんとにかわいいレディよ。今夜はきっと、楽しくなるわ」
 そんなふうに言われたのがうれしくて、顔を赤らめていると、いつの間にか、ホリーとママが両腕を固め、僕は建物の外に連れ出されていた。

「‥‥ねえ、聞いてる?。通販カタログにだって、着やすそうですてきな服はいっぱい載ってるのよ。やっぱり、ショッピングなんて、必要ないわよ。それに‥‥そう、やり残した宿題があるような気がするし」
 さっきからつづけている僕の抗議は完全に無視され、車はすでに、モールの駐車場に乗り入れていた。
「そうよ、宿題が‥‥」
 車からむりやり降ろされながら、僕は泣き声を出していた。
「よく言うわね。あなたのことだから、今週分の宿題は、先に全部かたづけちゃってるんでしょ」
「で、でも、もう一度見直しておかないと‥‥」
「ミセス・ジョーダン、あなたのかわいい娘さんは、今や全教科でAをとってる優等生なのよ。そんな子が、宿題をし忘れてると思います?」
「えっ? 全教科で‥‥A!?」
 ママは、驚きで引きつったような声をあげた。
「う、うそでしょ?」
「今学期の優等表彰は、たぶん、彼女にまちがいないわ」
 ご親切にも、ホリーはそうつけ加えた。部屋に帰ったら、忘れずに絞め殺してやる!
 僕はなんとか、僕に向けられた視線から逃れたいと思った。
「話すつもりだったのよ。でも、このショッピングのごたごたで、つい‥‥」
「あなたは、私があなたの年頃だった頃より、ずっと美人だわ。その上、学年一の優等生?」
 僕は、ママがこれ以上興奮したら、気が狂ってしまうのではないかと心配になった。それで、ちょっとだけ訂正した。
「優等表彰は、まだ発表がないからわからないわ。まあ、クラスでいちばん成績がいいことはたしかだけど」
「クラスどころじゃないでしょ。あの呪われた学園一の成績じゃない」
 ホリーはからかうような口調で言った。
「ほんと、あたし、いつの間に追い越されちゃったのかしら?」
「あなたはいったい誰なの? 私の息子をどうしちゃったの?」
 ママも、ジョークできいてきた。
「ママとパパが、息子を女の子にしちゃったって記憶が正しいとすれば、たぶんあたしは、殺人はしてないわ」
 どう、ママ? お利口な答えでしょ!
「だけど、パパにこれを信じさせるのは、至難の業ね」
「もうじき、成績通知票が出るから、それを見せればわかるはずよ」
「ああ、全能なる神よ」
 ママの感謝の祈りはつぶやきのつもりだったようだが、しっかり聞こえていた。
 そこで、モールの入り口にたどりついたことに気づいた僕は、叫んでいた。
「マ、ママ、お願い。もう一回、お祈りして!」
 ついに、ティーンエージャーの女の子としての、世の中へのデビューの時が来てしまった。

 おおよそ1時間、次から次へと服を試着したところで、ママはいったん休憩しようと決めたようだ。
 お店を出たママが、あとの3人を従えるようにどんどん歩いていくのを見て、僕は最初、フードコートへでも行くつもりかと思った。
 とりあえずここまではなんの問題も起きていなかったので、正直、僕はちょっと安心していた。というか、自分が男の子だということを忘れ、ショッピングを楽しみはじめていた。でも、ママが向かっている先が女子トイレだったことがわかったところで、僕はまたパニックに陥った。
「だ、だめよ、ママ。こんなとこ、入れないわ。ばれたら逮捕されちゃう」
 と、そこで、目の前のスイングドアが左右に揺れ、くすくす笑い合いながら、女の子の一団が出てきた。
 それに緊張し、あわてて目を伏せると、女の子のうちのひとりが、そんな僕に近づき、踊るようにしながら抱きしめてきた。そして、聞き覚えのある声で僕の名を呼んだ。
「まあ、フェイスじゃない。超まじめで優等生な家庭教師も、ついにこんなとこに来られるようになったのね」
 その声と女の子っぽいはしゃぎぶりで思い当たるのは一人しかいない。
「えっ、ジル?」
 顔を上げた僕は、ホリーの方をちらりと見ながら言い訳した。
「どうも、あたしの“元”親友が、母親ふたりをけしかけて、あたしを連れ出したってことみたい」
「いいじゃない。ショッピングは楽しいわよ。ボーイフレンドとのビリヤード・デートには負けるけど」
 ジルは声を立てて笑い、つづけた。
「だって、あたしが勝った点差の分だけ、彼にキスしてもらえるのよ」
 ひとしきり笑った彼女は、僕たちを見て、どっちが僕のママかきいてきた。
 僕は、簡単に紹介しながら、ママにこれ以上あれこれ知られる前に、ジルがもう少しテンションを下げてくれないかと思った。
「ミセス・ジョーダン、あなたの娘さんって、ほんとにすごいのよ」
 やめてくれという視線を送っているにもかかわらず、ジルは僕をべたぼめしはじめた。
「かわいくてきれいだし、その上、頭がいいし。あたしが幾何の授業で落第せずにすんだのは、フェイスのおかげ。他にも何人もの女の子が、彼女の家庭教師のおかげで、救われてるわ」
 ママの顔がさらに輝きだし、それを見て、僕はますます憂鬱になった。
「さっきから聞かされてる娘についての話は、驚くことばっかりよ。今夜、帰ってから、パパのちっちゃな恋人がどれほどすばらしい娘か、話して聞かせるのが待ちきれないわ」
「ワオ、フェイス、あなたって、パパのちっちゃな恋人?」
 ジルは、かん高い声で叫んだ。
「すてき! きっとパパの財布には、あなたの写真が入ってるわね」
「そ、そんなこと、まさか‥‥」
「財布だけじゃないわ。あの人はもう、寝室の壁にも額入りの写真を飾ってるわよ」
 ママは、にっこり笑ってつづけた。
「パパは、そのちっちゃな恋人にずいぶん期待してたのよ。でも、彼女はもう、その期待を完全に超えちゃったみたい」
「ええ、ほんとにそう」
 ジルといっしょにいた別の女の子が口をはさんできた。この子も、時々勉強の相談にのってあげている子だ。
「フェイスと知り合えたのは、あたしがグレート・インディアン・リバーに来てから3年間のうちで、ベストワンの出来事よ。彼女に化学を教えてもらったとたん、あれだけ苦手だったのが、わかるようになったんだもん」
「これまで気がつかなかったんだけど、あたし、もともと人に教えたりするのが好きみたい」
 ママの誇らしげな視線に、僕は肩をすくめながら、また言い訳した。
「どういうわけか、みんな、あたしの教え方はわかりやすいって言うし」

 その禁じられた領域、女子トイレへの小旅行もなんの問題もなく果たし、そこでママは、ランジェリーショップへ行こうと言いだした。
「ハニー、あなたが持ってないもので、買っといた方がいいと思うものがあるのよ。ちょっと男の子っぽいものだけど、あなたなら変じゃないと思うから」
 男の子っぽいもの? ランジェリー売場に?
 男の子が女の子の服を着て、女の子として暮らす奇妙な学校があるくらいだから、ついに世の中では、男の子用のランジェリーを売り出したのだろうか?
「ほら、これよ。ローライズのジーンズを履くときには、いいと思わない?」
 ママはそう言って、一枚のパンティを手に取った。それは確かに、男の子用と同じようなぴっちりしたフルカットの下履きだった。でも、上のへりがヒップの真ん中くらいまでしかなく、しかも、全体が黒いレースでできていた。
「ボーイカットだけど、これなら、いやじゃないでしょ?」
 こんなすてきなものをいやだなんて言ったら、ぜったい、ばちがあたる!
 僕は、ママが最初に揃えてくれたかわいいパンティが好きだけれど、今、手にしているこれは、もう死んでもいいくらい、セクシーだし、女っぽい。
「毎日毎日、おんなじようなパンティを履いてちゃだめよ。女の子は、持ってる服に合わせて、下着もいろんなのを揃えとかなきゃね。他にも好きなのがあったら、買ってあげるから、1枚か2枚選びなさい」
「ママ、すてき! あたし、これまでに、ママのこと大好きって言ったことあったっけ?」
「九つくらいが最後だったかしら? そのあとの男の子って、母親にそんなこと言うもんじゃないって思うみたいね」
「じゃ、あたしは言ってもいいわね。ママ、あたし、ママのこと、ほんとに、ほんとに、ほんとに大ッ好き!」
 僕はそう言ってママに抱きついてから、僕のコレクションに入れたいパンティを取っていった。ピンクのと、ブルーのと、白いのと、クリームのと、もひとつブルーのと‥‥。
 そして、言った。
「ねえ、ママぁ、おそろいのブラも、あった方がいいと思わない?」
 幸運なことに、僕の選んだパンティには、すべてペアのブラが品揃えされていた。
 こうして僕は、たとえ2週間洗濯しないでも、毎日ちがうパンティとブラを着けられる女の子になった。

 寮の部屋に戻り、ゆっくりとバブルバスにつかった後、僕は、これまで履いたうちで最もワクワクするパンティを身につけた。もちろん、僕のコレクションに初めて加わった黒いボーイカットパンティだ。
 おかしなもので、「ボーイカット」というその呼び名が、僕に、女の子っぽい、もっと言えば、大人の女になったような気分をもたらしてくれた。

 ママとパパが家に帰る前日の土曜日、僕はふたりとすてきな高級レストランにディナーに行くことになった。
 パパを驚かせるために、ママと僕は示し合わせて、おそろいの服を着ることにした。この前の週末ショッピングでいっしょに買った黒のミニドレスだ。ノースリーブで、僕の方はその上に、ピンクのジャケットを羽織った。襟の折り返しだけ黒になったかわいいデザインだ。ママのジャケットは、全体が黒でピンクのアクセントが入っている。
 僕らは、髪型も似たものにし、さらに完璧にするために、おそろいの黒スエードのブーツも買っていた。
 僕は、ふたりを見たパパの顔を想像しワクワクした。そして、パパが、自分が連れたふたりの女性を自慢に感じてくれたらうれしいと思った。

 実際にレストランに行くまで、僕はわりと平然とし、自信満々に見せていた。でも、その入り口を入ったとたん、まるでホラー映画を見ている小さな子供のように、がたがたぶるぶると震えだしていた。
 学校ではもう、2ヵ月以上、女の子の服で過ごしているが、よく考えたら、それ以外で多くの人の目が集中する場所に行ったことがない。この前のショッピングは、ずっと歩いていたのだし、周囲の人も自分の買い物の方に気を取られていた。でも、今回は、あの時とはちがう。
 実際、レストランの中に入って予約したテーブルに案内される途中、店内の人々がこちらに顔を向け、僕らに‥‥というか、どうやら僕に視線を注いできた。
 パパは、僕がびくついているのにすぐに気づき、僕の手をとり、自分の腕で包むようにしてくれた。ママも、反対側の腕に手を絡めてくれた。
 ウエイターについて歩きながら、パパは、すべてうまくいっているという表情でうなずいた。
「落ち着いて、フェイス」
 そして、テーブルに近づいたところで、まだ小刻みに震えている僕にささやいた。
「みんな、パパを見てうらやましがってるのさ。どうやったら、あんな美人をふたりもディナーに連れて来られるのかってね」
 僕はそこで、ママをまね、それに、映画で見たシーンとかを思い出し、ウエイターが椅子を引いてくれるのを待った。そして、注意深くスカートの裾をなでつけ、腰掛けた。
 ママは、そんな僕の作法をそっとほめてくれた。
 食事が始まると、パパは、僕のことをきれいだとかかわいいとか言いつづけた。それがあんまりつづくので、僕はパパに、ほめ言葉を待っている女性がもう一人いることを、それとなく諭さなければならなかった。
 そんなふうに、ことは順調に進み、そのせいで僕は、最初持っていた警戒心をすっかり忘れていた。そして、ウエイターに向かい、ソフトドリンクのおかわりを頼んでいた。
 とたん、僕は、テーブルの下に隠れたくなった。
 おそらく、なんの警戒もせずに発した僕の声で、ウエイターは、こちらの正体に気づいたにちがいなかった。この若いレディが、じつは男だと知って、大声で笑い出すにちがいないと感じた。
 ところが彼は、驚きの瞬きひとつせず、にっこり笑い返し給仕してくれた。
「ほらね、フェイス。なんの心配もいらないでしょ」
 ママが、やさしい声で言った。
「あなたは、誰が見ても、若くてきれいなレディにしか見えないのよ。もっとリラックスして、それを楽しみなさい」
 それは、実際、楽しかった。それについて、僕はなんの異議もない。
 ウエイターは、僕がまるでプリンセスでもあるかのように、うやうやしく接してくれた。
 パパに連れられダンスフロアに出ると、多くのほほ笑みと賛美のまなざしが集まってきた。
 たとえ、そのうちの誰かが、僕のことをドレスを着た男の子ではないかと疑っていたとしても、それがなんだというのだろう。
 なにより僕自身が、自分のことを、パパとダンスするかわいい女の子だと感じているのだ。
 それは、すごくすてきなことだった。
 学校にいる時と同じように、街なかのこんな場所でも、僕は女の子でいられる。なんだか、夢の中にいるような気がした。
 僕はもう、フランクではない。あの腐ったような目をして、まともに口もきけないガキ、いつも問題ばかり起こし、両親を震え上がらせていたあのどうしようもない男の子ではないのだ。
 僕は、フェイス。やさしくて、賢くて、かわいくて、誰からも好かれ、両親にも心から愛されている女の子なのだ。
 僕は心に誓っていた。
 将来、家に帰っても、僕は、両親が誇りに思えるような子供でいつづけよう。かつて両親が感じつづけていた不名誉を、自らの行いで償い、ぬぐい去ろう、と。
 もちろん、僕が帰れば、かつての仲間たちが、かつてのフランクを期待して集まってくるだろう。でも、彼らはそこで、悔い改めた新しいフランクと会うことになるのだ。礼儀正しくて、頭がよくて、そして、見たこともないような美人のガールフレンド、ホリーを連れた。
 心の中でそう誓ってさえいれば、未だ多少残っている女の子でいることへの抵抗感をすっかり捨ててしまってもかまわないだろう。
 あの古き良き女子校「グレート・インディアン・リバー」――そこにいる女の子たちの言い方で言えば「ガールセンター」――での残りの暮らしを、めいっぱい楽しんでもいいだろう。

 ママの後について女性用トイレに入るのにも、今回は、なんのためらいもなかった。
 メイク直しやヘアスタイルのチェックをしながら、僕は、ママとパパが、僕をガールセンターに入れてくれたことを感謝していると伝えた。
 ママは、うれしそうな顔をしたが、一方でちょっと戸惑ったようにきいてきた。
「つまりそれは、もう、タオルを投げるってこと? ホリーの影響力が、あなたに最大限に働いたってことなの?」
「そんなんじゃないわよ、ママ」
 口紅を塗り直したところで、僕は言った。
「タオルを投げるつもりはないの。でも、この2年の間は、タオルをきちんとたたんで、引き出しの奥にしまっておこうって思ったの。もちろん、ママとパパがそれでいいのなら、だけど」
 いきなり、息ができなくなるほど抱きしめられていた。
「ママ、落ち着いて。そんなきつく抱かれたら、あたし、死んじゃうわ」
「あっ、ごめんね。パパと私は、あなたがこんなにいい子になってくれたことに、いちいち感動してしまうの。ここで本当にやっていけるんだろうかって、すごく心配してたから」
「あたしだって、自分に起こったことが、未だに信じられないんだもん。でもねママ、女の子になってみたことは、あたしにとってまちがってなかったと思うの。少なくとも、今はね。もちろん、将来は元に戻って、ホリーと結婚したいって気持ちは、変わってないのよ」
「それは、すてきだと思うわ。ホリーは気だてのいい女の子だし、パパも私も、彼女のことが大好きよ。でも、ここ何日か、あなたといっしょに過ごして、将来、あなたが男の子に戻るって気持ちを持ち続けるかどうかは、よくわからないって感じたわ」、
 ママはけっして押しつけがましくはない口調で、でも、その目の中に、ママなりの思惑があることを示しながら言った。
「あなたの年頃の女の子ってみんな、女であることの意味を少しずつ学びながら成長しているんだと思うのね。あなたを見てて、それと、どこがちがうのかなって感じがするの。若い女性として学びながら毎日を過ごしたあなたが、もう一度男の子になりたいと思うかどうか、パパとママは、何も言わずにずっと見守ってるわ」
「ママ、あたしずっと、それが怖かったし、今も怖いの。でも、その怖さって、今は、ジェットコースターに乗る時の怖さみたいな気もしてるのよ。あたし自身も、どこかでそれを、楽しんでる気がする」

 ママは、どちらかといえば、僕に女の子でいつづけてほしいと思っている気がしたが、そのことを、それ以上言い立てることはなかった。
 その代わり、ディナーの帰りに、何冊かの女性雑誌を買ってくれた。同じ年頃の女の子の気持ちがわかるようにということらしい。
 帰って読んでみたが、おおかたの特集は、どうしようもなくくだらないものに思えた。カレが大親友と浮気しただとか、ダンスパーティまでにニキビをなくす方法だとか、好きな男の子の前に出ると何も言えなくなるだとか、そんなことばかりが書かれていた。
 ただし、いくつかの特集‥‥最新のヘアスタイルだとかファッションだとかは、とても参考になった。自分自身でやってみるために、また、通販でオーダーをする候補として、僕は気に入ったページに印を付けた。

 11月初旬、正式な成績通知票が出た。
 僕は、学年で一位の成績をとっていた。一生懸命勉強したのが実ったのは確かだった。
 全教科のテストがA評価で、学科平均値が4.0ポイント。これはもちろん、僕がこれまでとった成績のうちいちばんいいものだ。なにしろ、前の学校の成績より2.5ポイント高い。
 以前はクラスの道化でトラブルメーカーだった人間が、全校一期待される存在になったというのは、これはこれで、慣れるのがたいへんなことだ。
 言うまでもなく、僕はすぐに、ママとパパに報告した。
 この2ヵ月間で得られたママとパパからの信頼は、僕にとって最も大事だと思えるものになっていた。この成績は、さらにそれを確かなものにしてくれた。
 パパはまた、愛する妻と娘をお祝いのディナーに連れて行くと約束し、ママは、僕のおねだりショッピングにつき合うことを約束してくれた。

 とはいえ、この前両親がたずねてきた時以来、僕は一度も寮から外へ出ていなかった。
 自分が女の子としてパスできないのではないかという僕の不安は、そうとう根深く、この前のショッピングやディナーだけでは、とてもぬぐい去ることができないものだった。
 もちろん、この前、なんの問題もなかったのはわかっているし、僕のやさしい助言者ホリーは、僕が不安を語るたびに、この頃では「もういい加減にしなさい」と言う。それでも僕は外出に自信がない。授業中のように、うまくパスできるとはとうてい思えない。学校では「できる子」になった自信があるから、なんとか女の子らしく振る舞えているにすぎない気がするのだ。
 僕がこんなに不安なのは、女の子というものを知れば知るほど、男の子とのちがいに気づくからかもしれない。そのちがいは、けっして服やルックスだけでごまかせるものではない。女の子と男の子は、行動がまるでちがうのだ。
 たとえば、僕が男の子だった時、他の男の子と会うと、たいてい握手していた。ところが女の子どうしの場合は、かん高い声を上げ、抱き合うことになる。このガールセンターに来て3ヵ月がたつというのに、僕はまだそれになじめないでいる。
 ジルなどは、僕がそれに慣れるようにと、僕を見つけるとわざとそうしてくるのだが、それでも、そんな時、僕はちょっと引いてしまう。

 もちろん、ジルは本当にいい子だ。それ以外に、彼女のことを表現する言葉なんてない。
 キュートで、男の子にモテて、いつも服のセンスがいい。でも、彼女の良さはそんなことだけじゃない。それらすべてを兼ね備えながら、なにより、思いやりがあって面倒見がいいのだ。もし、この学校でいちばん性格のいい子は誰かという投票をしたら、必ずジルが一位になるだろう。
 なにか個人的に困った問題が起こると、みんながジルに相談する。家族との問題でも、男の子との問題でも、ジルは親身になって聞いてくれ、気持ちが楽になるアドバイスをしてくれる。
 もし、ある女の子が特別なデートに着ていくための服に困ったら、ジルに頼めばいい。まちがいなく、その子にいちばん似合う服が手に入るだろう。
 そう、ジルはいい子だ。でもそれだけじゃない。その表情の下には、無尽蔵の愛情のエネルギーを発する原子炉が隠されている。
 だから、彼女はハグが好きなのだ。あのモールの女子トイレで僕を見つけた時のように、ハグしながら、まるで踊るように飛び跳ねる。
 相手の体がどれだけ大きくても、そして、彼女が飛び抜けて小柄であるにもかかわらず、その抱擁は、相手を大きく包んでしまう。

 話を僕のことに戻そう。
 とにかく僕は、自分が男の子だと見破られることを死ぬほど恐れていた。それは、言ってみれば、思春期拒食症とかと同じようなレベルに達していた。
 友だちはみんな、僕のことをかわいいと言ってくれるけれど、僕は、自分の姿を鏡で見ている時、そこにどうしても男の子が見えてきてしまう。たとえ、いちばんかわいい服を着ていても、ヘアやメイクに何時間かけたとしても、そんな恐怖をぬぐい去ることができない。
 ママとショッピングに行ったときも、ママやパパとのディナーでも、その時点では楽しいと思えたのだが、帰った時にはぐったりと疲れ切っていた。その間ずっと、女の子ならこんな時どうするのかと考え緊張しつづけていたからにちがいなかった。
 学校では、まあ、うまくやっている。教室にいる時、僕は、自分をまったく女の子だと感じている。
 ところが、町に出たりすると、とたんに僕は、強風の中の木の葉のように震え出す。町行く人すべてから、男の子だと見抜かれているような気がしてしかたがないのだ。
 もちろん、ルックスにだってまだ問題は多い。たしかに、上半身だけなら、今の僕は女の子以外の何ものにも見えないだろう。口幅ったい言い方をすれば、かなりかわいい子の部類だという気もする。
 でも‥‥。
 たとえバストはにせ物でごまかせたとしても、全身に目を移せば、そうはいかない。僕の体型が同じ年頃の女の子とちがうことは、すぐわかるはずだ。ヒップはボリュームがなさ過ぎるし、女の子のお尻独特の丸みもないからだ。
 スカートなら、体型をあらわにしないものも多いからごまかしもきくが、パンツではそんな弱点をもろにさらしてしまう。スラックスを履いて女の子らしく見せるには、もっとヒップの横幅や丸みが必要なのだ。
 ここに来たばかりの頃、よくホリーが、ついつい仲間と自分を比べて落ち込むことがあると話していた。
 その頃の僕は、自分がそんなことに思い煩うとは考えてもみなかった。そもそも、女の子として本気でパスしたいなどとは思っていなかったのだ。女の子として暮らし、学校へ行くことに抵抗を感じていたのだから、他の誰かのようになりたいなどと思わないのは、当然だろう。
 でも、3ヵ月が過ぎた今、僕は、ホリーのことをうらやましくてしかたない。彼女のように、スラックスの似合う幅のあるヒップや丸いお尻がほしいと切実に思うのだ。

 そんな僕の悩みに、救いの手をさしのべてくれたのは、他ならぬホリーだった。
 約束の両親とのディナーの日、僕は、できれば、この前ママに買ってもらったレザーのパンツ姿で行きたいと思った。でも、この体型ではとても無理だとホリーに話した。
 すると彼女は、そういうことならいい解決策があると、いきなり自分のクローゼットの奥に首を突っ込み、そこに積まれたいくつかの箱の中をがさごそ探し出した。
 彼女がそこから持ち出してきたのは、1枚のパンティのようなものだった。他に、ラバーフォームでできた奇妙な形のピースがいくつかセットになっていた。
「ホルモンの効果が出はじめるまで、あたしが使ってたものよ」
 ホリーはまず、そう説明した。
「特製のパンティガードルと、それに入れるパッド。これで、キュートなお尻ができるわ。最初は、お尻のまわりに変な圧迫感があって、着け心地はよくないかもしれないけど、すぐに慣れるわ。鏡の前で着けてみて。きっと気に入ると思うから」
 彼女は、僕にパンティだけになるように言い、その間に、ガードルのサイドやバックの内側にあるポケットに、パッドを挿入した。
「あなたのものをきちんとタックして、パンティをきつく引っ張り上げてくれる?」
「タック‥‥? なんのこと?」
 僕は、愚かなことをきいたようだ。
 そう、それはほんとに愚かなことだった。そこで、あきれたように首を振ったホリーは、次には僕の顔を哀れそうに見つめ‥‥そしていきなり‥‥パンティの中に手を突っ込み‥‥タマタマを体の中に押し込み‥‥小さくなったウインナーを腿の間に折り曲げ‥‥パンティの縁をつかみ‥‥あごにも届かんばかりの勢いで引き上げた
「‥‥ウッ!」
「次、ガードル! 履いたら同じように引き上げる!」
 僕が苦しみにもだえるすきを与えないよう、彼女は、海軍の指導兵が訓練兵に示す種類のやさしさで言った。
「ア、アイアイサー」
 僕は、下腹部につづけざまにくわえられた驚きと苦しさに息も絶え絶えになりながら答えた。
「できたら、鏡に向かって、まわれ右ッ!」
 そのやさしい指導兵ルームメイトの命令どおり、ガードルを履いて引っ張り上げた僕は、鏡を見た。
 そして次の瞬間、ジルが見たらきっと喜ぶにちがいないやり方で、ホリーを抱きしめ、飛び跳ねていた。
「すごーい! ウソみたい!」
 僕はそう繰り返しながら、ホリーの手を取り、部屋中を踊りまわった。
「これなら、あのスラックスが似合うわ。早く見てみたーい!」
「そう、よかったわね。もうわかったから、あたしの手を離して、さっさと履いてみなさいよ」
 ホリーは、僕のせいで目がまわったらしく、うめくように言った。
「まったく、あなたったら、ジルの影響、受け過ぎよ」
 僕はあわててクローゼットに走り、急いで新品のスラックスを引っ張り出し、そそくさと足を通し、あせってファスナーを上げた。
「オー、イエイ、ベイビー。あたしって、かっこいいぜい!」
 鏡を見ながら、僕は自分の新しい体型にワクワクしながら叫んだ。
「ほらね、女の子が本気になれば、男の子はすごすご引っ込まざるを得ないのよ。ルックスでも、知恵でも、それに、慎み深さでもね」
「ありがと、ホリー」
 僕はそう言って、彼女のほおに姉妹としてのキスを贈った。
「あなたはいつだって、あたしのいちばんの相談相手だわ」
 その茶色のレザーパンツにぴったりの白いシルクのブラウスを合わせたところで、僕は、ベッドの下に手を伸ばし、履いていく予定の靴を引っ張り出した。3インチのとがったヒールのついたパンプスだ。
「えっ? そんなの、履いてくつもりなの?」
 僕がストッキングの足をその靴に入れるのを驚いたように見つめながら、ホリーが言った。
「あなた、死ぬわよ」
「だいじょぶよ。じつはこの2週間、あなたのいない時に、こっそり練習してたの」
 僕はそう言って胸を張り、部屋を横切ったところでくるっとターンしてみせた。
「この自然にお尻が揺れる感じ、すてき」
「そんなふうに町を歩いたら、すれちがう男の子たちがどんなふうになるか、わかってるの?」
 ホリーはからかうように言った。
「もしかして、前にあなたがディープキスした時の、あたしみたいになるってこと?」
 僕は、まつげにマスカラを塗りながら、笑い返した。
「だってあたし、ちゃんとパスしたいんだもん。誰かに男の子じゃないかって疑われるくらいなら、その方がずっとましよ」
 ホリーは、あきれたように小さく口笛を吹いた。
「お姉ちゃんの言うこと、ぜんぜん信用してないのね、この妹は。そこまでやらなくたって、あなたはもう、まちがいなく女の子よ」

 ママとパパは、僕の着てきたものを見て、ちょっと驚いたようだ。
「へえ、今夜は、スラックスなのかい?」
 パパがからかうように言った。
「この前はたしか、スカートかドレスしか着ないって言ってたと思うけど」
 僕は、パパを抱きしめ、キスしながら言った。
「パパって、意地悪ね。せっかく、ママに買ってもらったかわいい服を見てもらいたくて着てきたのに」
「ねえ、あなた。フェイスにすごく似合うと思わない?」
 ママが自慢げに言った。
「私もこれだけきれいならいいのにって、自分の娘ながら妬けてきちゃうわ」
「あたしのママなんだもん、ママだって、あたしの年頃にはそうだったでしょ。もちろん、今だってすごい美人だけど」
「うむ、頭がよくて、美人で、気だてもいい。うちの子は、娘としての理想像がワンパックになってるってわけだ」
 パパは、そう言って笑った。
「こんな愛らしい娘が、前はどんなだったか、もう私たちにも思い出せないよ」
「ママ、パパ、大好きよ」
 僕は、ちょっとうつむきながら言った。
「それなのに、ひどいことばっかりしてて、ごめんなさい。あたし、もう、二度とあんなふうにはならない。約束するわ」
「ママとパパも、君のことを心から愛してるよ、フェイス」
 パパは僕にキスしながら言った。
「こんな子供を持てたことは、私たちのなによりもの誇りなんだから」

 まるで魔法のような夜だった。
 食事は、この前と同じようにおいしくて、パパとのダンスは、この前以上にすてきだった。踊っている間中、僕は、自分のことを、本物の女の子だと感じていた。
 寮に帰った後、僕はホリーといっしょに写真を撮った。もし将来、なにかつらいことがあったりしたら、この写真を見てこの夜のことを思い出せば、それだけで勇気が出る気がしたからだ。

 次の朝、ショッピングに行くために、ママが迎えに来た。
 服はもう十分にあったので、この日は、ジュエリーショップでパパのお金を使うことに決めた。

「わあ、ママ、それ、すごくかわいい」
 ママの持ったネックレスを見て、僕は思わず歓声を上げていた。細いチェーンにぶら下がったエメラルドのまわりを小さなダイヤが取りまいている。
「でも、ちょっと高すぎない?」
「平気よ」
 ママは、平然と言った。
「ほら、グリーンのワンピースがあったでしょ。あれと合うと思わない?」
「え? ああ、あの、ママが買ってくれた白いえりの?」
「そう、あなたの脚が、すごくきれいに見えるやつ。あんなのでヒールを履いて歩いたら、男の子たちはみんな、のぼせ上がるわよ」
 僕は、自分が、そのグリーンのミニのワンピースを着ているところを想像し、ママの言うとおりだと思った。その姿は、ものすごくかわいく、僕自身の経験から言っても、あんな服を男の子は大好きなものだ。
「で、でも、なんか怖いわ。あたし、男の子をのぼせ上がらせたくなんか、ないもん」
「それは、どうしようもないことなのよ、フェイス」
 ママは、そのネックレスと、ペアのイアリングをお店の人に差し出しながら言った。
「あなたは、これだけ魅力的な娘なんだもん。男の子たちは、あなたのことを知りたくて、どうしたって近づいてくるわ。それにね、そんな経験が、女の子が大人になることのすべてだって言ってもいいくらいなのよ」
「でもママ、あたしは、女の子として大人になる気はないのよ。男の大人になって、ホリーと結婚するんだから」
「それはそれで、すてきなプランだと思うわよ」
 ママは、今度はレディスウォッチとブレスレットを見ながら言った。
「でも、あなたは、ここにいる2年の間、デートもしないつもり? それはあなたの年頃として、けっして健康なことじゃないわ。ホリーに聞いたんだけど、あそこの女の子たちは、たいてい、このあたりの男の人とデートしてるんでしょ。中には、本当に女性になって結婚しちゃったカップルまであるっていうじゃない。もちろん、ママとパパは、そこまでは望まないけど、あなたに、もっと若者らしい楽しみも持ってほしいと思ってるのよ」
 ここでママと論争してみても、得なことは何もないだろう。要するにママの言っていることは、2年間女の子でいるのなら、その役を楽しんでほしいということにすぎない。
 もちろん僕は、男とデートする気なんてさらさらない。ても、この場でそれを言い立てて、せっかくのご機嫌を損ねたくはない。そう考えた僕は、ママの言い分を聞いたふりをしておこうと思った。
「うん、考えてみるわ、ママ」
 僕は、とりあえず約束した。
「そんなに、いやがることじゃないのかもね」
 いや、ぜったいに、いやだ!
 僕はやっぱり、女の子が好きだ。つまり、その、本物の女の子が‥‥そう、ホリーこそ、僕にとっての本物の女の子なのだ。
 2年間、僕自身が女の子でいなければならないのはしかたないとしても、そのせいで、男とデートしたくなったり、神様の禁じているようなことをしたくなったりはしないはずだ。
「わかってくれたのね。いい娘よ、フェイス。ところで、これとこれ、どっちの腕時計が欲しいの?」
 それに、僕の思っていることは、ママの思いとそんなにかけ離れているわけでもない。
 一時的であるにしろ、僕は今女の子だ。女の子らしいデートをしろというなら、してもいい。ただしそれは、ホリーを誘っての女の子どうしのデートという意味でだが。
 少なくとも、ママにまったくのウソをついたわけではない。

 ところが、寮まで送ってきてくれたところで、ママは、僕のそんな思惑を、みごとに打ち砕いてしまった。
「フェイスは、さみしい思いはしたくないんですって」
 部屋までついてきたママは、中に入るなり、ホリーに声をかけた。
「男の子とのおつきあいに慣れるまで、ダブルデートとかに誘ってくれるとうれしいんだけど」
 その言葉にこちらを向いたホリーも、一瞬にして僕の思惑を見抜いたようだ。
「ええ、あたしも大賛成だわ。彼女はこれだけかわいいんだもん。目の前に楽しいことがあるのに、部屋に一人で引きこもってるなんて、もったいないわ。彼女が気に入るような男の子2人、心当たりもあるし」
「ありがとう、ホリー、よろしくお願いね」
 もしホリーがもう少し近くにいたなら、そして、ママがもう少しドアの外にいたなら、すぐにホリーに仕返ししてやるところだ。
「感謝してるわ。あなただけが頼りよ」
 ママは、にっこりと笑って出て行きながら、さらにつけ加えた。
「何かあったら、報告してね」
「よろこんで。ミセス・ジョーダン」
 ホリーは、ママの後ろ姿に向かってそう叫んだ。
「‥‥ふふ、ママの言葉は取り消せないわよね」
 ドアが閉まったところでホリーはにんまりと笑った。
「つまり、あなたが思ってたほど、ママは馬鹿じゃなかったってことでしょ」
「ね、ねえ、あたしと男をくっつけるなんてこと、マジで考えてるわけじゃない‥‥でしょ?」
「あなたのママとの約束だもん。あたしだって破れないわ。それに、あなたとしても困るんじゃない? だって、あなたとあたしが結婚したら、お母様はお姑さんだもの」
「そ、それはべつに気にしなくていいんじゃないかな」
「でも、あなたがデートを断りつづけるとしたら、それはそれで、ママにも報告しなきゃいけないわけだしぃ」
 ホリーは、そう脅してきた。
「ふふ、もう、あきらめたら? たぶん、ママがこの話を持ち出した時点で、あなたは負けてたのよ」
 ホリーの言うとおりなのだろう。
 ママは、もっと前からこんな成り行きを考えていたにちがいない。そして、すべてを読んでいたのだ。僕がどんな反応をし、どうごまかすかまで。要するに、全部が、ママの策略だったということだ。
 僕をショッピングに連れ出し、気軽な感じでデートの話を持ち出す。そのあと、寮に戻ったところで、小さな罠を仕掛ける。すべて読みどおりだ。
 彼女は自軍の目的達成のためなら、どんな障害でも乗り越える能力を持った優秀な将軍なのだ。彼女が指揮していたなら、第二次大戦も1ヵ月でかたがついたにちがいない。敵方は、ママのやり方を目にしたとたん、戦う気を削がれ、降伏しただろう。
「お願いだから、忘れて」
 僕は、嘆願していた。
「もし、男にキスなんかされたら、あたし‥‥僕、気が狂っちゃうよ」

 僕は、この時、必死の思いで本音を吐露していた。
 おそらく、そんな切実さが伝わったのだろう。ホリーはそこで話をやめ、その後も、デートの件は持ち出さなかった。もちろん僕も、そんな話題には触れないよう心がけた。
 そのせいで、僕らの間には、どこか気まずい雰囲気が漂った。でも、そんな雰囲気にせよなんにせよ、つづけてやって来た感謝祭シーズンは、ものごとが一巡し、新たな物語が始まる1年の節目だ。
 その連休中、僕らふた家族は、ホリーの実家でパーティをし、いっしょに過ごすことになった。

 都合のよいことに、どうやらママは、この前の成り行きを忘れているようで、僕は、ホリーのママが料理したおいしい七面鳥を安心して満喫することができた。
 七面鳥に限らず、すべての料理がおいしかった。そのせいで僕は、自分の皿に取り分けたぶんをあっという間に平らげてしまった。
 そして、料理を追加しようと手を伸ばしかけた時だった。
「ダメよ。そんなガツガツするなんて、女の子らしくないでしょ。それに、これ以上食べたらブタになるわ」
 そんな声が、どこからともなく聞こえた。
 どきりとして手を引っ込めた僕は、今のは誰だったのかときょろきょろした末、それが、自分自身の心の声だったことに気づき、愕然とした。
 外泊許可をもらって学校を離れ、しかも、自分が本当は男の子だということを知っている人たちに囲まれているというのに、僕には、男の子に戻ってくつろぐことができなくなっているのだ。
 数ヵ月、女の子を演じつづけてきたことで、それがすっかり身についてしまっている。どうやらもう、それ以外のものとして振る舞えなくなっているらしい。

「フェイス、君はほんとにいいお嬢さんだね」
 食後のかたづけを手伝ってテーブルを拭いていると、ホリーのパパが声をかけてきた。
「学校の成績もいいんだってね」
「ありがとうございます」
 ほめてもらえたのがうれしくて、僕はにっこりと笑い返した。
「たぶん、授業が面白いからだと思います。先生の教え方がいいのかしら。幾何だって、全然むずかしいって思わないんです」
「ママから聞いたでしょ。フェイスは学年でトップなのよ」
 皿をかたづけていたホリーが言った。
「幾何なんて、彼女に教えてもらってる子たちがいっぱいいるんだから」
「へえ、そんなに幾何が得意なの?」
 ホリーの兄、ロバートがきいてきた。
 僕は、ついつい自慢したくなって言った。
「今ホリーが言ったように、いちおう学年でいちばんよ。全教科A評価」
「えっ、幾何もAなの?」
 その驚きようから、彼がそれを苦手にしているらしいのがわかった。
「じつは前に、どんなものかと思って、ホリーの教科書を見せてもらったことがあるんだ。君は、あんなのが理解できるわけ? 僕の教科書より、ずっとむずかしかったぜ」
「さあ、それは、よく知らないけど‥‥」
 僕は笑いながら、肩をすくめた。
「あたしは、そんなにむずかしいと感じないわ」
「あのさ、人にこんなこと頼むのは、あんまり好きじゃないんだけど、じつは来週、幾何の大事なテストがあるんだ。困っててさ。もし、いやじゃなかったら、ちょっと教えてくれないかな?」
 ロバートは、本当に困り果てているようだ。学校で、僕を頼ってきた女の子たちと同じ顔をしていた。
「いいわよ。じゃ、デザートのあとでね」
 そこで、ミセス・ビンクラーのアップルパイが出てきた。たっぷりのホイップクリームとひとさじのアイスクリームがトッピングされた、小さい頃、ハリーの家でよくごちそうになった味だった。
 それを食べ終わったところで、ロブと僕は、幾何の勉強をはじめた。
「君って、ほんとに幾何が好きなんだね」
 僕が、問題を解くためのウラ技をいくつか披露したところで、ロブが言った。
「まさか、こんなやり方があったなんて!」
「幾何なんて、ややこしく考えなくてもいいのよ」
 僕は笑いながら言った。
「すじみち立てていけば、全部解けるわ。あとは、基本的な定理だけ、サボらずに覚えておくことね」
 僕は、そのあともいくつかの例題を解いてみせ、それから、ロブ自身に問題をやらせていった。彼は、自分だけで問題が解けたことに、うれしそうな顔をした。
「君たちの学校って、やっぱり先生がいいんだな」
 半ダースほどの問題を解いたところで、ロブが笑いながら言った。
「僕も、転校しようかな?」
 その言葉に、僕は、彼の顔を見ながら大笑いしてしまった。
 身長6フィート2インチ(約188センチ)、広い肩幅、男っぽい顔つき‥‥それが、プリーツスカートを履き、かわいらしいブラウスを着ている姿を想像したからだ。
「うちの学校が、あなたに向くとは、ちょっと思えないけど」
 やっと笑いを納め、僕は言った。
 と、そこに、ホリーが口をはさんできた。
「べつに、先生のおかげじゃないわよ。だって、彼女とあたしは同じ授業を受けてるのよ。それなのに、あたしは、テストの前になると、彼女に教えてもらってるの。結局、あたしたちの目の前にいるのは、天才ってことよ」
 その言葉に、僕は顔を赤らめていた。そして、ロブが、そんな僕をじっと見つめているのに気がついた。
「君って、すごいヤツなんだね」(※)
 ロブが言った。
 そのとたん、ミセス・ビンクラーが激昂した。
「ロバート、そんな失礼なこと、言うもんじゃありません!」
 (※訳注 原文は"You're a guy, aren't you?" ‘guy’は、単数では通常、男にしか使わない しかし、若者言葉では「すごいヤツ」「かっこいいヤツ」という敬意を込めた‘a guy’を女性に対して使うこともある ロバートはそのつもりで言ったのだが、母親の世代には「君って男だね」としか聞こえなかったわけだ)
「こんなすてきなお嬢さんに、なんてこと言うんですか。すぐ謝りなさい」
「ご、ごめん、フェイス。そういう意味で言ったんじゃないんだ。君の教え方が、ほんとにうまかったから‥‥。それに君は、僕がこれまで聞いてたことから想像してたのと、全然ちがう人だったから‥‥。いや、つまり、その‥‥、理科室に放火した悪ガキだとか、昔ホリーといっしょにぐれてたとか‥‥」
「ええ、そのとおりよ」
 僕は、自分の顔が、また火照るのを感じた。
「というか、そのとおり、だったわ。今はちがう‥‥つもりだけど」
 ロブの目の中の何かに、僕は怯えていた。
 いや、彼が僕を傷つけたりしないのはよくわかっていた。でも、なにか遠いものでも見つめるようなそのまなざしに、彼が僕に対して何を思っているのかが、やたら気になった。
「もしそれがほんとだとしても、きっと、ずーっと昔のことだね」
「もしかして‥‥前世?」
 気がつくと僕は、彼を見返し、かわいらしく笑っていた。
 なにかが、起こっていた。
 この男は僕にエサをちらつかせ、僕はそれにぱくりと食いついていた。
「生まれ変わるのは、たいへんだったんだろうね」
 ロブが向けてきたほほ笑みに、僕は奇妙な感覚を抱いた。何か暖かいものが、僕を包み込んでいくような‥‥。
 僕もそれにほほえみ返し、それから僕らは、会話に没頭した。
 ふと気がつくと、すでに30分くらいがたち、ホリーもふくめ、僕らのまわりから人がいなくなっていた。
 そのあとも、僕は、ロブとの楽しい時間を過ごし、ふたりで笑い合いながら話をつづけた。
 彼は、その妹と同じくらい面白くてすてきな人だった。こんなに楽しい人となら、僕は一生つき合っていけるだろうと感じた。
 ホリーと結婚して、義理の兄弟になったあとも。

 翌朝、ふた家族いっしょに朝食をとっている時、ロブが、町でクリスマスセールが始まっているから、もしホリーと僕が行きたいなら、車に乗せて行くと言いだした。
 僕はもちろん遠慮しようとしたのだが、すかさずロブが笑いかけ、何も心配はいらないと言った。
「たとえば僕の友だちに君を紹介して、本当は男なんだと言ったとしても‥‥もちろん、そんなこと、ぜったいしないけど‥‥、いくら僕が一生懸命説明したところで、そいつは信じないだろうね。君はほんとにかわいいし、表情や仕草だって、僕が知ってるどんな女の子より女の子っぽいんだもん。君自身は自信がないみたいだけど、君はどっから見ても女の子そのものだよ」
 ママからも同じようなことを何百回となく言われ、そのたびに僕は、それを強く否定してきた。でも、ロブに言われ、僕はただ顔を赤くして、笑い返しただけだった。
 彼の声の中にあるなにかが、それに彼のほほ笑みが、僕を安心させてくれる気がした。それにしても、なぜ、彼が僕のことを女の子だと思ってくれていることが、こんなにうれしいんだろう?
 実際の話、僕が迷いを捨てて出かける決心をしたのは、そのうれしさのせいだったと思う。ロブば、女の子なら誰でも好意を抱くにちがいないかっこいい男だ。そんな人から、女の子、それもかわいい女の子と言われれば、やっぱり悪い気はしない。
 僕は、急いでバッグとコートをつかみ、ホリーといっしょにセールに出かけた。

 服についてはもう十分に持っているので、当初、買うつもりはなかった。でも、もうすぐやってくるクリスマス休暇にぴったりのドレスが目にとまり、試着してみた。
 真っ赤なベルベットでハイウエスト。白いレースの胸当てがつき、半袖のまわりにもレースのアクセントがつけられている。
 ただ、残念だったのは、スカートの丈が太腿の真ん中くらいまでしかないことだ。これほどのミニでなければ、完璧なドレスなのに‥‥。
「あら? それ、買わないの?」
 僕がそのドレスを、ハンガーラックに戻していると、ホリーが言った。
「うそでしょ、あんなに似合ったのに」
「こんなの着たら、ひどい風邪ひいちゃうわよ」
 笑いながらも僕は、ホリーがそう言ってくれたことがうれしかった。こんなに肌を露出する服でも、僕は似合うんだ。
「ほんとに、本気かなあ?」
 彼女は、からかうような目で見てきた。
「たとえば、クリスマスの日にドレスアップしたあなたを想像してみて。ヘアスタイルやメイクはいつもどおり完璧ね。で、このドレスを着たあなたは、セクシーな脚やお尻を、みんなに見せびらかすの。靴は、あの茶色のとおんなじようなパンプスの赤ね。あなたはきっと、ほんとにきれいに見えるでしょうね。でも、もっと大事なことは、そんなふうにすることで、あなた自身が、自分がきれいだって思えることよ。そしたら、あなたはもう、自分のことを、女装したティーンエージャーの男の子だなんて思えなくなるはず。他の人があなたを見るのと同じように、きれいで、自信に満ちて、エレガントな若い女性だって感じるんじゃないかな」
「あたしがそんなふうになれたら、ママはきっと、すごく喜ぶわね」
 僕は、まずなにより、それを強調した。
「ママったら、あたしがここにいる間は、女の子のすることならなんでもして欲しいって思ってるみたいなの。あなたと同じように、外に出かけろってしつこいし。メイクでも、セクシーな衣装でも、似合いそうなものならなんでも試せって。ティーンエージャーじゃなくて、もっと大人の女になったあたしを、ママはきっと見たいでしょうね」
「そうよそうよ、フェイス。あなたが着たいわけじゃないとしても、ママを喜ばせるために着てあげれば?」
「そうね。あなたの説得力には負けるわ」
 僕は、くすっと笑って、買いものの山に、そのドレスを追加した。
「あたしは、あなたに強く勧められて、これを買ったってことにしといてよ。それにしても、娘に甘いママとパパを持ってるって、幸せね」
「ふふ、それを着た瞬間から目つきが変わって、すっかりその気だったなんて、あたし、ぜったい言わないわ」
「さあ、なんのことかしら?」
 僕は、試着室の中で見た自分の姿を思い出し、ついつい顔がほころんだ。

 そのあと僕らは相談し、けっきょく、ホリーも同じデザインのドレスを買うことになった。ただし、色ちがいのグリーンだ。クリスマスパーティでは、家族たちの前に、本当の姉妹のようなおそろいの服で出て行こうと決めたのだ。
 そのために僕らは、そのドレスに合うかわいいランジェリーと、極薄でシルキーな高級パンストも選んだ。これは、僕たちを、思い切りセクシーでフェミニンな気分にしてくれるはずだ。
 たぶん、ホリーの両親は、ホリーがそんな格好をしてもあまり驚かないはずだ。それに、僕のママも、僕の格好にびっくりしたりはしないだろう。
 でも僕は、うまくいけば、みんなの注目の的になれるかもしれないと思った。両方の家族の男たちが、僕を見てどう思うか、それが楽しみだ。特に、ロブがどんな顔をするのかと思うと、その日が待ちきれない気がした。

 結局はめいっぱい買ってしまったそのショッピングを終え、ホリーの家に戻ったところで、ロブが、僕とホリーに「トリビアゲーム」(※)をやろうと言ってきた。
 (※訳注 いわゆる「雑学クイズ」形式のパソコンゲーム 時間内に何問できるかを競う アメリカでは、市販品だけでなく、さまざまな分野のトリビアゲームソフトがネット上で配布されている)
 それで、3人でゲームを始めたのだが、そのうち僕は、ロブの関心が、ゲーム自体より僕に向いているらしいことに気がついた。
「ショッピングは、どうだった?」
 ロブは、ゲームを始めるとすぐにきいてきた。
「なにか、気に入ったものがあった?」
「ええ、楽しかったわ」
 僕は、彼がゲームに集中するよう、微笑とともに社交辞令的な答えをした。
「おかげで、すてきなものがいっぱい買えたわ。どうもありがとう」
 それで、ロブの気を削いだつもりでいたのだが、10分もしないうちに、またこんなことをきいてきた。
「どう? 学期末の優等表彰を受けられそう?」
「そんなこと、今は関係ないでしょ」
 僕はそう答えたが、ちょっと侮辱されたような気もしてつづけた。
「もうこれまでの3ヵ月間で、自分でも信じられないくらいの成績を取ってきたのよ。それでも、あたしにはその資格がないかしら?」
「あっ、ごめん。そういう意味じゃなくて、プレッシャーとかあって大変だろうなって。いや、もちろん僕は、君こそ、ぴったりの人だと思ってるよ」
 ロブは、その最後の部分を、なぜか僕の目を真正面から見つめ、ほほ笑みかけながら言った。
 ‥‥ん? ぴったり‥‥って? もしかして今のは、成績の話じゃないの?
 僕はどこかで、彼がそこに別の意味を込めたのに気がついていた。そのせいで、心の中がざわめくのを感じた。
 僕は、話題をゲームに戻そうと思った。それなのに、そのブルーの目に引き込まれるように見入っていた。僕の目に向かって注ぎ込まれるそのほほ笑みから目がはなせなくなっていた。
 結局、僕にできたことは、顔を赤らめながらかわいらしくほほえみ返し、「ありがとう」と言うだけだった。
 クソ! こいつはまちがいなく僕のことを女の子として扱っている。
 そして、またしても僕は、そのエサに食らいつき、それをおいしく食べていた。
 と、ロブは、そのほほ笑みを僕の視線からはずし、やっとゲームに戻った。
 僕はそれにほっとしたのだが、一方でそれがなんだか悲しいことのような気もした。
 さっきからロブが僕にばかり興味を示すことに腹を立てながらも、僕の中のなにかが、確実にそれを期待していた。
 彼が、「君こそ、ぴったりの人」と言った時、僕はそれを、優等表彰の話などではなく、彼からのある種の告白としてとらえていた。そして、そのメッセージをうれしいと感じている自分がまちがいなくいた。
 今、ロブはまたゲームに集中していたが、それを見て、僕はなんだか置いてけぼりにされたような気持ちになった。彼がまた、僕に顔を向けてくれたらいいのにと感じた。
 それで、彼が話しかけてくるように、僕の方から彼に関することを話題にしてみようと思った。
「ねえ、ホリーに聞いたんだけど、あなたって、映画ファンなんでしょ?」
 僕は、安っぽく見えないように気をつけながら、やわらかいほほ笑みを彼に向けた。
「じゃあ、今の『風と共に去りぬ』の問題なら、簡単にわかったんじゃない」
「ああ、そうなんだけどさ、ど忘れしたんだ」
 彼は、そう言って肩をすくめた。
「ちょっと他のことが気になってるせいかな、集中力が欠けてるんだ。君がさっき、60年代ファッションの問題でまちがえたのと同じだよ」
「だって、あたし、60年代なんてまだ生まれてないんだもん。それに、ファッションが得意分野ってわけでもないのよ」
 僕はそう言って、ほほ笑みながら、髪を掻き上げていた。
 ‥‥えっ? 僕は、なにやってるんだ?
 無意識にしたことではあったが、今のがあきらかに男の気を引くための仕草であることに気づき、僕はおろおろした。
 でも、幸いなことに(えっ?)、ロブもすぐにその仕草の意味に気づいてくれたようで、僕を見る目つきが変わった。
 そう、確かに僕は今、彼の気を引こうとした。でもそれは、頭で考えてやったことではないのだ。これはどうやら、このいまわしい3ヵ月間、女の子としてものを見、女の子として行動し、女の子として扱われてきた経験から自然に身についてしまったものらしい。そしてそれは、考え方や、感じ方にまでおよんでいるようだ。
 僕はふたたび、僕に向けられた青くて大きい瞳やすてきなほほ笑みに、吸い込まれるように見入っていた。
「でも、最新ファッションの問題だったら、強いんじゃない?」
 ロブはやはり、会話をつづけてきた。
「君を見てると、その分野だったら得意だなって、よくわかるよ」
「ふふ、ありがとう。あなたの得意分野は、きっとスポーツね。なんだか、見るからにジョック(※)って感じだし」
 (※訳注 ‘jock’ アスリート‘athlete’とほぼ同じ意味で使う口語だが、「スポーツ馬鹿」的なニュアンスもある)
「ちぇっ、幾何ができないからって、馬鹿だって思わないで欲しいな」
 ちょっとまずったかもしれない。冗談めかしていながらも、彼の声には、あきらかにプライドを傷つけられたという響きが混じっていた。
 僕は、けっして馬鹿にするつもりなどなかった。むしろ、彼をほめたかったのに‥‥。
「なんでそんなふうにとるの? あたしは、寮でも他の女の子たちの勉強をよく見てあげるけど、彼女たちのことを、馬鹿だなんて思ったこと、一度もないわ」
「う、うん、今のこそ、まさにジョックの劣等感まる出しだったかも‥‥」
「だから、馬鹿だなんて思ってないってば。スポーツが得意そうな男らしい人だって言いたかっただけ。実際に、なにかやってるんでしょ?」
 それにしても、なぜ僕は、彼の機嫌をとることに、こんなに一生懸命になっているんだろう? なぜ彼に、もう一度ほほ笑んで欲しいと思ってるんだろう?
「ホリーから聞いてない? 学校の野球部では、いちおうレギュラーで2塁を守ってるんだ」
 どうやらロブは、そのポジションに誇りを持っているように見えた。ここは、もっと掘り下げるべきだ。
「へえ、初めて知ったわ。ホリーったら、そんなことなんにも言わないのよ。もしかして、MVPだって獲ったことあるんじゃない?」
 と、彼の口の端が見る見る上がって、その目が輝きだした。
 大正解! 天は我に味方した。
 僕が待っていたのは、こんなすてきなほほ笑み‥‥よ。
「入学した年にね」
 ロブは、胸を張って言った。
「1年生がタイトルを獲ったのは、学校設立以来初めてのことなんだってさ」
「へえ、すご〜い。打率はどのくらいだったの?」
 野球は、かつて僕の好きな話題だったが、今はそんなに関心があるわけじゃない。でも、もしそれで、ロブが気持ちよくなってくれるなら、僕はもっとつづけたいと思った。
「あのシーズンも、そんなに悪くはなかったな。3割2分3厘だったかな」
 ロブは、自分の成し遂げた成果を、あきらかに謙遜していた。1年生でMVP、しかも打率3割2分3厘って‥‥すごい。
「ロブは今、照れて言わなかったけど、今シーズンもMVPだったのよ。一試合3打点ってゲームが何度もあったし、通算出塁率は3割9分7厘!」
 ホリーが脇から言った。彼女が、兄のことを誇りに思っていることはまちがいなかった。
「あたし、ロブを応援するために、今シーズン、ホームゲームは全部行ったのよ」
「あっ、いいな。あたしも、見に行きた〜い」
 僕は、実際にも、この男に畏敬の念を持ち始めていた。野球のことなら知っているし、その数字を聞けば、この男に輝かしい才能があるのは、よくわかった。
「来シーズンは、君にも試合の予定表を送るよ」
 彼は、すかさずそう申し出た。
「スタンドにこんな美人ファンが2人も来てたら、チームの連中に、うらやましがられちゃうな」
「ほんとに送ってね。ぜったい行くから。あたし、野球、だ〜い好き!」
 ‥‥ん? 今、僕は、野球が「だ〜い好き」って言ったか?
 たしかに子供の頃から、野球はよくやってたし、大リーグの中継だってよく見た。でも、僕はいつから、野球が「だ〜い好き」になったんだ?
 しかも、もっと悪いことには、その「だ〜い好き」が、野球そのものに対してではなく、今、僕のことを「美人」と言ってくれた人に対して言ったように聞こえたことだった。
 僕は本当に野球が見たいのだということを、ちゃんと伝えなければいけない。でも‥‥。
 彼が、僕のことをかわいいと思ってくれてるんなら、わざわざそれを訂正する必要もないし‥‥。
 今やロブは、まるで、欲しくてしょうがなかったおもちゃを手に入れた子供のように、目を輝かせていた。
 もしかしたら‥‥いや、たぶん、そのおもちゃというのは、僕なんだ!
 胃のあたりで、不吉な予感のようなものが渦巻いていた。
 それにしても、なんでこうなっちゃったんだろう?
 僕は、友だちと、その兄貴といっしょに、他愛ないゲームをしているだけのつもりだったのに、いつの間にか、その兄貴の方といちゃつくような会話を交わしている。
 僕は、男になんて興味はないはずだった。僕が求めていたのはホリーだったはずなのに、気がつけば、その兄の方に顔を向けていた。
 幸いなことに、そんなことをしているうちに夜も更け、僕は、ロブからのプロポーズを聞かずにすんだ。

「さっきのは、いったい何だったの?」
 ホリーのベッドルームで寝る仕度を調えながら、僕は彼女にきいた。
「あなたの兄さんが、羊の皮をかぶった狼だってこと、なんで教えてくれなかったの?」
「ロブは、狼なんかじゃないわ」
 ホリーはまず、それを厳密に訂正した。
「彼は、まちがいなく、あなたのことをかわいいと思ってるし、あたしの見るところ、近いうちにデートに誘うつもりよ。もし、いやなら、断ればいいわ。兄さんの学校には、少なく見積もっても20人は、あなたの代わりになりたがってる女の子がいるんだから」
「よかった。それなら、断るとき、胸が痛まないわ」
「あっ、それはちょっとひどいんじゃない? もしつき合うつもりがないんなら、なんであんな、期待を持たせるようなことしたのよ」
 僕がネグリジェをかぶったところで、彼女は言った。
「そう仕向けてたのは、どう見てもあなたの方でしょ」
「べ、べつにあたしは、仕向けてなんかいないわよ」
 僕は、ヒップに引っかかったネグリジェを整えながら、反論した。
「彼の方から野球の話を始めて、試合を見に来てくれと言ったのよ。彼はほんとにすごい選手らしいから、試合を見れば、あたしもきっとファンになるでしょうけど、それにしたって、あたしはなんの誘導もしてないわ」
「野球の話が出る前にちょっかいを出して、話をそっちに持ってったのは誰?」
 ホリーは、こちらの目をのぞき込むようにしてきいてきた。
「ジョックとか言っちゃってさ」
「だって、いかにもジョックって感じがしたんだもん。背は高いし、がっちりしてるし、筋肉もよくしまってるし‥‥」
「へえ、彼の筋肉をチェックしてたわけね」
 ホリーは、今度はからかうように僕の方を見てきた。
「あなたはずっと、あたしのことが好きなんだと思ってたんだけどなあ。きっとあなたも、野球をしたらいい選手になれるわね。最高のスイッチヒッター」
「も、もちろん、あたしが好きなのは、あなたよ!」
 僕は、彼女の笑い声にちょっといらつきながら言った。
「あたし、あなたの兄さんにしても、他の男の子にしても、そういう目で見たことなんてないもん」
「そうだ。あなたのママとの約束、ロブで試せばいいじゃない。どうして、そうしないの?」
「どうしてって、そりゃあ、彼は男だからよ。そして、あたしもそうだから」
 僕は、強く主張した。
「あたしが、男の子なんかに興味を持ってないってことは、この前納得したんじゃなかったの?」
「この前はね。でも、もう信じてないわ。要するに、あなたはまた怖がってるだけね。女の子でいることが好きだって認めたがらなかった時とおんなじ」
「あの時だって、あたしは、怖がってなんていないって言ったでしょ。今だって‥‥」
「じゃあ、どうして、兄さんとつき合おうとしないの? それとも彼は、魅力がないってこと?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。あなたは、いろんなことをごっちゃにしてるわ」
 僕は、飛躍の多い彼女の言い分を、順にかたづけていこうと思った。
「あたしは、そんなこと、ひと言も言ってないでしょ」
「そうよね。つまり、結論としては‥‥あなたは女の子でいることが好き。そして、ロブに魅力を感じている。これでいい?」
 どう考えても彼女は混乱しているが、彼女の中では、勝手に結論が出てしまったようだ。
 僕は、あきらめて寝ることにした。

 4連休の3日目、僕は、一日のんびりとテレビを見たり読書したりして過ごそうと決めた。
 ホリーとミセス・ビンクラー、それに僕のママは、またショッピングに出かけようとしていたが、僕は、それを断った。きのう、ホリーにモールの人混みの中を連れまわされ、疲れていたからだ。
「ロブと二人きりになっちゃうけど、だいじょうぶ?」
 出かけるための着替えを手伝っている時、ママがきいてきた。
「パパとミスター・ビンクラーは、いっしょに釣りに行くとか言ってるし」
「だいじょぶよ」
 ママが僕のことをそんなふうに心配しているのが、ちょっとおかしいようなうれしいような気がした。
「ロブは、いい人だし、一緒にいてもいやな思いなんてしないわ」

 「いってきます」のいくつかのキスを残し、ショッパホリック(※訳注 買い物中毒者)たちが出かけると、つづけて、魚を捕るためなら凍えることをもいとわない勇者たちが出発して行った。
「凍った魚が欲しいなら、スーパーマーケットで買えばいいのに」
 パパたちの車が出て行くのを見送りながら、ロブが皮肉った。
「なんで、わざわざそんなことするのかな」
「そこには、大きなちがいがあるのよ。凍った魚はスーパーにいるけど、凍った釣り人はいないもの」
 僕の受け答えは、なかなかいい線行っていたんだろう。ロブもそう感じたにちがいない。だって、これだけ大受けしているんだから。
「君って、ほんとに面白いね」
 やっと笑いがおさまったところで、ロブが言った。
「ねえ、またトリビアゲームでもやろうか? 1対1でも、それなりには楽しめるだろ」
「トリビア(※)であるかぎりはいいわ。それ以上なら、わからないけど」
 (※訳注 「ささいなこと」つまり、重大事でなければいいと言っている)
「君は、テレビに出られるよ」
 ロブはゲームを立ち上げながら言った。
「そのへんのコメディアンより、ずっと面白いもん」
 ロブと僕は、ゲームをしている間中、そんなふうにジョークをかわし合っていた。それが終わる頃には、僕は彼のことを、これまで会った人たちの中でも最高に楽しい人だと感じていた。
 彼は僕を笑わせつづけ、特に、僕が勝ちそうになると、顔を寄せて「プー」と言ったり、他にも馬鹿なことばかりして、僕の気を散らそうとしてきた。僕は当然、そんな不正行為に抗議したのだが、そうするまでもなく、彼は負けつづけた。まあ、当然の報いだ。

「ねえ、明日、この町でグローブトゥロッターズ(※)の試合があるの、知ってる?」
 ゲームを終了しながら、ロブは何気ない調子できいてきた。
 (※訳注 “Harlem Globetrotters”アリゾナ州フェニックスを本拠地とするプロバスケットボールチーム かつてのニグロリーグから発展した独立リーグ所属でNBAチームではないが、歴史があり、試合でのパフォーマンスが派手なことから人気が高い)
「あたしがファンだって、ホリーから聞いたの?」
 僕は、笑いながら言った。
「あの子ったら、あたしのこと、なんでもしゃべってるのね」
「まあ、君がかわいいとは聞いてたけど、こんなにかわいいとは聞いてなかったな。あと、こんなに面白いことも、こんなに頭がいいことも。それに、グローブトゥロッターズについても、彼女は何も言ってなかったよ。ファンなの?」
「ええ、最初はテレビで見て好きになったんだけど」
 僕はうなずき、偉大なるハーレム・グローブトゥロッターズに敬意を込めて、ネット検索するのに最適な特徴を並べた。
「選手がファンキーだし、それに、トリッキーな個人技がすごいでしょ」
「僕、チケットを2枚手に入れたんだ。ベンチのすぐ後ろの席」
 ロブはまた、何気ない口調で言った。
「えーっ? どういうコネ?」
 僕は驚きながらきいた。
「そんないい席、簡単にはとれないんじゃないの?」
「親父が昔、メドーラーク・レモン(※)を後援してたことがあってさ。こっちで試合をやるときは、チケットを送ってくれるんだ」
 (※訳注 グローブトゥロッターズの1980年代のスタープレーヤー)
「ラッキーね。その席だと、選手と話したりできるんでしょ」
「君だって、できるよ」
 ロブはまた、高ぶりのない口調で言った。
「いっしょに、行かない?」
「えっ? どこへ?」
 僕も、時には、馬鹿にだってなれる。
「だから、明日、その試合に」
 彼は、今度は、はっきりとした口調で言った。
「いいだろ?」
「だ、だめよ、ロブ。誘ってくれたのはうれしいけど、行けないわ」
「でも、グローブトゥロッターズが好きなんだろ。チケットは2枚あるんだし」
「他にもいっしょに行ってくれる友だちとか、ガールフレンドとか、いっぱいいるんでしょ」
「そりゃ、誘えば来るやつは、何人かいるさ。でも、すごくかわいくて、いっしょにいてこれほど楽しい人なんて、他にはいないよ。お願いだから」
 彼は、真剣に頼んできた。
「でも、どうしてあたし? ホリーじゃだめなの?」
 僕は、次々に他の人間を挙げていた。でも彼の視線は、ぜったいに僕を連れて行くと語っていた。
「ああ、君だ。ホリーが、野球とバスケットのちがいを知らないとでもいうなら、つれてって教えてもいいけど」
 正直、僕は迷っていた。
 グローブトゥロッターズのナマの試合を見られるチャンスなんて、そうそうあるもんじゃない。ただナマというだけじゃなく、ベンチの後ろの席だ。それこそ夢の実現だ。‥‥ただし、男とデートするという悪夢の中での。
 僕の気持ちは、降伏しろとささやいていた。グローブトゥロッターズは、僕のアイドルだ。でも、僕の理性は、戦いつづけろと言っていた。
「行きたいのはやまやまだけど、やっぱり行けないわ。だって、あさってから学校が始まるもん。明日には戻らなきゃいけないのよ」
 そう、学校は完璧な論拠だ。反論の余地はないだろう。
「ゲーム開始は昼の1時だよ。途中、延びても5時には終わってるはずだ。6時には学校まで送り届けられるよ。君がこっちへ持ってきている荷物は、ホリーに頼んでおけば、持って帰ってくれるだろ。僕が彼女より1歳上で、免許証を持っているのも知ってるよね」
 彼の笑顔が、すべてを物語っていた。王手! つみ! 投了!
「僕らは明日、親友として、バスケットのゲームを見に行く。いいね?」
「ほんとは、これが、ゲームなんでしょ?」
 僕は、笑いとともに、無意味な抵抗をしながら降参した。‥‥どうやら僕は、男とデートするらしい。
「いや、マジさ。ゲームじゃない。だいいち、勝敗の行方は最初から見えてたしね。あえて言えば、君が負けを認めるのに要したゲーム時間は、きっかり2分だったよ。ま、それはともかく、僕は、バスケットボールをいっしょに見に行く親友には、できるだけかわいい服を着てきて欲しいな」
 その言葉にふくれて、彼をたたこうとしたまさにその時、彼の方から顔を近づけ「プー」と言った。そのせいで僕は、床に笑い崩れていた。
 たとえ僕がまだ、男とのデートなんて100パーセントないと心に決めていたとしても、事実として、僕は口説き落とされていた。
 そして、いちばん問題なのは、僕自身が、その過程のすべてをけっこう楽しんでいたことだ。

「あたし、ぜったいに、あなたは落ちると思ってたわ。ことに、ロブ相手ならね」
 ことの成り行きを報告すると、ホリーはうれしそうに言った。
「女の子としてデートする味を一度覚えちゃったら、あなたは、もう後戻りできなくなるわ。男の子が、あなたの楽しみのすべてになるのよ」
「そんな‥‥。これは、まあ、一時的なことだから。あたしは、女の子として一生を送るつもりはないんだし」
 くすくす笑いつづけるホリーに、僕はそう主張した。
「へえ、つもり? じゃあきくけど、あなたは、自分がそんなにかわいくなるつもりはあった? セクシーなランジェリーやかわいいドレスを楽しむつもりはあった? あたしの兄さんと、デートするつもりはあった? つもりはないのに、全部そうなってるじゃない」
 こんな思いやりある友人を持つことは、けっして幸せなことじゃない。僕が忘れたいことまで、いつまでもちゃんと覚えていてくれるんだから。
「つまり、あたしには、自分の人生をコントロールできてない。だから、いずれ、本物の女の子になる運命だ、とか言いたいわけ?」
「まあ、だいたいわね」
 ホリーは、肩をすくめて笑った。
「ふふ、ほんとのところはどうなるかわかんないけど、結局、流れに任せて楽しんじゃうしかないでしょ」
「あのさ、ロブにはぜったいないしょにして欲しいんだけど‥‥」
 ホリーの言葉に、僕は打ち明ける気になった。
「あたし、ほんとは、明日が待ち遠しいの。だって彼って、けっこうすてきだし、かなりかっこいいし、そばにいるだけで、なんだか楽しいし‥‥」
「もちろん。そんなこと、すぐには言うわけないわ。もし彼が、相手の女の子からすてきでかっこいいなんて思われてるって知ったら、きっと、がまんできなくなっちゃうだろうから」
「えっ? ‥‥あっ。すてきでかっこいいは、なかったことにして。今言ったこと、全部忘れて」
「それは無理ね、かわいい妹のフェイスちゃん」
 彼女は、ちょっと意地悪そうに笑った。
「あたしは今後、それを、あなたを操る脅しのネタとして使うわけだし」
「もう、絶交よ」
 僕の脅しのネタは、それくらいしかない。
「それも一生無理だと思うな。だって、そのうちあたしたちは、義理の姉妹になるわけでしょ」
 僕が投げつけた枕を、首をすくめてひょいとよけ、ホリーは灯りを消した。
 もうじき、明日がやってくる。僕の、女の子としての初デートの日が。

 その初デートの衣装として、僕は、黒のベルベットのスラックスを選んだ。それに、赤のタートルネックセーター。足もとは、黒いなめし革の足首までのブーツだ。
 行き先がスポーツ観戦だったからスカートは避けたのだが、そのぶん、自分を女の子っぽく感じるために、パンティとブラは思いっきりホットなものを選んだ。
 髪は、セーターに合わせて赤いリボンで結ったポニーテール。
 赤のイヤリングと、真っ赤な口紅、そして同じ色のマニキュア、これでカラーコーディネイトも完璧だ。
 鏡の前でかわいく着飾った自分を点検しながら、ロブも気に入ってくれればいいけれどと考えている時、僕が最高に興奮していたことは、否定しようもない。

 玄関で、ロブが僕の肩にジャケットを着せかけるのを、ママは満面の笑みで見ていた。
「楽しんでらっしゃい」
 そして、外に出ると、背後から叫んだ。
「あとで、聞かせてね」
 きっとママは、僕とゆっくり話す時間をつくるだろう。そして、僕の初デートの中身をこと細かに聞き出そうとするだろう。どれほど楽しかったか、次はいつ行くのか‥‥。
 ママは、娘を持ったことに酔いしれていた。ママが質問を始めたとたん、新米の娘である僕は、なにもかも白状させられるにちがいない。

 ロブは僕のスタイルを思い切りほめてくれ、僕はその言葉に頭がぼーっとなるほどの喜びを感じた。そして、スラックスの下のパンティガードルに感謝した。
 ロブは車の助手席のドアを開け、僕が乗るのを待ってからやさしく閉じた。会場の駐車場で降りる時もまた、外をまわってドアを開けてくれた。
 凍った地面のせいで、僕がちょっと足をすべらすと、彼は僕の自我の崩壊を防ぐため、すかさずつかみやすそうなところに腕を差し出した。僕は、自分のすべてが女の子だと感じることができ、その腕に、素直に僕の腕をすべり込ませた。
 そのとたん、僕は、自分が安全に守られているのだという感覚に包まれた。

 その「席」には、本当に驚かされた。
 ロブの言葉どおりベンチの真後ろというだけでなく、どうやら選手たちはロブと顔見知りらしく、一人一人握手してきたのだ。
「やあ、ロブ。元気かい?」
 カーリー・ジョンソンがきいた。
「親父さんは、どうしてる?」
「ええ、親父も僕も調子よくやってますよ、カーリー。チームの調子はどうですか?」
 僕はショックを受けていた。これまで、ほとんど神だとあがめていた男たちが、まるでふつうの人間のように、ロブと挨拶を交わしているのだ。
 ロブが選手たちと話しているのを見つけ、コーチの一人、テックスもコートの反対側から駆けてきた。
 僕は、自分のほっぺたをつねりたくなったが、もしこれが夢だったら、醒めた時の失望があまりにも大きいと思い、やめておいた。

 試合もすばらしいものだった。選手たちは、いつもどおり驚くようなワザを見せ、観客たちは、そのひとつひとつに盛大な拍手喝采を送った。
 ハーフタイムの時、ロブが僕をつつき、壁の大型スクリーンを指さした。
 と、そこには、なんと僕たちがアップで映っていた。顔を寄せてほほ笑んでいるその姿は、恋人どうしのカップルにしか見えなかった。
 それに驚いていると、今度は、片手にさっきまで使っていたボールをつかんだカーリー・ジョンソンがつかつかと近づいてきた。そしていきなり、僕の名前をきいた。
「フェ‥‥フェ‥‥フェイス。フェイス・ジョーダンです」
 僕は、口をもつれさせながら答えていた。
 神なるグローブトゥロッターズの一人が話しかけてくれるなんて、これほど幸せなことが他にあるだろうか?
 しかし、幸せはそれだけではなかった。カーリー・ジョンソンは、コーチからフェルトペンをひったくると、持っていたボールの上にサインしたのだ。
「おい、お前らも来いよ」
 さらに彼は、他のチームメンバーも呼んだ。
「このかわいいヤングレディに、俺たちの名前を覚えてもらおうぜ」
 すぐに、コーチたちをふくめ、グローブトゥロッターズの全メンバーが、そのボールにサインしだした。
 それが一巡すると、カーリーはにっこり笑い、うやうやしく、そのボールを僕に差し出した。
「このサインボールと、君のキスとを交換しよう」
 彼はおどけた感じでそう言うと、片方のほおをこちらに向けた。
 僕は、もっとためらうべきだったかもしれない。でも、彼の手の中にあるのは、チーム全員のサイン入り公式ボールなのだ。
 僕は、つま先立ちして、彼のほおにキスしていた。
 そして、気がつくと、チーム全員が、おどけた笑いを浮かべ彼の後ろに列をつくっていた。
 それを見て喜ぶ観客の歓声の中、選手とコーチひとりひとりが平等に報酬を受け、僕の手元にはボールが残った。これはまちがいなく、最高の取引だろう。

「これまで生きてきたうちで、いちばんの出来事だわ!」
 車に戻ったところで、僕はロブに言っていた。
「だって、サイン入りの公式ゲームボールよ。信じられない!」
 ロブは、ちょっと首を振りながら笑った。
「僕には、君が全員にキスしたのが信じられなかったよ。もしかして、会場にいた男の全員が、そのあとに並ぶんじゃないかと思った」
「でも、あたしがキスしたのはチームのメンバーだけよ。他の人にはしなかったわ」
 僕は、まだワクワクしながら答えた。
「君にキスしてもらえなかったやつを、僕もひとり知ってるけど」
 その言葉に僕は、キスしたものかどうかちょっと迷いながら、彼の方を見やった。
 べつに、それをしたからと言って、なにかが起こるわけでもないだろう。それに今、感謝の気持ちを表すとしたら、それこそ最適な方法なのだろう。なにしろ、彼がいなければ、こんな貴重なボールを手にすることは一生できなかったのだから。
「ごめんね、ロブ。あなたのことを忘れてちゃいけないわね」
 僕はちょっと席をずれ、彼のほおにキスした。
「すてきな時間をありがとう」
「また、今度、誘ってもいい?」
 ロブはすかさず、僕の顔を真剣な表情で見つめながらきいてきた。
「だけどあなたは、男とデートなんかして、楽しいの?」
 僕は、彼の思っていることがわからず、そう聞き返した。
「僕は、男となんかデートしてるつもりはないよ!」
 ロブは、きっぱりと言った。
「男は君ほどきれいじゃないし、男は君ほどかわいくもない。それに、男は、グローブトゥロッターズのメンバーにキスしたりしないだろ。ねえ、フェイス。君は本当に、自分のことを男だと思ってるの?」
 僕は、深く息を吸い、自分の思いを確かめた。
「自分自身が何者なのか、自分でもよくわからなくなってるみたい」
 まず、それを認めた。
「正直言って、この何ヵ月間か女の子をやってきて、つらいことも多かったのよ。ときどき、自分はものすごく不幸だって感じたし、時には、死にたいほど怖くなったわ。ひどい時は、それが両方いっぺんにやってきた」
「それは、ほんとにつらいんだろうね」
 ロブは、そう言ってうなずいた。
「僕も、ホリーの時のことを思い出すよ。彼女も最初は、そうとう大変そうだった。僕が初めて会ったのは、彼女が判決を受けてガールセンターに入ったちょっと後だけど、君とおんなじ問題に直面してたみたいだ。むりやり女の子の服を着せられて、女の子みたいに振る舞って、正直、見てて、ちょっと気味悪い気もしたよ」
「きっと、あなたには想像もできないわ」
 僕は、いくら話してみても、僕の考えていることや感じていることは、伝わらないだろうと思いながら言った。
 でも、そこで、彼の顔を見た。そこには、ただやさしさだけがあった。
 なにかが僕に、彼ならわかってくれると言っていた。
 それで僕は、ガールセンターに送られて以降、僕の身に起こった驚くような出来事を話し始めていた。そこで親友と再会できると思っていたこと。ところが、その親友がかわいい女の子に変わっていたこと。それを知った時のショック、その後の混乱‥‥。
「女の子の服を着ることに、どれくらいで慣れたの?」
 たぶん、それに答える前に、もう少し慎重に考えるべきだったのだろう。でも、ロブとの間にできたなにかが、僕を無防備にさせていた。
「3日」
 言ってからしまったと思い、彼がその答えをしっかり聞いていなかったことを願った。
「えっ、3日?」
 でも彼は、そう繰り返した。
「ホリーの時は、1ヵ月以上かかったと思うけど‥‥」
 ロブは意外そうに言ったが、その口調の中に、けっして馬鹿にする響きがないことに、僕はちょっと安心した。
「なんて言ったらいいのか、つまり、あたしは、学習能力が高いのね」
 僕は、そう言って冗談めかしてから、つづきを話した。
「要するにホリーのせいなの。彼女は、あたしが本当は女の子っぽい女の子で、これまで男の子のふりをしてただけなんだというようなことを、何度も言ったの。あたしはそれに煽られて、彼女と賭けをした。1週間以内に、あたしを女の子っぽい女の子にできなかったら、そのあと1週間おやすみのキスをするって。そしたら彼女は、あたしをいきなり、考えられるかぎりの女の子っぽいものの中に放り込んだ。思いっ切りかわいくて、思いっ切りシルキーなね。どういうわけか、あたしはそれを、うれしいって感じちゃった。‥‥で、3日で降参」
「つまり、君は今、女の子っぽい女の子ってこと?」
 ロブは、今度は、ちょっとからかうようにきいてきた。
「君は、お砂糖とスパイスとすてきなものすべてで、できてる?」
「‥‥え、ええ。自分では、そうだと思ってる」
 僕は、顔を赤らめ、小声で言っていた。
 僕は、ロブも同じように感じてくれればいいがと強く思った。
 でもまだ、僕の中のなにかが、彼に甘えることを許してはいなかった。
「だけど、それは、判決で決まった更正期間が明けるまでね」
 僕は、あわててそうつけ加えていた。
 たとえ、彼といっしょにいることがどんなに楽しくても、僕が永遠に女の子っぽい女の子でいたいと考えているなんて、思われたくはなかった。
 ロブはちょっとの間、僕の顔を見つめていた。
 それは、僕がもう一度「でも、じつは‥‥」と言い出すのを待っているように見えた。
 しかし、僕が黙っていると‥‥。
「腹減ってないか、なにか食いにでも行こうか?」
 彼は突然、口調を変えた。
「ま、男同士だし、デートとか、そんなんでもないわけだしな」
「ど、どうして、そんなこと言うの? 今、あたしは、女の子っぽい女の子なんだって、言ったばかりじゃない。あたし、サテンやレースを着るのが大好きよ。あたしは全部、シュガー・アンド・スパイスでできてるわ。それなのに、まだあなたは、あたしのこと、男だって思ってたの? さっき、男とデートしてるつもりはないって言ってくれたじゃない」
 僕は、ロブに裏切られたような気がし、けっきょく彼も、女の気持ちなんてなんにもわかっていない男なんだと感じた。
 ところが、次の瞬間、僕の予期していなかったことが起こった。彼の手が伸びてきて、僕の手をそっと握ったのだ。
「うれしかったよ、フェイス。ほんとのことを言えば、僕は君を男だなんて思ったことは一度もないんだ。会った瞬間からずっと、君のことを女の子だと思ってる。君自身もおんなじように考えててくれて、よかった」
「も、もう、あたし、なにがなんだか‥‥」
 僕は、彼の手を握り返していた。そして、ささやいた。
「でも、あたしも‥‥。自分が今、心からそう言えたことが、すごくうれしい。こんな気持ちになるなんて‥‥」

 ロブが車を停めたのは、ファミリー向けの落ち着いた感じのレストランだった。車を降りると、彼は急いでまわりこみ、僕の側のドアを開けてくれた。
 降りたところで、僕は、彼の目の中を探るように見た。
「あなたって、ほんとにやさしい人ね」
 彼に寄り添いながら言った。
「この前、幾何の勉強を手伝ってあげたでしょ。だから、あたしもひとつだけお願いしてもいい?」
「ああ、フェイス。どんなことでも」
 ロブは、僕の手をとりながらうなずいた。
「あたしはずっと、男の子とキスするなんて、いやだと思ってたの。でもさっき、自分は女の子っぽい女の子だって言っちゃったでしょ。もしかすると、男の子とキスするのがいやじゃなくなってるかもしれない。どう思う?」
 僕は、まるで小さい女の子のような、ちょっと甘えた感じの声で言っていた。
「そういえば、僕もこれまで、本物の女の子っぽい女の子とキスしたことなんてないなあ」
 彼も、ちょっといたずらっぽい顔で答えた。
「だから、ただの女の子とどう違うのか、試してみたいな。どうやら、お互い、思ってることはいっしょだね」
 僕は目を閉じ、彼の首に両腕をまわした。
 ‥‥どうか、すてきでありますように。
 彼は両腕に力を込め、でもやさしく抱きしめてくれた。そして、その顔が近づいてくる気配があり‥‥。
 ‥‥‥‥。
「‥‥んふ、どうだった? 答えは出た?」
 唇が離れたところで、僕は、彼に抱かれたままきいた。
「女の子っぽい女の子とキスするのは、好き?」
「ああ、僕は、この、女の子っぽい女の子とキスするのが大好きみたいだ」
 ロブはまた、僕を引き寄せ、もう一度キスしてきた。
 大好きな人にきつく抱きしめられてキスされるのって、なんてすごいんだろう。僕の全身が、自然に震えた。
 と、彼の舌の先が、僕の唇の間に押しつけられた。僕はそこを開き、入ってきた彼の舌を、自分の舌で出迎えた。
 僕は、ちょっとしたキスならたまにはするし、フレンチキスだって、何回かはある。でも、ロブの舌が僕の口の中を動くことで体じゅうを走るこの感覚は、これまで一度も経験しなかったものだ。
 そのキスが終わったとき、僕は、激しい鼓動とともに、まるでマラソンを走り終えたような息をしていた。
「こんなキス、どこで覚えたの?」
 荒い息とともに、僕はきいた。
「これまで、ホリーとしたキスが最高だと思ってたけど、それより、ずーっとすごかった」
「ふふ、ほめ言葉だと受け取っとこう」
 笑いながら見つめてきたそのすてきなブルーの瞳に、僕は見入っていた。彼の中に、僕の全存在が吸い込まれていってしまうように感じた。たぶん、この男は、僕の将来をめちゃくちゃにしてしまうだろう。それでもいいと思った。
 そこには、疑いのかけらすらなかった。このキスがずっとつづけられるのなら、男の子に戻る計画にも、ホリーと結婚する夢にも、簡単にさよならが言える。この男に抱かれてキスされることで感じる幸福感や安堵感は、そんなことをずっと越えていた。
 僕の奥深くで、真実の愛を見つけたのだという声が聞こえていた。
 この2度目のキスで、僕には、この男と永遠の愛を誓い、この男の世話をし、この男の子供を持つための心の準備が、すべて整っていた。
 あとは、彼がプロポーズするのを待つだけだ。
「こんなとこにいたら、風邪ひいちゃうよ」
 天使の声が、僕の夢を中断させた。
「あったかいとこに入って、なにかお腹に入れよう」
 それは、天使の声にしてはあまりに日常的で、僕は、将来の夫にそんなつまらない男にはなって欲しくないと思った。
「お願い。もう一回、キスして」
 僕は、恥ずかしげもなく口をとがらせて甘えた。
「そうしてくれなきゃ、あたし、やだもん」
「ふふ、じつは僕も今、そう思ってたとこなんだ」
 ロブは、くすくす笑いながら言った。
「じゃあ、君のぶんと僕のぶん、合わせてもう二回キスしてからね」
「賛成!」
 こんなにおいしいキスを、さらに二度も味わえるのなら、もちろん僕には何の不満もない。
 その二回のキスが終わったところで、僕は、駐車場の凍った地面に足をすべらす心配をしなくていいことを知った。レストランの入り口まで、僕の足が地面につくことはなかったのだ。ロブは僕の体を離したくなかったようだし、僕を危険な目にさらすつもりもなかった。
 それは天国だった。
 僕は彼の体に身を預け、安全に守られていた。
 彼の青い瞳を見上げながら、僕は、女として生きていく上で、これ以上の幸せなんてあるんだろうかと思った。

 僕たちはそこで、すてきな食事の時間を過ごし、お互いのことをさらに深く知り合うことができた。ロブは、僕のことを、女の子を演じている男の子などとはつゆほども思っていないようで、心から、世界で一番かわいい女の子だと言ってくれた。まちがいなく、彼は僕に恋していた。
「今日はほんとにすてきだったわ、ロブ。あたし、今日のことは一生忘れないと思う」
「また、誘ってもいいんだよね?」
 それでも彼は、僕が拒絶するのではないかと、不安そうだった。
「お願いだから」
「そんな、お願いなんて、しなくていいわ」
 僕は、彼の手を握りながら言った。
「でも、次は、親友なんかじゃなく、最初から女の子で来たいな」
「もちろん。君がずっと女の子でいてくれるなら、もっと楽しいよ」
 ロブは即座にうなずいた。
「女の子っぽく、ドレスとか着た君が見たいな」
「ええ、ものすごくかわいいのを着てくるわね。そういえば、クリスマス用にもすてきなドレスを買ったのよ。ほんとにかわいくって、あなたも気に入ると思うわ。ママたちが、クリスマスにもパーティを開くって言ってたでしょ。その時着るつもりなの。ああ、あなたに見てもらうのが待ちきれない」
 今は、僕の方が、おもちゃを手に入れた子供のように見えたかもしれない。でも、そんなことは少しも気にならなかった。
 僕も、ロブに恋していた。本当に、こんな瞬間は、これまでの人生の中で初めてだった。
「今でも最高にかわいいと思うのに、そんなドレスを着た君を見たら、僕はどうなっちゃうんだろう」
 こんな男と恋に落ちるほど、簡単なことはないのかもしれない。
「ふふ、わかってる? あなたくらい、あたしの人生をややこしくしちゃった人はいないのよ」
 僕は、デザートをすくったスプーンを、彼の口に持っていきながら言った。
「あたしは今、女の子としての生活に慣れきってるわ。かわいい服を着て、髪をセットして、メイクして、ママと買い物して、他にもいろいろ‥‥。でもね、2年間そんな暮らしをつづけたとしても、本当の自分を見失いたくないって、ずっと思ってたの。判決で決まった更正期間が終わったら、女装なんてやめて、実家に帰ってホリーを待とうって。あたしが、あなたの妹に、ものすごく恋してたの、知ってる?」
 僕は、もう一度キスしたいと思いながら、指先で、彼の唇についたアイスクリームをぬぐい取った。
「あたしは、ずっと前から、ホリーこそ、理想の女の子だと思ってたの。でも、彼女は、あたしに女の子らしい女の子であることを望んだ。だからあたしは、彼女を喜ばすために、こんなふうになったのよ」
 ロブは、僕が言ったことに、混乱し動揺しているようだった。
「ごめん、フェイス。僕は、君が本気で女の子でいたいんだと思ってたんだ。僕は引き下がるよ。そうすれば、君はホリーを選べるだろ。君の義理の兄貴になるのは、なんだかすごくつらい気がするけど‥‥」
 その言葉に、今度は僕の方が動揺し、次のアイスクリームをすくったスプーンを、彼の鼻にぶつけてしまった。
「もう、そうじゃないったら!」
 僕は、彼の顔からしたたり落ちるひとかたまりのアイスクリームに、思わず笑いながら言った。
「あたしは、あなたに引き下がってなんか欲しくないの。もう、ホリーなんか選びたくないもん。もちろん、あなたの義理の弟になんかなりたくないわ。あたしは、あなたの彼女になりたいの。それに、いつかは、あなたの‥‥奥さんに」
 一瞬にして、ロブのすてきな顔に、ほほ笑みが戻ってきた。その顔に、僕はますます彼が好きになっていくのを感じた。
「ホリーは、悔しがるだろうね。未来の夫を、永遠に他の男に獲られちゃったんだから」
「それは、ちょっとちがうわ。彼女は未来の夫を失ったけど、その代わりに、すてきなお義姉さんを手に入れたんだから」
「ねえ、いつ、みんなに婚約を発表しよう?」
 僕の未来の夫は、すでに夢うつつだった。
「まだ早すぎるって言われそうな気もするけど」
「ロブ、あたしだって、せっかくのいいニュースをぶちこわされたくないわ。だいじょぶよ。あたしは、そんなに結婚をあせってないから。あなたの未来の妻で、あなたの子供の未来の母親は、法的にはまだ15歳の男の子で、高校生だってこと、忘れないで。ホリーの話だと、それを変えるにはずいぶん手間がかかるみたいだし、あたし、大学にも行きたいし」
 そこでロブは、しばらく何も言わずに、僕のことを見つめた。そのせいで、僕はちょっと不安になった。
「どうかしたの? マスカラがおかしい?」
 僕は、あわててバッグの中からミラーを出そうとした。じつは今日、これまで使っていたマスカラが切れて、それと同じくらい強力だという別のブランドに変えていたのだ。
「いや、君は完璧だよ、フェイス。だから、見てたんだ。こんな姿を毎日見てて、どうして君は、自分のことを男の子だなんて疑うのかな」
「そうね‥‥。いくらかわいい服を着るのが好きだと感じても、どうしても自信が持てなかったのは、いつかは男の子に戻らなきゃいけないと思ってたからなんだと思うわ。でも今は、ちがう。あなたがいるから、もうそんなふうには思わない。あたしは、女の子。女の子でいることが大好きな女の子よ」
 ロブは僕を抱きしめ、どれほど僕を愛しているか語った。そして、僕が女の子になったことを、ぜったいに後悔させないとも。
 僕は、何の疑いもなく、その言葉を信じることができた。

 食事のあと、僕たちは手をつないで車に戻った。
 学校に着くとまた、彼は寮の入り口まで歩いて送ってくれ、僕はそこで、彼にほおずりした。
 すると彼は、自分がはめていたクラスリング(※)をはずし、僕に手渡した。
 (※訳注 卒業や学年の修了を記念する指輪 アメリカの私立高校などでは、証書に添えて渡すところも多い)
「これは、とりあえずってことだよ」
 彼は、僕にキスしながら言った。
「君が望む時に、僕はそれを、ダイヤモンドと取り替えるつもりだ」
 僕は、両腕を彼の首にまわし、その契約への印章代わりに、長くて官能的なキスをした。
「次のデートの時は、もっとすごいのをするわね」
 僕は、そうささやいた。
「だから、あたしにも、いっぱいしてね」

 その夜、ベッドの準備をしながら、ホリーは、さかんにロブとのデートがどうだったか、聞きたがった。
 僕は、ただ楽しかったとだけ答え、サイン入りのバスケットボールを見せ、自慢した。
「でもまあ、一度女の子としてのデートを経験したんだから、もう、ダブルデートを断る理由もなくなっちゃったわね」
 彼女は、ほくそ笑むように言った。
「ううん、あたしは、そうは思わないわ。やっぱり、それが正しいことだとは思えないもん」
 もちろん、未来の夫を裏切ることは、正しいことじゃないだろう。
 でも、ホリーがその理由を知るまでには、もう少し努力してもらわなければならない。僕が並べるパズルのピースを組み立て終えたとき、彼女に死ぬほど驚いてもらうためにも。
「心配しないで。ロブと同じくらいには、かっこいい男の子を紹介するから」
「そんなの、いやよ。興味ないもん」
 僕は、それを強く拒否するように言った。それに、ホリーはちょっとむきになったようだ。
「じゃあ、こういうのはどう?」
 そして彼女は、こう提案してきた。
「もし、男といっしょに出掛けることを納得してくれたら、あたしがキスしてあげる」
 僕は、ちょっとの間、それを考えるふりをしたあと、首を振った。
「ううん、やっぱりいいわ。それも、興味ないから」
 ホリーはその言葉に驚いたようだ。
「それって、あたしのキスを断るってこと? 頭でも打ったの? 前は、あれほどキスして欲しがってたのに。あなた自身が、何度もそう言ったじゃない」
 僕は、彼女が落ち着くのを待ってから、言った。
「ごめんね、ホリー。ほんとに、もうその気がなくなっちゃったの。だって、あなたよりキスの上手な人を見つけちゃったんだもん」
「えっ、あたしより上手?」
 彼女は、不思議そうな顔で言った。
「だって、あなたには、あたし以外の人と、キスする機会なんて‥‥」
 彼女の頭になにかがひらめいたようだが、すぐにはそれが、言葉にならなかった。
「えーっ、うそーっ。そんな‥‥、まさか‥‥」
 そんなホリーを見ているのは気持ちよかった。
 これまですべてを計画し、思い通り運んできたきたつもりだろうが、初めてその制御権を失って、おろおろしているのだ。
「ふふふ」
 僕はミステリアスに笑ってみせた。
「あたし、ロブとキスしたわ。何回も、何回も。すてきだったわよ。あなたの兄さんが、あんなテクニシャンだってこと、どうしてもっと早く教えてくれなかったの? 彼ったら、キスのチャンピオンじゃない」
「あなた、ロブにキスさせたの? ほんとに? マジで? ‥‥そ、そうなんだ。あたし、あなたの顔を見れば、うそついてるかどうかはすぐわかるから‥‥」
 僕は、僕のパソコンのところまでつかつか歩き、メーラーを立ち上げた。と、予想どおり、ロブからのメールが届いていた。
「フェイス、愛してる!」
 それは、極端に短い文面だったが、そのぶん逆に、僕の笑顔は大きなものになった。
「ロブ、あたしも!」
 僕がそう返信するのを見ながら、ホリーはさらに驚いた顔をした。
 彼女の方をふり返った僕は、テレビのメロドラマの主役のような顔で言った。
「許して。悪いのはあたしなの。でも他に、どうしても好きな人ができちゃったの。だから、もう、結婚はあきらめて」
 すると、ホリーは、僕をベッドの上に突き飛ばした。
「さあ、そこに座って。今夜は長くなるわよ。何があったのか、お姉ちゃんに全部話してちょうだい」
「それも、ちょっとちがうわよ。あなたの方が妹。これが証拠よ」
 そう言って僕は、ロブからもらった指輪を見せた。
「何年か後に、彼はこれをダイヤモンドと交換するって約束してくれたわ」
 ホリーには、自分の方からききたいことが何百とあるようだったが、明日の授業のこともあるので、おとなしくベッドに腰掛け、僕が話すのを聞いていた。僕がどうやってロブとの恋に落ちたのか、そして、ふたりが将来どうしたいと思っているのか‥‥。
 話し終わったときには、どちらからともなく抱き合い、ふたりとも涙を流していた。
 僕は彼女に、しばらくの間、家族たちには、このことを内緒にしておいて欲しいと頼んだ。ロブと僕は、クリスマスパーティの席で、親たちに報告し、彼らを驚かせようと考えていたからだ。
 ホリーは、もう二度と、僕に男を紹介するつもりはないと約束した。
 僕はロブの恋人、そして、将来のホリーの義姉。そんなすてきな関係をこわしたくないからだと、ホリーは言った。

 その最初のデートのあと、ロブと僕は、毎週末、どこかに出掛けるようになった。時には映画を見に行くこともあったし、時には、学校のキャンパスで静かな場所を見つけ、そこに腰掛け、話し、お互いの体をまさぐり合うようなこともあった。
 僕は、大切なボーイフレンドのために、いつもかわいく着飾って出掛けた。
 彼も、そんな僕を見てうれしそうな顔をした。そしていつも、その服がどれほど似合うか、その服で僕がどれほどかわいく見えるかを言ってくれた。そのひとことひとことで、僕は、ますます女の子になっていく気がした。
 彼と知り合ったことで、僕の人生は、まちがいなくより生き生きとし、より幸せなものになった。

 ロブは、少なくとも一日一回はメールをくれ、そこには、僕と会えなくてさみしいとか、週末が待ち遠しいとか書いてあった。
 それで僕は、ホリーのカメラで、持っているほとんどすべての服を着た写真を撮ってもらい、それを彼へのメールに添付した。彼が、他の女の子と浮気しないよう、その中には何枚か、ベビードールを着た写真も紛れ込ませた。
 彼は、左手でクリックしなければいけないから大変だと言っていた。

 その変化に最初に気づいたのは、やはりホリーだった。
「あなた、ロブとつき合うようになって、変わったわ」
 ある日、彼女が言った。
「前だって問題なく女の子に見えたけど、最近は、仕草とか、すごく女っぽくなったもん」
「うん、わかってるわ」
 僕も、くすっと笑ってうなずいた。
「ロブとデートしてる時に、あたし自身も感じるもの。歩いたり座ったりするのが、意識してるわけじゃないのに、自然と女っぽくなってるの。彼は、声も変わったみたいだって言ってくれたわ」
「そうね」
 ホリーも、それにうなずいた。
「しゃべり方がやわらかくなって、前より女の子っぽい声に聞こえるのよね」
「ほんとに、わざとやってるわけじゃないのよ」
 僕は、自分でも不思議な気がして言った。
「自分のことを、自然に、女の子だって思えるの。ロブのおかげね。クリスマスには、いつも以上のキスをしてあげなきゃ」
 ロブといっしょにいることで、自分がそんなふうに変わっていくことが、僕にはうれしかった。
 ロブを好きになるのとほぼ同時に、服やメイクに対して多少残っていた違和感もすべて消えてしまった。僕の中から、男の子だという自意識はなくなり、自分がかわいい女の子であることを、なにより、ロブのようなかっこいいボーイフレンドを持つ女の子であることを、心から喜べるようになっていた。

 僕は、ふたりのことを、親に理解してもらいたいと思っていた。
 ロブと僕は、急いで結婚することを望んではいなかった。
 悲しいことに、どんな自己イメージを持っていようが、僕はまだ、肉体的には男の子なのだ。そして今後、肉体を女性に変えたとしても、その時、たぶん僕は18歳。そこでもまだ、結婚は早いだろう。
 僕も彼も、進学を希望している。彼は工学部志望だが、僕は、いろんな条件を考え、秘書コースとかへ進むつもりだ。
 たぶん、就職して数年後に、僕たちは結婚し、しばらくして、1人か2人、赤ちゃんを養子にすることになるだろう。かわいい子どもたちにとってよい母親になるためなら、僕は、キャリアをあきらめてもいい。
 自分の思い描く将来像が、妻や母親に変わってしまったことを、親にどう説明したらいいのか見当がつかなかったが、でも、今の僕には、できるかぎりよい妻であり、よい母親となることが、ベストな人生だと思えた。

 僕は、ロブからもらった指輪をチェーンに通し、ペンダントのようにして、いつも肌身離さず持ち歩いていた。そして、学校の女の子たちに、それを見せて自慢するのが好きだった。
 ロブは毎週末、僕を迎えに来ていたから、彼女たちの多くは、彼を見たことがある。彼女たちは僕に、最高の男をつかまえたと言ってくれた。
 でも、僕が将来彼と結婚するつもりだということまで打ち明けたのは、今のところ、ホリーとジルだけだ。
 もちろんジルは、ホリー同様、そのことを心から喜んでくれた。
 ある日の放課後、僕は、ジルを自分の部屋に誘い、それを伝えたのだ。
「すご〜い。すてき〜」
 ジルは、まるで自分のことのようにかん高い声を上げ、狂喜した。
「あたし、ほんとにうれしいわ」
 僕たちは、まるで、小さい女の子がふたり、遊び場で踊るように、手を取り合って部屋中をくるくるまわった。
 その途中、ホリーが戻ってきて、いったいなにをやっているのかときいたが、僕たちはすぐ、そんなホリーをも即興ダンスの輪に巻き込んでしまった。ホリーが、いやみのひとつも言わずにそれに加わったのは初めてのことだ。これは、僕とロブの関係にとって、よい兆候にちがいない。
 僕たちの関係をクリスマスまで親に知られず、ロブとホリーと僕だけの秘密にしておけるか、じつは心配していたのだが、ホリーは、完全に僕たちの味方になってくれていた。それに、例のデートのあと、ママと話す時間があまりなかったのも、なんとか秘密を守り通せた理由だった。

 クリスマスの3日前。
 この日から年明けまでが、グレート・インディアン・リバーの正式なクリスマス休暇だ。
 女の子たちはみんな、朝から休暇のための荷造りをした。僕は、友だちや勉強を見てあげている子たちが、みんな、親元で幸せなクリスマスと新年を迎えることを願った。
 僕たちふた家族は、またホリーの家で過ごすことになっていた。帰るために、ホリーと僕は、ふたりともローライズのジーンズを選んだ。僕はその上に長袖の白いブラウスを着て、黒のなめし革のブーツを履いた。ホリーは、タートルネックセーターとスニーカーだ。
 僕たちをビンクラー家まで連れ帰る役割を、ロブが買って出ていた。あとで聞いたところによると、親たちに内心を隠してそれを言い出すのに、彼はかなり神経を使ったらしい。
 ラウンジで顔を合わせたとたん、ロブは僕の体をつり上げるようにしてキスしてきた。そのせいで、僕の足は完全に床から離れた。
 しばらくしたところで、それを見かねたホリーが止めた。
「ロブ、フェイスの息がつまっちゃうわよ」
 彼女は、はやるロブに正気を取り戻させようと、背中をつつきながら言った。
「か弱い女の子なのよ。もっとやさしく扱ってあげなきゃ」
「あ、ああ。でも、会いたかったから」
 やっと口を離した彼は、ちょっと恥ずかしそうに言った。
「まあ、それはわかるけどね」
 ホリーは笑いながら答えた。
「この子だって、毎日、会いたい会いたいって、そればっかり。うるさいったらないんだから」
 僕が彼の首に腕をまわすのが癖になっているせいで、最初の時から僕たちのキスがこんなふうになるのは、ホリーには話したはずだ。要するに、身長差がありすぎて、熱烈なキスをすると、僕の足は、いつも宙に浮くのだ。
「だけど、そんなキスは、新婚初夜までとっておいた方がいいんじゃない」
 ホリーは笑いながらからかった。
「ふたりとも、いつもそんな、愛に飢えた子どもみたいなキスしてるの? ちょっと馬鹿に見えるわよ」
「でも、がまんできないのよ」
 僕は肩をすくめた。
「だって、あなたのお兄さんったら、こんなに魅力的で、セクシーで、世界でいちばんかっこいい男なんだもん」
「できたらそれを、彼の前で言わないで欲しかったな」
 ホリーはため息をついた。
「あたしがこの何年か、彼の自意識がふくらまないように努力してきたことが、すべて水の泡だわ」
「ごめんね、でも、しょうがないの」
 僕はまた、肩をすくめて言った。
「彼は、ミセス・ウイリアムズができなかったことを、あたしにしたのよ。あたしを女の子としてかわいがってくれて、あたしを女の子の気分にさせてくれて、女の子であることの幸せを教えてくれたわ。なにより、彼の女の子であることのね」
「だけど、クリスマスに親たちをびっくりさせるために、この2日間は、ちょっとおとなしくしてないとな」
 ロブが言った。
「えーっ? それまで、キスはおあずけ? そんなの、やだ」
 それはつらいことだ。だって、2日もずっとそばにいて、1回もキスしてもらえないなんて‥‥。
「ときどきは、目を盗んでしてみるよ。いや、必ずする」
 ロブはその約束の印として、また熱烈なキスをしてくれた。
「あーあ、ロブのキスがそんなにいいんなら、あたしが先につばつけとくんだったな」
 ホリーは、僕たちが長い間そうしているのを見て、あきれたように笑った。
「残念ながら、気づくのがちょっと遅すぎたね」
 ロブが笑い返した。
「僕は、世界でいちばんすてきな女の子を見つけちゃったんだ。もう、僕の気持ちは、誰にも変えられないさ」
 その言葉に、僕は胸が熱くなる思いがし、実際、涙があふれてきた。
 僕は、小さい頃からあまり泣かない子だったのに、この頃は、泣いてばかりいる。
「ん? どうしたんだい?」
 ロブはあわてて僕を引き寄せ、その涙をぬぐってくれた。
「僕が、なにか気に障ることを言った?」
「だいじょぶよ、ロブ」
 ホリーがやさしい口調で説明した。
「彼女は、ある線を越えちゃったのよ。もう、彼女が男の子に戻るようなことは、ぜったいないわ。彼女は、すべての男が望むような、やさしくてかわいい女の子よ。そして、そのうち、想像以上のいい奥さんになるわ」
「ああ、それはもう、よくわかってるさ」
 ロブはもう一度抱きしめ、キスしてくれた。
「親に話すのが待ちきれないよ」

 それを待つことは、本当につらかった。
 大好きな人がすぐそばにいるというのに、抱きしめることも、キスすることも、愛を語ることも簡単にはできないのだ。
 こんなふうで僕は、クリスマスまで生きていけるのだろうかと、不安になったほどだ。

 その重大な日が、ついにやってきた。
 ホリーと僕は、前から決めていたとおり、同じデザインの色違いのドレスを着て、髪型も同じにすることにした。じつは、もうすでに寮の部屋で一度試してみたのだが、その姿は、本当に双子の姉妹のように見えた。
 僕たちは、まず、着ける予定の下着をベッドの上に並べた。
 僕はホリーを説き伏せ、以前ママに教えてもらったセクシーなボーイカットスタイルを選んでいた。ホリーはグリーンのドレスを着るので、下着はミントグリーン。僕の方は、ライトピンクだ。ドレスが赤だということもあるが、なによりこの色は、自分自身をかわいく、また女らしく感じさせてくれる。
 時間を節約するため、僕たちは、いっしょにシャワーを浴びた。
 彼女の胸やお尻がうらやましいということを除けば、いっしょに裸でいることに、僕はもう、何のためらいも感じなかった。だって、ふたりとも、女の子なんだから。
 僕は、パンティを身につける前に、ガフという、ベルトが組み合わさったような下着を着けた。ママが、インターネットの女装者向けサイトで見つけ、僕のために買ってくれたものだ。
 それは、最初は、けっして着け心地がいいとは言えないものだった。生殖器を下腹部に押し込むのは、もうパンティガードルで経験ずみだったが、このガフは、その部分をさらにきつく絞めつけ、着けている間はまちがっても元に戻らないように固めてしまう。
 通常は、スラックスを履く時にしか着けないのだが、ロブのそばに近づくことがわかっている時は、スカートの前が持ち上がったりしないように、これを着けていた。

 数ヵ月前、まだ女物の服を身につけるのを嫌っていた時、僕は、コットンのパンティと何の飾りもないブラしか着けないと心に誓ったものだ。
 それなのに今、寮の僕の引き出しは、まるまる二段、女の子だけが買うことを許されたかわいいシルクの下着で埋め尽くされている。そのうちの多くは、自分自身で買ったものだ。
 今ではもう、ダサい制服のスカートとブラウスの下にさえ、かわいいシルクの下着が欠かせない。
 そして僕は今、好きな男の前で、かわいくて女らしい気分を持ち続けたいからこそ、そんな下着を身につけている。だからこそ、彼は僕のことをかわいいと言ってくれるし、たくさん抱きしめ、たくさんキスしてくれるのだと信じている。
 そして僕は、それこそ女の子の喜びだと心から感じている。

 ドレスアップして、鏡の前に並んだホリーと僕は、本当に完璧だった。
 僕は、ホリーの髪もフレンチブレードに結った。ただし、その大きな三つ編みの中に、ホリーはグリーンの、僕は赤のリボンを編み込んだ。
 ふたりとも、休みに入る前にワックス脱毛もすませていたから、脚もすべすべで、薄いパンストがよりセクシーに見えた。
 僕たちは、やはりおそろいで色違いのヒールを履き、メイクをもう一度チェックし合い、ふたり揃って、驚きの視線の中へと出ていった。

「まあ、あなたたち、なんてかわいらしいの!」
 それぞれにプレゼントを用意した家族たちの前に出たとたん、ママが感極まった声で叫んだ。
「ほんとに、姉妹みたいだわ」
 ホリーと僕は、ふたりで顔を見あせてくすくす笑った。まだママは、やがてそれが真実になることを知らない。
 と、ロブが、がまんできないというようにコメントをつけ加えた。
「そんなドレスを着られたら、どっちが自分の妹か見分けがつかないよ」
 すると、彼のパパが、笑って言った。
「恋人と妹の区別がつかないようじゃあ、いろいろ問題が起きるんじゃないのか」
 えっ、恋人‥‥?
 今確かに、彼はそう言った‥‥!
「恋人?」
 ロブも聞き返していた。
「いつから、そんな‥‥?」
「だから、この前彼女がうちに泊まって、お前がバスケットの試合に連れてった時からだろ」
 僕はびっくりして、その場に立ちつくした。
「あたしは無実よ。何もしゃべってないわ」
 ホリーがあわてて叫んだ。
「で、でも、どうしてバレちゃったの?」
「ふふ、走行距離さ」
 ロブのパパは、そう言ってほくそ笑んだ。
「週末にロブに車を貸すと、距離メーターが、いつも必ず93マイル(約150キロ)ほど進んでた。1回目か2回目で、すぐ気がついたよ。うちから学校までは、46マイルと少しだ。往復すれば、93マイルだろ。毎週、妹のところへ行くとも思えないし、だとしたら相手はフェイス以外にあり得ない」
「フェイス、女の子でしょ。何をみっともなく口を開けてるの」
 ママが、からかってきた。
「あなたの彼氏は、さっきからヤドリギの下(※)に立ってるのよ。あなたのキスを待ってるわ」
 (※訳注 欧米では、クリスマスにヤドリギの小枝を飾る風習がある その下でキスした恋人たちは、幸せになれると言い伝えられている)
「ロブ、いつまでも突っ立ってないで、早くキスしてあげなさい」
 ロブのママも、けしかけた。
「こんなかわいい娘さんなんだもの。照れてなんかいたら、すぐ誰かにとられちゃうわよ」
 ロブは肩をすくめながら、僕を見た。僕たちの努力は、まったくの徒労だったわけだ。
 僕は、そのヤドリギの下に歩み寄り、ロブは、すてきなボーイフレンドならみんなそうするようにキスしてきた。
 僕は彼の首に、彼は僕のウエストに、それぞれの腕をまわし、僕たちは、この間のがまんを埋め合わせるような熱烈なキスをし、家族たちはそれを拍手と歓声で見守ってくれた。
 そのあと、ロブは、僕を部屋の真ん中まで連れ出し、きれいにラッピングされたプレゼントを手渡した。
「母さん、父さん、紹介します。僕が結婚したいと思ってる女性、フェイス・ジョーダンです」
「私たちはみんな、君たちの幸せを喜んでいるよ。ただ、結婚はそんな軽々しく考えてはいけないことじゃないのかい」
 僕のパパが言った。パパとしては当然の言葉だろう。僕が一生、女の子として生きていくことを危惧したにちがいなかった。
「もちろん、ふたりが大学を出てからって考えてるのよ」
 そのゴールドとダイヤのすてきなネックレスへの感謝を込め、ロブを抱きしめながら、僕はあわてて、そう説明した。
「あたしたちには、他にも、解決しなければいけない問題がたくさんあるもの」
「いい子ね、フェイス」
 ママがほほ笑んだ。
「あせらずに、じっくり考えて解決していってね」
「約束するわ、ママ」

 それから全員がクリスマスプレゼントを交換し合い、その後、会話は、どうしても僕とロブの将来についての話題になった。
 親たちは、僕たちがつき合っていたことは知っていても、さすがに結婚まで考えているとは思わず、驚いたようだ。でも、僕たちが、まだ数年先と言ったことに安心した。
「たしかに、まだちょっと先よね」
 僕はロブの手を握ってほほ笑んだ。
「でも、必ずするつもりよ。自分の将来について、こんなにはっきり見えたことって、これまでなかったし、その目標をぜったいに見失いたくないって感じてるの」
「あなたは、これから自分がどんなことをしようとしてるのか、ちゃんとわかってるわね?」
 ママが確認するようにきいた。
「どっちにしても、近いうちにホルモンを摂り始めなければならないでしょ。そしたら、二度と男の子には戻れなくなるのよ。それでもいいのね。後悔はしない?」
「ええ、ママ。よくわかってるわ」
 僕は、かみしめるように言った。
「今思えば、あたしが女の子になりたいって考え始めたのは、ロブと出会うよりずっと前だったの。ロブはそれにはっきりと気づかせててくれただけ。彼を愛することで、やっと女の子として生きていけるって自信が持てたの」
「えーっ、前から、女の子になりたかったの?」
 ホリーが驚いたようにきいた。
「じゃあ、どうして、あたしと結婚するなんて言ってたの?」
「うーん、うまく言えないんだけど‥‥。最初はもちろん、女の子になんてなりたくなかったし、服も、メイクも、全部いやだったわ。でも、あなたに、それを楽しんでもいいんだって教えられた時から、もう、自分でも止められなくなっちゃったの。かわいい服を着たり、メイクしたり、髪の毛をいじったり、あたしは、そんなことが大好きだった。だけど、自分が女の子でいることで、何が起こるのかわからなくて、それが怖かったのね。だから、どこかでブレーキをかけようとして、あんなこと言ってたんだと思うわ。ロブが現れてはじめて、あたしは女の子でいいんだって、素直になれたってこと」
 ホリーは、僕のほおにキスしながら言った。
「わかるわ、フェイス。あたしも経験者だから。それに、あたしだって、義理の妹の方が、ずっと居心地がいいもん」
「ロブ、お前が、彼女をしっかり支えていってやらなきゃいけないんだぞ。わかってるな?」
 ロブのパパが言った。
「彼女はこれから、大変な思いをしなければならないんだから」
「ああ、父さん。よくわかってるよ」
 ロブは、強い口調でうなずいた。
「彼女がそうして欲しいときには、僕はいつでもそばにいるつもりだよ」
 僕はもう、それ以上こらえきれなくなり、ロブの体に身を寄せ、赤ん坊のように泣き出していた。
「だいじょうぶだからね、フェイス」
 ロブは、僕の体を抱き、何度も繰り返した。
「愛してるよ」
 僕も、ロブの目を見上げ、涙声でつぶやいていた。
「あたしも。愛してるわ、ロブ」

 次の週、ロブと僕は、ほとんどの時間をいっしょに過ごした。
 彼は、親しい友人のすべてに僕を紹介し、いっしょに映画を2本見に行き、ホリーとのショッピングにも運転手としてついてきた。
 どうやら彼は、そのショッピングに対して、隠れた動機を持っていたようだ。要するに、僕がかわいい服をいろいろ着たところを見たかったらしい。もちろん、僕としては、そんなうれしいことはない。

 ママの提案で、ふた家族揃って、ニュー・イヤーズ・イブを豪勢に送ろうということになった。この地区で最高のレストランを予約し、そこにドレスアップして繰り出そうというわけだ。
 ママは、そのために、僕が着るドレスももう見つけてあるのだと言った。ママは、一生忘れられないような大晦日にするのだと張り切っていた。
 その準備のためにみんなで町に出て、男性陣がタキシードを借りにいっている間、僕たち女性もドレスとアクセサリー類を選んだ。
「じつは、あなたが女の子になるって決まった時から、一度着せたいと思ってたドレスなの。これを着れば、若い娘としての喜びがわかると思ったから。でも、あなたはもう、これを、彼のために着るのよね。思い切りきれいで魅力的な女の子になって、驚かせてあげましょ。彼がつかまえたのがどれだけすごい女の子なのかってことを、思い知らせるのよ」
 たしかに、そのドレスを見るなり、僕は夢中になった。
 深いワインレッドの生地のトップラインから裾に向かって金糸の刺繍が渦を巻くように入ったそのロングドレスは、細いストラップで吊るオープントップで、膝より上までスリットが入っていた。
 これは、どんな女の子にも似合うというものではないだろう。女らしく優雅に着こなさなければ、みっともなく見えてしまうはずだ。
 でも僕は、そんなに恐れてはいなかった。この数ヶ月、明けても暮れても、女らしさを表現する実践を積んできたのだ。肉体的にはもちろんまだ、さまざまな補正が必要になるにしても、メンタリティの面では、今や自分を女だと思っていたし、女としての自信もついてきた。
 とはいえ、そのストラップとスリットを見て、僕は、べつのことが不安になった。
「すごくすてき! でも、こんなの着たら、凍えて死んじゃいそう」
「心配することないわ。こういうドレスを着て来るのは、あなただけじゃないんだから」
 ママは、そんな僕の心配を一蹴した。
「寒くなんかないわよ。私たちが行くのは、ピクニックじゃなくて、四つ星レストランなのよ」
 ママはそのドレスを買ったあと、ランジェリー売り場へと急かせた。そして、そこで、スリットの入ったロングペチコートを選んだ。スリットが、レースで縁取られているものだ。
「このドレスには、濃い赤か黒のランジェリーがぴったりよ」
 ママはそう教えてくれた。
「男って、ぜったいにスリットをちらちら見るものよ。その気にさせるには、レースが多い方がいいわ」
「かわいそうなロブ。自分にどんな罠が仕掛けられてるか、何も知らないのね」
 僕がセクシーな赤いペチコートを体に当てて長さをチェックしていると、ホリーがそう言って笑った。
「あわれな男の子は、その罠にかかって、一晩中、彼女を口説きつづけるってわけね」
「あなただって、今夜、じろじろ見てくる男たちを、ぜったいにがっかりさせないと思うわ」
 ホリーが試着した悩殺的なブルーのベルベットドレスに感心しながら、僕は言った。
「あら、あたしを見る男たちは、いつだって、がっかりなんかしないわよ」
 ホリーは、すぐにそう訂正してきた。
「なにしろ、男の子たちをその気にさせる実践は、あなたなんかよりずっと積んでるんですからね。あたしの方が上手よ」
「ふふ、言ってなさい」
 僕は、寮の部屋でからかわれつづけてきたことを思い出し、仕返ししてやろうと思った。
「あたしには、あなたとちがって、ちゃんとしたカレがいるんだもん。もうそんな必要ないのよ」
「そりゃ、よかったわね」
 ホリーは、笑いながら言い返した。
「要するにあなたは、男として時間を浪費してたから、女の子としてはウブなまんまなのよね。まあ、妹としては、ロブに身持ちの堅い女の子を選んで欲しいと思ってたから、ちょうどいいんだけどね。あたしのお兄ちゃんは、たしかに最高の選択をしたと思うわ」
 僕は、彼女の肩に腕をまわし、抱きしめていた。
「あたし、あなたのお兄ちゃんをずーっと大切にするわ」

 僕は、みんなの髪のセットアップを買って出たのだが、ママは、4人分やるには時間がなさすぎると言って、近くの美容院に予約を入れていた。
 ママの話によると、僕の学校の子たちもよく来る美容院だから、僕たちのような女の子にも慣れていて、他の女の子たちと同じように扱ってくれるということだった。
 学校の美容室できれいにしてもらうことが大好きになっていた僕には、もちろん何の異存もない。
 それにしても、僕についてくれた美容師のジャニーは、僕の学校生活について、しきりに聞きたがった。学校が好きかどうか、成績はどうだったのか、卒業まで在学するつもりか、学校を出たあとはどうしたいのか‥‥。
 彼女は、やさしくていい人そうだったので、僕もすぐにうち解け、いろいろ話していた。理科室放火事件のことから、ハリー/ホリーとのいきさつ、それに、成績についてのちょっとした自慢まで。
「へえ、転校した学期に、優等表彰を受けたの? すごいわ」
 彼女は、カーラーを巻きながら驚いたように言った。
「あたしなんて、あそこに在学中、Bよりいい成績とったことないのに」
 その言葉に驚いて、僕が振り向いたせいで、巻きかけていたカーラーが飛んでしまった。
 こんなに女っぽくてきれいな美容師が、ガールセンターの生徒だったことが信じられなかった。
「グレート・インディアンの卒業生なの?」
 僕は、まだ呆然としたままきいた。
「そうよ。卒業してから5年になるわ。ガールセンターをね‥‥今でも、生徒たちはそう呼んでるんでしょ?」
 彼女は僕の驚く顔を見ながら、ほほ笑んだ。
「11歳で入って、あそこが好きだったから、ずっといたの。あなたとホリーを見てると、今でも、かわいい子がいっぱいいるみたいね」
「あなたこそ、すごくきれいでかわいいじゃない」
 僕は、心から感嘆していた。
「それにしても、まさか、うちの卒業生だとは思わなかったわ」
「ありがとう。あたしも、ホリーと彼女のママのことを知らなかったら、あなたがあそこの在校生だなんて気がつかなかったでしょうね」
「でも、11歳って、いったい何をやって入れられたの?」
 その年でひどい非行に走るには、幼すぎる気がして、僕は首をかしげた。ホリーにしても、12歳までは、あそこに送られるほどの問題は起こしてなかったはずだ。
「誰が、非行で入れられたって言った?」
 彼女は、僕の髪にまたカーラーを巻きながらくすっと笑った。
「あたしが、隠れてママの服とかで遊びだしたのは、8歳くらいの時だったかな。すぐ両親に見つかっちゃったんだけど、そこで、両親はあたしを叱ったりしなかった。それどころか、かわいいって言ってくれたの。そのあとも、あたしに女の子の服を着ることを許してくれて、娘としてかわいがってくれるようになった。ママは、かわいらしい服をいっぱい買ってくれたし、パパは、あたしの部屋をちっちゃな女の子の部屋のように改装してくれたわ。お休みの時なんて、ジャニーとして家族旅行にも連れてってくれた。あたしが、ティムとしてよりジャニーとして過ごす方がうれしそうなのを見て、両親は、その方があたしにとって幸せなんだって思ったのね。たまたま両親がグレート・インディアンのことをよく知ってたこともあって、あたしを連れて行ってくれた。その時から、あたしは男の子の服を全部捨てて、完全にジャニーになったのよ」
「あたし、うちの学校に入るのは、非行少年ばっかりだと思ってたわ」
 きつく巻かれたカーラーがヘアピンで固定されるのを感じながら、僕は言った。
「そうじゃないのよ。毎年、何人かは、あたしみたいに自分の希望で入ってくる子たちがいるの。あたしは、男の子でいるより女の子でいる方が好きだった。両親は、試しに入れてみようと思ったらしいけど、あたしにとっては、これ以上ないほど、居心地のいい環境だったの」
 そんな話を聞いても、僕には、この美容師が、かつて男だったとは信じられない思いがした。もっとも、この数ヵ月間、学校で知り合ったかわいい女の子たちのほとんどが、かつて男の子だったなんて信じられないのだが。
「ところで、あなたも、あたしのパパに初めて会った時、怖いと思った?」
「えっ? 何のこと? あたし、あなたのパパになんて、会ったことないわよ」
 彼女が浮かべるにやにや笑いの意味がわからず、僕は聞き返した。
「じゃあ、ヒントね。あたしの姓はウイリアムズっていうのよ。で、あたしのパパは、グレート・インディアンで働いているの。‥‥ふふ」
 うちの学校で、ウイリアムズという名の教員や職員は一人しかいなかった。あの魔女‥‥校長だ。
 僕には、ジャニーが、まるでコメディ・セントラル(※)の出演者のように見えた。ジャニー自身もおかしそうに笑い、そのせいで、手にしたカーラーを何本か落とした。
 (※訳注 アメリカのコメディ専門ケーブルテレビ局)
「そう、あたしのパパは、あの校長なのよ」
 彼女は、カーラーを拾い上げながら、さらに笑った。
「えっ? あなたのパパって、女?」
「んなわけ、ないでしょ。あなたにどう見えたかはべつにして、パパはれっきとした男よ」
「そんな。うそでしょ」
 僕がまた急に振り向いたせいで、彼女は、ふたたびカーラーを落とした。
「ほんとよ。これじゃ、仕事が進められないわ。ちゃんと説明するから、少しじっとしててくれる? 寝癖みたいな頭にはなりたくないでしょ」
 彼女は、そう言ってから父親の話をしてくれた。つまり、グレート・インディアン・リバー・ラーニング・センターの厳格なる校長、ミセス・ウイリアムズの話を。

 自分の父親にも女装の趣味があったことを、子供の頃、ジャニーは知らなかったのだという。ところがある日、母親が、突然、ビッキーおばさんと名乗る女性を連れてきた。そこで初めて、父親の秘密を聞かされた。
 父は、自分もやはり、子供の頃から、女の子の服を着るのが好きだったのだと打ち明けた。小さな頃から、ときどき、女装して楽しんでいたのだと。そして、大人になった彼は、彼の趣味を認めてくれる珍しいタイプの女性と出会った。女性の方は、どんなに長時間でもショッピングにつき合ってくれて、洋服についてアドバイスしてくれるボーイフレンドに夢中になった。そして、ふたりは結婚し、ジャニーが生まれたのだ。
 一方、父親は、長年の教員生活で、いずれは校長になることを目指していた。ところが、彼が関わる特殊な政治活動のせいで、どれだけキャリアを積んでも、出世の道は閉ざされたままだった。何人もの後輩に追い抜かれていた。
 そんなある時、当の政治団体――女装者の権利を守る支援グループ――から、思ってもいなかった誘いが舞い込む。トランスジェンダーの団体が共同で、実験的に私立学校を開校するというのだ。彼は、その学校、グレート・インディアン・リバー・ラーニング・センターの校長になることで、長年の夢を叶えた。しかし、それは同時に、彼が女性校長になることをも意味していたというわけだ。

「ふふ、どうやらあなたは、パパのお気に入りみたいよ」
 ジャニーは、そう言って笑った。
「じつは、あなたの名前は、パパからさんざん聞かされてたの。ガールセンター開校以来、いちばん成績優秀な女の子だって」
「まさか、そんな、お気に入りなんて‥‥。でも、あたしって、そういうのに鈍いところがあるからな‥‥」
 それは、認めざるを得ないだろう。だって‥‥。
「自分の父親のことだって、誤解してたんだもの。あたしはずっと、パパから嫌われてガールセンターに放り込まれたって恨んでたの。でも、じつは、パパがずっとあたしのことを心配してくれていて、ホリーにあれこれ頼んでたことを聞かされた。それでやっと、両親に会う気になったのよ。今では、あたし、パパのことが大好き。厳密に言えば、あたしはまだ本物の女の子じゃないけど、今は、パパの娘として生まれたことを誇りに思ってるわ。だけど、あなたのパパについては‥‥、彼女‥‥っていうか、彼のことを、ずっと魔女だなんて思ってたし‥‥。今でも、顔を見ると、恐ろしくて震え上がっちゃうもの」
「パパは、ほんとは、すごくやさしい人よ。でも、非行少年を女装させることで更正させるっていう理論と実践に、強い使命感を持ってるの。反抗的な男の子たちを受け身の立場に変えさせて管理していくには、どうしても、あんなふうな厳めしさを装わなきゃいけないのよ。わかってあげて。あなたがみごとに適応して、優秀な成績を上げてることを、パパはいつも、学校の誇りだって言ってるんだから」
 この地球上で、最もひどい生き物だと思ってきた女が、誰かの親だったということすら信じられないのだから、それが、やさしくて思いやりある男で、非行少年たちをぎりぎりのところで救おうという使命感に燃えている人だと認識するのは、そんな簡単なことじゃない。
 でも、彼は、家族に自慢するほど、僕のことを評価してくれているらしい。
 卑劣で冷酷な魔女などというイメージは捨てて、彼女に感謝のキスを送るべきなんだろうか?

 ジャニーや他の美容師たちの作業がすべて終わったところで、僕は声も出ないほど驚いていた。
 緩やかにカールした僕の髪が、肩の上で弾んでいた。バレッタでとめられほどよく後ろにまわされたサイドの髪が、やわらかな顔の輪郭を引き立てていた。
 前に、ヘアスタイルブックで見てはいたが、試したことのなかったそのスタイルは、シンプルだけれどエレガントで、僕に本当によく似合っていた。鏡を見るなり、僕は、ぜったいにこのスタイリングを覚えようと思った。こんな髪型の僕を見たら、ロブは喜んで、また、おいしいキスをいっぱいしてくれるにちがいない。

 じつは、こんなところが、僕が女の子でいることに大きな魅力を感じる点なのだ。すてきな女の子でいるということは、ある意味、矛盾に満ちたことだ。たとえば、その「シンプル、だけれどエレガント」ということ。
 このヘアスタイルには、他とはちがうなにかがあるにもかかわらず、あくまでシンプルに見える。そしてじつは、そんなシンプルさをつくり出すためには、普通に髪を洗ってリンスしセットするだけでなく、優に20分以上は余分に時間をかける必要があるのだ。
 今夜のドレスだって、矛盾だらけだ。冬の寒い日だというのに、パーティ仕様の僕は、わざわざ、細いストラップだけで胸の上から肩までを裸同然にさらしている。
 もっと言えば、毎朝しているメイクだって矛盾でいっぱいだ。僕は毎朝30分以上かけて、その日の服に合わせた“ナチュラル”メイクをしているのだ。
 思うに、女の子が毎日の生活の中に抱えるそんな矛盾こそ、男が女に惹かれる理由だという気がする。
 僕の持つそんなミステリアスな不可解さこそが、ロブの気持ちを引きつけ、彼がそれにわくわくすることで、僕も幸せを感じるのだ。

 夕方になり、いったんホリーの家に戻って着付けをした時は、ちょっと奇妙な感じだった。
 男性陣が客室で着替えたのに対し、僕たち女性陣は、ビンクラー夫妻の寝室でその作業をした。
 僕のママとミセス・ビンクラーは、やはりどこかに、息子たちに見られているという意識があったのだろう。裸になったあと、ちょっとあせったように、ブラやパンティを着けた。
 こちらの側にも、下着姿の母親を見ているという落ち着かない感じはあったものの、結局、ホリーと僕がブラとパンティ姿になったところで、母と息子という雰囲気は完全に消え、あとはお互い、わいわい言いながらきれいなランジェリーを着け、ガーターベルトにストッキングをとめた。
 すべて着終わった時、僕は大きな胸のときめきを覚えていた。
 美しいドレス、セクシーな下着、これまで着けたうちで最もすべすべのストッキング、ヘアスタイルもメイクも完璧だ。僕はそれに、3インチの細いヒールがついた黒いベルベットのパンプスを履いた。
 すぐに部屋を出て、ロブに見てもらいたいと行きかけたところで思い出し、クリスマスに彼からもらったかわいい金のハート型ネックレスをつけた。

「ワーオ、なんてきれいなんだ!」
 ロブは叫ぶような声で、僕の努力にちゃんと答えてくれた。
「ねえ、写真撮らせてよ。僕にはこんなガールフレンドがいるんだって、学校で自慢するんだから」
「ママ、見て。彼ってほんとにすてき。世界中でいちばんかっこいいわ」
 そのかっこよさは、当然、甘いキスに値した。僕は背伸びして、彼の首に腕をまわし、思いっきり甘えたキスをした。
 彼は、僕の体をぎゅっと抱いてぶら下げるようにし、僕がどれくらい愛しているかを言うまで、そして、必ず結婚するともう一度約束するまで、下ろしてくれなかった。
 もちろん彼だって、僕を地面に立たせたままでキスできるのだが、僕は全然かまわない。だって僕は、彼のことをほんとに愛しているし、ぜったい彼と結婚するんだから。
 ロブはタキシードが驚くほど似合った。広い肩幅と厚い胸板は、本当にタキシードを立派に見せる。
 じつは、僕も2年ほど前、親戚の結婚式か何かでタキシードを着せられたことがあるが、その時のみじめさったらなかった。
 それに比べてロブは、タキシードを着るために生まれてきたような体つきをしている。この貸衣装屋は、ロブが着てくれたことに対し、逆にお金を払うべきだとさえ思えた。

 その夜は、完璧にすばらしいものだった。
 ロブは、ウエーターを押さえて、僕の椅子を引いてくれ、食事中もずっと気遣ってくれ、僕のグラスのダイエットコーラがカラになるとすぐに注文してくれた。
 ダンスタイムが始まると、僕たちは何曲も何曲も踊りつづけ、僕はまるで、ダンスマラソンの出場者のような気分になってきた。ほら、古いニュース映画とかで、疲れ切った女性を引きずるようにして踊る男の映像‥‥あれを思い出したのだ。
 じつは2曲目が終わった頃にはもう、僕のヒールの足は、そうとう痛み出していた。きれいなロングドレスに似合うこの靴は大好きだし、これを履いていることで、歩幅の小さな女らしいステップを強いられる感覚も嫌いじゃない。でも、これでダンスフロアにいつづけるのは、やはりつらい。ことに、こんなエネルギーのつきることのない男のパートナーとして踊るのは、本当につらいのだ。
 それで僕は、ホリーにステディなボーフレンドがいないことをいいことに、ときどきロブを貸してあげて、ダンスを休んで息をついた。
 でも、彼女にロブをとられるのではないかと、やきもちをやく心配はいらなかった。レストランには、家族とともに年越しに来ている同年代の男の子たちがけっこういて、ホリーの姿は、当然彼らの目にとまっていた。その天使のような女の子に特定のパートナーがいないことがわかると同時に、彼らは、自分がその特定の一人になりたくて彼女を取り囲んだのだ。
 零時が近づいたところで、僕は、ロブの腕をしっかりとつかまえ、その腕の中に僕が抱かれるような体勢をつくった。他の女の子たちに、新年のキスのチャンスを与えないためだ。
 カウントダウンが始まると、僕を抱く彼の力が強まり、僕たちは、徐々に唇を近づけていった。そして、新年のカウントとともに、熱烈なキスを交わした。
 それは、ほんとにファンタスチックだった。僕たちは、クラッカーやホーンや歓声が鳴り響く中、唇を合わせ、きつく抱きしめ合っていた。
「ワオ! なんてすてきなの」
 そのキスが終わったところで、僕は叫んでいた。
「みんな、あたしたちのキスを祝ってくれてるわ」
「ほんとにかわいいね、フェイス。でも、意外とお馬鹿さんかな」
 ロブはそう言って笑った。
「新年のお祝いだろ」
「そんなこと、わかってるわ」
 僕は、にっこり笑って言った。
「でも、ほんとにそうかどうか、もう一度キスして試してみましょ」
「うん、いい考えだ」
 ロブは、すかさず賛成した。
「君とのキスなら、1年中しててもいいよ」

 その夜、僕は、ロブの腕の中に包まれた夢を見ながら、まるで赤ん坊のように安らかに眠った。
 夢の中でも、ロブは、僕のことを世界でいちばんかわいい女の子だと何度も言ってくれた。そして、その言葉以上のやり方で、僕のことを愛してくれた。
 そんな夢を見たということは、僕の中にもう、自分を男の子だと思う余地がいっさいなくなったということだろう。

 何日か後、僕は両親といっしょに、ミセス・ウイリアムズと面談した。僕が女の子になる治療を開始するための相談だった。
 僕は、まるでハリケーンの中の木の葉のように震えていた。この前、美容師のジャニーから、彼女の「パパ」についての話を聞いてはいたが、この校長の前に出ると、どうしても虫けらみたいに踏みつぶされそうな恐怖を感じるのだ。
 その上今日は、大事な話をしに来ているのだから、緊張はなおさらだ。今日の話の目的は、なにより、この学校に卒業までいることを許可してもらうことだった。
 たとえ更正期間が終わったとしても、僕がもう、前の学校に戻れないのは明らかだ。男に戻るには、すでに僕は、女の子としての濃密な時間を過ごしすぎていた。この間、十代の女の子として暮らし、会話し、行動してきたことは、僕の心に究極の変化をもたらしている。僕は今、実際に自分自身を十代の女の子だと感じ、その上、女の子として一人の男の子に恋さえしているのだ。
 そんな僕が、男のふりをして前の学校に戻ったとしても、さまざまな問題が起こることは目に見えていた。昔の仲間と話すには、自分自身を押し殺すことが必要だし、たとえそれができたとしても、知らず知らずのうちに、女の子のように髪を後ろにまとめる仕草をしたりするだろう。歩くときは、男の子ならふつう体の脇で持つはずの教科書を、胸の前に抱えるようにしてしまうはずだ。教室に入った僕が、腰掛けながら、履いてもいないスカートの裾をなでつける仕草をしたとしたら、みんなはどう思うだろう?
 いや、そんなことは些末なことだ。僕にとってもっと重大なのは、まだ15歳だとはいえ、僕がすでに人生を賭けたいと思う人に出会ってしまったことだ。将来、ロバート・ビンクラーの妻になるという以外の人生は、僕にはもう考えられない。
 両親は、すべての事情をミセス・ウイリアムズに説明した。僕が女の子として生きる決意を固めていること、ロブに恋していること、そして、グレート・インディアンにとどまり、この学校に卒業までいたいと願っていること。
 ミセス・ウイリアムズは時折メモをとりながらほほ笑んだりしたが、それでも、厳めしさが染みついたその顔からは、話の内容をどう受け取っているのか、まったくうかがい知れることができなかった。この人は、どうしていつも、こんな冷酷な表情をしているんだろう?
 両親の説明がすべて終わったところで、ミセス・ウイリアムズは、僕の方に顔を向け、笑いかけてきた。
「そう言えば、娘のジャニーに会ったそうですね」
 僕は、そのほほ笑みにもやはり恐ろしさしか感じられず、ただうなずいた。
「娘は、あなたの言葉を一生懸命否定しなければならなかったと言ってましたよ。私がけっして、あなたの思っているような恐ろしい‥‥魔女ではないって」
 彼女は、まるで昔からの友人に冗談を言うように、おかしそうに笑った。
「い、いえ‥‥その‥‥、あたしは、けっして‥‥」
 僕は、口をもつれさせながら、なんとか言い逃れようとした。
 誰だって、校長先生のことを魔女なんて言ったことを、校長本人に知られたくはないだろう。たとえ、それが事実だとしても。
「フェイス、それは別に、あなただけじゃないんのよ。非行でここに送られてきた子たちは、みんな、私のことをそう思うみたいね」
 彼女はそう言ってまた笑った。
「でも、それでいいんですよ。新入生たちを管理するには、そう思っていてくれた方が都合がいいんだから。ジャニーも、そう言ってなかった?」
 彼女は、今度はちょっといたずらっぽそうな顔でほほ笑んだ。
「ジャニーは、私が、彼女のパパだってことまでバラしたんでしょ」
「は、はい、そう、うかがいました」
 僕は、ていねいな言葉づかいを崩さないようにして、答えた。
「それなら、話が早いわね。私は、そのことをよく考えてほしいと思っています。私は女性として暮らし仕事していますが、同時に彼女のパパでもある。つまり、何を言いたいかと言えば、肉体上の性転換と、女性らしい生き方をすることとは、必ずしもイコールではないということです。もしあなたが、女の子の服を着ることや女の子として振る舞うことが好きだというだけなら、なにも性転換は必要ありません。同じように、男の子に恋していることだけが理由なら、私は手術をすすめません。もし将来、彼と別れるようなことになったとしたら、軽はずみに体を変えてしまったことを後悔しないともかぎらないからです」
「あたしは、軽はずみに決めようなんて、思ってません」
 僕は、自分でも驚くほど大きな声で言っていた。
「それまで目をそらしてきたあたし自身の気持ちに、本気で向かい合うきっかけになったのは、たしかにロブです。そのおかげで今、あたしたちふたりは愛し合っています。でも、あたしたちは、それに目を奪われて、わけもわからず突き進もうとするほど愚かじゃありません。あたしは、ロブと出会う以前から、もう変わっていました。うまく説明はできないけれど、ここに来た時から、あたしの中に隠れていたなにかがどんどん大きくなっていって、気がついた時には、もう、後戻りできなくなっていたんです」
「わかります。そのなにかがあったからこそ、あなたは、少年刑務所でなくここに送られてきたのですからね」
 ミセス・ウイリアムズは、やさしい声音で言った。
「あの判決が下される前に、心理テストを受けさせられたでしょ。そのテストの結果は、あなたが社会的不適応であることを示していました。もっと正確に言えば、社会が求める男性役割に不適応であることをね。あなたがとっていた無謀な行動は、あなた自身がそれにむりやり適応しようとした過剰反応だったようですね。あのテストによれば、あなたの資質は、そんな行動とは裏腹に、やさしくて女性的な側面の方が強いものでした。それなら、そんな女性的な部分への抑圧を取り払い、もっと自由に伸ばしていける環境におけば、あなたはより良い人間になるのではないか。あの判決の裏には、そんな判断があったのです」
「つまり、あたしは、女の子になることを望むように仕組まれてたということですか? いわば計画どおりに」
「いいえ、それはちがいますよ。ここには、そんな計画なんてありません。ここに送られてきた少年たちのほとんどは、より穏やかで精神的に安定した青年としてここを旅立っていきます。あくまで、青年としてね。この学校の目的は、元来、少年なら誰もが持っている女性的な側面を伸ばすことで、よりバランスのとれた人間をつくるということです。けっしてそれ以上ではありません。でも中には、そのバランスが、完全に女性になることでとれる人たちもいます。そういう人には、その決定を支持し応援するというのがこの学校の立場です」
「で、あたしは、本物の女の子になれるでしょうか?」
 僕は、すがるようにきいていた。その瞬間、話している相手が、この世でいちばんきらいな人間だということも忘れていた。
「フェイス、その決定を下すのは私ではないのよ」
 そう言ったミセス・ウイリアムズの声音は、やさしく、いたわりのこもったもので、僕は、その顔から魔女の面影が消えていくような気がした。
「まず、ご両親といっしょに専門医のところに行って、診察を受けて。そこで性的不適合の診断が下れば、すぐにホルモン治療が始まるはずよ。あなたの体の男性としての発育を抑えて、若い女性らしい体型をつくるためのね。ただ、完全に体を変えるのは、成人するまで待つべきだと私は思ってるわ。もっとも、私が言うまでもなく、あなたは賢明な判断を下すでしょうけどね。たぶん、ジャニーはそれもしゃべったと思うけど、私はつねづね、あなたのことを、開校以来いちばん優秀で賢い女の子だと思っているのよ」
「あの、それで、あたしは、卒業までここにいてもいいんでしょうか?」
「あなたのように成績優秀でいい子が転校してしまうなんて、むしろ、この学校にとっての損失よ」
 ミセス・ウイリアムズは、そう言って笑いかけた。
「それに、あなたがここの卒業生だってことを、私は人に自慢したいもの」
 その瞬間、幸福感に包まれた僕は、思わず席を立っていた。そして、彼女のもとに駆け寄り、その体を抱きしめていた。
「まあ、ジャニーやホリーの言うとおりね。あなたって、ほんとに素直でかわいい女の子」
 その感謝の抱擁から腕をといたところで、僕に向かい、ミセス・ウイリアムズは、またいたずらっぽい笑顔で言った。
「私がほんとはこんな人間だってこと、他の生徒には内緒よ」

 2週間ほどのち、両親と僕は、今度は専門医のもとを訪ね、ふたたび、僕が本物の女の子になりたいと考えるに至った経緯について話した。
 その女医は、僕と両親が話す内容をこと細かに書き取り、カルテを見直してから、僕にいくつかの心理テストを受けてくれと言った。
 すべてのテストが終わったところで、採血をされ、そこで女医は、検査の結果は2週間後に出ると告げた。

 その2週間は、本当に長かった。もう一度その診察室を訪ねる時には、僕が本当の女の子になれるのかどうかが決まってしまうのだ。僕は毎日、不安にさいなまれながら過ごした。あんな日々は、もう二度とごめんだ。
 もし、検査の結果が「ノー」と出たら、その時僕はどうなるのか?
 ロブはゲイなどではなく、女の子としての僕を愛している。だとしたら、僕らは一生、デート以上のことはできないということだ。だいいち、デートのたびにひげを剃らなければならない女の子を、ロブは愛しつづけられるだろうか?
 その検査結果次第で、僕の人生すべてが台無しになるのだ。僕はどうしても女の子になりたかった。ロブなしの人生なんて、もう考えられないのだから。

 その日、僕はピンクのスカートと白いブラウスを着た。女子高生らしいかわいい格好で行けば、医者の採点が多少甘くなるような気がしたからだ。その下に着けているのが、持っているうちでいちばん女っぽいブラとパンティとハーフスリップだと知ったら、さらに高いポイントがもらえるかもしれない。僕が、医者にそれを見せようと思っていると言うと、ママがとめた。
「先生は専門家なのよ、フェイス。あなたがかわいいランジェリーを着けているからって、診断が変わるようなことはないわ。この前、あなたを診た結果を、公正に伝えてくださるはずよ」

 医師は、検査結果のすべてをもう一度見直し、そのあと、何枚かの書類に目を通していた。
 待たされている間、椅子に浅く腰掛けた僕は、その書類を取り上げ、むりやりにでもひとつの答えを言わせたいという衝動に駆られた。
 と、書類を机に戻した医師が、僕に目を向けた。
「おめでとう、フェイス」
 彼女はそう言ってほほ笑んだ。
「すべての検査結果が、あなたが精神的にも安定した魅力的な若い女性になれることを示しています。それに、あなたの体内のテストステロンの分泌量は、同年代の少年と比べてきわめて低いレベルです。つまり、そもそも、男性の体を作っていくホルモンがそれほど多くないのね。これから、女性ホルモンの投与プログラムをはじめることになりますが、このテストステロンの量から見て、その効果は、きわめて速く現れると思います。2ヵ月後に、進行度を診るための再検査をしましょうね」
 僕は、完全に我を失っていた。ひとこと目を聞いた瞬間から、声を出して泣きつづけていた。
「早くロブに知らせたいわ」
 僕は鼻をすすりながら言った。
「ああ、あたしって、なんて幸せな女の子なの」
「じつは、もうひとつ、考慮に入れていただきたいご提案があります」
 医師は、両親に向かって言った。
「もちろん、ご両親の同意の上でということですが、暫定的な外科手術をされてみてはいかがでしょう。成長過程での女性化をめざす娘さんのようなケースでは、本格的な性転換手術はまだおすすめできませんが、その代わりに、女性としての生活に抵抗なく適応していくために効果があるといわれている方法です」
 やっと泣きやんだ僕は、医師の説明を食い入るように聞いた。
 その手術とは、僕の現在の生殖器を腹腔の中に押し込んで縫合し、外見上は女性器と変わらない状態をつくるというものだった。
 つまり、その手術を受ければ、ぴっちりしたスラックスも履けるし、ビキニだって着られる、裸に近い姿でも平気だということだ。詳しい身体検査でもされないかぎり、誰からも、どんな場所でも女性として見られるわけだ。
 僕は、例のパンティガードルなしでタイトなスラックスを履いた自分の姿を想像し、ワクワクした。いや、それ以上に、ビキニが着られるということに有頂天になった。
 一度走り出した僕のイマジネーションは止めどなく暴走し、すでに頭の中には、セクシーな白いビキニでデッキチェアに寝そべり、日光浴する自分の姿が浮かんでいた。ちらちら盗み見るようにしていた男たちの視線は、けっきょくはすべてそのボディラインに釘付けになる。
 小さなブラが僕の胸を形よくもり上げ、かわいいお尻にはやっとカバーできる程度の弾力ある生地が張りつく。その前の部分には、もはや武骨にもっこりした固まりなどなく、ゆるやかな丘がやさしい曲線を描いている。ああ‥‥。
 もし、両親がその手術に同意してくれるなら、僕は思いっきりいい子になろう。まるでちっちゃな女の子のようによく言うことをきいて、毎日きちんとお薬を飲もう。そして、女の子としての成長過程をたどるのだ。そしてそして、夏までには、素敵なボディを手に入れるのだ。あわれなボーイフレンドを一発で悩殺してしまうようなナイスなボディを。ああ‥‥。
「そっちの若い方のレディ、なにのぼせてるんだ。お行儀よくしなさい」
 パパのひと言が、やっと僕に正気を取り戻させた。それにしても、パパはどうして僕の考えていることがわかったんだ?
「今のあなたの顔、見え見えだったわよ」
 きくまでもなく、ママが説明してくれた。
 と、そこで、パパが医師に向かい口を開いた。
「彼女は今後、性行為は可能なのでしょうか?」
 その言葉に、医師は一瞬パパを見返したが、すぐにうなずいた。
「ええ、もう少し成長したのち、もっと本格的な手術をすることで可能になります。女性としての悦びも、まちがいなく得られるはずです。ただし、今提案した処方の段階では、膣がありませんから、まだ性交はできません。ペッティング程度ならできますが」
 その言葉に、パパが僕の目をじっと見つめてきた。
「‥‥あ、あたし、そんなこと、しないわ」
 僕はあわてて、誓いを立てた。
「あたし、いい子でしょ。ママもパパも、信じて」
 と、ママが先に折れて、パパを説得しはじめた。
「あなた、この子が女の子としてちゃんと大人になるためにも、思うとおりにしてあげましょ」
 パパはまだ迷っているようで、医師に向かってさらにきいた。
「女性ホルモンを始めると、この子はずいぶん変わってしまうんでしょうか。たとえば、性格までも」
「ええ、大いに変わると思います」
 医師は、僕が望んでいなかった答えを口にした。
「遺伝子上のマンスリーサイクルが働き出す結果として、いわゆるお天気屋といわれる性格が現れる‥‥つまり、周期的に感情の起伏が激しくなるはずです。でもそれは、この年頃の女の子なら誰もが多かれ少なかれ経験することで、性的に成熟するためにはむしろ自然なことだと言えます。その過程では、これまでに経験したことのない衝動が起こることもあるでしょう。でも、彼女が新しく手に入れた体が、それを乗り切らせてくれるはずです。これまでも、女性としての性衝動に駆られがちな患者さんは何人もいましたが、少なくとも体が変わっているかぎり、その衝動を解決するための最大の障害は取り払われているわけですから」
 医師の言葉に、パパはしばらく目を白黒させていた。その言葉は、彼の女性観の無防備な部分に突き刺さったにちがいない。
「‥‥わ、わかりました」
 ずいぶん間の開いた後、パパはうなずいた。そして、僕に向かって確かめるように言った。
「どうか、ママとパパを悲しませるような、いけない子にはならないでおくれ」

 そのお小言ともに、僕の手術は、春休みに行われることが決まった。
 その手術をはさみ、夏までには、摂りはじめたホルモンが、僕の体に、年頃にふさわしい女の子っぽいカーブをつくってくれるだろう。あとは、ほんのちょっとだけパッドの助けを借りれば、ロブを、幸せな道化者にしてしまえるわけだ。

 僕はやっぱりいい子だった。言われた処方をきちんと守り、毎日忘れずにホルモンを摂っている。始めたばかりの頃は、吐き気に悩まされたりもしたけれど、それもふくめて、僕は、日々ワクワクして過ごしていた。
 それに関しては、ホリーと僕の間で、新たな儀式ができた。
 朝食の時、いっしょにカウントダウンし、ふたり同時にエストロゲンの錠剤を口の中に放り込み、ジュースで飲み下すのだ。
 ほどなく、ホリーと僕には、あらゆる面で、前ほどのちがいがなくなっていった。
 それは、ホリーと僕が本物の姉妹になれたような感覚だった。僕の体は、お姉ちゃんの後を追うように、キュートで曲線的に発育していくのだ。

 ロブが、彼の学校のバレンタインパーティに誘ってくれた時、もちろん僕は即座にオーケーした。
 ロブはホリーも誘い、そのパートナーとして友達を一人用意してあると言った。その友達には、ホリーと僕は双子みたいなものだと伝えてあるのだそうだ。
 それで僕は最初、クリスマスの時に着たホリーとおそろいのドレスを着て行こうかと思った。あの赤いベルベッドのミニドレスだ。
 でも、あれではちょっと時季はずれのような気もした。あれは、いかにもクリスマスという感じだ。ちっちゃい女の子のようにかわいらしくて「シュガー・アンド・スパイス」そのものと言っていい。
 今度、誘われているのは、なんと言ってもバレンタインデー‥‥恋人たちの日なのだ。「シュガー・アンド・スパイス」なんかでなく、もっと大人っぽい服を着たい。
 じつはロブも、あの赤いベルベットを着て来てほしいと言い、あれこれ理由を並べた。
「あの服は本当に似合うし、君のきれいな脚を引き立てる」「赤は、まさにバレンタインデーの色だ」「友達は、まだあの服を着た君を見ていないから、僕はそんな君をみんなに見せびらかしたい」‥‥。
 やっぱりロブは男の子だ。女の子のファッションも、女の子の気持ちもぜんぜんわかっていない。
 僕はロブにキスして「心配しなくていいから、あたしに任せて」と言った。
 僕は、誰よりロブに見てもらいたいのだし、ロブに驚いてもらいたいのだ。彼がもっと僕に夢中になるような服を、探さなければいけない。

 僕はすぐに、ホリーを巻き込み、いっしょにドレスを買いに出かけた。
 そして、いろいろ見た末、ついに気に入ったドレスを見つけた。
 やはり赤だが、ボディコンシャスなつくりで、これまで着たどんな服よりミニでタイトだ。これなら、最近大きく変わってきた僕の体型を、隠すところなく見せられるにちがいない。サンキュー、女性ホルモン。
 試着室を出てきた僕に、ホリーは息をのんだ。
「そんなの見たら、あなたのパパ、心臓が止まるわ!」
「パパに見せるんじゃないもの。見るのはカレよ。彼にとって、一生忘れられないような思い出にしたいの」
 僕は、鏡の前であれこれポーズをとりながら、新しい自分の体に手を這わせた。
「そうね、それならロブは、ぜったい忘れないわ」
 ホリーはにやにやしながら言った。
「自分の部屋に帰ったらすぐに思い出して、激しい運動をするはずよ」

 パーティの準備を終えたホリーと僕は、自分で言うのもなんだけれど、驚くほどの美人に見えた。
 ホリーが選んだのは、太腿の真ん中くらいの丈の赤いスリップドレス。僕のより、ちょっとだけ長い。僕らはそれに極薄の黒のストッキングを履いた。下に着けているのは、もちろん最高にセクシーな黒のランジェリーだ。
 控えめに表現するとしても、パートナーたちは、僕らを「あがめる」にちがいない。

 思ったとおり、ロブも、それにホリーのパートナーであるジョーも、僕らを見たとたん、目を見張った。それだけでなく、パーティ会場に入っていくと、そこにいた男の全員が僕らのことを目で追った。それはまちがいなく、ロブとジョーのプライドをくすぐったはずだ。
 僕はロブと何曲か踊り、そのあと、ホリーとパートナーを交換して踊った。
 と、それを合図にするように、一人で来ていた男たちが、次々にダンスを申し込んできた。
 ロブもジョーも、それをいやがらなかった。
 他の男たちが自分の腕に抱いて踊ることで、ホリーと僕がいかに女らしくて、かわいくて、セクシーかを知れば知るほど、学校内での、彼らの序列が上がるということだろう。
 パーティが終わるまでに、ホリーと僕は、連れのいない男のほとんどと踊っていた。それどころか、ボーイフレンドが僕らと踊りたがったせいで、ダンスフロアに取り残されてしまった女の子たちも何人かいた。もちろん僕らは、そんな女の子たちを傷つけないために、ためらうことなくロブとジョーを差し出した。いずれにしても、最後の曲では、みんなもとのパートナーのところに戻り、すべては丸く収まった。
 その最後のダンスは、最高に素敵だった。ロブは、僕がこのパーティ会場でいちばんかわいい女の子だと何度も繰り返し、その太い腕にきつく抱かれた僕は、まるでふわふわと宙に浮くような高揚感を味わっていた。もっともそれは、僕の中で例のお天気屋現象‥‥ホルモンによる感情の高ぶりが起こっていたからでもあった。

 そう、そのお天気屋現象‥‥というか、情緒不安定の症状についても、話しておいた方がいいだろう。
 ものすごく幸せだと感じている何秒後かに、急に涙が溢れ出したりする。最近では、そんなことがよく起こるのだ。
 たとえばロマンチックな映画を見ている時なら、それも悪くない。でも、バッグスバニーのようなマンガを見ている時にさえ起きるのは、ちょっと困りものだ。
 検診の時、そのことを報告すると、医師は「苦しいなら、女性ホルモンの量を減らしましょうか?」と提案してきた。でも僕は、即座にそれを断った。
 自分の体が変わっていくことに、僕は喜びを感じている。くびれていくウエスト、かわいい丸みを増すお尻、ふくらみはじめた胸‥‥本物の女の子へと変身していく過程を少しでも押しとどめるようなことは、ぜったいにいやだった。
 ロブに抱かれ、キスされ、最高の女の子だと言われることに価値を見いだせなくなったというなら話は別だが、今の僕は、ますますそれを望んでいる。そのためには、どんな苦しさだって耐えられる。

 じつは、例の手術について、僕はロブに詳しいことは話していなかった。何日間か入院することは伝えてあったが、彼はそれを女性化の進度を確かめるための検査入院だと思っている。
 でも、ホリーは当然、知っている。それどころか、彼女は僕といっしょに入院し、同じ手術を受けることになった。
 そう、同時に、同じ手術を。僕がその手術の話をした時から、彼女は親に頼み、さんざんねだったあげく、ついには同意を取りつけていた。
 小さな頃からの親友であり、未来の義理の妹でもある人といっしょにそんな手術に臨めるなんて、なんて素敵なことなんだろう。夏には、おそろいの小さなビキニでプールサイドに寝そべり、ボーイフレンドたちにサンオイルを塗ってもらえるのだ。
 その手術が行われる予定の春休みまでの間、ホリーと僕は、心弾む思いでふざけ合ってばかりいた。
 僕は、彼女が、僕の成績に追いつけないだろうと、さかんにけしかけた。その結果――微積分とフランス語の小テストの前にはちょっと勉強を見てあげたこともあり――、彼女はこれまでになくいい成績をとった。
 愛する娘の評価がいきなりCからAに上がったことに、彼女の両親はたいへん喜び、もし今学期の成績がよかったら、僕に何かお礼をしたいと言った。僕は、それに感謝しながらも今はいいと断った。僕が彼らからもらいたいものは、ひとつしかない。彼らの息子だけだ。
 ともかく、そんなふうにいい成績を保ちながらも、ホリーと僕は、毎日を浮かれて過ごし、その大改造の日を迎えた。

 春休みに入った天気のいい月曜の朝、僕ら2人は両親に連れられ、入院した。
 病室に入るとすぐに、看護士からカミソリを手渡され、バスルームでシェービングしてくるように言われた。
 僕はホルモンを始める前からひげが薄く、剃らなければならないほど生えないと言うと、その看護士は大笑いした。
 ‥‥ん? なんか、変なこと言った?
 戸惑う僕に、看護士は耳打ちし、その「シェービング」の意味を教えてくれた。僕は顔を真っ赤にしてカミソリを受け取り、バスルームに駆け込んだ。
 とはいえ僕は、その部分の毛も薄く、剃るのに手間取ったわけではない。2分後には、夢の国への出発準備がすべて整っていた。

「また、あとでね」
 看護士が僕の腕に慎重に針を刺すのを見ながら、ホリーが声をかけてきた。
「あたし、ビキニを着るのが待ちきれなかったの」
 ストレッチャーの上に身を横たえながら、僕はそう答えた。
「だから‥‥」
 そのあと、すでに白いビキニを注文ずみだという話をしようと思ったのだが、その言葉の途中で、僕のまわりを暗闇が包んだ。

 看護士の声が僕の名を呼び、具合はどうかときいているのはわかっていた。
 でも僕はその時、素敵な夢を見ている真っ最中だったので、それには答えなかった。
 ‥‥プールサイドに腹ばいに寝そべった僕‥‥おっぱいとお尻には、ちっちゃな白いビキニ‥‥ローションを塗ってくれているロブの手が、背中や腿の上をやさしくすべり‥‥その唇が、首の後ろにそっと触れる‥‥。
 目を開けたところで、僕はがっかりした。
 僕の着ているのはビキニではなく、白は白でも病院のガウンだった。背中をなでさすっていたのも、ロブではなくパパだったのだ。
「だいじょうぶ、フェイス?」
 ママの声が聞こえた。
「つらくない?」
「‥‥かな‥‥しい。あたし‥‥、かなしい」
 僕はつぶやくように言った。素敵な夢から覚めてしまったことが、本当に悲しかったからだ。
「フェイス、でも、これは、お前が望んだことだったんだろ?」
 困惑したパパの声が、どこか遠くからのように聞こえてきた。
「今さらそんなことを言っても‥‥。それに、ロブのことだって‥‥」
「ちが‥‥う。そう‥‥じゃ‥‥なく‥‥」
 僕は、その誤解を解こうとしたのだが、まだ意識がはっきりせず、言葉がうまくつかまえられない感じだった。
「ロブ‥‥愛してくれる‥‥うれしい‥‥夢が‥‥」
「体を起こさせた方がいいわね」
 看護士の声がして、その看護士とパパが両側から僕の背中を支え、ベッドの上に座らせた。
「もう十分に回復したでしょ。目を覚ます時間よ」
 起きあがってからもしばらくは、ぼーっとしたまままわりを眺めていたのだが、そこで突然、目の焦点が合った。隣のベッドがからになっていることに気づいたからだ。
「ホ、ホリーは? ホリーは‥‥ど、どこ?」
 その、ホリーのベッドを指さし、まだもつれる舌と必死に戦いながら言っていた。
「ホリーは、まだ手術室よ」
 ママが言った。
「あなたのがすんだあと、彼女の方にかかったんだから」
 僕を取りまいていた霧が次第に晴れていき、舌のもつれもなくなってきて、やっと、言葉が思考に追いついてきた。
 僕は、見ていた夢のことを話し、さっき「悲しい」と言ったのは、目を覚ました時、背中をなでていたのが、ロブでなくパパだったからだと説明した。
 もう一度、看護士に具合をきかれ、僕は、脚のつけ根あたりに鈍い痛みを感じる他は、別にどこもおかしいところはないと伝えた。看護士はそこで、何錠かの錠剤を飲ませ、ナースコールのボタンの説明をした。
「手術はすべて順調にいったそうよ」
 ママはそう言いながら僕の髪をなで、パパは僕の肩を抱きしめてくれた。
「しばらくの間、乗馬とかバイクは禁止だって。でも、この夏、ロブにあなたを見せて喜んでもらうぶんには、なんの支障もないわね」
「ええ、暴走族やカウボーイになるのは、あきらめるわ」
 僕は、笑いながらそう答えた。
「カウボーイにかぎらず、ボーイに戻ることも、もうできませんよ」
 病室に入ってきた執刀医らしい医師が言った。
「もともとテストステロンの生成能力が低かったあなたの睾丸は、大量の女性ホルモンを浴びて、すでに機能しなくなっていました。それで、ご両親の許可をいただいた上で、この際、切除した方がいいと判断しました」
「ええ、今のあたしにとっては、なんの未練もないものです」
 僕はそう言って、彼にほほえみ返した。
「自分が男の子だったということすら、思い出せないくらいですし」
「本来なら、術前にご本人におことわりするべぎでしたが、術中にそれがわかったものですから」
 医師はそうわびたあと、つづけた。
「去勢したわけですから、今後、女性ホルモンの効き目はさらに高まるはずです」
「もっと早くそれを聞いていれば、その時点でお願いしたのに」
 そしたら、今でも、もっと大きな胸になってたにちがいない。
「まあ、いずれにしても、手術は大成功でした」
 医師はそう言いながら、カルテに何か書き込んだ。
「もう、明日には退院していいでしょう。傷も1週間うちには回復して、普通に生活できるようになると思います」
「ついでに、夏も早く来ればいいのに」
 僕は、満面の笑みで言った。
「早くホットパンツがはきたいから」
「もし、僕がもう少し若ければ、すぐにでも君のボーイフレンドのところに行って、大金を渡して、君を譲れって言うのに」
 医師はそうからかってきた。
「もし、彼と別れるようなことがあったら、いつでも連絡して」
「先生は素敵な男性だと思うわ。でも、それは無理ね。だって、ロブにとっては、お金よりなにより、あたしが大事なんだから」
「こんなかわいい女の子をつかまえたなんて、なんて幸せなやつだって、彼に伝えといて」

 医師の言葉どおり、僕は翌日退院し、新学期までの1週間を自宅で過ごした。
 言うまでもなく、その間僕は、1日に何度も、ガーゼを変えるふりをして新しい股間を確かめた。かつて、あのやんちゃ坊主がいた場所に、ぷっくりとした「唇」があるのを見るたびに、僕は死ぬほどワクワクした。
 ある日、そんな「点検作業」の真っ最中に部屋のドアがノックされた。ママだ。何か持ってきたとか言っている。
 あせった僕は、急いでパンティとスラックスを上げたが、その途中で入ってきたママは、何をしていたか気づいたかも知れない。
「じつはね、新しいパンティを買ってきたのよ」
 ママはそう言いながら、「ビクトリアズ・シークレット」というロゴの入った紙袋を差し出した。
「これまでのは、ちょっと変なところが伸びちゃってるでしょ。それに、もしかしたら、今のあなたは、もっとセクシーなのが履きたいんじゃないかなと思って」
「セクシー? そんなこと、思ってないけど‥‥」
 ママには純情な娘だと思っていてもらいたかったし、それに、ママの言うセクシーなんてたかが知れているだろうとも思い、僕はそう言った。
 ところが、袋の中をのぞいた瞬間、僕は言葉を失った。そこにはたしかに、セクシーとしか言いようのないパンティが10枚以上も入っていた。
「えーっ、うっそー!?」
 その新しい下着をベッドの上に並べながら、僕はさらに息をのんだ。
「これ、マジで? パパが見たら、心臓が止まるわ」
 そこには、ブリーフは言うまでもなく、コットン・パンティすらなかった。
 かのリチャード・ニクソンが死んで以来、この惑星上で最も保守的だと思っていたママが買ってきたのは、なんと、20枚以上のひもパンだったのだ。
 あ然としてその顔を見やると、ウインクしたママは、なぜかドアの鍵をかけた。
「ずいぶん高かったのよ。ねえ、履いてみせてよ」
 ママは、ニコニコと笑いながら言った。
「恥ずかしがらなくてもいいわ。母親として、かわいい娘がどれほど成長したか、見たいだけなんだから」
 笑ってはいるが、何だか有無を言わせぬ口調だ。
 とはいえ、僕の方も、拒否する気はなかった。
 正直に言えば、ロブとつきあい始めた頃からずっと、僕は、こんなパンティを履くことを夢見ていた。
 たとえばロブとのデートで体を寄せ合っているような時、僕の心の中で、誰かが、「いい子」であることから思い切って踏み出せとささやく。このままロブが「いけないところ」に連れて行ってくれたらいいのにと、密かに望んでいたりする。
 だから、こんなパンティの広告を見かけると、心が騒ぐ。店で、実際に手に取ったことも何度かある。でも、いつも買う寸前で思いとどまっていた。
 恐かったのだ。
 もしこんなのを履いたら、そのとたん、僕は、欲望の中におぼれていきそうな気がした。せっかく僕のことを大事にしてくれている理想の男性の前に、自ら身を投げ出し、彼をその欲望の中に巻き込んでしまいそうな気がしたのだ。
 でも今、ママのお許しが出た。
 僕はさっそくスラックスを脱ぎ、もはやダサいとしか思えなくなったパンティを、さっさと下ろした。
「最初は、これね」
 ママはまた、もう決めているという口調で言い、薄い黒レースのひもパンを渡してくれた。
 それに足を通し、やさしくずりあげ、長さを調整してひもを結び直す。
 ああ、こんな超セクシーなものを身につけた感覚を、いったいどう表現したらいいんだろう。
 全身の末端神経から悦びの信号が駆け上り、僕の意識をはるか高みまで押し上げる。今、言うべき言葉があるとしたら、それは、恍惚という以外ない。
「かわいかったあなたも、いよいよ女ね」
 鏡の中の僕の姿を、ママは、本当に若い女性として見つめてくれていた。
「上着とブラもとってみて。胸がどのくらい大きくなったか見たいの」
 その言葉にも、僕は何の躊躇もなく従った。ママの前でパンティひとつになり胸をチェックされることに、不思議と照れはなかった。というより、ふくらみつづけている胸を、母親に自慢したいような気持ちになっていた。
「ふふ、私が同じ年頃だった頃よりは小さいわね。でも、私は最初から女の子だったんだから、そのぶん、ハンデをあげなきゃね」
 ママはそう言って笑いながら、なんと自分も、履いていたショートパンツを脱ぎ始めた。
 驚いたことに、ママはその下に、僕とおそろいの、でも色違いの白いひもパンを履いていた。
「えーっ! ママが、そんな大胆なの履くなんて、思わなかった」
 僕は笑いながら言った。
「だいいち、自分をセクシーに見せたいなんて、考えない人だと思ってたもん」
「失礼ね。ママだって女よ」
 ママは、そう反論し、怒った顔をしてみせた。
「セクシーに見せたくない女なんて、いるわけないじゃない」
 さらにママは、自分も上着を脱ぎ、ブラまでとってしまった。
「どう? 年の割には、いい線行ってるでしょ」
 たしかに、ママの言うとおりだった。その胸は僕より数段大きく、しかも、未だ張りがあって形もいい。
「期待してていいわよ。うちの家系は、みんな大きいし、セクシーでかっこいいおっぱいなんだから」
「ああ、あたしも、早く大っきくならないかな」
 僕は、ママの均整のとれたボディに見とれながら言った。
「ママみたいになれたら、きっとロブは、もっと夢中になってくれるわ」

 他にも何枚かのパンティを試したあと、僕らは服を着て、夕食の仕度のためにキッチンに向かった。
 ママが、僕のことを、一人前の女として‥‥年若い同性として接してくれたことが、僕にはすごくうれしかった。そのおかげで僕は、自分がまだ男の子なんじゃないかとか、女の子としては未完成なんじゃないかとか、そんなことを思い煩わなくてすんだ。

 ホリーと僕が術後の副作用もなく回復し、学校に戻ってきたことを、ミセス・ウイリアムズは喜んでくれた。病院からの申し送り書面を見た彼女は、僕らに、通院の必要があるうちは体育の授業を免除すると言った。
 ふたたび始まった学校生活は楽しかったが、僕らにはそれがちょっと不満だった。
 体育館での着替えがないぶん、変わった体をみんなに見せびらかすチャンスがなかったからだ。まあ、僕については、みんなをうらやましがらせるには、もう少し体型が変化してからの方がいいのだろうが。

 とはいえ、学年末(※)までには、ホリーと僕が獲得した下半身の構造やカーブに富んだ体型は、全校生徒に知れわたっていた。さらに男の子たちにモテる要素を手に入れたことで、僕らは羨望の的となった。。
 (※訳注 7月初旬 9月に始まるアメリカの学年は夏休み前に終わる)
 長い冬の間、僕は、タートルネックセーターやジーンズやブーツに全身を包まれていた。
 でも、夏がやってきた今、女の子ならではの格好が思いっきりできる。ぴちぴちのホットパンツ、ミニスカート、サンダル、肩やおへそを出したトップス‥‥。そんなのを、いっぱい着るつもりだ。
 なんと言っても、「持ってるもんは、見せなきゃソン」。そして今、僕は、まちがいなくそれを持っているのだから。
 男の子の僕は、背の低いやせっぽちでしかなかった。でも、それはもう過去の話。今の僕は、同世代の女の子たちに負けないだけの立派な肉体を持った若い女性だ。めいっぱい見せびらかしてやろう。

 夏休み中、僕には、何週間かキャンパスを離れ、家族と過ごす許可が出た。僕は、その期間を最大限に生かす計画を立てていた。
 この春から夏にかけて、僕の衣服の下に入れているパッドの量がどんどん減っていることを、ロブはまだ知らない。そんなロブを驚かせてやるための計画だ。
 その帰省期間に入る前、僕はホリーを誘い、毎日ショッピングに出かけた。そして、ミニスカートや、ぴちぴちのトップスや、思いっきり短いホットパンツなどを買いあさった。
 もちろん、そんな服がパパにショックを与えることはわかっている。でも、もうパパも、そろそろわかっていいころだ。パパのちっちゃな娘は、すでに一人前の女になっていることを。そして、いくらパパでも、それを押しとどめることなんてできないのだということを。

 案の定、休みに入って最初のデートに出かけようとする僕のホットパンツ姿に、パパはキレた。
「まさか、そんな格好で、どこかに出て行くんじゃないだろうな!」
 ロブの到着を待とうとリビングに入っていくなり、パパは言った。
「もうじき、ロブが迎えに来てくれるの。ピザレストランへ行って、そのあと映画を見るんですって」
 パパの首筋の血管がぴくぴく動いているのに気づいてはいたが、僕は平静を装い、いつもの調子で返事した。
「そんなものを着てか?」
「え? ああ、これ? 今日は暑くなりそうだし、買ったばっかりのこのホットパンツがちょうどいいかなと思って」
「いったいなに考えてるんだ。お前は、パンティで外を歩くつもりか?」
 僕が今履いているパンティはもっとずっと短くて、生地も思い切り小さいんだと言ってやりたくなったが、パパに脳卒中でも起こされたら困ると思い、やめておいた。代わりに、立ち上がって、ヒップのあたりをなでながら、笑いかけた。
「なに言ってるの、パパ。これはパンティじゃないわよ。女の子なら、みんな履いてるわ。いくらでも見かけるでしょ」
「あいにく、ティーンエージャーの娘たちの着ているものに、関心なんてないんでな」
 パパは腹立たしげに言った。
「ただし、自分の娘となれば話は別だ。そんないかがわしい女のような格好で町を歩くなんて、ぜったい許さん!」
「あら、そう。じゃあ、あの頃、あなたは私のことをいかがわしい女だと思ってたわけね」
 ママが、パパの脳卒中を遅らそうと、いたずらっぽい顔を向けた。
「若い頃、デートの時、私もよくホットパンツを履いたわよ。忘れたの?」
 パパはなにか言いかけたが、そこで言葉をとめ、思い出すようにしたあと、ちょっとにやけた顔になった。
「ああ、たしかに君は、ホットパンツがよく似合ってたよ」
「でしょ。私はよくて、フェイスはだめなわけ?」
「そ、そりゃ‥‥。この子は大切な娘だ。娘のデート相手に、あの時の私のような感情を抱いてほしくはないだろう」
 言ってから、パパはしまったという顔をした。でも、言ってしまったものは、もうどうしようもない。
「へえ、あの時、あなたはどんな感情を抱いてたのかしら?」
 ママは、勝ち取った主導権をたしかなものにするように、迫った。
「と、ともかく‥‥」
 パパは口ごもるように言った。
「私は、この子がこんな格好で男と会うなんて、いいことだとは思えない」
「この子はもう、なんだってできるわ。実際にするかどうかは別にしてね。それに、本当のところ、そうしたいという気持ちだってあるでしょうしね」
 ママは、その論争にとどめを刺そうとしていた。
「フェイスはもう、一人前の女よ。女として、セックスにどう対処して、新しい自分の体を守っていくのか。親が口出すんじゃなくて、自分自身で学ばなければいけない時期だと思うわ」
「だから私は、なにより、それが心配で‥‥」
 パパは、ため息をつくようにぶつぶつ言い、敗北を認めた。

 パパの心配に反し、迎えに来たロブは完全に紳士的に振る舞った。
 ただしそれは、家を出るまではということだ。車の近くまで行ったところで、ロブは、こらえきれないように、僕がどれほど素敵に見えるかを語りはじめ、その数秒後には僕を抱きしめ、これまでに経験したうちでも最高のキスをしてくれた。
 ロブは、こんな僕を、知り合いすべてに紹介したいと言った。ロブの友人たちとは、ほとんど冬の間に会っていた。でも、こんなふうになった僕を、彼は自慢したいのだろう。もちろん、僕に異存はない。
 僕も、ロブの友だちに見られるのが好きだ。彼らと会うと、たいてい、冗談めかして、僕にデートを申し込んできた。そのたび、僕は感謝のほほ笑みとともに、僕がロブの彼女であることをあらためて伝えた。
 あとからロブに聞いた話によれば、彼らは、さかんにロブをうらやましがり、もしロブが僕を大事にしなかったら、すぐにでも奪い取ると言ったそうだ。もちろん、そんな可能性はほとんどなかったが、僕はそんなふうに言われてわくわくした。

 2週間が過ぎ、学校に戻らなければならない時が近づくと、僕は、悲しくて仕方なかった。それほどこの休暇は楽しいことばかりだったのだ。
 毎日、最高に素敵なカレといっしょに過ごし、新学期用に着るかわいい服をママと買いに行き、毎日、最高に素敵なカレといっしょに過ごす。
 ‥‥ん? 今、同じことを二回言った?
 でも、しかたない。だって、僕にとってそれは、これまでの人生で最高に素敵な時間だったんだから。
 たとえば僕は、ロブに、僕が育った町を案内した。
 かつて、ホリーと僕がハリーとフランクだった頃、ふたりで遊んだ場所も巡り、僕らがつくって「女の子立入禁止」を宣言していた木の上の要塞も見せた。
 もちろん、僕が理科室に火をつけた学校にも行った。ある意味、あの事件がなければ、ふたりがこんなふうに出会うこともなかったのだから。
 それらすべての光景は、短い間にすっかり変わってしまっていた。いや、すべては、あの頃と同じようにそこにあったのだが、僕には変わって見えた。
 手のつけられない問題児の男の子として見るのと、恋する女の子の目から見るのとでは、世界は違って見えるのだ。
 そこには、前は気がつかなかった素敵なものがいっぱいあった。学校の花壇にはかわいい花がいっぱい咲いていたし、ロブといっしょにシートを広げて時間を過ごした町の公園も、以前はこんなにいいところだとは思わなかった。公園で遊ぶ人々を眺めていると、彼らもまた、僕らのことを若くてほほえましいカップルという目で見て、笑い返してくれた。

 もうひとつ、けっして忘れられないことがある。ロブの家のプールへ初めて泳ぎに行った時の、彼の顔だ。
 それは、この春から僕がずっと待ち望んでいた瞬間だった。いよいよ、本当に女の子っぽい女の子に変わった僕を見てもらうのだ。
 そのイベントにあたり、僕はちょっともったいぶって、ロブに先に着替えさせ、彼が水泳用のトランクスで出てくるのを、プールサイドで待った。
 でも、そのトランクス姿を見た瞬間、僕の方がまずのぼせ上がった。筋肉の盛り上がった毛深い腕や脚、そして胸毛。出会って以来初めて、僕は、彼の体から目が離せなくなった。特に、トランクスの前のごつい盛り上がりから。
 僕は、あわててその場を離れ、着替えに走った。そうでもしないと、すぐに彼を部屋に誘い、ベッドの上に押し倒して、むしゃぶりつきそうな気がしたからだ。
 ママやパパにいい子でいることを約束して来ている以上、そんな考えは、むりやりにでも捨てなければならない。そう思いながら、僕はホットパンツとトップスを脱ぎ、ビキニに着替えた。
 髪を整え、ポニーテールにまとめて、白いシフォンのスカーフで結う。そのあと、唇にちょっとグロスを塗り、ビーチサンダルを履く。
 そんな姿で僕は、今度こそロブをのぼせ上がらせるために外へ出た。
「おお、神よ‥‥」
 できるかぎりのセクシーさで腰をスイングさせながら近づいていくと、ロブはそうつぶやいた。
「いったい、なんて‥‥なんて君は‥‥まるで‥‥夢みたいに‥‥」
「どうしたの、坊や?」
 僕は、いたずらっぽく笑いかけながら、彼の首に腕ををまわし、その顔を引き寄せようとした。
 キスというものがどれほど雄弁か、本当によくわかった。
 なにも言わなくても、2フィート(約60センチ)ほど宙に浮いた僕には、彼の言いたいことがはっきり伝わってきた。
「君こそ、世界中でいちばんセクシーな女の子だ!」
 そう、僕がどれほどホットな女の子かは、そのままふたりでプールに飛び込んだ瞬間、蒸気が立ちのぼったような気がしたことでもわかる。
 彼は、そんなセクシーでかわいいボディにありとあらゆる素敵なことをしたいようだった。
 いや、もっと正直に言おう。
 ロブの言いたいことや考えていることが、キスだけで伝わってきたわけじゃない。ことに、彼が何をしたがっているかという部分については、彼のある部分が、僕の体に強く押し当てられたことでわかったのだ。
 それは、女の子の服を着始めた時から、僕が密かに持っていた夢だった。男の子がこうなるということは、ただ単にかわいいと思っているだけじゃないだろう。僕を性の対象として、つまり本物の女として認めているということに他ならない。
 ロブの手は、僕のウエストからお尻へと移動し、そこをなでるように揉むように動いた。そのことで、僕の体の中から、大きな悦びがわき上がってきた。
 ただ、悲しかったのは、あの手術が、これ以上の悦びを想定したものではなかったことだ。そう思うと同時に、僕は、自分の中に、彼とのセックスを待ち望む衝動がまちがいなくあるのを感じた。
 そして、さらに不幸なことは、僕らがふたりとも「いい子」だったことだ。出かけていた彼の両親が間もなく帰ってくることはわかっていたから、ふたりとも、プールの水で火照った体を冷ますしかなかった。
「えっ? 君はもう、ほんとの女の子になったの?」
 プールから上がったところで、ロブは、僕の股間を見つめながら言った。
「あら、失礼ね。あたしはずっと昔から女の子よ」
 僕は、そんな彼のほおをたたく真似をしながら言った。
「ただ、これまでよりもっと女の子になっただけ。まだ、先はあるけどね。で、ここまでのところ、あなたは気に入ってくれた?」
 言葉を浪費しないボーイフレンドを持つのは、素敵なことだ。ロブは、言葉よりキスの方が効率がいいことをよく知っている。

 あと2日で学校に戻るという日、ママとパパは、僕に大きなサプライズを用意していた。
 その夕方、ロブと僕は、やはり1日デートして帰ってきたところだった。僕は、ロブがお気に入りのピンクのサンドレスを着ていた。ロブの方は、筋肉や胸毛が素敵に見える短パンとタンクトップだった。
 ふたりでキッチンに入っていくと、そこで待っていたママが、なんだか公式文章っぽい封筒をさし出した。
「ミセス・ウイリアムズが転送してくださったのよ」
 彼女は、つづけてこう説明した。
「あなたに判決を下した判事からですって」
「そんな、心配そうな顔しないで」
 僕は、じつは、自分でもちょっと心配しながら言った。
「判事が、あたしに男の子に戻れとでも言うの? そんなこと、ぜったいできないはずよ」
 僕は肩をすくめながら、32インチBカップの胸を示すジェスチャーをしていた。
 その手紙を読み始めたところで、僕はちょっと違和感を感じた。深刻そうな顔をしていたママが、くすくす笑い始めたのだ。
 そして、数分後にはその理由がわかった。
 裁判所からの命令という形をとったその手紙は、僕の更正についてミセス・ウイリアムズから聴取した結果、減刑に値するとして、判決の期間短縮による執行終了を宣言していた。つまり、僕の行動に加えられたあらゆる制限が解除され、望むなら、このまま、グレート・インディアン・リバーに帰らず自宅で暮らしてもよいということだ。犯歴としても残らないという。
「あたし、戻らなくてもいいのね」
 僕は、興奮しながら言った。
「やったー!」
「えっ? あなたは、グレート・インディアンを卒業したいんじゃなかったの?」
 ママが、不思議そうな顔できいた。
「フェイスになったあなたが、前の学校にもとどおり通うのはつらいと思うんだけど」
「ちがうわよ、ママ」
 僕は説明した。
「あたしはもとどおり、大好きなガールセンターに帰るわ。お友達と別れたくないし、それにも増して、ミセス・ウイリアムズと別れたくないもの。あたしは、自由の身になれたのがうれしいの。これで、会いたい時にはいつでもロブに会えるし、帰りたい時にはいつでも家に帰れるわ。あたしは、何にも束縛されない自由な女の子になれたのよ。もう、ぜったいに男の子に戻らなくてもいいってこと」
「おめでとう、フェイス」
 ロブが、僕を抱き寄せ、キスしながら言った。
「これで僕も、前科者の女の子と結婚する心配をしなくていいわけだ」
「それについては、じつはもう一通、裁判所の決定が添えられてたのよ」
 ママは、何だか思わせぶりな笑顔でテーブルの上からもう一通の書面を取り上げた。
「さあ、いったい、どんなことが書いてあるのかしら?」
 その書類をひったくるように取って目を通した僕は、あまりの驚きに、思わずそれを落としそうになった。
 今、僕の手の中にあるのは、1通の出生証明書。偶然にも僕と同じ日、同じ時間に、同じ両親から生まれた‥‥フェイス・ジョアンナ・ジョーダンという‥‥女性の出生証明書(※)だった。
 (※訳注 戸籍制度のないアメリカでは、これが性別の法的根拠となる というか、「戸籍」という封建制度が残っているのは日本と韓国くらい)
「あ、あたし‥‥、ほんとに本物の女の子!」
 僕は叫びながら、飛び跳ねていた。
「女の子、女の子、女の子。ね、素敵な響きだと思わない?」
「僕もうれしいよ」
 ロブは最大の笑顔で答えてくれた。
「もっとも、それを疑ったことなんて、一度もなかったけどね」
「おめでとう、フェイス」
 ずっと笑って見ていたパパも言ってくれた。
「これで私も、公式に女の子のパパってわけだ」

 パパの祝福は、外食につながったが、行ったのはピザレストランだった。
 僕は、かわいい衣装とヒールに着替え、ちゃんとしたレストランに行きたかったのだが、短パン姿のロブがいやがったからだ。いったん帰って着替えてくるには、家が遠すぎるとロブはごねた。
 きれいに着飾って素敵になることに、男の人って、どうしてこう熱心になれないのだろう?
 そう思ったことで、僕は自分が、かわいい服や素敵なランジェリーを着ることがなにより大好きになっていることを再認識した。
 神よ、僕に女の子の楽しみを教えてくれたホリーに、最高の祝福を!

 制限を解かれた僕は、さっそくミセス・ウイリアムズに電話し、外泊をもう1週間伸ばすと申し出た。その週に僕の16回目の誕生日が来る。その日を、ロブといっしょに祝いたかったからだ。でも、それが終わったら、急いで学校に戻る約束もした。その頃には、何人か、新入生の女の子たちが送致されてくることになっている。その子たちの面倒を見たいと思ったのだ。
 自分の経験から言っても、男の子が女の子として暮らさなければいけなくなる最初の数週間が最もきつい。僕の時にホリーや他の女の子たちがしてくれたことを、僕もその子たちにしてあげたいと思っていた。

 僕の16歳の誕生パーティは、すばらしいものになった。会場として、ロブの両親が、プールを使わせてくれたのだ。
 そのおかげで、学校から近いこともあり、友達すべてを招待できた。ロブの方も、自分の学校から、野球部やアメフト部や陸上部の男の子たちを呼んでいた。
 その日は太陽が照りつける暑い一日で、プールパーティには、うってつけだった。
 女の子たちはかわいい水着を着て、男の子たちのうち、かっこいい何人かのまわりをワクワクしながらうろつきまわった。
 男の子たちはみんな、いわば典型的なティーンエージャーの男という感じで、女の子の気を引くために、他の男の目の前に裸のお尻を突き出したりして、ふざけ合った。そのあと、かわりばんこに水に飛び込んで遊んでいた彼らは、やがて、もっと幸せな気分を味わいたくなったらしく、水上騎馬戦を提案し、それぞれに僕ら女の子を肩車して戦った。
 ロブは、誕生日プレゼントとして、かわいいロケットをくれた。その中に入っていたのが、あのグローブトゥロッターズの試合を見に行った日に撮った写真であることが、僕にはすぐわかった。
 その写真の意味に、僕は泣き出していた。それは、僕が女の子になることを決意した夜、そして、ロブと恋に落ちた夜だった。
 僕は、そのロケットを、一生身につけると誓った。

 パーティの翌々日には、僕はガールセンターに戻っていた。
 と、寮の部屋のドアに、ミセス・ウイリアムズからのメモが貼ってあった。頼みたいことがあるから、荷物をかたづけたら、すぐに校長室まで来てくれということだった。
 僕はもう、ミセス・ウイリアムズを恐いと思ってはいなかった。それどころか、彼女から頼りにされているらしいことを喜んでいた。
 それにしても、頼みたいことって何だろうと思いながら、スーツケースをベッドの上に置き、髪とメイクを直すと、すぐに校長室に向かった。ミセス・ウイリアムズの頼みなら、できることは何でもするつもりだった。

「フェイス、戻って来てくれてありがとう」
 僕が席に着くなり、ミセス・ウイリアムズはそう笑いかけた。
「前にも言ったけれど、私はあなたを、グレート・インディアン開校以来の優秀な生徒だと思ってるのよ。あなたのことを、どれくらい誇りに思っているか、わかってくれるわね」
 僕は、何だか居心地悪い感じがしていた。いや、恐れなどではなく、照れくさかったのだ。
「無理なお願いだと思うかもしれないけれど、ひとつ、助けてほしいことがあるの。大変なことだけれど、あなたならうまくやれると思うわ。もし気が進まないなら、遠慮なく断ってくれていいのよ。だからって、あなたの評価が変わることはないから」
「今のところ、断る理由が見つかりません。何を言われてるのか、さっぱりわかりませんから」
 僕は、からかうような口調で言っていた。
 そんなふうに、彼女に向かって冗談めかした会話ができるなんて、ちょっと信じられない気がした。去年の今ごろは、彼女の前で笑っただけで洗脳されるにちがいないと感じていたのだから。
「じつは、あなたに、ある新入生のビッグシスターになってほしいと思ってるの」
 ミセス・ウイリアムズはほほ笑みかけながら言ったのだが、そのほほ笑みが僕の驚きを和らげることにはならなかった。
 僕が‥‥ビッグシスター?
 僕にはまだ、そんな心の準備はできていなかった。
 僕が、この学校の方針に反発して、女の子のように行動するのをいやがっていたのは、そんなに昔のことじゃない。たしかに今、僕は、カレさえいる女の子っぽい女の子になっているかもしれない。でも、他の男の子が、僕と同じ苦痛を味わう過程を、平然と推し進めることができるだろうか?
「本気でおっしゃってるんですか? あたし自身、まだ、女の子になって日が浅いんですよ」
「私の判断は、まちがいないと思いますよ」
 彼女は確信を込めて言った。
「その新入生は、あなたと同じクラスです。彼女は、自分を見失っている子で、そういう子には、友人の援助が大きな力になります。あなたこそその友人に最適だと、私は確信しています」
 僕には、この学校とミセス・ウイリアムズに大きな借りがある。もし彼女がその返済を望んでいるなら、断ってはいけないと感じた。
「あたしにできることなら、やってみます」
「うれしいわ、フェイス。あなたなら、この新人のレディにとって、最高のお姉さんになれるはずよ。ちょっと、彼女について、説明しておきましょうね」

 僕の新しい「妹」は、ラリーという名だった。
 彼は、あるストリートギャングのグループとつるんで、町をうろつきまわっていた。そのグループは、せいぜい万引きやひったくりをする程度だったのだが、最近になってその段階を「卒業」し、ついには、コンビニ強盗まで働くようになっていた。あるコンビニを襲撃した際、ほとんどが逮捕されたのだが、その時には、メンバーの一人が射殺された。ラリー自身も危うく撃たれるところだったようだ。
 その裁判の過程で、彼の両親はガールセンターのことを知った。両親は即座に入所を申請をし、結果、ここへの送致という判決が出た。
 裁判後、両親はまず、ラリーを隣人の目から隠し、叔母のところに連れて行った。
 そこで、父親に見張られながら、彼は母と叔母から採寸された。
 彼はそれが、新しく入る学校の制服のためだと聞かされていた。つまり、彼が送られるのは、一般より校則の厳しい寄宿学校だということだけを知らされているわけだ。

 2日後、ふてくされた顔の14歳の男の子が校長室に座っていた。
 彼の両親は、今後1ヵ月間は、息子とは面会謝絶だと言い渡された。
 彼らは、息子に別れを告げ、先生たちの言うことをよく聞くようにと言い残し、息子が何かを言いかけるより先にそそくさと部屋を出た。

 ラリーの両親が学校を去るのが、僕が校長室に入る合図だった。
「この若い女性は、フェイスといいます。ここでは、彼女が、あなたのビッグシスター、つまりお姉さんになります」
 ミセス・ウイリアムズは、僕が初めて会った時と同じ、冷淡な声音で告げた。
「フェイスは、あなたのルームメイトであり、アドバイザーであり、あなたさえそう望めば、最高の友人にもなるでしょう。あなたが、このグレート・インディアン・リバーでの生活に慣れるよう、彼女がいろいろと面倒を見てくれるはずです。彼女なら、勉強も教えてくれるでしょうし、同様に、ここでの決まりや習慣についても親身になって教えてくれます。あなたが反抗的な態度をとって、彼女の言うことをきかないとか、あるいは、彼女が、あなたの更正はこの学校では無理だと判断した時、彼女は私にそれを通告することになっています。その場合、あなたは、少年刑務所に送られ、18歳までそこで過ごすことになります」
 まだ幼さを残すその男の子が、内心、震えていることは、僕にはよくわかった。しかし、彼は、それを隠すようにかたくなな態度をとりつづけた。
「へん! こんなネエちゃんの言うことなんか、誰が聞くか」
 彼は、そう毒づいた。
「こんなとこ、すぐにでも出てってやる」
「そうしたいんなら、してみなさい!」
 ミセス・ウイリアムズは、一喝した。
「出て行った結果、何が待っているかは、わかっているんでしょうね。ここにいるのは女ふたりだから、そこまで強がっていられるんでしょうが、あなたより何インチも大きくて、体重が倍もあるような男に向かって、あなたがどこまで虚勢を張れるか、ぜひ見てみたいものです。ここの代わりにあなたが送られるところには、そんな男がうじゃうじゃいるんですよ。彼らが、あなたのような小柄でかわいい男の子に対して、どんなことをするのか、知っていますか? あなたはそこで、『ネコ』と呼ばれる役回りをすることになるはずです。その言葉の意味が、わかりますか?」
 ラリーの強がりの姿勢は、一転して怯えに変わった。彼は、その言葉をじゅうぶんに理解したようだ。もし少年刑務所に送られたら、自分がどんな目に遭うのかも。
 それでも、ミセス・ウイリアムズは、あわれな少年への追及の手をゆるめなかった。
「さあ、さっさと出て行きなさい!」
 彼女は冷たく言いはなった。
「私は、すぐに対抗手段をとります。言うまでもなく、警察に通報するということです。町に出る前に、あなたはまた逮捕されるでしょう。そしてあなたは、何人もの男の慰み者になる。あなたがそんなふうにかわいがられることを、ご両親は喜ぶかしら?」
 ラリーの目から、突然、大粒の涙が溢れ出した。そして、むせるように嗚咽しだした。僕は、彼が、本当に嘔吐するのではないかと思った。
「それでも、あなたは出て行きますか?」
 ミセス・ウイリアムズは、そう問いつめた。
「早く答えなさい。私には、まる1日待つような暇はないのですよ」
「ここで‥‥暮らします」
 彼は、声をつまらせながら言った。
「ここに‥‥おいてください」
「これからは、どんな時も、いうことをききますか?」
 ラリーは、それにうなずいた。
「もう二度と、逃げるなどとは言いませんか?」
 それにも、うなだれるように同意した。
「人が話している時は、ちゃんと目を見なさい、ティファニー」
 ミセス・ウイリアムズが誰に語りかけたのかと、ラリーは、周りを見まわした。それは、僕が初めてフェイスと呼ばれた時と同じだった。
「あなたに言っているんです、ティファニー。聴覚に障害でもあるんですか?」
「‥‥僕?」
 ラリーは、おどおどとつぶやいた。
「僕のことですか?」
「決まってるじゃないですか!」
 その声音に、僕は、僕自身がラリーの立場にいた時のことを思い出し、思わず身震いしていた。この冷酷で底意地の悪そうな女は、本当に、僕の知っている、あのやさしくて寛容な人物なのだろうか?
「その‥‥僕だとは、思わなかったんで‥‥」
「もう、わかりましたね」
 その声がまた、冷淡に響いた。
「フェイスが、部屋まで案内してかたづけを手伝ってくれます。今、午前11時です。3時ちょうどにもう一度この部屋に来なさい。秋からの授業の説明をします。それまでに、この学校の生徒にふさわしい服装に着替えること。さっき、何でもいうことをきくと言ったことを忘れないように」
「あ‥‥ああ」
「そんな言葉づかいは、二度と聞きたくありません!」
 ミセス・ウイリアムズは、またきつい調子で言った。
「今後、言葉づかいも、この学校の生徒にふさわしいものに改めるように」
「‥‥はい」
 ラリーは、小さな声でつぶやいた。
「誰に言ってるんですか?」
「は、はい、先生」
 すでに彼の涙は枯れ果てているらしく、ただ、鼻をすすっただけだった。
「よろしい」
 ミセス・ウイリアムズは、そう言って、その泣きべその顔にほほ笑みかけたのだが、彼の目にはそうは見えなかったらしく、困惑の表情が浮かんだ。
 と、ミセス・ウイリアムズは、僕にかすかな目配せを送ってきた。僕は、オスカー級の演技力に感嘆しながら、うなずき返した。
 そして、ラリーにやさしく手を添え、校長室から連れ出した。

 寮の部屋まで行く間、ラリーはずっと口をつぐんでいた。その表情は、恐れの中ですっかり我を失っている感じだ。ただ、今後4年間、自分を拘束しようとしているあの冷酷な女の目の前から離れられたことだけは、とりあえず安堵しているように見えた。

「ここが、あたしたちの部屋よ」
 僕はほほ笑みかけながら、ラリーを部屋に導き入れた。
 テーブルの花、クリーム色のカーテン、花柄ボーダーのライトピンクの壁紙‥‥そんな室内の様相が目に入ったところで、彼は戸惑った顔でしばし黙り込んだ。
「ここは‥‥女の子用の部屋だろ」
 やっとのことで、そう口を開いた。
「どうして僕が、こんな部屋に? しかも、ルームメイトも女の子だっていうし‥‥」
「他にどんな部屋があるっていうの? ここは女学校なのよ」
 僕は、彼が馬鹿な質問をしたというように、肩をすくめてみせた。
「さあ、さっさとかたづけちゃいましょ。もう一度ミセス・ウイリアムズのところに行くまでに、やらなきゃいけないことがいっぱいあるんだから」
「女学校‥‥? なんだそれ? なんで、僕がそんなところに?」
 そう言うラリーを無視して、僕は、彼の両親が置いていったスーツケースを開けた。そこに目を落とし、中に入っていた白いブラウスと制服のスカートを見た瞬間の彼の顔に、僕は、カメラを持っていないことを悔やんだ。
「さあ‥‥」
 僕は、あたかも当たり前のことをしているという感じで、彼に2着のブラウスを手渡しながら言った。
「あなたの制服を、さっさとかたづけて。他にもしまわなければいけないものが、山ほどあるのよ」
 しかし、そのブラウスは、彼の手から滑り落ちていた。
「わざわざ実験しなくても、地球には引力があるわよ。ティファニー」
「誰の‥‥ものだって?」
 ラリーは、足もとでしわくちゃになった服を見つめながらきいた。
「『もの』じゃなく、ブラウス。あなたの、制服の、ブラウスでしょ。ミセス・ウイリアムズの手を借りたくないんなら、さっさと自分で拾いなさい」
 その言葉に、彼は、反射的にそれを拾い上げた。
「だけど、こんなの、僕は‥‥」
 その言葉に重ねるように、僕は言った。
「着るの! あたしたちは、毎日着てるわ」
 僕は、彼の持つブラウスの上に、さらにスカートを置きながら言った。
「だって、ここの制服なんだから」
「そりゃ、あんたはいいよ。でも、僕は女なんかじゃない」
 ラリーは、まるで保守的な老人のようなことを言った。
「いい? じゃあ、あなたの親は、なんであなたをここに入れたの? ここが女学校だってことは知ってたはずよ。もしあなたが女の子じゃないとしたら、このスーツケースの中にいっぱいつまってるパンティやブラはなにかしら? こっちのドレスは、誰の?」
 僕は、他のスーツケースも開けながらきいた。
「し、知らないよ」
 ラリーは、ショックを隠しながら言った。
「僕はホモじゃないんだ。そんなもん、着るかよ」
「あのね、ここにはホモなんて一人もいないのよ。あなたはここに入ってきた他の男の子たちと同じように、ここで、ちゃんとした女の子になるの」
 僕はラリーにハンガーを渡し、彼がそれにブラウスを掛けるのを見守った。
 その顔は、彼が今、僕の言ったことを理解しようと猛然と頭を働かせることを物語っていた。
「‥‥えーっ? じゃあ、あんたは‥‥」
「ストップ。次の言葉は『からかってるのか』くらいにしといて。それ以外のことを言ったら、怒るわよ」
 僕はまず、そう釘を刺してからつづけた。
「だけどまあ、あなたの推測は正しいわ。ここにはたしかに、ふつうの意味での女の子はいない。生まれついての女の子は、ってことね。ここにいる子たちのほとんどは、ここに送られてきた時、今のあなたと同じだった。生活はめちゃくちゃに崩れて、家族も手に負えないほどすさんでいた。このグレート・インディアン・リバーは、そんなあたしたちにとって、刑務所に入らずに自分を立て直す最後のチャンスなのよ。あたしたちはみんな、力を誇示しなければ自分を守れないという愚かな強迫観念を持って育ってしまった。でもここで、もっとやさしい生き方だってあるんだということを学ぶの。自分が美しくなることを楽しんだり、泣きたい時は人目を気にせず泣いたり‥‥っていうね」
 見ると、ラリーには、僕の言いたいことが少なからず伝わったようだ。でも一方で、それとはちがう怯えのようなものが、目の中で揺れていた。
「でも、そんな格好をしたら、人からオカマって言われる‥‥」
「さっき、初めて会った時、あなたは、あたしのことをオカマだと思った?」
 どうやら、次へのとっかかりが見えた気がして、僕はきいた。
「チッ、あんたを見たとたん、すぐにも一発やりたいって思ったよ」
「ありがとう。あたしのカレは喜ばないでしょうけどね」
 僕は、そう言ってほほえみ返した。なんであれ、かわいいと思われているのはうれしい。
「だけと、あんたは、ほんとは男なんだろ」
 ラリーの顔には、今度は僕のことを警戒するような色が見てとれた。
「心配しないで。あなたに対して、そんな気は起きないから」
 その警戒を解くために、僕は笑いながら首を振った。
「あなたと同じような意味での男だったのは、せいぜい、去年のクリスマスまでね。肉体的には、今もまだ多少、男の部分が残ってるけど、それも、あとほんのちょっとしたことで、完全に変わるわ」
 ラリーがわけがわからなくなっていることに乗じて、僕は、彼の新たな衣装をクローゼットに掛けさせていった。
 やがて、服が入っていたスーツケースがからになり、残すは、下着類の入ったものだけになった。
「こんなの、やだよ」
 そこからパンティの類を取り上げたようとしたところで、ラリーは体を震わせながら言った。
「知ってるでしょ。あなたには2つの選択肢しかないのよ。4年間、ここで女の子として暮らすか、それとも、刑務所で誰かの『女』になるか。ここにいれば、ちゃんとした教育だって受けられるし、あなたなりの未来が見つかるわ。さあ、あなたの下着なんだから、あなたがちゃんとかたづけなさい、ティフ。その間に、あたしがお風呂の用意をしてあげるから」
 何枚かのパンティを彼の手に渡し、僕は、新しい妹のために、素敵なバブルバスの準備をすることにした。
 どうやら、ミセス・ウイリアムズが使った手を真似たのが功を奏したらしい。突然、新しい自分の名を呼ばれた彼は、混乱し、疑問を差し挟む余地さえ失ったようだ。
 バスルームに入りながら肩越しに見やると、当惑したままの少年がひとり、まるで危険物でも扱うように、新品のかわいらしい下着類を引き出しにしまっていた。

 すべての準備が整ったところで、僕は、まだ混乱した表情を浮かべている妹に、服を脱いで、バスタブに入るよう命じた。
 ズボンを脱ぎかけたところで、彼はちょっとためらうようにこちらをうかがった。それで僕は、彼をさらに混乱させるように振る舞った。
「あたしたち、ふたりとも女の子でしょ。ああ、手伝ってほしいのね」
 僕は、彼のベルトに手をかけながら言った。
「い、いや、自分でできるよ」
 彼はうめくように言い、バックルをはずした。
「見てなきゃ、いけないのか?」
「ふふ、それに慣れなきゃね。だって、今も言ったように、あたしたち、女の子どうしよ。それに、これから2年間、お互いのものを毎日見るわけだしね」
 僕は、そう笑いかけた。
「あなたがお風呂に入ってるうちに、あたしが着るものを用意しておくわ」
 さらにそう言って、僕は、彼が脱いでいく服を受け取った。
「どんな服が、お好み?」
「今、あんたが持ってるやつ」
「馬鹿なこと言わないで。あなたみたいにかわいい女の子が、こんな男の子みたいなものを着るの? クローゼットの中には、かわいい服がいっぱいあるっていうのに」
 漂ってきた入浴剤の香りに、彼がまんざらでもない顔をするのを見ながら、僕はからかった。

 新しい妹のために僕が選んだのは、デニムのスカートと、ライトブルーのTシャツだった。僕らの年頃の女の子が着る夏服としては、きわめて平凡な組み合わせだが、ティフなら、これでじゅうぶんにかわいく見えるはずだ。
 下着については、最初ということもあり、できるだけ抵抗の少ないものがいいと思ったのだが、彼女のパンティは、最もシンプルなものでも、ウエストまわりにたっぷりレースが使われた白いナイロン製だった。しかたなく、僕はそれとともに、ローティーン用のトレーニングブラを選んだ。こちらも、カップ全体をレースが覆っている。
 あとは、服に合わせ、ライトブルーのソックスと白のスニーカーをそろえた。
 そんな服のコーディネイトをしながら、僕は、小さい女の子がバービーちゃん遊びに夢中になる理由がわかった気がした。乱暴者の男の子を、かわいくてきれいな女の子に変えるということに、僕は、正直、浮き浮きと興奮していた。きれいなドレスやかわいい下着を身につけた彼の姿を早く見たいと思った。
 つい、そんな期待を抱いてしまうのは、彼の外見のせいでもあった。男の子にしてはかわいいすぎる顔。くすんではいるが長めのブロンドの髪。それらの特徴からは、人をどきりとさせるほどかわいい女の子の姿が、容易に想像できた。
 あれだけかわいい顔をしながら、彼は、荒っぽい世界に身を投じて育ってきたのだ。このまま年を重ねたとしても、けっして楽な生き方はできないにちがいない。
 あんな女の子っぽい見かけで、どうやって男の役割を全うしようというのか? 早い話、人からはしょっちゅう女の子とまちがわれるだろうし、自分よりかわいく見えてしまうのでは、デートの相手だって引くだろう。
 彼は自分が、そのままでも、ふつうの女の子よりきれいだということをわかっているのだろうか?

 気がつくと、時間が少なくなっていた。それで、僕は自分の考えをとりあえず保留し、僕の妹の最初の冒険旅行、つまり、彼女を美容室へ連れて行く準備にかかった。
 僕が選んだ服をバスルームに持ち込むと、彼女はすでに観念しているように見えた。
「は〜ん、そんな服を着なきゃいけないわけね」
 彼女は、それにため息をついた。
「そうよ。それと、ミセス・ウイリアムズに言われる前に、その『は〜ん』とかいう口癖、直しなさい」
 僕は、そう警告した。
「もしかするとあなたは、中等部の『基礎英語』クラスで、もっと小さな女の子たちと勉強した方がいいかもね。きっと、おさげが似合うわよ」
「そんなのは、もうすんだよ」
 彼女は不機嫌そうに言い、パンティを手に取った。
「服を着る間のプライバシーもないのか?」
「ひとりで、できるの?」
「決まってるだろ」
 ティフはかみつきそうな顔で言った。
 僕はベッドルームへ出て待ちながら、これだけ敵意むき出しの人間に、どうアプローチしたものかと考えた。
 しかし、ほどなくある考えが浮かび、僕はほくそ笑んだ。とりあえず、やらしてみればいいのだ。レースやリボンいっぱいの中で、彼女がどこまでやれるのかを見てやろう。彼女はすぐに音を上げるはずだ。そしたら僕はすかさずミセス・ウイリアムズに電話する。その手で、妹を手なずけることができるにちがいない。
「こんなもの、馬鹿馬鹿しくてつける気にならないよ」
 しばらくしたところで、彼女はそう言いながらドアを開けて出てきた。上着は着ているが、その手にはブラが握られている。
「まあ、いいわ」
 僕は、それに、おうように笑ってみせた。
「じゃあ、行きましょ、ティフ。美容室に予約が入れてあるから」
「美容室? 冗談じゃない。髪の毛をいじる必要なんてないね」
「そんなこと言ってると、ミセス・ウイリアムズに髪を剃られるわよ」
 僕は、脅すように言った。
「いいから、黙ってついてきなさい」
「やだね。僕はこの部屋から出て行く気なんてないよ」
 彼女は薄ら笑いを浮かべていた。自分の方が優勢だと言わんばかりに。
 そして、その手に拳をつくりながら言った。
「へん、あんたには、僕をここから連れ出すことなんてできないだろ」
「試すまでもないわ」
 僕の方も笑いながら、受話器を取り、校長室のナンバーを押した。
「もしもし、ミセス・ウイリアムズ? フェイスです。‥‥ええ、彼女は、部屋から動こうとしないんです。あたしの言うことはききたくないと。‥‥ええ、わかりました。ありがとうございます。‥‥じゃ、またあとで」
 僕は、平然と微笑したまま、電話を切った。
「どうせ、ハッタリだろ。そんな見え見えのハッタリに、だまされるもんか」
 彼女の声が、ちょっと裏返っていた。
 彼女は、今のがハッタリであってほしいと思っているにちがいない。でも、もしマジだったらどうしようと怯えているのだ。
 僕は、ほほ笑みを保ったまま、自分のデスクに腰掛け、本を開いて読み始めた。
「ど、どこか、行かなきゃいけないんじゃないのか?」
 2・3分もしないうちに、彼女は耐えられなくなったようにきいてきた。
「美容室の予約とかなんとか、言ってなかったか?」
「いいえ、もう、どこに行く必要もないわ」
 僕は、本に目を向けたまま、肩をすくめた。
「あなたは出て行くことになると思うけどね。ミセス・ウイリアムズが、警察に連絡したはずだから」
「あ、あのババアは、そんなことできないさ。僕を、刑務所送りにするなんて、そんなこと‥‥」
 彼女は、僕の予想どおり、切迫した声を上げた。
「ええ、できないわね。刑務所へ行くには、あなたは幼すぎるもの。まずは、お子様向けの牢屋ね。本格的な刑務所送りになるのは18になってからでしょうね。コンビニ強盗に殺人未遂までからんだんじゃあ、合わせて10年てとこかな。ここにいれば、4年間の間にいろんな知識が吸収できるっていうのに、あなたは10年の間、毎日ひざまずいて、別のものを吸収しつづけるってわけね」
 僕はそう言いながら、彼女の顔に目を向けた。どうやら「10年間、ひざまずいて、吸収するもの」の意味もわかったようだ。
「ねえ、もう一度、電話してくれないか? たのむよ」
 彼女はついに、嘆願し始めた。
「なんでもいうことをきくからさ。ここに、いさせてくれよ」
「言葉に注意して。人に本気でものを頼むときは、疑問形は正しくないわ」
「心から、お願いします。どうか、もう一度電話してください」
 ティフの瞳には、すでに涙がたまっていた。彼女自身が思っているほど、彼女は強くないのだ。
「さっき、あなたは、校長室でも同じことを約束したわよね」
 僕は、彼女をもう少し追いつめる必要を感じていた。
「信用できないわ」
 と、彼女は、僕に向かってにじり寄ってきた。
「やめなさい。今、あたしに乱暴すれば、たとえあたしが命を落とさなかったとしても、もう2年はかたいでしょうね」
 僕は、冷たい声で言いはなった。
「さあ、そこに座って、お行儀よくしてなさい」
「そ、そんなつもりじゃないよ」
 彼女は、すすり泣き始めていた。
「ぼ、僕を警察になんか、引き渡さないで。お願いです。ぜったいに、約束するから。おとなしくするよ。おとなしくて、いい‥‥女の子になるから」
 僕は、ちょっと人がよすぎるのかも知れない。たしかに彼女は、僕の前で涙を流して立ちつくしている。でも、おそらくこれは、半分は芝居だろう。それにしても、僕は彼女との間に、早く何らかの関係を築かなければならないのだ。彼女が、いい女の子になるという意志を見せたということで、今はこのくらいにしておこうと思った。
 僕はうなずき、ふたたび受話器を取った。
「ミセス・ウイリアムズ? 申し訳ありませんけど、もう一度、警察に断りの電話を入れていただけます?」
 僕は、ミセス・ウイリアムズがけっして警察に通報などしていないことを知っていながら頼んだ。彼女はさっきすでに、それを僕に任せてくれていた。ティフニーの信頼を得るための方法や決断は、すべて僕が選択すればいいと言ってくれたのだ。
「いい? 自分の言ったことは、守るように」
 ミセス・ウイリアムズには遠くおよばないものの、僕は、できるかぎりの高圧的な言い方で、宣言した。
「あたしは、ミセス・ウイリアムズに、あなたを必ずいい女の子にすると約束したわ。だからあたしは、彼女と同じくらい、あなたに厳しく接するつもりよ」
「いい女の子になるって、約束するよ」
 彼女は、もう一度、泣き声とともに繰り返した。
「僕は、あんた‥‥あなたの言うことなら、なんでもきく。あなたは、僕にどんなことでも要求できる。それで、いいでしょ」
「ここのみんながあなたに要求してるのは、あなたがまっとうな人間になって出て行くことだけよ」
 僕は、彼女の体に腕をまわしながら言った。
「ここを出れば、前科もきれいになるわ。確実に、もう一度やり直せるはずよ」
「つまり、女の子として?」
 ティフは、鼻をすすり上げながら僕を見上げた。
「それは、あなた次第よ。でも、たいていの生徒は、そうしないわね。ここを出たあとも女装して生活する人は、多くないわ。いずれにしても、それは、完全に本人の意志にまかされてるのよ」
 僕はティッシュを取ってティフの涙を拭いてやり、そのあと、ブラをつけるのを手伝い、美容室へと向かった。

「ハーイ、アンネ」
 僕は、女性美容師に声をかけながら、美容室の中に入った。
「あたしの新しい妹、ティファニーよ。彼女に、あなたの魔法をかけてあげて」
 アンネは、素敵な笑顔とともにその女の子を招き入れ、真正面から顔を見た。
「こんなにかわいい子なら、魔法なんて必要ないでしょ」
 さらに、ティフに笑いかけながら言った。
「いつからうちの学校は、もともとの女子生徒を入れるようになったの?」
「僕は、男だよ」
 ティフはほほ笑みながら、あわてて訂正した。
 えっ? ‥‥ほほ笑みながら?
 それどころか、ティフは、アンネのほめ言葉に、まるで女の子のように赤面していた。
「ぎりぎりそう言えるのも、今のうちよ、ハニー」
 アンネはティフに更衣室を示しながら言った。
「上着とスカートを脱いで、このスモックに着替えてくれる? あなたなら、すごい美人になれるわ」
 見ていると、もう一度同じことが起こった。ティフは、その言葉に顔を赤く染めたのだ。そして、思わずほほ笑みそうになるのを必死でこらえているように見えた。
「彼女、まるでお人形さんね」
 ティフが更衣室に入ったところで、アンネがささやいてきた。
「もっと年がいけば、まちがいなく超美人になるはずよ」
「あたしも、そう思うわ」
 僕もそれに同意した。
「彼女自身は、そう見られたくなくって必死になってるみたいだけど、無駄な努力ね」
「ええ、あれだけ素材がいいと、私は楽だけど、仕上げたあと、彼女自身がどうなっちゃうかは責任もてないわ。だって、男の子をやりつづけようとするには、彼女、最初からかわいすぎるんだもん。これまでそれに気づかないで男をやって来たんだとしたら、自分のとんでもないかわいらしさに動転するでしょうね」

 アンネの言葉は、けっして冗談ではなかった。
 すべてが終わったとき、僕の妹、ティフは、完全にかわいい女の子になっていた。ブリーチして輝きを増したブロンドの巻き毛と前髪が、彼女の顔を、まるで、ティーンエージャー向け雑誌の表紙モデルのように見せていた。
 鏡の前に立った彼女は、そんな自分の姿を見つめて、熱に浮かされたように、口の中でぶつぶつ言っていた。
 僕は、アンネにお礼を言い、そんな彼女の手をとった。
「急いで、ティフ。ミセス・ウイリアムズのところに行く前に、着替えなきゃいけないのよ。彼女は、待たされるのが好きじゃないわ」
 ティフは、未だ呆然とした顔でうなずき、僕に引っ張られるままに、寮の部屋へと歩いた。

「‥‥僕、まるで女の子みたいだ」
 ティフがやっとそうつぶやいたのは、部屋に戻り、僕が上着を脱がしている時だった。
「アンネは、僕を、女の子に見えようにしちゃった」
 それは、あきらかに控えめな表現と言えた。
 正確に言えば、ティフは女の子のようには見えない。天使のように見えるのだ!
 アンネが施したメイクは、ティフがもともと持っていた特長――ぱっちりした茶色い瞳、キュートに上を向いた鼻、透き通るような肌の色、長いブロンドの髪――の魅力をさらに引き出していた。そこにいるのは、極寒の日さえ、ほほ笑みひとつで暖かく変えてしまうような女の子だった。
 そんな彼女を一目見るだけで、はっきりと言えることがある。
 もし、彼女が女の子になるのを望んでいないのだとしたら――じつのところ、この「もし」はかなり疑わしい気もしてきたのだが――、彼女にとっては、一生、地獄の日々が続くことになるだろう。だって、次々に言い寄る男たちから逃げつづけなければならないのだから。
 ただ、彼女の反応の中にあるなにかが、僕に疑念を抱かせていた。彼女は、本当はこんなふうに見える自分が好きで、それを必死に押し隠しているだけなのではないか。もしそうなら、いったん、彼女の信頼を勝ち取ってさえしまえば、彼女は大きく変わるはずだ。
「そうね、あなたって、本当にかわいいわ」
 僕は、あらためて彼女に保証した。
「さあ、着るものを選びましょ」
 まだなんだかぼーとしている感じのティフは、上着とスカートを脱がせたあとも、僕が手渡すものを素直に着ていった‥‥白いハーフスリップ、広がった裾とネックラインの鳩目がかわいい白のサンドレス、ヌードカラーのパンスト、2インチのヒールの白いパンプス。
 彼女が正気を取り戻す前に、僕は、コロンの一吹きまで完了していた。
「‥‥え? な、なにするんだ?」
 そこで突然、ティフはコロンの匂いにむせる素振りをした。
「こんな匂い、まるで、オカマじゃないか」
「あなたはオカマなんかじゃないでしょ」
 僕は、それを訂正した。
「あなたは、すごくかわいいレディよ。レディは、大事な席にはコロンをつけて行くものよ」
「ぼ、僕は、レディなんかじゃないよ」
 その声音には、あまり説得力を感じなかった。抵抗はしているものの、さほど強く反発しているようにも見えないのだ。
「僕は男だよ。男はこんな服や香水なんて‥‥」
「あなたは、ここを出て行くまで、ティファニー・リンという名の女の子なのよ。女の子の服を着て、女の子として振る舞う。それが約束でしょ。その約束をすべて果たせば、女の子としてとどまるのも、男に戻るのも、それはあなたの自由よ」
「本当に、女の子でいつづけることを強制されない? つまり、現実に戻る時に」
 彼女は、姿見を見つめながらきいた。
「あたしが、女の子でいつづけることを決めたのは、完全に自分の意志よ。誰からも無理強いされてないし、誰かから助言があったわけでもないわ。なにしろあたしは、それまで、男に戻って、前のルームメイトをお嫁さんにするなんて言ってたんだから」
「えっ、ほんとに? じゃあ、なにがきっかけで気持ちが変わったの?」
 彼女は、自身の殻からちょっと顔を出すような感じできいてきた。
「そのルームメイトのお兄さん!」
 僕は、思わず笑いながら言った。
「彼と出会ったことで、あたしが無理して乱暴で粗野な振る舞いをしてきたことに気づいたの。本当はすごく女っぽい感覚を持ってる人間なのに、それを人に知られたくなくて、必死になって隠してた。自分にはそんなものはないんだって思おうとしてたのね」
 ティフの目の中で、なにかが揺らめいた。僕の話に、思い当たる節があったにちがいない。かすかではあったが、彼女はうなずきさえした。
「‥‥そ、そう言えば、どこかへ行かなきゃいけないんでしょ」
 彼女はそこで、突然目をそらし、スカートのしわを伸ばしながら言った。
「ミセス・ウイリアムズは待たされるのが嫌いとか、言ってなかった?」
「いいえ、彼女は待ってくれるわ」
 僕は、ほほ笑みながら言った。彼女が唐突に話を変えたことで、僕の観測が正しかったことを確信し、話をつづけようと思ったのだ。
 おそらくティフは、本心では女の子になりたがっている。強制されたり、おびやかされていると感じれば、その心を閉ざすだろうが、穏やかに解きほぐしていけば、そんな自分をもっと見せてくれるはずだ。すべては、僕の持っていき方次第というわけだ。
 たぶん、ロブに頼めば、ティフと同い年の、かっこいい男だって紹介してくれるだろうし‥‥。
 そんなふうに思ったことで、僕はあることを思いついた。
「近いうちに、あたしのカレを紹介するわね」
 僕は、冗談めかして言った。
「でも、その前に約束して。カレを盗らないって」
 こんな言葉に対して、もし男らしさを核心に持つ男なら、ボーイフレンドを盗るような欲望はないと、言下に否定するだろう。
 ところが‥‥
「あなたの方がずっとかわいいんだから、そんな心配いらないでしょ」
 ティフは、そう言った。
 そして、そのあと、気づいたように、あわててつけ加えた。
「い、いや、つまり、僕は彼とおんなじ男なんだし‥‥」
「そうよね」
 僕は、そんな彼女にほくそ笑むように笑いかけた。
「彼とおんなじ、ね」
 たぶん、彼女の片方の理想としては。
 と、そこで彼女は、姿見をちらりと見た。その一瞬、彼女の顔にほほ笑みが浮かんだのを、僕は見逃さなかった。
「行くの?」
 僕がドアを開けたので、彼女は言った。
「じゃ、こんな話は、これでおしまいってことで」

 ティフとともに校長室に向かう間も、僕は、まるで彼女の中でなにかのスイッチが入ったように感じていた。彼女は、その服にさほどの違和感もないようだった。裾の扱いなども、初めてスカートを履いた男の子にしては、みっともなさがまるでない。あの、姿見を盗み見るような一瞥といい、自分の新しい姿に対するどこか弱々しい抗議といい、僕は、さっき彼女の目の中に見たなにかの存在を、より強く確信していた。

 校長室に入り椅子にかける時も、ティフは、スカートの後ろをなでつける動作をした。ミセス・ウイリアムズがちょっと驚いた視線を送ってきたところを見ると、彼女も、それを見逃さなかったようだ。その動作は、わざとらしくなく、しごく自然で、優雅でさえあった。
 ミセス・ウイリアムズは、ティフに対し、入所時の規則説明を淡々とすすめていった。最初の1ヵ月間の外出制限、制服規定、授業のシステム、そして、規則を破った際の罰則‥‥。
 その間、ティフは、時折うなずきながら静かに聞いていた。その手は膝の上にきちっとそろえられ、両脚をしっかりと閉じ、どの瞬間も、ふつうの十代の女の子に見えていた。
 唯一、ティフが特別な反応を示したのは、提示された彼女用の時間割の中に「中級代数学」の授業があるのを見つけた時だ。
「これは、無理です」
 彼女は、それに不満を言った。
「この手の授業で、合格できた試しがないんです。もっと簡単なのにしてもらえませんか?」
「あなたのプレースメント・テスト(※)の結果は、これより簡単な授業は、あなたにとって時間の浪費であることを示しています」
 ミセス・ウイリアムズは、そう言ってほほ笑みかけた。
 (※訳注 クラス分けテスト アメリカの学校のclassは、日本の「学級」とはちがい、まさに「級」を表す プレースメント・テストで判定した学力クラスにより、とれる授業が決まってくるわけだ。だから、飛び級ということも起こる ティフはフェイスの2歳下なのに、ミセス・ウイリアムズが「同じクラス」と言っていたのは学年が同じという意味ではない)
「あなたは、これまでなぜか、自分を能なしのワルと見せることに力を尽くしてきたようですね。でも、実際のあなたがそうでないことは、私たちにはわかっています。あなたの前の学校の成績記録を詳しく調べさせてもらいました。たしかにあなたは、各学年の多くの授業で落第している。ところが、落第点をとっているのは、必ず、最終判定が下されるテストだけです。しかも、その点数は、いつも、及第点の95パーセント以上にそろえている。本当の落ちこぼれには、こんな器用な真似はぜったいにできません。あなたは『上級世界史』や『高等英語』とともに、『中級代数』をとるべきです。問題なく理解できるはずです」
 それを聞いたティフの顔が、すべてを物語っていた。彼女はどうやら、前の学校で、なにかに反抗するために、ゲームをやっていたのだ。ところが、ミセス・ウイリアムズは、その手の内をすべて読んでいた。ゲーム・イズ・オーバー。
「わかりました。その授業を受けます」
 ティフは、静かにうなずいた。

 その面談がすべて終わり、ティフと僕が帰りかけたところで、ミセス・ウイリアムズは、ティフの後ろ姿に向かって呼びかけた。
「ティファニー、そのドレス、よく似合いますよ」
「ありがとうございます」
 彼女は反射的にそう言ったところで、なにかに気づいたように、あわててつけ加えた。
「だ、だけど、なんだか、馬鹿みたい」
「だいじょうぶ。あなたはすぐに、ここの暮らしに慣れますよ」
「さあ、どうだか」
 ティフが、さらにつぶやくように言ったので、僕は彼女を肘で小突いた。

 部屋に帰ったあとも、ティフは、着ている服を脱ごうとはしなかった。ベッドに腰掛けて、先刻渡された時間割をじっと見つめていた。
「ミセス・ウイリアムズにすっかり見抜かれちゃったわね、ティフ。あの人は、人が見逃しているところまで、よく見えてる人だから」
「ああ、たしかによく見えてるよ」
 ティフは、皮肉な感じの表情になり言った。
「めがねを修理するか、新しいのに変えた方がいいね」
 僕はそれを無視し、電話に手を伸ばした。
 本来ならホリーの部屋に電話したいところだが、彼女は夏休みいっぱいを自宅で過ごすらしく、戻るのは2週間先だ。それで僕は、ティフを紹介するのに最もふさわしい人物の部屋を呼び出した。あの、愛の原子炉、ジルだ。

 2分後、突然、廊下が騒がしくなった。
 僕には、ジルとともに10人あまりの女の子たちが部屋になだれ込んでくるのを、くい止めるいとまもなかった。
 ティフもまた、逃げ出すいとまなく、新入生の女の子に対する好奇心でいっぱいの、幸せそうな女の子たちの笑顔に囲まれていた。
「わあ、お人形さんみたい」
 あ然とするティフに向かい、ジルはいきなり核心をついた。
「これまでも、何度もそう言われたでしょ」
「ああ、今日、2度ほど」
 ティフはまた、皮肉っぽいまなざしで答えた。
「ほめられてるとは思えないけどね」
「ううん、ジルの言うとおりよ」
 マリアンヌという別の女の子が言った。
「もとがいいのね。あたし、毎日、メイクに30分以上かけてるのよ。でも、あなたみたいな顔だったら、きっと1秒ですむわ」
「ねえ、どんな授業をとることになったの?」
 下級生の女の子たちが、口々に言った。
「あたしたちといっしょになるのも、あるんでしょ」
 僕にも覚えがあることだから、ティフの気持ちはよくわかった。女の子の集団の熱狂的なおしゃべりは、抵抗する気力を越えている。次々に浴びせかけられる質問は、その答えの中に、自分が男であるというイメージを投影するひまさえ与えないのだ。
「『中級代数』をとらされたんだ」
 ティフは、嘆くように言った。
「無理だって言ったのに、ミセス・ウイリアムズは、僕ならできるとか言って」
「あなたのビッグシスターはフェイスなんでしょ。じゃあ、心配ないわよ」
 ひとりの女の子が言った。
「フェイスは、いつも、この学校でいちばんの成績をとってるのよ。みんな彼女に、勉強を見てもらってるの」
「そうよ、あたしなんて、彼女のおかげで『幾何』がBだったんだから」
 もう一人の女の子も、口をはさんできた。
「フェイスが来る前は、Dよりいい成績なんてとったことなかったのに」
「彼女のおかげで『英語』がパスできただけじゃなくて、彼女に教えてもらったヘアスタイルのおかげで、カレにかわいいって言ってもらえたのよ」
 クラスメイトのジャネットもつけ加えた。
「彼女って、ほんと、最高!」
「ふ、みんなけっきょく、だまされてるんじゃないのか!」
 ティフが急に、とげどけしい口調で言った。
「友だちみたいな顔して親切そうに近づいてくるけど、じつは、ミセス・ウイリアムズの犬なんだろ。あのババアの言うことならなんでもきいて、なんでもチクるペットなのさ」
 僕は、あ然として、言葉さえ出なかった。
 僕に向けられた突然の敵意に、いったい、なぜ彼女がそんなことを言い出したのかさえ、まともには考えられなかった。
 次の瞬間だった。ジルがティフを突き飛ばし、さらに、ベッドの上に仰向けに倒れたその体の上に馬乗りになった。
「そんなことを、あたし‥‥いや、俺の前で、二度と言うな!」
 ジルは、ティフに強く迫った。
「フェイスは、ここにいるみんなに、他の誰もできなかったことをしてくれたんだ。彼女が来る前は、テストで落第してたやつがたくさんいた。なんとか受かったやつも、みんなゾンビみたいになってたよ。彼女は、ここの生徒全員から信頼されてる最高の友人だ。人の秘密を、ぜったいチクったりしない。ミセス・ウイリアムズにであろうと、誰にであろうとな」
「あたしの大事な友人に、すぐ謝りなさい」
 別の女の子が、ティフの顔に自分の顔を突きつけるようにして言った。
「そうしなかったら、あたしも、女をやめるわよ」
「ふ、ふん、お前らみたいなオカマ野郎が、恐いとでも思ってるのか!」
 ティフは、それでもせせら笑っていた。
「僕は、町でいちばん強いストリートギャングのチームに入ってたんだぞ。お前らなんか、すぐに全員ぶちのめしてやる」
 彼女はそう言いながら、腹の上のジルを払いのけようと、背中を弓なりに反らせた。しかしジルは、ティフの体をがっちりと押さえ、見下ろしていた。
「ふふ、偶然の一致ってやつか? 俺とよく似た話だぜ」
 ジルは見くだすように笑った。
「俺がクリップス(※)に入ったのは、10歳の時だった。ここに送られたのは、3人の男に重傷を負わせたからだ。1人は鼻の骨が砕けて、唇が避けた。あと2人は歯が何本か折れただけだが、その代わり、両方とも、もう父親にはなれないそうだ。3人のうちで、いちばん小さかったやつでも、お前より50ポンドは重かったと思うぜ」
 (※訳注 ‘the Crips' 全米に知られるロサンジェルス最大のストリートギャング団)
「殴れるなら殴ってみろよ。刑務所入りだぜ」
 ティフは怒鳴るように言い返した。
「お前みたいなチビでかわいいやつは、さぞ、みんなからかわいがられ‥‥!」
 目にもとまらぬほどの平手打ちが、ティフの言葉を途切れさせた。
「平気さ。俺は、友人があれほど侮辱されて、知らん顔できるような人間じゃないんだ」
「もし、これで、ジルが刑務所送りでもになったら、あんたは、自分が代わりに行っとけばよかったって思いをすることになるわよ」
 上級生の1人が、強い口調で言った。
「あたしはあんたを許さない。あんたのここでの暮らしを、すてきな悪夢にしてあげるわ。ちっちゃい女の子みたいなパーティドレスとおむつカバーで、町をパレードするなんてのは、どう?」
「きっとかわいいでしょうね、3歳のティファニーちゃん。ちっちゃくてキュートなドレス、おしゃぶり、おむつ‥‥、ぜーんぶそろえてあげるわよ」
 トニーという名の女の子も、そう煽った。
 それはささいな変化だった。でもたしかに僕は、その時ティフの顔に、言いようのない恐怖の影が走るのに気がついた。殴られ痛めつけられることに対しては強がっていたティフが、小さな女の子のパーティドレスという言葉には、死ぬほど恐ろしそうに顔をゆがめたのだ。
「やめて、ジル。彼女を放してあげて」
 僕は、そう言っていた。
「もう、じゅうぶんでしょ」
「こいつが謝れば、すぐにでも放してやるよ」
 ジルは、ティフの腹に軽くパンチを入れたあと、その腕をとって強くひねった。
「だめ、ジル!」
 僕は、ティフの腕を、ジルから奪い返すようにしながら叫んだ。
「ティフを、起こしてあげて。今すぐに!」
 その言葉に、ジルは、首を振りながらも、ゆっくりとベッドから降りた。
「こんなくそったれガキのために、なんで‥‥」
「彼女は、あたしの妹よ。妹が痛めつけられるのなんて、見てられないわ。みんな、もう、やめてね」
 僕はそう言いながら、取り囲む女の子たちを見まわした。
 女の子たちは、渋々という感じでうなずいた。
 それで僕は、ねじられた腕をさすりながら涙ぐんでいるティフの方を向いた。
「あなたがさっき言ったことを、聞き流すにはいかないわ。まず、それをはっきりさせましょ。いいわね? あたしは、誰の犬でもないし、そうなりたいとも思わないわ。あたしは、この夏休み、カレと、もっと楽しい時間を過ごすこともできた。でも、あたしは、ミセス・ウイリアムズに恩返ししたいと思って、早めに戻ってきたの。もちろん、ビッグシスターになんて、なりたくなかったわ。あたしは、妹の立場でいる方が、ずっと幸せだったんだから。でも、今言ったように、ミセス・ウイリアムズから受けた恩に答えようと思って、いわば、しかたなく引き受けたのよ。もし、あなたが、あたしのことを信用できないんだったら、ミセス・ウイリアムズにそう言えばいいわ。すぐ、別の人をあなたの担当にしてくれるはずよ。あなたも、その方がいいでしょうし、あたしだって、その方がいいわ。それに、これは確実に言えることだけど、あたしのカレだって、その方がぜったいに喜ぶわ」
「僕がどう言おうが、このあと、みんなで僕をリンチするんだろ」
 ティフは、未だ彼女に鋭い目を向ける女の子たちを見て、すすり上げた。
「誰も、もう殴ったりしないわ。あたしが保証する」
 僕はまた、みんなの顔を見まわして言った。
「いいわね?」
 女の子たちはまた、渋々ながらうなずいた。
「ちょっとの間、あたしとティフをふたりだけにしてくれる?」
 僕がそう頼むと、女の子たちはみんな、肩をすくめ、ドアに向かった。
「もし、俺‥‥あたしが必要だったら、大きな声で叫んでね。すぐに駆けつけるわ」
 最後になったジルが、ドアを閉めながら言った。
 僕はそこで、まだ腕をさすっているティファニーに顔を向けた。
「ティフ、あなたが決めて。あたしは、決められた役割は果たすわ。でも、あなたが他の子の方がいいというなら、そう言えばいい」
「まだ本気で、僕のビッグシスターをやりたいと思ってるのか?」
 ティフは、そうきいてきた。
「僕が、あんなこと言ったあとでも?」
「さあ、やりたいわけじゃないわ。でも‥‥」
 僕は肩をすくめた。
「ミセス・ウイリアムズは、あたしならできるって言ったわ。まあ、あなたの『中等数学』と同じよ」
「で、そんなことして、なんのトクがあるんだ?」
 彼女は僕を、疑わしそうな目で見た。
「『いい子』だって言われたいからか? それとも、頭をなでて‥‥」
「いい加減にしなさい! また、ジルを呼んでほしいの?」
 僕は、彼女が言い切る前に警告した。
「あなたに、人を尊敬する気持ちっていうのを知ってほしかったんだけど、どうやら、それが理解できるほど賢くないみたいね。あたしは、なにかの特典がほしいわけじゃないわ。だいいち、ずっと一番をとってきて、学校からいろんな特典を与えられてるんだから、これ以上必要だと思う? もうひとつ、あなたのために教えといてあげれば、この夏で、あたしの更正期間は終わったのよ。ミセス・ウイリアムズが期間短縮を働きかけてくれて、裁判所が同意したの。だから、あたしは、いつでもここを出て行ける。でも、あたしはここに残って、ここを卒業するつもりよ。ビッグシスターの話を持ちかけられたときは、それに挑戦する義務みたいなものを感じたわ」
 ティフは、じっと僕の顔を見つめていた。たぶん、僕のことを頭がおかしいとでも思っているのだろう。でも、そんなことは気にならなかった。
「話を進めましょ」
 黙ったまま考え込んでしまったティフを何分か待ったあと、僕は言った。
「遠慮することないわ。他の人に変わってもらいなさい。あたしは、ミセス・ウイリアムズに、ビッグシスターになるには、まだ力不足だったって言うから」
「やめ‥‥ないで」
 ティフは、静かに言った。
「お願いです。そのままでいてください。僕のビッグシスターで。お願い。だめ?」
 僕は、何だか幻想でも見ている気がして、ちょっと首を振った。
「素直でいい子になります。約束します」
 彼女はすがるように言った。
「お願い。僕を、ひとりにしないで」
 僕は、そんなティフの目を見つめ返していた。と、その瞳の中に誰かがいる気がした。僕のことを必死に求めている誰か‥‥迷子になった女の子。本当の自分に直面したくないがために、無理矢理にタフであろうとし、その結果、置き去りにされ途方に暮れている‥‥心やさしい、ちっちゃな女の子。
「やめないわ」
 僕は、ティフにほほ笑みかけた。
「あたしこれまで、一度も妹を持ったことがないの。だから、きっと楽しいわね」
 そして、彼女を抱きしめた。

「お姉さんとして、第一にやらなければいけないことは、妹にこの学校を案内してあげることね」
 僕はティフにそう言った。
「それにはまず、そのドレスとストッキングを脱がなきゃね。もっと楽な服に着替えましょ」
「僕は、このまま、このドレスを着てたいんだけど」
 彼女は、なんだか恥ずかしそうな表情で言った。
「‥‥いや、つまり、さっき、ミセス・ウイリアムズがこのドレスのことをほめてくれたから。彼女のご機嫌を悪くしたくないでしょ」
「そうね。あなたは、1日目にしてずいぶんいろんなトラブル起こしてるしね」
 僕は笑いながら言った。
「でも、その服だけは、なんの問題もなく、よく似合ってるもんね」
 ティフはそのほめ言葉を受け流したが、すぐに、またミセス・ウイリアムズをダシにして、乱れた髪のブラッシングを要求してきた。
「ねえ、ほんとにみんな、僕に仕返ししないかな?」
 ブラッシングの途中、彼女はちょっと不安そうにきいた。
「さっき、みんな、そんなことしないって約束してくれたでしょ」
「だけど、それを、ほんとに信じてるの?」
「あのね、ひとつ、あなたに言っとかなきゃいけないことがあるわ」
 僕は、厳しい口調で言った。
「ここでは、あなたがなにか約束したら、誰もそれを疑おうとしないわ。ここの女の子たちは、人に対して、やると言ったことは必ずやる。やらないと言ったことは、ぜったいしない。覚えといて」
 僕のことを「犬」と呼ぶことは許せない。でも、それ以上に許せないのは、僕の友だちを疑うことだ。
 ティフは、深くため息をつき、うなずいた。
「ごめんなさい。どうも僕って、そういうのに慣れてないみたいだ」
「つまりそれが、人を尊敬するってことよ」
 僕は、さっき伝わらなかったことを、もう一度説明した。
「たぶんそれが、あなたがここで学ぶ、いちばん大事なことね。それを知ることがあなたの人生に大きな影響を与えるはずよ。男の子だとか女の子だとか、そんなことは重要じゃない。重要なのは、他の人に対して自分が負う責任を自覚するってこと。グレート・インディアン・リバーの卒業生たちが、社会的に評価されてるのも、そんな自覚を持ってるからよ。あなたの言うことややることには、誰より、あなた自身が責任を持たなければいけない。誰もあなたに、こうしろとは言わない。それは、あなたが、ほんとはもう、どうするのが正しいのかを知っているからよ。あなたが正しいと思うことをすればいいの。それは、ここでの暮らしのすべてに当てはまることよ。あなたは、ミセス・ウイリアムズに、自分のベストを尽くすと約束した。それが、ここであなたが期待されていることのすべてよ。あなたの言うベストがどんなものなのか、それを証明していくのがあなたの責任ね」
「僕はこれまで、そんなこと、あんまり深く考えたことなかったよ。こんな感じを持ったのも、たぶん初めてだ」
 僕は、考え込んでしまったティフの気持ちを、少し楽にしてやろうと思い、笑いかけた。
「ふふ、その感じ、あたしにもよくわかるわ。だって、あたしにも覚えがあるんだもん。そんな感じが持てなかったら、たぶん今、あたしはここにはいないでしょうね。それに、地球上でいちばんすてきな人に恋することもなかったと思うわ」

 ティフをラウンジに連れ出すまでに、さほどの時間はいらなかった。そして、それは当然、さっき部屋にいた女の子たちを含むたくさんの女の子を呼び寄せることにもなった。
 そんな中、ティフの顔が、急に緊張した。
「平気よ。リラックスして」
 ジルが近づいてきているのに気づき、僕は彼女に耳打ちした。
「もう、わかった?」
 ティフの前まで来たジルは、笑顔とともにきいた。
「あたし、そんなかわいいドレス、血まみれにするのはいやよ」
「うん、まちがってたのは僕だ。ごめんなさい」
 なんの挑発の声音もなく、ティフは素直に謝った。
「あたしたち、友だち?」
 ジルはほほ笑み、手をさしのべた。
「‥‥あっ、それも大まちがいよ!」
 言おうと思ったが、もう遅かった。
 手を握るなり、ジルはティフを引っ張り、ぐるぐる回して、例の即興ダンスに巻き込んでいた。
 数分後、すっかり混乱した表情のティフが戻ってきた。
「最初は、殺されるのかと思ったよ」
「まさか」
 僕は、笑いながら説明した。
「彼女の愛情表現よ。あれをするのは、あなたが好きになった証拠」
「それはよかった。僕はこれで、彼女が他の人になにをするのか、全部わかったわけだ」

 数分の間にすべては水に流され、ティフは、急速に女の子の1人として受け入れられていった。
 みんなが笑い合い、女の子らしく騒ぎ合う時間が過ぎていった。
 その間に、ジルとティフは、また何回か例のダンスを踊り、ティフは、顔や服について、山のような称賛を浴びた。
「このままいけば、彼女はまちがいなく、鼻持ちならない大女優になるわね」
 そんなほめ言葉にうれしそうにしている彼女を見ながら、僕は心の中でつぶやいた。彼女には男の子の方が向いているなどと言う人は、もうすでに、どこにもいないだろう。

 その1日目の夜から、ティフはどんどん環境になじみ、ここの女の子らしくなっていった。
 他の女の子たちにもすぐとけ込んだが、ことにジルにはすっかりなついてしまい、いっしょにいることが多かった。僕は密かに、彼女のことを「もう一人のジル」と呼んでいた。
 ジルとティフが二人でいる光景は、端から見ていて、なんだかほほえましいものだった。それは、訳あって離ればなれに育った姉妹が、ついに再会できたという感じに見えるのだ。

 ジルとティフが親しくなったことについては、もうひとつ、いいことがあった。ティフを寮に残していくことに後ろめたさを感じることなく、ロブと会えるようになったのだ。
 僕がティフのビッグシスターになってからのまるまる3週間、僕はロブに会っていなかった。もちろん、ロブにも友だちはいるし、僕のまわりにもたくさんの女の子たちがいる。でも、僕らはさみしかった。
 ロブの家に行くために、彼が車で迎えに来たとき、僕は彼を窒息させるほどのキスをした。
 ロブの両親は、僕との再会を喜び、僕のことを、まるで家族の一員のように扱ってくれた。僕は、ロブの両親に、ロブと僕がけっして別れたりしないということを、確信してほしいと思った。いずれ、大学を出たら、僕たちふたりは盛大な結婚式をやるつもりだ。その時、僕は、最高にゴージャスなウエディングドレスを着るのだ。

 この日は、ホリーも、今つき合っているボーイフレンドを家に招いていた。彼女と僕は、男たちに、彼らのガールフレンドがいかにセクシーかを思い知らせるため、ふたりそろってビキニを着た。けっきょくのところ、ビキニの最大の役割というのは、ボーイフレンドのご機嫌を取り、気持ちよくさせ、さらには、その心を乱すことにあるのだから。
 ホリーと僕は、男たちと素敵な時間を過ごした。プールの中でバレーボールをしたのだ。彼らに肩車されてビーチボールをつくのは大変だったが、水に落とされるたびに、僕らは彼らにキスを要求した。もちろん時には、キスしたくなった男たちが、あきらかにわざと落とすようなこともあった。でも、そんなことをされた時は、すぐに、ホリーと僕でうなずき合い、2人いっしょに水に落ちて男たちに償いのキスをさせた。
 いずれにしても、キスしてくれるロブのほほ笑みが近づいてくる瞬間ほど、自分のことを女だと感じられる時はない。女らしく、かわいい存在であることの幸せが、僕の体全体を包み込むのだ。
 こんな光景を家の中から見ていたロブの両親が、僕らふたりの愛を疑うようなことは、けっしてないだろう。

 その夜、寮に帰った時、僕の気分はまだ浮き立っていた。恋人とのファンタスティックな1日を過ごした女の子が、そうなっているのはしかたないだろう。
 ベッドのティフはもう寝ているようだったので、僕は大きな音を立てないようにシャワーを使い、そのあと、買ったばかりのフリルいっぱいのベビードールを身につけた。それは僕をますます女の子っぽい気分にさせてくれ、さっきまでの素敵なディナーの記憶とも相まって、僕はすぐに甘い夢の世界へと漂いはじめた。

 ティフのベッドからすすり泣く声が聞こえてきたのは、そんなふうにうとうとしかけた時だった。その泣き声から判断して、ティフはなにかつらい夢でも見ているようだ。僕は、彼女の心の奥底でなにかが起こっていると感じた。
 起き出し、ティフのベッドサイドまで行った僕は、その肩をそっと揺すってみた。
「どうしたの、ティフ?」
 と、目を覚ました彼女は、その涙を隠すとでもいうように目をこすった。
「ううん、なんでも‥‥」
「いらっしゃい、あたしたちは姉妹でしょ。忘れたの? 泣いたっていいのよ」
 僕はそう言いながら彼女の体に手をまわし、引き寄せた。
 すると、ティフは、僕の胸に顔を埋め、しくしくと泣き始めた。
「僕‥‥僕‥‥わからない‥‥どうしたら、いいの? ‥‥あんなつもりじゃ、なかったのに‥‥」
「話して、ティフ。力になれると思うわ」
 僕は、ベッドサイドの灯りをつけ、ティッシュを何枚か取って、彼女の涙を拭いた。
 ティフは、数回首を振ったすえ、しぼり出すように話しはじめた。
「僕、逃げたかったんだ。でも、無理だった。どこまでいっても、逃げ切れなかった」
「逃げるって、どこから? いったいなにから、逃げようとしたの?」
 僕は、できるかぎりのやさしい声で、でも、断固とした思いできいた。彼女を苦しみから救うために、これは、どうしてもきいておかなければならないことだという気がした。
「ママから。‥‥ママの、ちっちゃな女の子から」
 ティフは、泣き声を上げながら言った。
「だから僕は、ギャングの仲間に入ったんだ。だけど、そこでも僕は、女の子みたいに弱虫だって思われてた。なんとかしたかったんだ、フェイス。必死だったんだ。でも、最後まで僕は弱虫だった。僕はずっと、ちっちゃな女の子みたいに弱虫なんだ」
 なぜ彼女は、ミセス・ウイリアムズでなく、今、僕に話すのか? そして、なぜ僕は今、決められたとおりカウンセラーに電話しようとしないのか?
 それは、僕が彼女のビッグシスターだからだ。そして、ミセス・ウイリアムズも、僕にそれを期待しているからだ。
「もっと、ちゃんと話して」
 僕はティフに、懇願するように言っていた。

 ティフはまず、ずっと心の内に秘めていた、小さかった頃のことを、延々と語った。
 ティフは、生まれたばかりの赤ん坊だった頃から、女の子だとまちがわれたらしい。ティフの母親が道を歩いていると、人々は彼女を呼び止め、彼女が連れた赤ん坊がいかにかわいいかをほめ、こんなにかわいらしい娘を持てた母の幸せを称えた。そんなことが毎日、幾度となくつづくうち、母親は、そのまちがいを訂正するのをあきらめてしまった。いちいち言い立てて、なんだか気まずい思いをするより、女の子としてのティフをほめてもらった方がいいと感じたのだ。その方が、善良な人々に対して素直に感謝の気持ちを持てる。
 母親が、外出の時などに、ティフに女の子っぽいベビー服を着せるようになるのに、さほどの時間はかからなかった。もちろん、どの服も、ティフのやわらかいブロンドの髪や愛らしい顔によく似合った。ティフは、どこに行っても、その場でいちばんかわいい赤ん坊としてもてはやされた。
 そんな称賛やほめ言葉を浴びて物心ついたティフが、それをうれしいと感じ、やみつきになったとしてもなんの不思議もない。
 ほどなく彼女は、母親が遠くへショッピングに行く時、かわいいドレスや、ペチコートや、ラッフルのいっぱいついたパンティを着せてくれるのを待ちわびるようになった。
 近所の公園などへ行く時は、さすがにズボンとシャツを着るのだが、そんな時も、遊び相手はほとんど女の子だった。女の子と遊ぶのは楽しかったけれど、他の子と同じかわいいものを着ていたならもっと楽しいのにと、いつも思った。
 ティフの父親は、息子が女の子の服を着るのが好きなことに、当然、気づいていた。それに、妻が、息子をかわいく装わせることに夢中になっていることにも。
 でも、女の子になったティフを誰も傷つける様子がないのを見て、それを許した。それどころか、時には、自ら妻に勧めてティフを女装させ、ディナーに出かけた。美人の妻と娘を人々に見せびらかせる男の幸せを味わいたかったのだろう。
 こうしてティフは、母親にとってはパートタイムの娘として、父親にとっては秘蔵の宝物として育った。
 もし、人にきかれたような場合、母は、女の子になったティフのことを自分の姪だと紹介した。その場合、ラリーは、大好きな叔母さんのところに行っていることになった。代わりに、そこの娘であるティフが遊びに来ているというわけだ。
 ティフの両親は、その矛盾をごまかすため、ラリーとティファニーの写真をそれぞれ撮って、パソコンを使って合成さえした。素敵なパーティドレスを着たティファニーと子供用のスーツとネクタイ姿のラリーが並んで立っている写真をでっち上げたのだ。この合成写真は、リビングルームに飾られ、そのまわりには「2人の子供」の成長を示す写真が並んでいった。
 学校へ行くようになると、ティフにはつらいことがいろいろ起こった。彼女は当然、女の子と遊ぶことを好み、そのことで男の子たちからいじめられた。毎日、早く学校が終わらないかと願った。家に帰れば、「ママのちっちゃな女の子」になり、パパのために夕食をつくるお手伝いができるのだから。
 夏休みだけは、大好きだった。家族旅行では、ママとおそろいのかわいい水着を着て、パパを砂の中に埋めたり、波と戯れたりできた。
 体が小さかったことと、男の子の遊びの経験がなかったことで、バスケットボールやフットボールでは、さんざんみじめな思いをした。たしかに、男の子たちの間では、それらが「人気のあるゲーム」だったが、ティフにとっては、かわいい女の子として「人気を得るゲーム」の方がずっと簡単な気がした。
 つまり、ティフはもともと、ラリーという名の男の子であるより、ティファニーという名の女の子だったのだ。
 彼が、そんな自分に疑問を持ち、ティファニーであることに居心地悪さを感じ始めたのは、せいぜい1年とちょっと前のことだ。彼は、そんな自分をぶちこわし、ふつうの男の子になりたいという衝動にかられた。
 彼の母親は、娘がいなくなったことに失望したが、息子をいつまでも、ブロンドのカールの中に押しとどめておくべきでないこともわかっていた。
 ところが、不幸なことに、彼の「ふつうの男の子」への挑戦は、それを越えて暴走せざるを得なかった。かわいい服や、お気に入りのお人形や、ママといっしょのショッピングへの憧憬を彼方へと葬り去るには、その対極へと走り、そこに身を投ずるしかなかったのだ。
 こうして彼は、ストリートギャングと関わりを持ち、不良になることで、本来の姿であるはずの男になろうとした。

「でも、そこであなたの身になにが起こるのか、考えてみなかったの? コンビニで逮捕された時、射殺されなかっただけでも運がよかったのよ」
「ううん、運が悪かったんだよ。撃たれてれば、男として死ねたのに」
 ティフは、そうつぶやいた。
「馬鹿なこと、言わないで!」
 僕は思わず声を荒げていた。
「男として死ぬ? まだ、まともに生きてさえいないのに、そんなこと言うもんじゃないわ。男として死ぬなんてことに、なんの意味があるの? あなたの人生を意味あるものにするのは、生きて、本当のあなた自身になることでしょ」
「本当の僕自身になる?」
 彼女は、そう言いながら、ふたたび泣き始めていた。
「だから、それができなかったんじゃないか。僕は、男にはなれなかったんだ。強くなろうとしたさ。なのに、だめだった。あの時、僕が銃を撃つのをためらったせいで、ヴィニーは殺されたんだ」
「ちがうわ。あなたは賢かったのよ。もし、あなたが銃を使おうとしてたら、たぶん、あなたも撃たれてたはずよ」
「なんにもわかってないくせに。僕が腰抜けだったから、仲間が撃たれたんだ。僕は、あの男が銃を出してヴィニーを狙うのをただ驚いて見てたんだ。ほんとの仲間なら、ヴィニーが撃たれる前に、僕がそいつを撃たなきゃいけなかったのに」
「ううん、わかってないのはあなたよ。あたしは、ミセス・ウイリアムズから、あなたの逮捕記録を見せてもらってるのよ。あなたたちが脅したレジの男は、おとりの警官だったの。その上、天井裏にも警官が隠れていて、そのショットガンは、あなたに向けられてたのよ。その時、あなたがぴくりとでも動いていれば、あなたの頭は吹っ飛んでたはずよ」
「だ、だけど‥‥」
「だけど、じゃないでしょ!」
 僕は強い調子でティフの言葉を押し戻した。
「あなた、いったい、なに考えてるのよ! だいたい、銃を持って歩いてるような連中とつるんで、なにがしたかったのよ?」
「だから、さっきも言っただろ。本物の男になりたかったんだ。そんな強いギャングに入れば、弱虫じゃなくなるって思ったんだ」
「ジルが通った道とおんなじね。彼女、ギャング団の入団の儀式とやらで、肋骨を2本折られたって言ってたわ。肋骨を折ることが、なんで強さを示すことになるんだか」
 と、その言葉に、突然ティフが嗚咽しはじめた。
 僕は、なにかまずいことを言ったのだろうか?
「どうしたの、ティフ? あなたも、そのギャング団に入るとき、ひどい目にあったの?」
 僕を見つめるティフの顔が、これまで見たこともないほど悲しみに歪んだ。
「僕は、その儀式をやらせてもらえなかったんだ。そりゃ、僕だって、やればできたさ。でも、ヴィニーが、僕はいいって。僕には、ロープと車の試練を課さなかったんだ」
「えっ? 何の‥‥しれん? いったい、何のこと?」
 僕は、わけがわからずきいた。
「2台の車の間のロープを飛び越えるんだよ」
「まだ、言ってることがよく見えないんだけど。2台の車とロープで、何をするわけ?」
「だから、入団の儀式だよ」
 ティフは、僕のことを、物を知らないやつという目で見た。
「2台の車にロープを張るんだ。試練を受けるやつは、そこから離れた場所に立つ。で、自分に向かって全速力で走ってくる車の間のロープを跳ぶんだ。それを3回クリアすれば、入団が決まる。ジルはきっと、入団するまでに何度か失敗したんだと思うよ」
 なるほど。それで、僕のことを物を知らないやつと思ったわけか。
「ティフ、あたしは、あなたがそんな馬鹿なことしなくて、ほんとによかったと思ってるわ。でもね、ギャング団の入団の儀式っていうのは、他のメンバー全員に、何分間も殴られたり蹴られたりすることだって聞いてるわよ。逃げずに耐えられたら、入団が決まるって。ロープも、車も、使わずにね。メンバーが疲れるか、本人が逃げ出すかしないかぎり、気を失うまで痛めつけられるそうね。ジルが肋骨を折ったのも、それだって言ってたわ。ヴィニーが、あなたにそれをさせなかったのは、まあ、運がよかったってことだろうけど」
 ティフは何か気づいたように息を飲んだ。愕然と開かれたその目と口が、震えていた。
「そ‥‥そんなこと、なんにも‥‥」
 やっとのことで、つぶやくように言った。
「僕は、からかわれてた‥‥? や、やつら、それをネタにして、僕のこと、笑ってた‥‥?」
「もう、わかったでしょ、ティフ。ヴィニーは死んだ。他の連中は逮捕されたか、どこかに雲隠れしてしまった。こうして生き残ってるあなたは、ラッキーだってことよ」
「殴られつづけるなんて、きっと僕には耐えられなかった」
 彼女は、僕の言ったことを反芻するとでも言うように、数回首を振った。
「たぶん、すぐに逃げてたよ」
 彼女の声は、悲しげだった。
「やつらいつも、僕のことをフロイドって呼んでたんだ。けっきょく僕は、ずっと、そんなふうに見られてたんだね」
「フロイド?」
 僕は、その言葉とともに彼女が身震いしたのが気になり、きいた。
「『プリティ・ボーイ・フロイド(※)』‥‥って」
 彼女は、消え入りそうな声で言った。
 (※訳注 ‘Pretty Boy Floyd’ 1930年代、中西部で名をはせた伝説的銀行強盗 また、その名をとった西海岸のヘビメタバンド ギャング団のメンバーは、その名に引っかけ“プリティ・ボーイ”ティフをからかったわけだ)
「さっきも言ったように、やつら、僕のことを弱虫だって知ってた。女の子みたいだって思ってたんだ。その儀式もなしで僕を仲間に入れたのは、たぶん‥‥ヴィニーの『女』としてだね」

「ねえ、フェイス、お願いがあるんだけど」
 自分の物語を語り終え、しばらく黙っていたティフは、なにかを吹っ切るように顔を上げた。
「僕を‥‥あたしを、もっとかわいくして。ヘアセットのやり方とかも教えて。そしたらあたし、あなたみたいにきれいになれると思うの。来週、ママとパパが来るのよ。その時に着る服の相談にものってね。ママとパパに、あたしが今幸せだって思ってほしいの。いい娘になって、もう二度と困らせるようなことはしないって、信じてほしいの」
「ティフ、あなたは今、自分の言ってることを、ちゃんとわかって言ってる?」
 僕は、ティフの望みが、本心からのものだと確信したくてきいた。
「あたしは、あなたにやけになってほしいわけじゃないのよ。あなたの顔と体格なら、完璧な女の子になれるってことは保証するけどね」
「あたしは、ちょっと他へ行ってただけ。もともと、ここにいたの」
 彼女は、解放されたような愛らしい笑顔を向けてきた。
「まわり道しちゃったけど、戻って来られたんだもん、もう、どこにも行きたくないわ」
「‥‥そうね」
 僕はそう言って、彼女のおでこにキスした。
「じゃあ、明日の朝から、ふたりで、これまで誰も会ったことがないようなかわいい女の子づくりをはじめましょ。でも、そのためには、もう寝た方がいいわ」
 ティフは、両手を僕の体にまわし、抱きしめてきた。
「ああ、ワクワクするわ。あたし、ここへ来て最初の日に着たあのサンドレスが大好き。あんなお姉さんっぽい服は、これまで一度も着たことなかったから。ママったら、あたしを、いつまでもちっちゃな女の子だと思ってるのよ。だから、いつも、まるで8歳の女の子みたいな服ばっかり着せられてたの。あたし、けっきょく、それがいやだったんだと思うわ。あたしだって、いつまでも子供じゃないんだもん。ねえ、今度、ママとパパが来る時、思いっきりドレッシーな服で会うっていうのはどうかしら?」
「だからね、それは明日、相談しましょ。きれいになるためにも、睡眠は必要よ」
 僕の言葉に、ティフはその話をつづけるのはあきらめたようだが、また、なにか別のことを思いついた顔をした。
「ねえ、あなたのピンクのネグリジェを貸してって言ったら、いや?」
 彼女は、希望を込めた声できいてきた。
「あの、パンティつきの、短めのやつ」
「ああ、この前、あなたがひとりの時に、こっそり着てみてたやつね」
 僕は、彼女の言葉を補足した。
「えーっ? 知ってたの?」
 ティフは笑いながらも、うかがうように僕を見た。
「ふふ、ネグリジェを着てたのも、ときどき、あたしの服を試してるのも、全部知ってるわよ。それに、あたしの化粧品でメイクの練習してるのもね」
「あの‥‥、怒って‥‥ない?」
「妹は、こっそりとお姉ちゃんの化粧品を使うものでしょ。姉はそれを、見て見ぬふりするものよ。だって、妹が、ちっちゃな女の子から、かわいくてきれいな本物の女の子に変わっていくのがうれしいんだもの」
 ティフは、すぐにドレッサーのところに駆けていき、迷うことなく引き出しを開けた。それは、正確に彼女の言っていたネグリジェが入っている引き出しだった。1秒もかからずに目的のものを引っ張り出した彼女は、すぐさまコットンパンティと長めのナイティを脱ぎ、それに着替えた。
 ベビードールの薄くて透けた生地が、彼女の絹のようなお尻の肌をすべって揺れた。

 翌朝、ティフは、朝早くから起き出した。
 それはいいのだが、問題は、彼女が僕にも早く起きることを期待したことだった。
 彼女は、ヘアスタイリングに関する最初のレッスンが待ちきれなかったようだ。それを早めにはじめ、そのあと、できればメイクのレッスンもしてほしいと思ったらしい。もちろん、下着や服選びのコツも、早く身につけたいということだろう。
 たしかにティフは、いい生徒だった。
 彼女は、僕の説明や手の動きを、ひとつも聞き逃すまい見落とすまいと集中しつづけ、その間、ヘアスタイルに関する山のような質問を浴びせてきた。そのあとも‥‥アイメイクはどんな色の取り合わせがベストか、授業の時にはどこまでのメイクが許されるのか、自分にはどんな種類の服が似合うか、自分の年齢で高いヒールを履いてもおかしくないか‥‥と、次から次へと質問してきた。
 僕は、それに答えることを、少しも面倒だとは思わなかった。というより、彼女こそ、女の子にとっての夢の実現だった。生きている等身大バービー・ドール‥‥僕が手を入れ、着飾らせることで、彼女は確実にきれいになり、僕はそれにワクワクしつづけた。これまで彼女が身につけたことのない服や小物をなにかひとつ加えるだけで、彼女はよりかわいくなった。ほんのちょっとしたメイクを施すだけで、彼女の顔は信じられないほど輝きを増すのだ。
 大人の女へと変わりはじめた瞬間の少女だけが持つ、その息をのむような美しさは、まさに一枚の完璧な絵だった。そのかわいらしさは、彼女が出会うすべての人を、虜にしてしまうにちがいない。

 ティフは、例の白いサンドレスを着たがったのだが、僕は彼女のクローゼットから、別のものを選んだ。ぴったりと体の線に沿ったベース生地の上に、ライラックカラーの花柄がプリントされた薄布が、レイヤーとして取りまいているドレスだ。
 僕はそれに合わせて、引き出しからは、やはりライラックカラーのスリップ、ブラ、パンティのセットを出した。あとは、薄い白のパンストと、ローティーンの妹のお出かけにふさわしい、あまりヒールの高くない白のサンダルを選んだ。
 その、おそろいのスリップとブラとパンティを見た時のティフの表情は、本当にかわいかった。クリスマスプレゼントの包みを開けた子供だって、ここまで幸せそうな顔はしないだろう。
「これ、きれい!」
 彼女は、満面の笑顔で言った。
「ママは、こんなのいっぱい持ってたわ。あたしも、同じようなのを着けたいって思ってたこと、知ってたのね?」
「ふふ、お子様向けじゃないお姉さん用の下着ね」
 僕は、そう言って笑った。
「ほらね。ママだってもう、あなたにレディらしい服を着てほしいと思ってるのよ。いつまでも、ちっちゃな女の子用じゃなくね」
「あたしは、あのかわいらしいパーティドレスやペチコートとさよならしなきゃいけないのね」
 ティフは、ネグリジェを脱ぎながら、そう言ってほほ笑んだ。
「だけど、こんな下着の方が、このすてきな髪型には似合うわね。ママは、いつも、おさげにしか結ってくれなかったのよ」
「レディはおさげ髪はしないわ。そして、小さな女の子は、こんな高価なランジェリーは着けない。ママが、これだけお金を使ったのは、自分の娘に、こんなすてきなランジェリーの価値がわかる女の子に成長してほしいと思ったからでしょ」
「あたし、そんな女の子になるわ。ぜったい、なる」
 彼女は、そう約束しながら、なんのためらいもなくブラのホックを前でとめ、それをくるっとまわしてストラップを肩にかけた。さらにパンストを手早くくるくると巻き込むと、そこに足を通し、きれいに脚の上に延ばした。スリップも、いつも僕がやってあげているのと同様の手慣れた感じで身につけた。
「どう? ほんとのこと言うと、ちっちゃい頃から、ママのでこっそり練習してたの。まちがってないでしょ」
 その手際の良さに驚いている僕に、彼女は、そう笑ってみせた。セクシーなブラを着けることにも、レースでいっぱいのシルキーなパンティにも、何のためらいもない。
 これが、何日か前まで、粗野で乱暴に見せようとしていたのと同じ人間だろうか?
 そのランジェリーに嬉しそうにしている姿を見たら、彼女が、基本的には男の子として育ったと言っても、誰も信じないだろう。
「あんたって、とんだインチキ野郎ね。ここへ来た時は、そんなこと、おくびにも出さなかったくせに。男になりたい? 強くなりたい? 嘘つき! ほんとは、か弱く見せることが大好きなんじゃない」
「インチキ野郎? ひどーい」
 彼女は怒った顔をしてみせた。
「まあ、かわいいインチキ女くらいなら、妥協してもいいけど」
 僕は、がまんしきれず、彼女を抱きしめていた。
「それは正しくないわ。かわいいどころじゃなくて、あなたって、世界でいちばんのお人形さんよ」
「だけど、あたし、気味悪くない?」
 突然、ティフがちょっと心配げにきいてきた。
「あたしずっと、気味悪いオカマだなんて思われたくなかったの。でも、どうしてもそうなっちゃう。ママのかわいい女の子でいることが大好きだったあたしには、一生、男の子は無理なのね」
 僕は、難しい選択を迫られていた。
 彼女が男の子として大人になる姿を想像できないという本心を語るべきか、それとも、いつかは、ドレスやランジェリーやメイクを忘れ、誰からも男だと思われて暮らせる日がくると、嘘をつくべきか。
 そんなことを平然とした顔で言えるほど、僕は不正直ではない。たとえ、ジーンズにライダースブーツ、革ジャン姿だったとしても、ティファニーは女の子にしか見えないだろう。
「もちろん、オカマになんか見えないわ、ティフ」
 僕は、彼女を見つめて言った。
「もし、気に障ったらごめんね。でも、こんなにかわいくて女の子っぽいあなたを見てると、そもそも男の子に生まれてきたのがまちがいだったって気がするの」
 と、彼女は僕を見返し、ニッコリと笑った。
「気に障る? とんでもない。あたし、今は、女の子であることを、誰からも疑われたくないの。まちがっても、男の子だなんて思われたくない。あたしは、二度と男の子に見られたいなんて思わないわ。だって、小さい頃から、男の子の自分が好きだったことなんて、一度もないんだもん。女の子の格好が好きだったし、女の子といっしょに遊ぶのが好きだった。ままごとをやってる時だって、他の女の子は、ときどき男の子やパパをやりたがったけど、あたしは、ママしかやらなかったもん」
 そう言いながら、準備したドレスをハンガーからはずしたティフは、背中のジッパーを頭が入るのにじゅうぶんなとこまで上げてから、それをかぶった。
「あたし、いつも、ママがドレスを着るのを見てるのが大好きだったの」
 ドレスの裾が下まで降りたところで、彼女は、途中まで上がったジッパーを、首の後ろまで引っ張り上げながら笑った。
「だから、やり方は全部知ってるのよ。こうすれば、あなたに手伝ってもらわなくても、ジッパーが閉められるのよね」
 僕は、感心しながらそれを見ていた。
 僕の妹は、すぐに、立派な誘惑者になるだろう。
 僕には、気を引こうとして自転車で近づいてきた男の子たちが、彼女が笑いかけたとたん、バランスを失って転ぶ姿が、容易に想像できた。
「コロンもつけてみる?」
 僕は、お気に入りのコロンを手渡しながら言った。
「大好きな香りの中にいると、男の子だった時のこと、すっかり忘れられるわよ」
「わかるわ。でも、あたしは、男の子だったことを忘れるっていうより、ママに、あたしにもつけてっておねだりしてた時のことを思い出すわ」
「そうか。あなたはずっと、ママみたいになりたかったのよね」
 僕も、それにうなずいた。
「それを知ったら、ママもきっと喜ぶわ」
「ほんと、あたしのママって、最高なのよ」
 ティフは、何の屈託もなく言った。
「頭がいいし、ほんとにきれいだし。あたしもいつか、ママみたいな大人になりたいな」
「あなたなら、ママよりきれいになれるかも知れないわよ。頭の方はまだわからないけど」
 僕はそうからかった。
「あたし、他の子よりいい成績とるわよ」
 彼女は、そう宣言した。
「ミセス・ウイリアムズも、あたしは賢いんだって言ってくれたでしょ」
「もうじき、新学期が始まるから、そうすればわかるわ。さあ、準備ができたら、そのドレス、みんなに見てもらいに行きましょ」
 僕はそう言って、彼女の肩に手を添え、ドアの外に導いた。

 ティフが、将来も女の子でいつづけるつもりだと語ったことに、他の女の子たちはみんなわきたった。ジルはもちろん、ティフの手をとり、例のダンスを踊った。ティフも、ジルに負けずに飛び跳ねた。
「あたし、これまでで、こんなに幸せだったことってないわ」
 ティフは、叫ぶような声を上げた。
「ここに来て、初めてほんとの友だちができたの。それも、こんなにたくさん。みんな、大好き!」
「いったい、なにを騒いでるの?」
 背後から、よく知っている声が響いた。
 振り向くと、ラウンジの入り口にホリーが立っていた。
「あっ、帰ってたのね。早くこっちへ来て。話したでしょ。あたしの妹よ」
 僕はすぐに、ホリーを輪の中に招き入れた。
「見て、すごくかわいいでしょ。まあ、あたしと同じくらい」
 そう言ってから、僕はふたりを紹介した。
「ティファニー・リン・モリソンよ。こっちは、あたしのビッグ・シスター、ホリー・リン・ビンクラー」
「わあ、すてき! ミドルネームがおんなじ!」
 ティフはうれしそうに言うと、ホリーが身を引くより早くその手をとった。とたん、ホリーはダンスに巻き込まれ、ティフに振り回された。
「ふー、彼女、ジルの影響をもろに受けちゃったってわけね」
 ダンスからやっと解放されたところで、ホリーはあきれたように肩をすくめた。
「オー、神よ。ついにわれわれは、2台の小型永久運動装置を手に入れました。その名は、ジルとジル・ジュニア」
 と、その時、ホリーのそばに誰かが駆け寄った。声を聞きつけ、人垣の中からジルが飛び出したのだ。当然、彼女はすぐに、ホリーの手をとった。
 僕は、姉だけがふたたび、ジルとジル・ジュニアの儀式に巻き込まれるを黙って見ているわけにもいかず、あわててジルとティフの間に割り込んだ。
「姉妹でしょ。仲間はずれはなしよ!」
 僕ら4人は、笑いながら部屋の中をぐるぐる回っていた。他の女の子たちは最初、あきれたように見ていたが、やがて勢いに飲まれ、その輪に加わってきた。

 その集まりが解散した後も、ホリーは僕らの部屋までついてきた。、ティフのことをもっと知りたいからということだった。いや、少なくとも口ではそう言っていた。
 ところが、部屋に入るやいなや、ホリーはティフに、僕がたった3日間で女の子っぽい女の子になってしまったてんまつを話しはじめ、僕は恥ずかしい思いをすることになった。
「ふん。もし、あの結婚式の時、ロブがあんなにすてきな人だって知ってたら、あたしは、あなたなんかでなく、彼と踊ってたもん! とにかく、彼のキスはすてきなんだから」
「へえ、そう。グローブトゥロッターズのキスよりも?」
 ホリーは、意地悪な笑いを浮かべ、僕をからかいつづけている。
「ねえ、ティフ、あなたのお姉さんから、グローブトゥロッターズのチーム全員とキスした話は、もう聞いた?」
「あれは、サイン入りボールのためよ!」
 僕はそう言って、彼女にイーッと舌を出した。
「あなたって、あたしにフラれたことを、そうとう根に持ってるのね」
「えっ? あっ、そうかあ!」
 ティフが笑いながら言った。
「さっき、紹介されたときは、そこまで頭が回らなかったけど、フェイスが結婚しようと思ってたのって、ホリーなのよね。ねえねえ、妹からフラれるって、どんな感じ? きっと、すっごくつらかったでしょうね」
「ううん、すっごく面白かったわ」
 ホリーも、笑いながら答えた。
「だって、熱くなってたのはこの子だけで、あたしには、そんなつもり全然なかったんだもん。この子が女の子っぽい女の子だってことは、最初からわかってたし」
 僕は、肩をすくめた。
「ふん、言ってなさい。あたしには、世界一すてきなカレがいるんだもん、平気よ。お互い、心から愛し合ってるし、必ず結婚するんだから」
「もう、すぐこれよ。最後は全部おのろけ」
 ホリーは、そう言って、肩をすくめた。
「そうだ。それより、もっと面白いことしない?」
 そして、ティフの方を見て、また、なにかたくらんでいるような笑いを浮かべた。
「ティフ、あなたって、ほんとにかわいいわ。お人形さんみたいよ。だけど、もっと本物の女の子になりたくない? 自分がどこまで色っぽくなれるか、見てみたいでしょ?」
「色っぽい‥‥って」
 ティフは、どこか不安げにほほ笑みながら言った。
「あたしには、まだちょっと無理だと思うけど‥‥」
「だいじょぶよ! あなたなら、男の子たちを一発でノックアウトしちゃうくらい色っぽくなれるわ」
 ホリーは、さらにからかうようにティフを見た。
「想像してみて。あなたは、セクシーという言葉がぴったりな大人の女になるのよ。もう、ちっちゃな女の子なんかじゃなくね」
「あたし、ちっちゃな女の子なんかじゃないわ」
 ティフは、半ば笑いながらも、ちょっとムキになって言った。
「いいわ。セクシーな女って、楽しそう」
「サイズは、あたしと同じくらいよね」
 ホリーの方は、ちょっとにやにやしながらティフを立たせた。
「あたしの部屋に行って、3人で服を選びましょ」

 ホリーの部屋、つまり僕がこの前までいた部屋は、やはり居心地がいい。もちろん、今のティフには何の文句もないけれど、ホリーといつもいっしょにいられないのは、やっぱりさみしいのだ。もとの僕のベッドに腰を落としながら、僕は思わずため息をついていた。
「ごめんね、フェイス。ミセス・ウイリアムズは、今学期中に、あたしにまた、新しい妹を担当させるつもりらしいの。3人部屋でもあればいいのにね」
 ホリーもちょっとさみしげに言い、自分のクローゼットや引き出しを物色しはじめた。
「そしたら、あなたにビッグシスターの仕事を手伝ってもらえるでしょ。だってあなたは、こんなに短い間に、ティフをここまでにしちゃったんだもん」
「あたしは、そんなにたいしたことをやってないわよ。タイミングがよかっただけ。ティフはちょうど、女々しい男の子であることから抜け出したくてもがいてたんだから」
「じゃあ、これを履いて、また、女々しい男の子に戻ってもらおうかな?」
 ティフに向かい、いたずらっぽい顔でそう言いながらホリーが差し出したのは、レースでいっぱいのボーイカットパンティだった。
 ティフはそれを、まるで神聖な宝物ででもあるかのように受け取った。コットン製なら話は別だが、ピンクで、しかもレース以外の何ものでもないそれを、断る理由はないだろう。
「それから、この際、パンストもダメよ」
 ホリーはそう言いながら、今度はガーターベルトとストッキングを手渡した。
「あーっ」
 それを見たティフは、震えるような声を上げた。
「ママは、特別なお出かけとかには、これを履くのよ。あたしも履かせてって言ったら、まだ早すぎるって」
「ここには、ママはいないわ」
 僕は笑いながら言った。
「これは、あたしたち、女の子だけのないしょのパーティでしょ」
 ティフがそれにうなずくと、ホリーは、次に、パンティとおそろいのブラ、ピンクのハーフスリップを手渡した。
 最後に渡された黒のミニスカートと、シースルーのブラウスを見た時には、ティフの呼吸は、すでにそうとう速まっていた。
 彼女は、急いで着ているものを脱ぐと、あわててパンティに足を通した。
「そんな、あせらないの」
 僕は、そんな彼女に言った。
「レディは、そんなに急いで服を着ないものよ。ドレスを着る前に、ランジェリーの肌触りをめいっぱい楽しまなきゃ。どう? そのパンティの軽くて肌にフィットする感じ。まるで、何も着けてないみたいでしょ。次は、そのガーターベルトをして、ストラップをパンティの下に通すの。そのあとは、ストッキングの楽しみが待ってるわ。忘れないで。レディは、着ることをたっぷりと楽しむの」
「ええ、あたし、楽しんでるわ。ほんとにワクワクするもの」
 ティフは夢見るように言い、くるくると丸めたストッキングを、脚の上にすべらせていった。
「こんな気持ち、味わうのは初めて。子供向けのパーティドレスやペチコートとは全然ちがう」
「おっぱいも、入れてみる?」
 ホリーはそう言いながら、ティフのブラのカップに、ブレストフォームを挿入した。
「本物のおっぱいができる前に、あたしが使ってたものよ」
「わあ、すごーい」
 ティフはちょっと恥ずかしそうに笑いながら、大きくふくらんだ自分の胸のあたりを見下ろした。
「あたし、そのうち、ほんとにこんなふうになるのね」
「自分の胸をふくらませる唯一の方法は、ホリーやあたしみたいに、女性ホルモンを摂ることだけど‥‥」
 僕は、ティフの今言ったことの意味をきちんと説明しておこうと思った。さまざまな影響も含めて、正確に理解しておいてもらいたかったのだ。
「でも、じゅうぶんに胸がふくらむところまで女性ホルモンをつづけた場合、その時点でもう、あなたの体の男の子の機能はダメになってるはずよ。あとは、女の子として生きていくしかなくなるのよ」
 その言葉にティフはちょっと考え込む表情をしたが、それは10秒ほどだった。顔を上げた彼女は、ニッコリとほほ笑んで言った。
「それで、何の問題もないと思うわ。女の子になることが、あたしの望みだもの。よく考えると、子供の頃から今まで、ずっとそうだったんだと思うわ。そりゃ、一度はそこから逃げようとして、無理して男の子をやろうとしたけど、それはやっぱりほんとのあたしじゃなかった。あたしは、生まれる前からずっと女の子だったの。それがなにかのまちがいで、男の子になってただけだと思うから」
 ティフは、スリップを身につけ、体にフィットさせながらつづけた。
「ママもパパも、あたしが女の子でいる方が幸せなことを、ずっと知ってたんだと思うわ。あたしが、もう男の子のふりをして生きるのをやめるって言ったら、きっと喜んでくれるはずよ」
「体のテストとか心理テストとか、いろいろすることになるわよ」
 僕は、彼女の選択は正しいと思っていたが、その決意が早計すぎるような気がして確認した。
「女の子になるっていうのは、あなたの気まぐれで決められるようなことじゃないんだから」
「知ってるわ。前に、ちゃんと本で調べたもん」
 ホリーが手渡したミニスカートをはきながら、ティフはそう答えた。
「あたしは、テストでもお医者さんとの面談でもべつに平気よ。女の子になりたいっていうあたしの気持ちは、本物だと思うから」
 体にぴっちり沿ったブラウスを着たあと、中に入った髪をまとめて跳ね上げるティフの仕草を見て、僕は、「この色っぽさは、たしかに、とても14歳の男の子だなんて思えない」と、あらためて感じた。
 この上、ホリーがメイクやヘアスタイルまで仕上げたら、ティフの姿は、大学生の男が夢精の時に夢見る女の子そのものになってしまうだろう。
「すてきよ、ティフ!」
 ホリーが選んだ茶色のサンダルを履くティフに、僕は口笛を吹いた。
「これであなたは、ちっちゃな女の子時代を完全に卒業ね。ようこそ、メジャー・リーグへ!」
「なんか、あたし、すごくセクシーできれいになれた気分!」
 その高いヒールの感触を確かめながら、ティフはくすくすと笑った。
「やっぱり、前に着てたかわいらしいドレスとは、全然ちがうわ」
「今、フェイスも言ったでしょ。あなたはもう、子供じゃないんだから」
 ホリーは、ティフをメーキャップテーブルの前に座らせながらほほ笑みかけた。
「さあ、あなたがここを卒業する時、どんな女の子になってるか、見せてあげるわね」
 ホリーはそう言うと、ティフの顔に、シャドーやチークやマスカラやアイライナーを次々に入れていき、最後に口紅で仕上げた。その顔からは、子供っぽいイメージがすっかり消え、これから夜遊びに出かける女子大生という感じの表情が現れた。
「ワオ!」
 姿見の前でその姿を確かめたティフは、大きな声で叫んだ。
「こんなあたし、ママに見せてあげたいわ」
「見せられるわよ」
 ホリーはそう言うと、例の愛用のデジカメを持ち出し、ティフにあれこれポーズをとらせ、シャッターを押しはじめた。
「娘のそんな写真見せられたら、どこの親もぶっ飛ぶわ」
 カメラの前であられもないポーズをとるティフを見ながら、僕は笑った。
 その後も、僕らは、ティフに何着かの大人っぽい服を着せ、ヘアスタイルやメイクもさまざまに変えて、何十枚もの写真を撮った。
「どれもみんな、すごくすてきよ。でもあたし、ママが買ってくれたお洋服の写真もちゃんと撮っておきたいわ」
 5着目の服が終わったところで、ティフが言った。
「だって、あたし、ママやパパに、いかがわしい女になったなんて思われたくないもん。そりゃ、もうちっちゃな女の子みたいなのはいやだけど、でも、背伸びしすぎるのもやっぱりよくないと思う」
 こんなに賢くて家族思いの女の子で遊んでしまうなんて、本当にいけない姉たちだ。
 ティフと僕はいったん部屋に帰り、かわいい衣装を何着かとってくると、メイクや髪ももとに戻して、そのあとの撮影をつづけた。とはいえ、最小限のメイクと年相応のヘアスタイルだけでも、彼女が将来、誰もが息をのんでふり返るような美人になることは、容易に想像できた。
 さっき彼女が言っていたとおり、彼女はもともと女の子なのだろう。そこにはもう、男の子を感じさせるものはなにもなかった。

 もちろん、ミセス・ウイリアムズも、そしてティフの両親も、変わったティファニーの姿を大きな驚きと喜びで見つめた。そしてその場で、彼女がすでに女性になる決意を固めたことを聞かされた。
 その瞬間、ティフの両親がミセス・ウイリアムズの方に視線を送り、軽くうなずいたのを見て、僕は彼らの真意に気づいた。両親は、そもそも彼女をここに送った時点から、そのつもりだったにちがいない。たぶんずっと、彼女が、男の子としてでなく女の子として成長する方が幸せなことを知っていたのだろう。
 両親が訪ねてきたその週末をもって、ティフの基礎訓練期間は終わった。
 ティフは、2日間とも、大好きなママといっしょに、久しぶりの母娘としてのショッピングを楽しんだ。ティフの父親は、娘を美人にしてくれたお礼だと言って、ホリーと僕もディナーに招待してくれた。
 父親の腕に手を絡めてレストランに入っていくティフは、僕が知り合ってからのこの1ヵ月で、最も幸せそうな顔をしていた。
 そんな輝くような美少女の姿に、レストランじゅうの若い男の目が注がれていた。
 ディフのパパは、今のうちから、がんじょうな棍棒でも用意しておいた方がいいだろう。彼女がもう少し成長したら、親の目を盗んでデートに誘い出そうとする男が押し寄せるにちがいない。

 すでにティフは、デートで僕を迎えにきたロブと何度か顔を合わせている。そんなこともあり、ロブの試合の応援に、僕はティフを誘った。
 外出できるようになった彼女が、女の子としての社会経験を積むのにちょうどいい機会だと思ったし、ティフの変化をロブに見せて、僕の「成果」を自慢したい気もあったのだ。
 と、それを聞きつけたジルが、自分も退屈だから――要するに、今つき合っているボーイフレンドたちに飽きたという意味かも知れないが――いっしょに行きたいと言い出した。でも彼女は、自分のこともよくわかっていて、はしゃぎやすい自分が行くことで、試合のじゃまになるのではないかと心配もしていた。
 「あたしのカレ」は、やっぱり馬鹿じゃない。電話で相談したその答えは明確だった。
 スタンドにジルがいれば、チームメイトは喜ぶにちがいない。たしかに気が散るかも知れないけれど、そんな選手たちを試合に集中させるのは監督の仕事だ。観客が気にすることはないというのだ。
 僕は、自分が彼のチームの監督でなくてよかったと思った。ジルにじゃまされずに試合を成立させるため、彼は忙しい一日になるだろう。

 試合の日、僕らの部屋に現れたジルを見て、僕は目を疑った。にやにや笑いを浮かべたその顔は、ティフの顔に浮かぶ笑いと一致していた。
 偶然にも(?)ふたりは、まったく同じ衣装を着ていた。お腹の出た白のちびTシャツ、極端に短いピンクのホットパンツ、ひもがピンクのスニーカー。同じようにポニーテールにし、ピンクのスカーフで結んでいる。ただしジルは、いつもの男を釣るための濃いめのメイクを控え、ティフに合わせた薄化粧だ。
 そんなふたりを見て、僕は思わず笑ってしまった。
「ホリーの言うとおりね。ジルとジル・ジュニア」
 僕は急いでホリーの部屋に電話した。
「すぐに来て。面白いものが見られるわよ」
 ホリーは、ふたりを見るなりあきれたように言った。
「こんな女の子たちがスタンドにいたんじゃあ、今日の試合は凡打やエラーの山ね」
「このガフっていうの、きつくて、がまんできないわ」
 ティフは、女の子らしい股間を見下ろしながら、うなるように言った。
「‥‥でも、やっぱりがまんしよ」
 けっきょくは、姿見に映った自分の姿をうっとりと見つめながら、納得したようだ。

 僕らが球場内に入ったとたん、そこにいたすべての男たちが、観客席に向かう2人のホットなベイビーを目で追った。ティフもジルも、じゅうぶんにそれらの視線を意識しているようで、ふだんよりずっと、ヒップをスイングしながら歩いている。かつて、マッチョなワルをめざしていたはずのティフは、今や、ひとひらの可憐な花びらのように見えた。
 2対0のビハインドでむかえた三回裏の攻撃。ロブのチームは、ここまでヒットに恵まれなかった。と、ジルが、打席に向かうかっこいいバッターの名をきいてきた。
「マイクよ」
 僕は答え、さらにこうつけ加えた。
「打率は2割8分、今日はあたってないけどね」
「じゃあ、応援しなきゃね」
 ジルは、弾んだ声でそう言うと、ティフになにか耳打ちした。くすっと笑った2人は、席を立つと、観客席のフェンスのところまで駆けていった。
「マイクーっ。ホームランよーっ」
 ジルは、黄色い叫びを上げた。
「あたしたちのために、かっ飛ばしてー」
 観客席から声援を送るかわいい女の子2人に気づき、うれしそうに笑い返しながら、マイクは打席に立った。そして、ライトフェンスの方向をバッドの先で指し示した。
 そんなクラシックな挑戦をあざ笑うかのように首を振ったピッチャーは、振りかぶると、内角低めにかまえたキャッチャーのミッドに向かい、こん身の一球を投げ降ろした。
 しかし、そのボールがミットの中に入ることはなかった。振り切ったマイクのバットが快音を発すると、次の瞬間、ボールは、予告どおりライトフェンスを大きく越えていた。
 ジルとティフは、手に手をとって、マイクの名前を絶叫しながら、くるくると踊り出した。
 ダイヤモンドをまわってホームインすると、マイクはジルとティフの近くまで来て、オーバーにお辞儀してみせた。ダッグアウトに戻るその後ろ姿は、まるでスキップでもするようだった。
 その後もティフとジルは応援とダンスをつづけ、けっきょくチームは全員安打、ロブも3打点を上げた。2点差はあっという間に無になり、試合が終わったときのスコアは、8対2になっていた。
「みんな、君たちのかわいい応援のおかげだって言ってるよ」
 マイクは、ジルに自己紹介した後、そう言った。
「アイスクリームとピザ、どっちがいい?」

 ジルとティフは、いつしか、ロブのチームのメンバーたちから、スヌーピー・ツインズと呼ばれるようになった。例のダンスが、漫画「ピーナッツ」に出てくるスヌーピーの動きに似ているからだ。彼女たちは、そのシーズン、残りのすべての試合に応援に出かけ、ロブのチームはプレイオフに進出したのみならず、リーグ優勝を果たした。
 それは、スヌーピー・ツインズの活躍によるところも大きいのだ。
 わがチームの攻撃になると、僕が持って行っているポータブルCDプレイヤーから「ルーシー・アンド・ライナス」という曲が流れる。アニメの「チャーリー・ブラウン」で、スヌーピーのダンスのバックにかかるあれだ。ツインズは、それに合わせて踊るのだ。シーズン最後の頃になると、相手チームは、その曲が始まったとたん、うんざりした顔をした。そのダンスとともに、こちらのチームメンバーが俄然元気づくからだ。

 1年後、僕はグレートインディアン校での最後の年を迎えていた。他の生徒たちの勉強を見る役割を担ってきた僕がいなくなった後のことがずっと心配だったのだけれど、その頃にはもう、心おきなく卒業できる状況になっていた。後継者ができたからだ。
 ティフは、ミセス・ウイリアムズの指示に従いレベルの高い授業をこなし、どの学期も、僕と同じくらい優秀な成績をとっていた。彼女は8年生にして、高等部1年の授業を全Aで合格し、高等部2年に進級した。(※)
 (※訳注 「8年生」というのは、小学校に入学してからの通算 日本で言えば中2で高1を終えたことになる つまり、飛び級している)
 これは、グレート・インディアン・リバー設立以来の快挙だという。
 僕は、各学年の成績のいい子たちをあつめ、落ちこぼれている子やつまずいている子たちに勉強を教えるグループをつくっていった。ティフはいわば僕の助手として、それを手伝ってくれた。
 高等部の1年生が、ほとんどの授業で全員B以上の成績をとったのは、ティフと何人かの生徒が、教師役を買って出てくれたおかげだ。成績発表の時、ミセス・ウイリアムズはうれしそうにそう言った。
 もちろん、ティフが僕の後継者だというのは、勉強の面だけではない。彼女は、落ち込んでいる子たちの相談にのり、女の子としての暮らしにとまどう新入生たちの面倒を積極的にみている。
 これも、ミセス・ウイリアムズを感心させたことだが、もしティフがいなかったなら、何人かの新入生は確実にここから逃げ出し、刑務所送りになっていただろう。
 ここに来た新入生たちのほとんどは、毎日女物の服を着て女の子として振る舞うというやり方に反発し、混乱する。ティフは、そんな新入生たちに、ここに送られたのは、罰やはずかしめを受けるためではなく、人生を立て直すためなのだということを根気よく納得させた。僕がホリーから学んだように、彼女は僕から学び、新入生たちをここの暮らしにとけ込ませ、トンネルの向こうに光明があることを理解させるすべを身につけていた。

 僕自身は、そんな幸せな少女時代から旅立とうとしていた。
 僕はここで、人生を大きく変え、自分の弱さを克服して、よりよい人格をつくることができた。
 そんな希望にあふれた将来をもたらしてくれたグレート・インディアン校とミセス・ウイリアムズに、心から感謝していた。
 だからこそ、ここに送られ、自分を見失っている後輩たちを支援するためのネットワークを、卒業までにつくっておきたかったのだ。
 僕の卒業後、何年かはティフがそれを引き継いでくれるだろう。そして、ティフはまた、そのネットワークを育てていく後継者を見つけるはずだ。
 道に迷った問題児の男の子たちが、その人生をを立て直すために、このガールセンターが、より良い学校になっていくことを、僕は心から願っている。

 ロブと出会って以来、僕の将来の望みは、なにより妻になり、できれば母になりたいということだったから、今後の進路は、大学に行くにしても、地方の単科大学で教養課程だけを学ぶ(※)つもりだった。
 (※訳注 アメリカの大学制度は、単科大学‘college’で教養課程を修め、それから総合大学‘university’に進み、修士課程を修めるというのが一般的 collegeだけでやめる学生も少なくない)
 でも、思い返してみると、ホリーと結婚したいなどと言っていた頃、僕はそれとはちがうことを考えていた。グレート・インディアンに来た高1の頃は、総合大学に直結した有名単科大学(※)への進学を夢見ていたのだ。
 (※訳注 有力なuniversityは、傘下に数校のcollegeを持ち、そこからの進学が圧倒的に多い)
 じつはそれをあきらめたのは、我が家に、その授業料をまかなうだけの経済的余裕がないせいでもあった。たとえ奨学金を受けられたとしても、まだ年に何千ドルも足りないのだ。
 でも、僕はそれが残念だと思ってはいなかった。
 卒業後、多少は外で働くとしても、けっきょくは専業主婦になるのだ。夫を仕事に送り出し、子供が学校に行ったあと、家事をするその家の壁に、子供の写真と並んで修士号の証書がかかっていようがいまいが、大したちがいはないだろう。

 そんなふうに思っていた最終学年の、ある午後のことだった。
 校長室から呼び出しがあった。ミセス・ウイリアムズが、なにか大事な話があるというのだ。
 校長室に向かいながら、僕はいつかのことを思い出していた。
 あの日僕は、コンビニ強盗を働き、このグレート・インディアン校での5年の更正教育を言い渡された不良少年、ラリー・モリソンのビッグ・シスターになってくれと言われたのだ。ミセス・ウイリアムズは、僕ならできると言ってくれたが、そんな自信はまったくなく、僕は、尻込みしたものだ。
 それが今や、その少年は、自分の人生を大きく変えただけでなく、他の生徒を更正させるために中心となって動いている。僕自身が、その成果に大きな驚きを感じていた。
 とはいえ、僕がまたビッグ・シスターとして他の子の面倒をみるには、もう時間がなさ過ぎた。いったい、ミセス・ウイリアムズの話というのは、どんなことなのだろう?

 首をかしげながら校長室に入っていくと、そこにはなんと、当のティフと、その両親が待っていた。
 ティフはもちろん、もうずっと前からミセス・ウイリアムズといい関係になっていたが、今日はことに、その横にうれしそうな顔で並んで僕を迎え入れた。
「フェイス、私たちは君を、娘の大恩人だと思ってるんだ」
 僕が腰掛けると、ミスター・モリソンが笑顔で切り出した。
「もし君がいなかったら、私たちは、この子を失っていたかもしれない。もちろん、ここに入れたことで淡い希望は抱いていた。でもまさか、こんな優等生の娘として、私たちのもとに戻ってくるとは思ってもみなかったよ。その上、一時は手がつけられないほどぐれていたこの子が、今では、他の子たちの手本になっているというじゃないか」
「あたしは、お姉さんの真似をしただけよ」
 ティフが、照れくさそうに言った。
「フェイスこそ、あたしのお手本だもの」
「フェイス、あなたは、いわば悪魔に取り憑かれたひとりの少年に戦い方を示して、悪魔を祓う力を授けたってことね」
 ミセス・ウイリアムズがそんなふうにつけ加えた。
「私の見込みは、まちがっていませんでしたよ」
「今、うちの人が言った、この子を失うっていうのは、けっして大げさな言い方ではないのよ」
 さらに、ミセス・モリソンがつづけた。
「この子が、悪い連中とつき合いだしたのを知ったとき、私たちはなにより、この子の命が心配だったの。もともとは親の私たちが悪かったにしても、この子は、ただ家から逃げたい一心で、わけもわからずそんな世界に飛び込んでしまった。あの夜、家にやってきた警官が、武装ギャング団の一味にうちの子が加わっていたと言ったとき、どれほど恐ろしかったか。しかも、現場で銃撃があったというし。その警官が、死体の身元確認をしてくれと言い出すんじゃないかって、身の縮む思いだったのよ」
「だから、裁判所でグレート・インディアン校の話が出たときは、わらにもすがる思いだったんだ。私たちの望みは、やさしかったこの子が戻ってくることだけだった。すさんで、荒れ狂った状態から目を覚ましてさえくれれば、それが男の子であろうが女の子であろうが、そんなことは問題じゃない。ただ、ミセス・ウイリアムズから、君がビッグ・シスターとして面倒をみると聞かされたときは、正直言って、ちょっと不安だったんだ。この子とそんなに年の違わない君に、いったいなにができるのかってね。でも、ミセス・ウイリアムズは、もしティファニーをよみがえらせられる人間がいるとするなら、それはフェイスしかないと、確信を持っておっしゃった」
 ミスター・モリソンはそう言ってひとつうなずき、僕に笑いかけた。
「実際、君は、私たちにも、それに、ティファニーが面接したカウンセラーの誰ひとりにもできなかったことを、成し遂げてくれた。まさに、ティファニーの悪魔祓いをしてくれたんだ」
「そんな‥‥。あたしは、たまたま、それに立ち合ったってだけです。ミスター・モリソン」
 たいしたことをしたつもりはないのに、みんな、僕のことを買いかぶっている気がして、僕は言った。
「ティファニー自身がもうわかっていたんです。なにも恐れる必要なんてないってことを。必要だったのは、そばにいて、それにうなずいてくれる人だけだった。彼女が恐れていたのは、灯りがつけば消えてなくなるような自分の影にすぎなかった。その灯りのスイッチを入れたのも、あたしではなく彼女です。ティファニーは、なにが正しいことか、自分がどうすればいいかをよく知っている、賢くてやさしい子ですから」
「そんなふうに謙遜するところが、ますます君らしいね、フェイス」
 ミスター・モリソンは、さらにそう言った。
「でも、目の前の現実がすべてを物語っている。もし君がいなかったら、この子はたぶん、刑務所送りになっていたと思うよ。そうなれば、こんないい娘が、私たちの目の前にいることはけっしてなかったはずだ。君に対する私たちの感謝の気持ちは、ただ、お礼を言うだけでは、とても表せるものではない。だから‥‥」
 と、ミスター・モリソンの目配せで、ティフが、一通の封筒を差し出した。
「開けてみて」
 ティフの両親はわざわざお礼の手紙を書いてくれたのかと思いながら、取り出した書面に目を通し、そこで僕は呆然とした。
 それは契約書のような書類で、僕が大学へ行くための経費すべてを奨学金として提供するとあった。
 読みながら、涙があふれてくるのを感じた。
「そんな‥‥。いけません。こんな多額なお金、受け取れません」
「心配しなくていいのよ」
 ティフのママが笑いかけながら言った。
「あなたを援助するくらいの余裕はあるんだから。それにね、もう少し使える余裕もあるの。続きを読んでみて」
 詳しく読むと、その書面には、新たな奨学基金制度の創設がうたわれていた。この学校で、仲間たちの面倒をよく見て、多大な影響を与えたことが認められる生徒に贈られるというその奨学金は、本人が選んだ分野の修士課程が修了するまで、授業料や書籍代すべてを援助するというものだ。そして、その「リープ・オブ・フェイス」奨学金制度(※)の最初の受給者が僕だということだった。
 (※訳注 ‘“Leap of Faith”scholarship’ この小説の副題にもなっている‘a leap of faith’は「安全性を確かめないでとる行動」という意味の成句 そこから「自己犠牲精神に贈られる奨学金」という意味になると思われる また‘leap’には「跳躍」とか「急激な変化(好転)」という意味もあり、「フェイスの躍進」奨学金、あるいは「フェイスの変身」奨学金という意味にもとれる)
「その名前つけたの、もちろん、あたしよ」
 まだ呆然としている僕を抱きしめながら、ティフが誇らしげに言った。
「今、パパとママが言ったことはまちがってないわ。もしあなたがいなかったら、あたしは今ごろ、この世にいなかったと思うもの。あなたがあたしにしてくれたことは、これからもぜったいに忘れないわ。自信がなくてふらふらしてたあたしに、本当の自分を直視する意味を教えてくれたのは、あなたよ。あなたにとってはなんの見返りもないのに、ふてくされて文句ばっかり言っているどうしようもないガキに真正面から向き合ってくれて、立ち直らせてくれたんだもん。この感謝の気持ちをどうやって伝えようかと思ってたところで、あなたが、第一志望をあきらめたんだって話を聞いたの。あたしはもう、前みたいに甘やかされて育っただけの女の子じゃないわ。でも、これに関しては、親に甘えてもいいかなと思ったの。うちには出せるお金があるし、あなたには一流大学に行くだけの能力がある。その両方を活かすんだもん、これ以上いいことはないでしょ。それに、この奨学金があれば、あなたとあたしがつくってきた困ってる子たちを助けてあげる伝統を、この学校に根づかせることだってできると思うの」
 僕は涙をこらえようとしたのだが、とても無理だった。感情のままに泣きながら、僕はティフを抱きしめた。
「感謝しなきゃいけないのは、あたしの方よ」
 僕は泣き叫ぶように言っていた。
「あなたは、お金以上のものを、あたしにくれたわ!」
「ねえ、それはそうと、ミセス・ウイリアムズからも、あなたになにか提案があるんですって」
 ティフは、僕の体から手を離しながら、なんだか含みのある顔で言った。
 その言葉に振り向くと、ミセス・ウイリアムズもまた、含み笑いを浮かべていた。
「あなたたちほど賢い女の子は、これまで、ここの生徒にはいなかったわ」
 ミセス・ウイリアムズは、まずそう切り出した。
「フェイスが卒業して、いずれティファニーも卒業していなくなるのは、この学校にとって、大きな損失だって思ってるのよ。さっき、そのことをティファニーと話したの。彼女は、大学卒業後、この学校にカウンセラーとして戻ってくれると約束してくれたわ。そこで、あなたにもお願いがあるんだけど‥‥」
「座って聞きましょ、フェイス」
 ティフが言った。
「あなたもきっと、驚くわ」
 僕がふたたび腰掛けると、ミセス・ウイリアムズは、ひとつ咳払いしたあと、あらたまった口調でつづけた。
「じつはもう、理事会にも提案して、合意を得ているのですが、将来的に、私の仕事を補佐してくれる役職を設けることにしました。毎日起こるさまざまな問題を処理し、生徒たちに最適な手をさしのべるには、私だけではもう手いっぱいです。ところが、教育と更正を両立させるというこの学校に対する社会の要請は、ますます高まってきています。その期待に応えるためにも、生徒たちの毎日の生活に目配せした施策を、今まで以上に充実させていかなければなりません。生活指導と学科教育の両面に渡ってそれを成し遂げるには、どうしても有能な人材が必要です。今も言ったように、ティファニーは、大学卒業後、ここでカンセラーの職に就くことをめざしてくれるそうです。でも、まだ足りません。私を補佐し、学校全体を見てくれる副管理者、ことに、あなた方ふたりがこの間つくりあげてきた生徒たちの自助の精神を育て、発展させることができる副管理者を置きたいと考えています。まだ今の段階では、明確な答えは出せないかもしれないけれど、フェイス、私は、ぜひあなたにその仕事をやってもらいたいと思っているんです」
「どう、フェイス? あたしとあなた、姉妹そろって、世の中のために働けるのよ」
 ティフが、目を輝かせながら言った。

 その瞬間に、僕の将来は決まった。
 僕は、世界的にも高名な大学に入り、教養課程を修めるだけでなく、修士課程として私立学校の経営管理学を学ぶことになるだろう。
 卒業後は、高収入が保障された、まさに僕向きの仕事に就くのだ。しかも、なによりすてきなのは、これまで出会ったうちで最も賢く、最も気心の知れた友人と働けるのだ。お互いに願望や夢を共有できる仲間と仕事ができるなんて、こんなすばらしいことはないだろう。

 ただ、大学に入る前に、僕にはどうしてもしておかなければならないことがあった。
 グレート・インディアン校の卒業式が近づいたある日、僕は、ロブに頼んで、以前通っていた学校まで車で連れて行ってもらった。
 学校に着くと、まっすぐ職員室に向かい、校長との面会を申し込んだ。
「以前、あたしがおかけしたご迷惑の数々をお詫びしたくて、まいりました」
 校長室に通された僕は、まず、そう話した。
「あの頃のあたしは、本当に、なにもわかっていなかったんです」
「いや、私も今、よくわかっていないのですが‥‥」
 校長は、取り次いでくれた人が書いたらしい机の上のメモを見ながら礼儀正しい微笑を向けてきた。
「ここの在校生だったということですが、どうしても思い出せないんですよ、ミス・ジョーダン」
「どうか、フェイスと呼んでください、トーングル先生」
 僕は、校長の驚きを少しでも和らげようと、そう言ってから一拍おいた。
 そして、ニッコリと笑ってつづけた。
「でも、先生がご存じのあたしは、フランク・ジョーダンといいました。あの、理科室放火事件の」
 僕はこれまで、誰かがこれほど速く瞬きを繰り返すのを見たことがない。ミスター・トーングルが、僕の正体に気がついたことが、それでわかった。ただ、彼の名誉のために言っておけば、彼は、表面上、プロの教育者としての冷静さを保っていた。
「見るところ、君の人生には、少なからぬ変化があったようだね」
 彼は、やっと笑顔になるとそう言った。
「ふむ、どうやら、この学校にいた時より、幸せになったことはまちがいないようだ」
「ええ、ここにいた時は、本当にどうしようもない人間だったと思います。ご存じのように、あたしはグレート・インディアン・リバー・ラーニング・センターに送られました。あたしにとっては、それがよかったんだと思います。よろしかったら、これをご覧になってください」
 僕はそう言って、バッグの中から、成績表と大学の合格通知を取り出した。
「おめでとう。この成績もすばらしいが、君はきっと、これ以上にすばらしいものを前から持っていたんだろう。君がここにいるうちに、それに気づいてあけられればよかったと思うよ」
 僕らはそれから、1時間近く談笑した。成績のこと、ガールセンターで僕らが組織した個人教師プログラムのこと、僕が受けることになった奨学金制度のこと‥‥。
「大学を出たあと、いい仕事に就けるといいね。就職活動は大変だろうが、初志を貫き通してほしい。君なら、かならずできるはずだ」
 そんな言葉に、僕は言わずにいられなかった。
「じつは、もう決まってるんです。修士過程を終えたら、グレート・インディアン校の副管理者として迎えてもらえるって」
「君の果たした変身を一目見ただけで、その仕事にぴったりなのがよくわかるよ、フェイス」
 立ち上がったミスター・トーングルは、そう言って握手を求めてきた。
「君自身が生徒たちのすばらしい見本となるわけだ。たいていの学校では、管理者は引退した教師がなっている。すでに情熱も枯れて、抜け殻になったようなね。でも、本来は、君のような生徒たちに近い存在が必要だ。生徒たちの気持ちがよくわかっている君なら、必ずいい学校がつくれるはずだ。もし、私に協力できることがあれば、いつでも電話してくれたまえ」
 ミスター・トーングルは、僕を学校の玄関まで送ってくれた。
 そこで待っていたロブを、僕は彼に紹介した。
 ロブは、かつて僕を追放したはずの校長と僕がまるで古くからの友人のように話しているのに、ちょっと不思議そうな顔をした。
 ミスター・トーングルは、それに笑って応え、こんなにすてきな恋人を持ったのだから、大切にするようにと言った。
 たしかに、校長先生と仲よく話すなんて、かつての僕なら考えられないことだ。でも、これが初めてのことじゃない。僕はすでに、グレート・インディアンでも同じ経験をしていた。自分ながら、人間というのは変われば変わるものだと思う。

 大学へ入った僕は、教養課程および教育経営学の修士課程を、きっちり4年で修了した。大学生活を楽しんでのんびり過ごしていれば、たぶん5年かかったのだろうが、そうはいかない事情があった。年下の競争相手に追い上げられていたのだ。
 そう、ご想像通り、わが愛しの妹、ティフだ。僕の翌年、グレート・インディアン校を卒業したティフは、僕を追うように同じ大学に入ってきた。そして、一年前の姉同様、学年一の成績で優等表彰を受けて教養課程を終え、心理学の修士課程へと進級した。
 ただし、総合点では、僕の方が1ポイントだけ勝っていた。この点だけは、一生、ティフに忘れさせないつもりだ。もちろん、だからといって、2年で高校を終え、4年で大学を終えた女の子の実績に傷がつくものではない。

 もし、叶わないと思っていた願いがすべて叶ってしまったら、あなたならどうする? 
 あとはもう、世界一ハンサムで、世界一やさしくて、世界一セクシーな男と結婚するしかないだろう。
 じつは、大学に入学する前の夏休み、僕はすでに最終的な手術を受けていた。術後は死ぬほど痛い思いもしたけれど、この痛みが、やがてはすてきな夫との愛の交歓に取って代わるのだと思えば、平気で耐えられた。

 僕らが結婚したのは、ロブが大学の修士課程を終え、原子力発電所設計の仕事に就いて間もなくだった‥‥と、こう書くと、僕が大学を出てすぐ結婚したように聞こえるかもしれないが、じつはそうじゃない。僕もできるかぎりの援助はしたのだけれど、ロブは修士をとるのに5年半かかってしまったのだ。
 いや、彼が頭が悪かったわけじゃない。彼が選んだ、原子物理学という学問が難しすぎるのだ。
 結婚式は待たされたというものの、それは、将来にわたって僕を大事にするためにも、確固としたものを持ちたいという、ロブの気持ちの表れだった。

 もちろん、花嫁の付き添いはホリーに頼んだ。そして、ジルとティフも、ブライドメイドとしてついてくれた。
 ロブのメインの付き添いは、彼の高校の友だちであり、ホリーのフィアンセでもあるジャック。他に、ロブの高校時代の野球部の同僚、マイクと、その弟のマーティーも付き添いになった。じつは、このふたりも、いずれはジルとティフの夫になりそうだ。マイクは、例のスヌーピー・ツインズのデビュー戦の時からずっとジルとつき合っているし、その1年後に、弟とティフを引き合わせたというわけだ。

 この日のために、ママは雪のように白いランジェリー買ってくれた。そのランジェリーが肌をすべる感触は、本当に心地よい。レースのパンティは、柔らかな毛に包まれた僕のかわいい割れ目をぴったりと覆い、長年がまんしてきた新郎へのそのごほうびを、まるで額縁にでもはめるように、ガーターベルトが囲んでいた。
 手に持ってもかすかな重みも感じないほど薄いそのストッキングは、はいてみると、官能的に脚の肌に張りついた。
 時間の浪費だと思えるほど着付けに手間がかかるからこそ、これらの衣装は、こんなに美しいのだろう。そして、けっきょくはあとで、ロブに脱がされるのだと思うからこそ、こんなにワクワクするのだろう。
 形のよいふたつの胸がサテン地のブラカップの中に固定されるのを見つめながら、僕は、女性ホルモンを摂りはじめた頃さんざん苦しめられた吐き気や情緒不安定さえ、懐かしい思い出としてふり返っていた。僕の胸は今、やわらかく弾力があり、ことが終わったあと、身をあずけてきたロブの頬をやさしく包むだろう。
 豊胸手術をすることもできたのだが、僕は、ホルモンだけでゆっくと自分の胸を育ててきた。その結果、今、36インチCカップの胸を持っている。もしかしたら、豊胸ならもっと大きくできたかもしれないけれど、僕は、新妻として、大事な人に「ホームメイド」のものを食べてほしいのだ。‥‥わかるでしょ?
 ホリーとティフは、ペチコートをはくのを手伝ってくれ、きれいに形を整えてくれた。僕の選んだウェディングドレスは、裾が長くスカートのボリュームのあるものだったから、細いウエストから大きくふくらんだペチコートが必要だった。
「ちっちゃい頃のこと、思い出しちゃうわ」
 ほほ笑みながらティフが言った。
「パーティドレスを着てくるくるまわると、広がったスカートの下から、ペチコートがのぞくのよ。もう、あんなことできないと思うと、ちょっとさみしいな。あたしの結婚式も、こんなウエディングドレスにしよ。そしたらまた、こんなペチコートが履けるもんね」
 白いサテンにレースがいっぱいのそのウエディングドレスを着ると、ジルがジッパーを上げ、ボタンをとめてくれた。
 僕は、鏡の中の魅惑的な女性から目が離せなくなっていた。
 完璧なヘアスタイル、透き通るように白い肌、キスを待ちわびる唇、そして、愛する人にかき抱かれ、愛撫される準備がすべて整った体。
 その愛らしい姿に、僕自身、かつて自分が男だったとは思えなかった。

 僕にとって、かつて自分がすさんだ問題児の男の子だったことなんて、なんの意味もない。大事なのは、僕が変わったということだ。
 いや、肉体の変化のことだけじゃない。もっと僕のコアの部分にあるものが変わったのだ。
 ガールセンターは、僕自身さえ気づかなかった資質に気づかせてくれ、それを育ててくれた。人のことを思いやれるいい人間になりたいという願望や、逆に、他の人からやさしくしてもらいたいなどという気持ちが自分の中にあるなんて、かつての僕は思ってもいなかった。
 ロブは、すぐに僕のそんな資質を見破った。ホリーも、僕の中にそれを見つけた。もちろん、ミセス・ウイリアムズが見ていたのも、僕のそんな部分なのだろう。たぶん、気がついていなかったのは僕だけなのだ。
 いや、本当のことをいえば、僕だって、自分にそんなところがあるのはわかっていた。ただ、強い男になりたいと思い、そのためには、自分のそんな部分がじゃまになると感じていた。そして、そんなものはないのだと思いこもうとしていた。
 僕の本質を見つめてくれて、僕の中から、それを引き出してくれた人たちに感謝したい。そして、僕のまわりにそんな人たちをもたらしてくれた神様にも、最大限の感謝を捧げたい。
 もし、あんなすてきな人たちがいなかったらと思うと、恐ろしくなる。たぶん今ごろ僕は、せいぜい自転車便で小遣いを稼ぐとか、悪くすれば、もっといかがわしいことをしていたにちがいない。
 でも、すてきな人たちに出会えたおかげで、僕は今、学校の副管理者として、かつての僕と同じような問題児を更正させ、まともな人間として――男としてであれ、女としてであれ――社会復帰させる仕事をしていられるのだ。
 へたをすれば僕は、完全な敗北者になっていた可能性だってある。いつまでも親のやっかいになり、まともな大学に入れるような成績もとれず、ちゃんとした人間関係さえ築けずに次々に悪い仲間の間を渡り歩く‥‥そんな人生だってあり得たのだ。
 でも、今の僕は、一流大学の卒業生だ。卒業の際には、主席として、大学が与えるうちでも最高の表彰を受けている。しかも今、僕は、美貌と実力を兼ね備えたレディ。そして、女なら誰もがあこがれるような最高の男性に身を捧げる、幸せな花嫁だ。
 これ以上を望んだら、ばちがあたるというものだろう。

 聖歌の演奏が始まるとともに、僕はパパの腕に手をかけた。
「こんなきれいな花嫁をもらえるなんて、やつは、なんて幸せな花婿なんだ」
 祭壇に向かって歩き出すと同時に、パパはそうささやいた。
「ママやパパと離れるのは、さみしいわ」
 僕も、そうささやき返した。
「いろんなこと、全部、ありがとう」
「べつに、そんなに遠くに嫁に行くわけじゃないだろ。きっと、年寄りの男がひとり、しょっちゅう、新婚家庭をじゃましに行くと思うよ」
 パパは、なにかをこらえるように冗談めかした。
 僕は、パパの腕をぎゅっと握り、言った。
「ママとパパの娘に生まれてよかったって、ママにも伝えといて」
 いよいよ、その時が来た。
 僕らは、バージンロードの終点までたどり着いていた。目の前には祭壇、そして、横にはロブがいる。
 パパは、僕のベールをちょっと持ち上げて頬にキスし、「幸せに」とつぶやくと、僕の手をロブの腕へと移した。
 それは、あっという間に終わってしまった。というより、たぶん、僕が呆然としていたのだろう。
 牧師の言葉が始まったところまでは覚えている。
「フェイス・ジャアンナ・ジョーダン。あなたは‥‥」
 そのあと、なにを言われているのかよくわからないまま、僕の頭の中で、ずっと夢見つづけていた言葉がはじけた。
 びくりとした僕は、なんだか背伸びでもするような格好で愛しい人の方を向き、その言葉を大声で言っていた。
「誓います!」
 ロブの番になり、彼もまた、牧師の言葉が終わるか終わらないうちに、僕に笑いかけながら言った。
「誓います」
 ロブが、僕の指にリングをすべらせ、ベールを持ち上げ‥‥そして、待ちこがれる僕の唇に、自分の唇を重ねてきた。
 それは、本当に不思議なことだった。
 その時、僕の耳に聞こえてきたウエディングベルや口笛の音を、僕はもう何年も前に聞いていた。あれは、グローブトゥロッターズの試合を見たあと、ロブが始めてキスしてきた時だ。今のは、まちがいなくあの時の音だった。

 ロブと僕が教会の通路を戻り、外に出て、そこに停められたリムジンのところまで歩く間、僕らのまわりではずっと、嵐のような拍手と歓声がつづいていた。その黄色い歓声のほとんどは、グレート・インディアンの友人たちによるものだったが、僕らの家族も、けっしてその輪からはずれてはいなかった。僕のママは、手を痛めるのではないかと心配になるほど拍手していたし、ロブのママは、自分の流す涙におぼれそうだった。

 場所を変えて行われた結婚披露パーティは、計画どおりすばらしいものになった。
 グレート・インディアンの友人たちは全員参加していたし、ロブの野球チームのメンバーたちもみんな来ていた。バスケットボールファンの参加者を喜ばせたのは、ちょうどこの地方で試合があったハーレム・グローブトゥロッターズのメンバーが、お祝いに駆けつけたことだ。もちろん彼らは、新郎新婦席の前に列をつくり、花嫁のキスを受けようとした。自分の番が終わったあと、もう一度列に並び直したメンバーも含め、僕は喜んで、全員にキスした。
 すべてが、ほぼ慣わしどおりに進んだ。会を始める前に参加者全員で記念写真を撮り、新郎新婦のダンスと付き添いも含めたダンスを披露したあとパーティに移り、ロブには、おきまりの「ケーキ・イン・ザ・フェース」(※)もあった。
 (※訳注 ‘Cake in the Face’ 誕生パーティや結婚パーティで、会の主役がだまされて、ケーキに顔を突っ込まれるイベント)
 もちろんそれも、予定されていたことだ。すべてがプランどおりに進んでいた。ただ、進行が、予定よりちょっと遅れていた。新婚旅行のハワイ便の搭乗時刻が迫っているのだ。
 そろそろ、お開きの時間だった。
「皆さん、今日はどうもありがとう」
 バンドが並ぶステージに立って、ロブが呼びかけた。
「愛する妻と僕は、来てくださった皆さんに、心から感謝しています。おかげで、今日は、僕らにとって忘れられない一日になりました。フェイスと僕は、皆さんにとっても、今日が忘れられない日となってくれたらうれしいと思っています。そこで‥‥」
 そこまで言って、ロブは、マイクを僕に渡した。
「ミス・ジル・カフリーとミス・ティファニー・モリソン、ちょっと、ダンス・フロアの真ん中まで出てくれる?」
 僕の呼びかけに、不可解そうな顔のジルとティフが、それぞれのパートナーを残して、フロアに出てきた。それに合わせて、参加者たちが場所を空け、ふたりを取り囲んだ。
「レディス・アンド・ジェントルメン、あたしのかけがえない友人であるふたりのすてきな女性をご紹介します。ここにいる多くの方はすでにご存じでしょうが、彼女たちこそ、愛のかたまり。そのあふれるほどの愛をごらんいただけることを、私は心からうれしく思います。さあ、ご紹介しましょう。スヌーピー・ツインズ!」
 その言葉の途中で、ロブはバンドの方を向いた。
「例のやつ、頼むよ」
 合図とともにバンドが演奏し始めたのは、「ライナス・アンド・ルーシー」だ。
 あっけにとられていたジルとティフは、僕の方を向いてニッコリ笑うと、例のダンスを始めた。
 数分うちには、そこに、僕が加わり、ロブが加わり、ホリーが加わって、やがて、ダンスフロアー全体が、熱狂的に踊り出した。
 そんな盛り上がりの中、僕らは、このパーティが参加者全員にとって忘れられないものになったことを確信して、空港へと向かった。

 ホテルの部屋で、ロブは、ウエディングドレスのジッパーをやさしく下ろし、僕がドレスとペチコートを脱ぐのを手伝った。
「こんな時が来るのを、ずっと待ってたんだ」
 僕がウエディングドレスをハンガーに掛けながら、ちょっとお尻を振ってみせたのを見て、ロブは口笛を吹きながら言った。
「これからずっと、君を見ていられるんだね」

 近寄ったロブは、僕を振り向かせ、抱きしめてキスしてくれた。
「あたしだって、待ち遠しかったわ」
 僕は、そう言いながら、ロブのズボンのベルトをはずし、ジッパーを下ろした。
「だからもう、1秒だって待つのはいや。キスしたままベッドにつれてって」
 それに対してロブもなにか言ったが、すでにお互いの唇を強く押し付け合い、舌をからめている状態では、よくわからなかった。でも、下に落ちたズボンから足を抜いたロブが、僕の背中にまわした手でブラのホックをはずそうとしていることで、その思いはじゅうぶんに伝わってきた。
 彼がそれに苦労しているようだったので、僕の方がそれとなくベッドまで誘導し、ブラのホックがはずれたところで、ロブの体をそっと押してベッドに仰向けに倒した。そして僕は、その体の上に身を投げ出した。
 それから20秒のうちに、僕らは残った衣類をはぎ取りながら、お互いの体をまさぐり合った。
 全身の肌をえもいわれぬ感覚が走ったあと、僕の脳裏に、例のベルと口笛の音がよみがえり、つづけて、何発もの花火がうち上がった。
 ロブはうめくような声を上げ、僕は、怒張して硬くなった彼のものが股の間で動くのを感じた。そして、その鼓動が、僕の中に入ってきた。
 ベルや口笛の音はさらに高鳴り、打ち上げ花火がつづけざまに開いた。
 言うまでもなくそれは、僕がこれまで生きてきたうちで、最高の出来事だった。
 ロブは、僕の体を操る達人だった。ロブによって僕は、何度も何度も、これまで経験したことのない高みまで連れて行かれた。
 僕の夫が、僕を喜ばせる言葉の使い手であることは、もちろん前から知っていた。でも、その舌に、他にもこんなにたくさんの使い道があり、こんなにすてきな思いにさせてくれるワザがあったなんて知らなかった。僕は、その悦びに、ただただ酔いしれた。

 もちろん僕だって、これまで、そんな性の技法に無関心だったわけじゃない。
 その手の小説はけっこう読んでいるし、カナダの放送局制作の、ずばりその名のとおり「サンデー・ナイト・セックス・トーク」という番組が好きでよく見ている。司会の、ちょっと頭の空っぽそうなお姉さんも大好きだ。
 でも、社会に出るまでずっと女子寮生活を送っていた僕には、あの番組で話される内容がすべて理解できていたわけではない。まあ、要するに、ひとりでするのでは、実感にも限界があるということだ。
 ただ、基本的に勉強家の優等生である僕は、結婚したあとのことも考え、あの番組の出演者たちが指し示した要点について、ちゃんと整理してある。

 やっぱり、あのメモが役立った。
 ロブは今、強烈に天井を指し示していた。
 次の朝、あの番組で勉強した方法でロブを起こそうと考えた僕は、毛布の下に潜り込み、ロブのものを口に含んだ。
 すると、とたんにそれは、岩のように硬くそびえ立ったのだ。
 少しして、体をびくりと震わせながら目を覚ましたロブは、あわてて僕の体を起こそうとした。でも僕は、それを拒否し、大好きな人のものをくわえつづけた。
 たとえその人本人にだって、せっかくの実験をじゃまされたくはない。
 数秒後、僕の口の中に、温かくて濃い液体が、強烈なリズムとともに吹き出してきた。それがすべて終わるのを待って、ロブのものを唇できれいにぬぐい取ってから、僕は口の中のものををごくんと呑み込んだ。
「ふふふ、実験成功!」
 毛布から顔を出し、僕はニッコリ笑って言った。
「やっぱり、パイナップル味だったわ。次は、チェリーを試しましょうね」
 ロブは、あきれたように首を振り言った。
「そうか、それでゆうべ、僕にあんなにパイナップルを食べさせたんだな」
「ねえ、朝食を頼まない? なにかシリアルと、それに、あなたはバナナ?」
 僕は、話を変えて言った。
「それがいやなら、アップル風味のベーグルっていうのも、メニューにあったわよ」
 ロブはけっきょく、ルームサービスに、バナナとアップル・ジャック・シリアル(※)を頼み、さらに、チェリーをひと皿注文した。
 (※訳注 ‘Apple Jack’はアメリカでよく食べられるリング状のシリアルのブランド べつにリンゴ味というわけではない)
「ふふ、バナナとアップルだけじゃたりなくて、けっきょくチェリーもほしいのね」(※)
 僕は、ベッドに戻ってきたロブに言った。
「えっ? なんだ、さっきチェリーって言ったのは、そのチェリーじゃないのか? もしかして、ここにある、これのこと?」
 そう、僕は悪い子だ。僕が言ったのはもちろん、今、ロブが手を置いたそれのことだ。
 ロブの舌が、ふたたびそのチェリーを食べたとき、僕は、至福の悦びにうち震えた。あー‥‥愛してる。
 (※訳注 言うまでもなく‘banana’も‘cherry’も‘apple’も男女の性器や乳房を表す隠語 フェイスは、朝食の話のように見せかけて、けっきょくはねだっていたわけだ)

 でも、僕が基本的に無知だというのがよくわかったこともある。
 おっぱいというのは、赤ちゃんに授乳するためと、男たちの気を引くために使うものだと思っていたのだが、それは認識不足だったようだ。たとえ寝ている時でも、セクシーな男に吸われると、乳首は、まるでそれ自体が意識を持っているかのように立ち上がり、応えている。僕はそれに、文字通り目を覚まされた。
 そうそう、バナナやチェリーだけでなく、柑橘系の果物のおいしさをも、僕らは存分に楽しんだ。ふたり同時に、お互いの果汁をすすり合い、その味に体を震わせたりもしたのだ。
 2週間の新婚旅行中、僕らはハワイのすべての島の観光スポットをまわり、あのテレビ番組で紹介されていたよりさらに多くの体位を試した。

 僕らは今、グレート・インディアン校から10マイル(約16キロ)ほど離れた場所に住んでいる。
 僕は仕事に打ち込み、ミセス・ウイリアムズも、その仕事ぶりを喜んでくれている。
 生徒たちはみんな、小さな体に愛をあふれさせた新任カウンセラー、ティフが大好きだ。
 ロブの職場も近くて高給。経済的にも時間的にも余裕ある僕ら夫婦は、近いうちに、赤ちゃんを養子にもらおうと考えている。
 ロブも僕も、できれば、かわいい服がいっぱい着せられる女の子の方がいいと思っているが、べつに男の子でもかまわない。
 ティフやジルを見ていると、男の子とペチコートという取り合わせも、スープにサンドイッチを合わせるというくらいのちぐはぐさでしかない気がする。というか、チェリーとバナナか?
 とはいえ、そんなに軽々しく決めてしまってはいけないことだろう。
 最終的には、わが家は男の子と女の子ふたりの養子を迎えることになるのかもしれない。
 いずれにせよ、うちの子たちは、わがままな甘えん坊になりそうだ。
 なにしろ、親ふたりに加え、4人の祖父母、ホリー叔母さん、そして、スヌーピー・ツインズと呼ばれる2人の女性の愛を、一身に受けて育つのだから。




CopyRight(C)2003 by Karen Elizabeth L.
Based on the text FictionMania
Translated by Rino Maebashi

この『ガール・センター 〜 フェイスの冒険 〜』は、カレン・エリザベス・Lさんのオンライン小説“GIRL Center - A Leap of Faith”を、前橋梨乃が日本語訳したものです。原作著作権はカレン・エリザベス・Lさんが、翻訳著作権は前橋が保持します。個人で楽しむ以外、無断でのコピーを禁止します。